母は89歳で亡くなっている。当家ではいちばんの長生きだ。
この母の年齢にパーキンソン病で長年療養生活を続けている長女が、
1月に追いつき並んだ。
さすがに運動機能は衰え、車イス生活を強いられてはいるが、
他に格別不調なところはなく、いたって元気である。
おそらく、母の長生き記録を上回るのではないかと、
願いをも込めてそう思っている。
姉は僕に対し「おうちは、父ちゃんに生き写しやね」と言うが、
僕に言わせると
「姉ちゃんは母ちゃんにそっくり。母ちゃんを見とるごたる」人であり、
生きた年数まで似通ってきたわけだ。
別に家族間で享年を競うわけではないが、父は68歳である。
今にして思えば、随分と早い。長い闘病生活の末だった。
その父に「そっくり」な僕は、すでに父を12歳上回っている。
ついでながら、長男81歳、二男82歳、三男52歳、
そして次女73歳という年齢だった。
僕と2つ違いの三男は事故で、次女も車にはねられた結果である。
僕は今年7月で81歳になる。いちばん上の兄と並び、次の兄に迫る。
これまで5度ガンの手術をしているが、
いずれも発見が早く大事には至らなかった。
以降は、何とか持ちこたえており、むしろ医師は
「80の年齢にしたら、大変に元気でいらっしゃる」そう言ってくれる。
そんな医師の見立てにも励まされ、健やかな日々を送れており、
心中では男の兄弟では僕がいちばん長生きするのではないかとも思っている。
ただ、若干複雑でもある。兄たちは追い越せても母にはどうか。
それまでには、まだ9年もある。
さらに上の姉を見ると、それ以上になりそうだ。
これから先どこまで生きられるか想像もつかない。
「まだまだ大丈夫」と思っていても、不確実性の非常に高い年齢だ。
そう思うと、つい弱気になってしまう。
そもそも、これ以上長生きしたいのか。
「日本人男性の平均寿命(81・47歳)まで生きられれば十分」
ではないかと思ったりする。
今の健康状態を考えると、その年齢だと病に伏せて苦しむこともなく、
家族にもさして迷惑をかけずに済むはずだ。そんな計算もしてしまう。
人の生死は自分の思うようには操れない。「人生100年時代」と言うが、
これから先の20年は、まさに生死の境をさまようような時間であろう。
ええい面倒臭い。深く考えるのはやめよう。
日々思い切り楽しむことにする。