Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

花に支えられ─浮遊する

2020年08月29日 06時00分00秒 | 思い出の記
   道の駅で、農作物を納めに来たおじさんに尋ねてみた。
   「この近くにそばの花が、たくさん咲いているところがある
   と聞いてきたのですが、どこかご存知ではありませんか」
   「ああ、『そば公園』だね。今が満開の見頃、ぜひ行ってごらんなさい。
   それでと、そこの前の道を左に行き、最初の信号を右折して……」
   教えられたように7、8分車を走らせると、やがて狭くて短い上り坂があり、
   そこが純白の世界への入り口であった。

9月半ばの波野高原(熊本県阿蘇市)――花径6㍉ほどの可憐なそばの花が、
700万本も寄り添って一斉に咲くと、6・5㌶の高原は、
空の青さをバックに信じられないほど白く、美しく装う。
その高原を時折、そよ風が渡る。
すると、風に撫でられた小さな花たちは、
たちまち白い波となってたゆたい始め、柔らかさを添えるのである。
根子岳の遥か霞むような黒いシルエットもまた、
そば畑の美しさを際立たせる役を担っている。

   「この花たちに支えられて大の字になるとどうだろう、
   宙に浮き上がるのではないか。花たちが魔法のじゅうたんになって……」
   ああ、久しき童心。
   そんなそば畑の表情の変化は、妻たち写真愛好家には
   絶好のシャッターチャンスとなる。
   それは、花言葉の通り、愛でてくれる人たちに
   『誠実』であることを示してみせ、
   また、小さな姿は『一生懸命』けなげに生きている様を
   見せているようでもある。
   やがて、収穫期が近づき、10月下旬になると緑の茎は赤くなり、
   白いじゅうたんは天高く飛び去ってしまう。高原は赤く変わる。

その後のそばの運命は無残だ。
摘まれ─挽かれ─混ぜられ─こねられ─延ばされ─切られる、
そんな仕打ちが待ち受けている。
言葉を並べると、人はこうも残酷なのである。
なのに、そばは僕らを喜ばせるために、身を投げ出すけなげさをここでも見せる。
いや、僕らを喜ばせるために生まれてきた、そんな運命なのかもしれない。
僕らはそれを単に、『自然の恵み』と言っている。

            道の駅に引き返した。
     そして、併設のそば処で11月の新そばを待つことなく、
     『ざるそば大盛』を注文したのだった。
     見て、食べて『自然の恵み』に頭を下げる。
             (2018年9月記)


風に誘われて

2020年08月28日 09時55分01秒 | エッセイ
    身は萎え、心は塞ぎ、PCを開いても、
    何を、どう書けばよいのか思いも浮かばず、
    結局1字も打つことなく、PCを閉じてしまう。

朝5時半、目覚めると家中の戸、窓を開け放った。
たちまち、室内を早朝のひんやりとした風が駆け抜ける。
萎えた身を爽やかにくるくると包み込み、
精気を与え、そのまま外へ走り去る。

    誘われるように、追いかけるように、いつもの川沿いに向かった。
    ここを歩いたのは、もう10日以上前のことになる。
    お久しぶり。
    川面を滑ってくる朝の風が、こちらへ向かってきて、
    川の冷たさも一緒にこの身に振りかける。
    遠く、山の端からのぞき始めた朝日が眩しい。
    川面を見れば、鳥たちがゆったりとくつろいでいる。
    いつもながらの、おだやかな川の風景だ。
           
ただ、ただ、癒されながら36分間歩いた。
そして、PCを開き、「身は萎え、心は塞ぎ……」と書き始める。

病室の涙

2020年08月22日 14時04分08秒 | エッセイ
                                     
病室に1人。涙がじわーっと流れ落ちる。
カード挿入式のテレビは、NHK-BSPで1966年の日活映画
「愛と死の記録」をやっている。
主演は吉永小百合、相手役は先日亡くなった渡哲也である。
舞台は広島。楽器店店員の吉永と、印刷会社で働く被爆青年・渡の
純愛─悲恋物語だ。

   互いに愛し合いながらも、最後は渡が原爆症で亡くなり、
   吉永もまた後を追って自ら命を絶つ。
   今ちょうど、救急車が吉永を運ぼうとしている場面なのである。
   こんな純愛ものに、他愛もなく涙してしまう。

 「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ
  わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ
  にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬ へいわをかえせ」
           
平和記念公園に設置されている峠三吉の有名な詩碑、
そして、あの原爆ドームなどもしばしば、この映画の場面に映し出される。
この映画は単なる純愛物語ではなく、
反戦・反核の意図をもって制作されたのかもしれない。

    病室のベッドに腰を掛け、この映画を見ながら
    明日の退院を待っている。
    5月末に続き、今年2度目の入院。
    前回は3度目の膀胱がん、今回はこれまた3度目の尿管結石。
    縦9mm強、横5mmほどの米粒型の石が尿管に詰まっているのだ。
    膀胱への出口のすぐ近くだから、自然に流れ落ちるのを期待したが、
    奴はしぶとく、しっかり尿管を塞いだまま動かなかった。
    そのため、左の腎臓が水膨れ、つまり水腎症となっており、
    放っておくわけにいかずというわけだ。
    レーザーの威力はさすがで、これを浴びせられた
    石は粉々に砕かれ、5泊6日の入院を終えた。
            
この病院に入院したのは今度が5度目。それもすべて泌尿器科棟だ。
さすがに入院暮らしにはあきた。
病室で1人涙するなんてことは、もうないよう祈るとしよう

再・3秒ルール

2020年08月15日 17時00分00秒 | 物語
            朝日の花びら
     都市高速の合間からのぞいた朝日がカメラの中ではじけていた



    いきなり、「うぐっ」ときて、口をこじ開けるあけるように
    ばっと飛び出してきた。
    そして、白っぽい体をくにゅくにゅとくねらせ、
    教室の床を這いずり回っている。
    「こんにちは、回虫君」。
    クラスメイトのほとんどが、回虫やサナダムシといった
    〝虫持ち〟だったから、気味悪がりもせず、ワイワイ言って取り囲み、
    むしろ面白がっていた。
    先生の方が、それこそおっかなびっくり、
    僕らが見ても明らかにへっぴり腰で、
    皆が「先生、早く」とはやし立てると、イラっとしたのか、
    箒の扱いも荒っぽく、回虫を塵取りに掃き入れ、
    廊下にドタドタとけたたましい足音を響かせたのだった。
    担任の先生が女性だったことを思い出したから、
    これは3年生か4年生の時の話である。

なぜ、〝虫持ち〟の子が多かったのか。理由ははっきりしている。
終戦間もないこの当時、まだ化学肥料はさほど普及しておらず、
農家はもっぱら人の糞尿を堆肥にして使った。
その中には寄生虫の卵が潜んでいたから、その卵は、
キャベツや白菜の葉っぱの間に移り住むことになったのである。
もちろん調理する時にはきれいに洗い流す。
だが、100%というわけにはいかない。
しぶとく野菜にしがみついている奴がいて、それら生き残った卵は、
人の口から体内へと侵入し、本来は僕らの栄養となるべきものを横取りして、
すくすくと成虫へ育っていくのだ。

    ほとんどのクラスメイトが、そんな経験をしているものだから、
    回虫がいきなり飛び出してきても大して驚きもしないのだ。
    ただ、先生たちにすると、笑い話で済ませるわけにもいかず、
    子どもたちに定期的に虫下しを飲ませるなどして、
    〝寄生虫一掃作戦〟を展開、化学肥料が使われ出したのと相まって
    回虫君を見かけることは少なくなっていった。
             
その頃はまた、寄生虫だけではなく服の縫い目には
シラミが列をなして隠れていたし、髪の毛を指ですくと、
シラミとその卵がぽろぽろとこぼれ落ちてきた。
それで生徒が一列に並び、次々に頭から白いDDTを振りかけられたものだ。
そんな時代だった。
             
    僕と妻との間には、『3秒ルール』なるものがある。
    決して他人様にお薦めするものでなく、
    あくまで僕と妻2人だけに通用するルールだ。
    年を取ると、体のあちこちに不都合が出てくる。
    「膝が痛い」「腰が痛い」などというのは、
    〝年寄り病〟に認定されているに等しく、
    また口、喉周りにも何だかだと機能不全が起きてくる。
    食事中にポロポロとこぼす。あるいは菓子なんかを食べると、
    小さく噛み砕いたものが、いつまでも喉にまとわりつき、
    時に咳を連発させることがある。
    餅を喉に詰まらせる、これに対しては、主に年末年始に注意警報が出る。
    誤嚥性肺炎というのも年寄りにひどく偏った病気で、
    高齢者の死因の上位に座る。
           
妻と2人の食卓。箸でつまんで口に入れようとしたご飯が、ぽろりと床に落ちる。
すかさず妻が言う。「3秒ルールよ」。
僕は急いで、床に落ちた一塊のご飯を拾い、何のためらいもなく口の中に放り込む。
妻の判定は「セーフ」。何のことはない。
「床にこぼしても、3秒以内であれば何の害もないから、拾って食べてよし」
そういうルールなのだ。
何せ、〝寄生虫の卵付き野菜〟を食べて育ち、生き残ってきた世代である。
これしき、何ということはない。

   20年、いや30年ほども前になる。ある医師と知り合いになった。
   僕より一回りほど年長だったと思う。
   雑談ついでに、あの回虫騒動の話をした。医師曰く。
   「僕は経験がありませんが、確かによく見聞きしましたね」
   えらく淡々と話す。まあ、よい。問題はそのあとだ。
   「ところで、あなたの世代、突然死のリスクが高いのですよ」
   死はまだ遠い話の40半ばの人間に、医師たる者が何たることを……。
   「それって、回虫に栄養分を横取りされたからですかねぇ」
   少しばかりの怒りを笑いの中に押し込んだ。
   「いや、いや、いや」手を振りながら、
   「そもそも幼少期が食糧難だった世代なんです。
   つまり栄養不足だったんですね。
   青ばな垂れた子が多かったでしょう。これもタンパク質の摂取不足です。
   突然死が多いのは、この幼少期の栄養不足が一因らしい。
   ところで、あなたご兄弟は?」
   「兄3人に、姉2人の末っ子です」
   「なるほど、そうだとお母さんのおっぱい、あまり飲めていませんね」
   「さあ、どうでしたでしょう。よく覚えていませんね」
   「おっぱい、大事なんだがなぁ」
   医師のつぶやきに、早々に退散することにした。
              
すでに後期高齢者の保険証をいただく身。
『3秒ルール』のお世話になること、さらにしきりである。
「そいでんですね、先生。僕、まだ元気に生きとります。
何せ、回虫に鍛えられましたもんなぁ」
そうつぶきながら、また1つ年を取る。



あくび&いびき

2020年08月14日 09時17分26秒 | エッセイ

                                 眠気覚めやらぬ


    喉の奥まで見えたかもしれない。大きなあくびを一つ。
    この時間、10時に近くなると、いつも眠くなる。

なぜ、あくびというのは出るのか。よく「酸欠になるから」と言う。
そう答えると、NHKの人気番組チコちゃんから
「ボーっと生きてるんじゃないよ!」と叱られるだろう。そうではないらしい。
             
    人は眠くても眠ってはいけないと考えることがある。
    「おい、そこの君。あてつけがましく僕を向いて
    あくびをすることはあるまい。失敬な!」
    大昔、大学の講義で、先生から指さされたことが何度かある。
    講義が退屈で、あくびが出てしまったのだが、
    これなんか講義なのだから眠くても眠ってはいけない
    との意識が懸命に働いたわけだ。

実は、人は眠ってはいけないと考えると
無理やり脳の温度を上げようとするそうだ。
ところが脳細胞は39度以上になると死んでしまう。
今度は冷やさなければならない。その方法があくびなのだという。
つまり、吸い込んだ空気が喉付近の血管や血液を冷やし、
それで脳の温度を下げる。こんな理屈になるのだ。
なるほど。眠いけど懸命にこらえようとする行為があくびというわけか。
退屈な講義を聞いたり、つまらないテレビドラマなどはそうだろう。
それから極度に緊張した時には、よく「生あくび」というやつが出る。
             
    ただ、僕の10時というのは純粋に眠気のせいだ。
    退屈なテレビドラマも途中でやめ、ベッドに入った。
    ベッドを並べる妻は、必ず時間をずらす。
    「あなたのいびきで寝られはしない」というのが理由だ。
    いびきというのは、じぶんではかいているのかどうかは普通分からない。
    たまに「があっ」と身を震わせ、一つだけかく大きないびきに
    自身驚かされることがあるが、普通は人から言われ「そうなのか」と気付く。

寝ている時には、舌や喉の周りの筋肉が緩むため、気道が狭くなる。
その結果、空気が通るたびに周囲の粘膜が震えて音を出す。
これがいびきというわけだ。
特に口呼吸だと、舌が落ち込み粘膜の震えが一段と大きくなるらしい。
僕は、寝ている時は口が開いている。これは自分でも分かっている。
空気が乾燥する冬なんか、朝起きると口の中がカラカラなっていることがよくある。

    そういうわけで、僕のいびきは結構ひどいらしい。
    もっとも、けたたましいのは寝始めからしばらくの間だけだそうで、
    「すやすや」と可愛げに小さくなってくる。
    そう証言する妻はそのタイミングを見計らっているのだ。
    必然的に、僕より寝始めるのが遅くなる。
    わざとではないにしても、相すまぬことだ。

あくびをしてからいびきをかき出すまで、どれほどだろう。
10分か20分? 寝つきは極めて良い。