道の駅で、農作物を納めに来たおじさんに尋ねてみた。
「この近くにそばの花が、たくさん咲いているところがある
と聞いてきたのですが、どこかご存知ではありませんか」
「ああ、『そば公園』だね。今が満開の見頃、ぜひ行ってごらんなさい。
それでと、そこの前の道を左に行き、最初の信号を右折して……」
教えられたように7、8分車を走らせると、やがて狭くて短い上り坂があり、
そこが純白の世界への入り口であった。
9月半ばの波野高原(熊本県阿蘇市)――花径6㍉ほどの可憐なそばの花が、
700万本も寄り添って一斉に咲くと、6・5㌶の高原は、
空の青さをバックに信じられないほど白く、美しく装う。
その高原を時折、そよ風が渡る。
すると、風に撫でられた小さな花たちは、
たちまち白い波となってたゆたい始め、柔らかさを添えるのである。
根子岳の遥か霞むような黒いシルエットもまた、
そば畑の美しさを際立たせる役を担っている。
「この花たちに支えられて大の字になるとどうだろう、
宙に浮き上がるのではないか。花たちが魔法のじゅうたんになって……」
ああ、久しき童心。
そんなそば畑の表情の変化は、妻たち写真愛好家には
絶好のシャッターチャンスとなる。
それは、花言葉の通り、愛でてくれる人たちに
『誠実』であることを示してみせ、
また、小さな姿は『一生懸命』けなげに生きている様を
見せているようでもある。
やがて、収穫期が近づき、10月下旬になると緑の茎は赤くなり、
白いじゅうたんは天高く飛び去ってしまう。高原は赤く変わる。
その後のそばの運命は無残だ。
摘まれ─挽かれ─混ぜられ─こねられ─延ばされ─切られる、
そんな仕打ちが待ち受けている。
言葉を並べると、人はこうも残酷なのである。
なのに、そばは僕らを喜ばせるために、身を投げ出すけなげさをここでも見せる。
いや、僕らを喜ばせるために生まれてきた、そんな運命なのかもしれない。
僕らはそれを単に、『自然の恵み』と言っている。
道の駅に引き返した。
そして、併設のそば処で11月の新そばを待つことなく、
『ざるそば大盛』を注文したのだった。
見て、食べて『自然の恵み』に頭を下げる。
(2018年9月記)