Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

「天神地蔵」さん

2022年10月31日 20時31分50秒 | まち歩き


完全に職を退いてから、この九州一の繁華街・天神に
出かけることは月に1、2度になった。
数十年もここに親しんできたので、
やはり少しばかり寂しい気がする。
まあ、仕方ないか。

そして、この日が月一度かかりつけ医に出かける日だった。
特に体が不調というのではなく、
飲み続けている薬を処方してもらうためだ。
薬局で薬を出してもらい、
「さて、天神をぶらっとしてみるか」



ああ、今日もお変わりなくいらっしゃる。
天神地区でも、その中心となる交差点の一角。
日差しを避ける帽子をかぶり、
浴衣みたいなものを着けていらっしゃる。
「天神地蔵」さんだ。

1979年というから、もう随分の前のことになるが
暴走族の取り締まり中にバイクにはねられ殉職した
警察官を慰霊するため建立され、以来地域住民が服を着せたり、
掃除をしたりと大切にしているのだ。

そんなお地蔵さんを酔った男が何と足蹴りし、頭がとれてしまった。
4年半前のこと。
無残な姿のお地蔵さんに住民は悲しみ、
「元に戻して」との声が上がった。
すると、30人以上からの合計7万円の寄付が集まった。
そして、修復のうえ今日も大切にされているのだ。

天神のど真ん中とあって交通量も多い。
「事故のないよう見守ってください」そう念じ頭を下げる。



降臨?

2022年10月23日 17時06分57秒 | 小話


先日のブログ「自然の神秘を満喫」の続編になる。
白木峰高原で自然の神秘を満喫し、
帰路立ち寄った祐徳稲荷神社での出来事である。



楼門に足を踏み入れた途端、
頭上からオルゴールのような音色が降りてきた。
見上げると長さを違えた六本の金属管による風鈴が、
そよ風に揺らいでいた。
ところが、楼門を踏み出したら
今度は音がぴたっと止まってしまった。
つまり風鈴が鳴ったのは、楼門に留まっていた、
ほんのわずかな時間だけだった。
気のせいか。いや、確かにそうだ。
なにがしかの作為、さっとそんな感じさえよぎった。
短冊には表に『無病息災』、
裏に『一日も早い終息をお祈り致します』とある。
ひょっとすると神様が、毎年入院・手術を繰り返している
我が身を案じて下さってのことなのか。
首をかしげながらも、心の中はほっこりさせ駐車場へ向かった。



「さて、帰るとするか」車のドアを開けた。
すると、いきなり黒いトンボが飛び込んできたのである。
一般に『ハグロトンボ』と呼ばれているものらしい。
念のため、ネットで検索してみて驚いた。
何と『神様トンボ』とも言われているらしい。
最初は車中をせわしなく飛び回っていたが、
しばらくすると人に慣れたのか指先に止まるようになった。
そして羽を閉じたり開いたりする。
その様子が、まるで神様が
祈りを捧げているかのように見える、というのである。
さらに驚くことに、このトンボを神社で見たら、
それは神様が歓迎・激励してくださっている
サインだと思いなさい、とある。
無下にはできない。「家にお連れしようと思いますので、
そこらでお休みしていてください」そう思いながら家路を急いだが、
家に着いたらいつの間にか姿を消されていた。
ドア、窓はしっかり閉めていたはずなのだが……。

 

白木峰高原のショーから始まり、
風鈴、ハグロトンボへと魔法にかかったような一日であった。
言い伝えのように、幸運が訪れてくれるだろうか。
どのような幸運でも良いから。



自然の神秘を満喫

2022年10月21日 17時08分52秒 | 日記


ここは長崎県諫早市にある白木峰高原。
五家原岳の中腹約1万平方メートルに春は10万本の菜の花、
そして今は20万本のコスモスが真っ盛りだ。
正面に見える雲仙岳、ゆったり広がる有明海がこれらコスモスを引き立て、
しかも日の出時が格好のシャッターチャンスで
アマチュアカメラマンたちは、
まだ真っ暗なうちから三脚を立て日の出を待つ。

負けじとわが妻もここへ乗り込んでいった。
何せ、良いポジションを押さえるためには4時半には現場に着きたい。
そうであれば、高原の駐車場で車中泊するのがベストだ。
車中泊は3年半ぶりだったろうか。ともかく久し振りのことである。
そして計画通り4時半には三脚を立てることが出来たのだが、
何とすでに10人ほどが準備万端で日の出を待ち構えていた。
その後、続々と。


4時45分。まだ真っ暗だが雲仙岳のあたりは赤くなりはじめた


5時半ごろ。コスモスがかすかに見え始める


6時少し過ぎ。コスモスの花がはっきりと見えるようになった


6時半ごろ。日が昇り始めシャッター音がせわしない


ご覧のようにアマチュアカメラマンたちが大勢やって来る


すっかり日が昇ったコスモス園の景観


行きは福岡から伊万里─武雄─嬉野─大村経由で、
途中JR千綿駅に寄った。
大村湾沿いのこの駅は夕暮れ時が
これまたアマチュアカメラマンたちの人気スポットとなっている。


帰路は有明海沿いに佐賀県太良─鹿島─佐賀経由。
有明海越しに臨む雲仙岳は煙っていた。



途中太良の海中鳥居、祐徳稲荷神社を巡ってきた。

2日間の走行距離は350㌔ほどで大したことはないが、
運転時間は合わせて9時間ほどにはなろう。
80歳の爺さん、よく頑張った。





父さん

2022年10月14日 09時07分18秒 | エッセイ


入退院を繰り返す闘病の末、遂に尽き果て、
横たえられた父にうっすらとヒゲが残されていた。
少しの温もりも喜怒哀楽も、何もかも失くした、
その頬や顎にそっと剃刀を当てれば、
それはあたかも言葉を交わすことのない語らいに思え、
そこに多少の懺悔が潜んでいることに気付かされた。
父・69歳、昭和44年5月28日のことである。

      

父との思い出は、ほぼ小学生の時に限られる。
鎖をつかみ、懸命に引っ張り上げ、
980㍍もある頂上にたどりついた多良岳登山、
初めてテントの中で一夜を過ごした雲仙・諏訪の池でのキャンプ。
これらはすべて登山やハイキングが好きだった父との、
70年たった今も忘れられない楽しい思い出である。
また近くの中学校の校庭にあった鉄棒で逆上がりや
前回り、後回りをしてみせたのも父だった。
中学生になった僕が器械体操を始めたのは、
そうした父の血の影響が多分にあったのかもしれない。

それなのに、中学生になり、さらに高校、大学へと
進むにつれ父とは会話さえ絶えた。
なぜそうなったのか。特に諍いがあったわけでもない。
知らない間に語り合わぬ父子となっていた。そう言うしかない。
やがて僕は父の手を離れて独り立ち。
父はといえば年を取り、病に伏せ、見る間に衰えていった。

      

「お金、少し持っとらんね」
東京の通信社での半年間の出向・研修を終え
長崎へ戻ると、母はそう聞いた。
「何すっとね」聞き返せば、
「父ちゃんの入院費用が足りんとたい」と言う。
結婚費用にと出向中に貯めたものが30万円近くあった。
それ以上何も問いもせず、手持ちのありったけを差し出したのだった。

母に促され見舞ってみれば、父はベッドの上に、
小さくなった体を丸めるようにして、まさにちょこんと座っていた。
最初は不審げな表情をしたが、
すぐに、はにかんだような笑顔を見せた。
父の笑顔は、いつのことだったろうか。思い出せもしなかった。
そして、その笑顔を最後にして半年後死去したのである。

1枚の木の板を金具で留めただけの祭壇とも言えぬ棚に、
マリア像に守られるようにして母、それに義父母、
3人の遺影が置かれている。
父の写真もここに並べられてしかるべきなのに、それがない。
どう探しても見つけ出すことが出来なかったのだ。
手元に写真すらないことが父への思慕の薄さを感じさせ、
「そのせいで父の顔はぼんやりとしか思い出せない」と逃げをうつ、
そんな自分がなんと悲しいことか。

姉は言う。「あんたは父ちゃんに生き写しよ」
それで、鏡に映った自分と父の顔立ちとを
重ね合わせてみようとするものの、
おぼろげに浮かんでは消える面影は定まってはくれず、
切なさばかりが募ってしまう。




妻の仕返し②

2022年10月11日 06時00分00秒 | エッセイ


新聞の読者相談コーナーから。
投稿したのは定年で長い単身生活を終え夫婦2人暮らし
となった60代の男性。こういった相談だ。
「一緒にいる時間が長くなり、互いの性格や行動パターンの
違いから、けんかが増えてきました。
現役時代は忙しく、向き合わなかった夫婦間の
問題が今になり顕在化した感じです。……
いろいろ話し合っても打開策が見いだせないため、
セカンドハウスを購入しての時々別居を提案しました」

すると、奥さんの返事がこうだった。
「今まで苦労させられたのに、離婚に発展させられたら
たまらない。これからは私があなたに復讐する番」
これには、ご主人、愕然とされたようだ。

                                 

2021年3月21日の本ブログで「妻の仕返し」を書いている。
これも新聞の「モラハラ亭主」の特集から拾ったものだった。
話がよく似ている。
そのブログの断片を拾うと──

──その昔。ごく普通の家庭において亭主は
絶対的存在として君臨した。
「このように、お前たちが何不自由なく暮らせるのは、
俺が懸命に働いてやっているからだ。ありがたく思え」
こう言えば、妻も子供たちも
「はい、お陰様で……ありがとうございます」と、
胸のうちでベロをしながら従った。

 その昔と言っても、現在でもそのような家庭は結構多いはずだ。
特に中年以降の男性は「仕事優先。家庭は二の次」思考になりやすく、
たまの休日も、やれゴルフだ何だと言って家事には見向きもしない。
そうやって年月を重ねていくと奥方は、家では何もしないくせに、
何だかだと偉そうなモラハラ亭主に不満を募らせていく。
不満をため込んでいく。

 そんな世の亭主族は用心したがよい。
強烈な仕返しが待っている。
そして亭主が定年を迎えると、
「もう我慢しないわ」とばかり一気に攻勢に出てくるのだ。
攻撃することしか能のなかった亭主は、
守りはからっきしで、オロオロするばかり。

 もっと壮絶な仕返しは、
亭主の健康寿命が尽きるのを待っている奥方である。
ベッドに横たわる亭主の枕元で、こうつぶやく。
「これからは私がいじめ抜いてやる」ああ怖い、怖い──。

こんな話だった。程度の差こそあれ、
結構こんなふうな夫婦は多いのではなかろうか。


                                            こんな日もあったはずなのに……

この60代男性の相談に対し、
アドバイザーの女性作家はこう答えている。

「妻の言いたいこと、夫に復讐したい根拠を、
とことん黙って聞くことです。
それを抜きにしては前へは進めないと思います」