父ちゃんは昭和44年5月28日、69歳で死んだ。
入退院を繰り返す長い闘病生活の挙句だった。
前の年の6月、長崎発の寝台特急「さくら」で初めての東京へ向かった。
後に振り返れば、この東京での半年間の出向=研修は、
僕の進路を決定づけた大変に意義深いものであった。
ともかく、その出向を終えて今度は飛行機で長崎に戻ると、
父ちゃんは病院のベッドの上に、小さくなった体を丸めるようにして、
まさにちょこんと座っていた。
最初は不審げな表情をしたが、すぐに、
はにかんだような笑顔に変わった。
父ちゃんが僕に笑顔を見せるのは、いつのことだったろうか。
思い出せもしなかった。
何せ、もう何年もまともに話さえしていなかったのだ。
男の子は、父親との関係がややこしくなる時期がある。
自我が確立してくる高校生、あるいは大学生ほどの年齢になると、
父子の会話はほとんどなくなり、時には激しく言い争うことさえある。
体はすでに父親をしのぐから、
父親はその権威のみをよりどころに従わせようとする。
それがまた反発を招くのだ。
この時父親は、自身がかつてそうであったことを忘れており、
また我が子が口答えできるほど成長したことに気付かない。
何故そうなるのかは知らない。単に反抗期。
または自我が確立してくると一人の男として父親の生き方に
疑問を持ち反発する。
あるいは、母親を巡り父親とはライバル関係になる──
などともっともらしく語る人もいる。
だが、いろいろと理屈を並べても、
「間違いなくこうだ」という理由に行きつかない。
末っ子の僕は、父ちゃんから大変にかわいがられた。
登山やハイキングが好きで、いつも僕を山登りに、
キャンプにと連れて行った。
その帰り道、海水浴場で遊んだこともある。
小学3、4年生ごろまでの話である。
高校生になると、ほとんど話らしい話をしなくなってしまった。
激しく言い争った記憶はないが、知らない間にそうなっていた。
やがて僕は父ちゃんの手を離れ、独り立ち。
父ちゃんはといえば年をとり、病に伏せ、
見る間に衰えていった。
ベッドの上に座って丸くなっている父ちゃんを見ると、
もはや自分が優位に立ったと知り、
そして、父ちゃんを憐れむ自分がいることに気付く。
自身への自信、父への憐れみ──
2つの思いが交錯するのである。
力尽き、床に横たえられた父ちゃんの顔に
うっすらとヒゲが見える。
頬や顎にそっと剃刀を当てる。
父ちゃんはもう、少しの温もりも、
そして悲しみも残していなかった。