JR天橋立駅の、道を挟んだほぼ真向いに小さなレンタカーの店があった。木造2階建て、出入り口は引き戸になっており、一見すると懐かしい雑貨屋を思わせた。『天橋立レンタカー』との店名、その『立』と『レ』の間に割って入るようにクラシックカーの絵柄をあしらった看板が2階部分に掲げてあり、それで、どうにかそれと分かる。すぐ近くに専用駐車場、と言っても空き地みたいな場所に2台分のスペースがあり、フロントガラスに「すぐにご利用いただけます」との札を下げた軽自動車が1台だけ停めてあった。
言うまでもなく、ここには陸奥の『松島』、安芸の『宮島』と並ぶ日本三景のひとつ、特別名勝『天橋立』がある。その景観を楽しもうとやって来たのだが、実はもう一つ目的があった。それで「すぐにご利用いただけます」という軽自動車を借りることにしたのだ。
日本海に突き出た丹後半島へと北上する。最近の軽自動車はルーフが高くなっているので、車内は広く感じる。不足はない。1時間足らずで目的地の伊根湾に着いた。日本海側の港には珍しく、波静かな天然の良港とされる。山並みが岸のすぐ後ろまで迫っている。海との間のわずかな地に、海にせり出すように切妻造りの、1階が船の収容庫、2階が住居という、この地区独特の伝統的様式の建物が200軒ほど湾沿いにぐるりと立ち並んでいる。海と、物言わず迫る山並みの静けさ、それに『伊根の舟屋』と呼ばれる、これら建物が穏やかにマッチし、墨で描いた絵を思わせる世界となって多くの人を誘っている。
佇めば、4時を少し回り陽は沈みかけている。しかも薄曇りであり、海も舟屋も淡いグレーな静けさに溶け込んでいく。舟屋の2階にポツリポツリと灯が見えてきた。わずかなざわめきといえば、湾を巡る遊覧船のエンジン音と、それに紛れて聞こえてくる楽しげな女性の声だけ。目をやると、それは彼から釣りを教わる外国の女性のものであった。静けさの中にある伊根の岸壁で、無邪気に釣りを楽しむ異国の女性の笑い声に心和むのだった。