Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

頼む心

2020年09月25日 06時00分00秒 | エッセイ
   なんて恩知らずな弟なことか。もう1年ほども見舞っていない。
   長崎で闘病生活を続ける8つ違いの姉。
   両親はもちろん、3人の兄、それにもう1人の姉をすべて亡くし、
   今はもう唯一人の肉親となった姉。
   幼い頃、それこそ母親代わりとなって僕を育ててくれた姉。
   そんな恩ある姉なのに、1年ほども訪ねていないのだ。

                            佐賀県みやき町「山田水辺公園」

姉の一人娘、姪からのショートメール返信は4度続いた。
「大きな変化はありませんが、身体の動きが悪くて、
調子が悪い日が増えた気がします」
〝大きな変化はない〟ことに少しは安心するが、
それでも〝調子が悪い日が増えた〟ことが気になる。
何だか控えめに書かれているように思え、僕にあまり心配をかけまいとする
姪の気遣いを感じさせる。そう思うと、やはり落ち着かない。

   実は、姪自身も母親と自由に会えないのだという。
   パーキンソン病の姉は、月に2回ほど治療のため病院に入院するが、
   大半は介護施設で暮らしている。
   「その介護施設が面会謝絶になっており、(私も)会えない状態です。
   病院で受診する時は2泊3日の帰宅が許されていますので、
   母と一緒に過ごせるのは帰宅する月2回、この時だけです」
   言うまでもなく、コロナウイルスのせいである。
   言い訳がましくなるが、僕がこれほど長く見舞っていないのは、それもある。

コロナ、コロナの世の中。義兄の七回忌もできずじまいだ。
「早いもので今年が父の七回忌になります。でも、コロナ禍でしょう。
母と相談し、叔父さんはじめ皆さん方に来ていただくのは
控えたほうがよいだろうと思い、教会でミサだけあげていただくことにしました」
姪は一時期、父と母が同時に入院したため、1人で両親の看病をしていた。
自身も職を持っており、それに加えて両親の看病なのだから大変だったに違いない。

                                 佐賀県上峰町の田園

   「いろいろ大変だと思いますが、身体に気を付けて頑張ってください」
   そうねぎらい、最後に「姉をよろしく頼みます」と添えて返信した。
   恩知らず……自身を罵りつつ、姪に頼む心を強めていく。

ガールフレンド

2020年09月19日 06時00分00秒 | エッセイ
洗い立ての車体を、小さな粒が連なるようにして転がり落ちていく。
こんな雨を何と呼ぶのだろう。
単に小雨──目を移ろう風情とは趣が少し違う。
やはり小糠雨か。こちらの方が似合いそうな気がする。
          
   A4の紙に打ち込まれたゴシック体の文字の列。
   僕のガールフレンド 君が書いて寄こした文面に
   僕の胸は震えている。
   「悩みは尽きぬ」というほど、君が悩んでいたとは……。
   「10日、もしくは2週間ほどで退院できるはずです」
   そう言って入院した君だったから、それほど心配もしていなかった。
   ところが、予期せぬ腸閉塞の併発。
   こちらの手術によって、食事も出来ず
   点滴に繋がれたままの日が長く続いた。

腹部の手術とあれば、寝返りなぞ打てるはずもなく、
天井だけを見つめて、長い長い1日を過ごした。
ふと、「何のために生きているのか」
そんな悲しすぎる思いさえよぎったという。
そんな君を見られたご主人は「目に何の感情も見れない」と案じられた。
当然、筋肉は細り体重も減っていった。

   やっと退院出来るまで、およそ2カ月間かかった。
   退院後初めて会った君は、確かにほっそりとなっていた。
   でも笑顔は以前と変わらず、
   「さあ、これから体力回復だね」と励ましたつもりだった。
   でも、その程度のことではなかったんだね。すまない。
   女性にとっては大切なはずの髪、
   その脱毛のひどさに苦しめられている。
   栄養不足、ストレス等々……入院生活のさまざま要因が
   重なってのことだという。
   不意のトイレ事情、こんなことまで明かしてくれた。
   そうであれば、体力回復のための散歩も、
   好きなドライブもままならないことだろう。

そんなことまで文面に切々と書き連ねている。
僕のガールフレンド 「悩みが尽きぬ」ことはよく分かった。
でも、君にはいつも寄り添ってくれる最愛のご主人がいる。
そして、君をいつも温かく見つめている僕を含め6人の仲間たちがいる。
どう手を差し伸べればよいのか、具体的には分からない。
でも、抱える悩みをこうやって、皆に明かしてくれたように、
僕に、僕らに出来る手助けがあれば、遠慮なく言ってほしい。

   ありきたりだが、とにかく「頑張ってほしい」。
   僕のガールフレンド 「希望」がなくなったわけではない。
   同じテーブルを囲む6人の仲間たちの目を見て欲しい。
   皆、君の悩みが尽き果て、「希望」をつかむことを信じている。
           
   車体を転げ落ちるのは、僕らの涙雨。
   君の「悩み」をその中にしまい込み、一緒に流してしまいたい。


慟 哭

2020年09月11日 10時04分25秒 | 思い出の記
世には笑い、喜びと同じほどに、心ちぎれるような切なさ、悲しさが隠されている。
平成が終わろうとしていた時だから、もう2年以上前のことになる。
NHKテレビの「平成万葉集」という番組を、漫然と見ていた。
「平成の31年間、日本人は何を笑い、涙し、怒ってきたのか」を課題に、
視聴者から寄せられた短歌のうち、選りすぐりの作品を紹介するものだった。
見たいと思ってチャンネルを合わせたわけでなく、
電源を入れたら、たまたまこの番組だったというのに過ぎなかった。
だが、ある一首が詠み上げられると、
たちまち涙がこぼれ落ちるほどに引き込まれてしまった。
77歳の男性が、こんなに詠んでいた。

  介護から 逃れて深夜の 磯に釣る 大魚よ我を 海に引き込め

    この人には47歳になる息子がいる。
    その子は統合失調症で、懸命に介護を続けてきたのだが、
    年を重ねるにつれ手に余るようになったのだろう、
    ついには病院に委ねざるを得なくなった。
    この作は入院させて2週間後に詠んだものだという。
    そんな病を得た我が子を不憫に思い、
    それなのに「介護から逃れた」自分を激しく責め、
    「海に引き込め」とまで慟哭するこの歌は、
    傍からはとうてい入り込めない悲しみに満ちている。
 
実は2つ違いの僕の兄も同じ病だった。
言動が看過できぬ状態となり、兄や姉が皆で、
「医者に診てもらえ」と説得するのだが、
「俺はどこも悪くない」と言い張るばかりだった。
ついに長兄が「いちばん仲が良かったお前が話をしろ」と言った。
兄の気性は、やはり僕がいちばん分かっていたと思う。
    
    2人だけになり、小さい頃一緒に遊んだ思い出話ばかりした。
    少しずつ兄の表情は和らいでいった。頃合いを見計らい、
    「俺と一緒に病院に行ってみよう」と話しかけると、
    黙って小さく頷いたのだった。

医師の診断は「このまま入院してもらい、すぐに治療を始めます」というものだった。
兄の様子から、ある程度の覚悟はしていたのだが、やはり心は重く沈んだ。
病室までは僕が付き添った。それも鉄格子の入り口まで。
その先の病室へは付き添えず、看護師に伴われ病室へ向かう兄を見送るしかなかった。
兄は何かを観念したふうにうなだれ、こちらを振り向くこともなかった。
鉄格子越しのその後ろ姿を、溢れ出る涙が隠していく。

    入院・治療の甲斐あって、兄の症状は見違えるほど軽減、
    以後は通院治療に切り替わり、僕らの気持ちをわずかながらも軽くした。
    だが……自傷行為。一命はとりとめたものの
    体のあちこちにひどい損傷を負った。
    それらの治療中に意識を失くし、植物人間の状態となってしまったのである。

病室を訪れ、声をかけても無論返事はない。
「起きろ」と足の指をくすぐれば、わずかに動かし生きていることを示すだけで、
それ以上のことは何も起こらない。意識を戻さない。
そして、平成4年の年明け早々、静かに息を引き取った。51歳だった。
自らの行く末に絶望したのか、それとも老いた母に
これ以上の負担をかけまいとの優しさだったのか……。
「何故」と問うても答えず、手帳に挟んだ写真のあなたは薄く笑っている。


運の良いトンボ

2020年09月09日 06時00分00秒 | エッセイ
信号待ち。フロントガラス越しにトンボが一匹。
街中でもよく見かけるウスバキトンボか。
車の中をのぞきこむように、ゆっくりホバリングしている。
          
   運の良い奴だ。
   9、10号と続いた、あのひどい台風をどこに潜んでかわしたのか。
   人の世では、ガラス窓にベニヤ板を打ち付けたり、テープを貼ったりと、
   その難から逃れようと、大わらわだったのに、
   澄まし顔で目の前を行ったり来たりしている。

君の仲間たちも随分ひどい目にあったことだろう。
台風一過の好天の中を、こうやって気持ち良さそうに飛んでいる君は
実に運の強い、幸運なトンボに違いない。
      
   運というのは、身の上に巡りくる幸・不幸を
   自らの意志を超越して支配する。
   要するに、人の力では如何ともしがたいものだ。
   それはトンボの世界でも同じではないか。

人の力ではどうしようもない──そう突き放されると、
なんともやるせない思いになってしまう。
それで黙っておれず、それに抗い、微力を承知の上で
どうにかして招き寄せられないか、呼び寄せられないかなどとあがく。
それこそ神にひざまずくことさえある。

   親交のある会社経営者が、こんなことを言う。
   「『運』という字は、軍が走ると書きます。
   つまり、じっと待っていたのでは運は
   やってこないというわけです。
   動き回っていれば、運は必ず巡ってきます」

さらに「とっておきの話をしましょう」と続ける。
「運を良くしようと思うなら、運の良い人と付き合うことです」
そう言われると、当然「運の良い人とは?」と尋ねる。
答えはこうだった。
「人の喜びを自分の喜びと思える人。つまり利他の精神を持つ人です。
もっと分かり易い例で言いますと、パンを2つに割った時、
大きい方を相手に渡すような人です。そんな人、身近にいませんか」

 
          目の前のトンボに語りかける。
「君は餌を分け与えるなど、いつも仲間たちを気掛けているのだろうね」


知識×経験=知恵 

2020年09月02日 06時00分00秒 | エッセイ
    「ぼぉーん」と、どこぞの寺の鐘の音。
    堰を流れ落ちる、少々せわしい水音に紛れている。
    東を見れば、陽が山の端にわずかに顔をのぞかせ始めた。
    他には、近くを走る都市高速道路のタイヤの擦過音だけ。
    時計はちょうど6時。
    鳥たちは朝の腹ごしらえに川面を盛んにつつき回っている。
    今日もそんな川沿いをゆっくりと歩いていく。

5月末の3度目の膀胱がん、8月には尿管結石と続き、
実質2カ月半で2度の手術は、78歳の身にはさすがに堪えた。
まだ体の芯のところに若干の疲労感が残っている。
コロナウイルスもあり、外にも出ず、1日中家にくすぶってゴロゴロするばかり。
読書がわずかばかりの慰めとなっている。
「このまま朽ち果てていきはしないか」心が縮こまる。

   そんな、哀れとも思える日々を送っていた時、
   ある方からハッパをかけられた。

   「言うまでもありませんが、日本は人口減少の中で
   高齢化が一層進みますね。
   私も75歳、後期高齢者の仲間入りをしました。
   さて、さて、どう生きていきましょうかね。
   何もしなくても生きてはいけましょうがね、
   それでは面白くありません。
   やはり命尽きるまで、面白く生きたいものです。
   僕ら年寄りは『知識×経験=知恵』という強みを持っています。
   これをうまく使えば、なんとか面白く生きられるのじゃありませんかね。
   もちろんパワーはありませんよ。でもパワー不足なんてものは、
   AIなり、ロボットに補完させれば済むことです。
   人生100年時代。まだまだですよ。前向きに生きなくちゃ」

へなへなと日を送る僕を叱りつけたわけではない。
後期高齢者となった自身の生きようを示されたのだが、
僕には何よりの励ましであった。

    自慢できるほどの知恵を持ち合わせているとは思わないが、
    78年生き続けてきた、なにがしかのものはあろう。
    風が心地よい早朝の川沿いに気合を入れ直してみた。