Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

大丈夫かな

2020年05月27日 04時57分44秒 | エッセイ
             海中鳥居


      有明海に面する佐賀県太良町の多良漁港には、
      「豊漁と海の安全」を願う大魚神社の
      朱に塗られた3基の海中鳥居が建っている。
      有明海は干満の差が大きい。ここ太良町は6㍍もあり、
      「月の引力が見える町」とさえ言われている。
      この海中鳥居も干潮時は干潟に屹立するが、
      潮が満ちてくると鳥居の半ばまで海に没するのだ。
                   (2019年4月19日午前6時撮影)

     ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂

我が家、と言っても夫婦2人だが、
いよいよガラケーからスマホへの時代がやってくる。
いや、そんなに胸を張る話ではなく、むしろ恥ずかしいほどなのだが、
ついにスマホに変えることを決心した。
電話とショートメール、たまに写真撮影と録音。
この程度の機能があれば、ガラケーで十分、不便なことはない。
そう思っていたのだが、娘や孫たちから
「スマホがあれば何かと便利。絶対スマホにすべきよ」と会うたびに言われていた。
それで少し、気持ちが動いたのは確かだ。
             
   加えて、「ガラケーは間もなく使えなくなる」との話も聞くようになった。
   「それじゃ否応なしじゃないか。業界の陰謀だ」なぞといきり立ってはみたが、
   「やはり、時代なんだろうな」と、これでまた少しだけ背を押された。
   もっとも、調べてみると2022年3月末で終わるのは、3Gのガラケーで、
   所持している4Gガラケーは当分使えることが分かった。
   だが、「じゃ、このままガラケーを使い続けよう」という気はすでに薄れ、
   スマホに気持ちは傾いたままだった。

話は少し飛ぶが、例の10万円の特別定額給付金。
これを申請しようとした際の話だ。
マイナンバーカードを所持しているから、当然オンライン申請を考える。
申請開始は5月1日9時からとなっていた。
それで9時になるのを待ち構えるようにして、PCで申請手続きを始めたのだ。
比較的順調に進んだ。と思ったら、
もう少しで完了となるあたりで頓挫してしまった。
マイナンバーカードを「ICカードリーダライタ」で読み取れというのだ。
何だ、この「ICカードリーダライタ」って。そんなもの持っているわけがない。
では、役所まで行かなければならないのか。
それじゃ、オンライン申請の意味はないではないか。腹が立った。
もう一度、手続き手順をよくよく見てみた。すると、最初のあたりで
「ICカードリーダライタ」は持っているかを問う☑項目があった。
意味が分からず、そのまま「次へ」と進んだ結果がこうだったから、
責めるべきは自分だったのかもしれないが……。

   そして、もう一つ気付いたことがあった。
   スマホでもオンライン申請が可能で、
   その場合は「ICカードリーダライタ」は不要だったのだ。
   ガラケーからスマホへの乗り換えは、これでほぼ決定的となった。

それでは、ということで早速あちこちのショップを巡って、
スマホに変えた場合の見積書を集めている。
もちろん比較検討するためだ。
「Gを増量するには料金はこれくらいになります」とか言われ、
いかにも爺らしく「そのGとはいったい何なの」と聞き返しつつ、
あれやこれや笑い交じりの交渉を続けている。
大丈夫かいな? 自分にそう問いかけながら、
間もなくスマホを手にするはずだ。
             
      
       そう言えば、給付金の申請書類、まだ届いてないぞ!!

ジレンマ

2020年05月26日 04時49分07秒 | エッセイ
             不思議な木


      佐賀県武雄市にある大聖寺は「アジサイ寺」とも呼ばれ、
      6~7月にかけ境内一面に約5000株のアジサイが咲き誇る。
      また、境内にはモチノキと樫の木が微妙な距離で
      抱き合ったように見える「夫婦円満・縁結びの木」があり、
      さらに木の中から3本の竹が伸びており、これを「子宝の木」と呼んでいる。
      長い時間の中で自然とお寺のパワーが作り上げた不思議な木である。
                               (2019年6月撮影)

     ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  

ジレンマとは、2つの相反する事柄の板挟みになることだ。
新聞、テレビ、週刊誌をはじめとする雑誌記者、あるいはフリーランスの記者、
さらに加えると評論家と言われる人たち。
これらの方々は今、ひどいジレンマに陥っているのではあるまいか。

    例の黒川弘務・前東京高検検事長の賭けマージャン事件。
    週刊文春がすっぱ抜き、ついには辞職に追い込まれてしまった。
    賭けマージャンとあれば、弁護の余地なしであるのは間違いなく、
    加えて、すったもんだの末、今国会での成立が見送られた検察庁法改定の
    渦中の人であったこと、さらに緊急事態宣言下の賭けマージャンだった
    こともあり、厳しい追及を受けたのは当然のことであったろう。
                               
ただ、ここで少し気になるのは、賭けマージャンの同じ卓を囲んでいた
産経新聞記者と朝日新聞の元記者に対しては、
どこの新聞もテレビも黒川氏に対するほどには、追及することはしなかった。
両社とも社内調査結果を公表し、謝罪はした。ただ、それだけだ。
橋下徹・元大阪府知事は「どうしてワイドショーは朝日や産経に押しかけないのか。
社長に会見を開かせないのか」とツイートしているが、
同じ思いをしている人は多いかもしれない。
                         
    マスコミの内情を少しでも知っている人なら、なぜかはおよそ想像がつく。
    「脛に同じ傷を持つ者同士、相見互い」といった思いが
    働いているからに違いない。
    新聞倫理綱領には、こんなことが書かれている。
    「(略)おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、
    どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。
    新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした
    要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。(略)」

そして、現場の記者は「正確で公正な記事」をどこよりも早く報道しようと血道を上げる。
いわゆる〝特ダネ〟合戦というのが、当然のごとく行われているのは言うまでもない。
特ダネを連発する新聞はもちろん、取材した記者も
〝敏腕記者〟としてぐんと評価を高める。
そんな面があるのも事実だろう。

    特ダネをものにするには、まずは信頼できる情報源が必要になる。
    その情報源をつくるにはどうするか。得てして飲食、マージャン、
    ゴルフといった、主に遊び事による付き合いから始まることが多い。
    黒川氏と問題の記者たちは、互いの信頼度がどれほどだったかは別にして、
    おそらくそうしたことから始まった関係だったのだと思う。
    こうした状況は、社会部記者だけではない。政治、経済……
    どのセクションの記者も、新聞、テレビ、週刊誌を問わず、
    あらゆるメディアが大なり小なり同様のことを行っているはずだ。

逆に取材相手、たとえば行政、司法の各機関、あるいは企業など
取材対象になり得るところは、自らをいかに有利に報道させるかとの思惑で、
いわゆる記者の抱き込みにあの手この手を使う。
しばしば両者の癒着が指摘されるのも、それぞれの思惑が交錯した結果だと言える。
こうしたことは半ば公然の事実なのだが、そんなことを自らの口で言えるはずもない。
だから今、新聞もテレビもジレンマに陥っているのだ。
               
    だが、「こうした関係はけしからん、やめるべきだ」と言う気はない。
    なぜなら、それをやめると、おそらく記者は記者たり得なくなり、
    読者は、例えば国による一方的な、いわゆる発表ものだけを
    読まされることになりかねない。それは、国民の知る権利を損ねることにもなる。

結局、「今後、取材対象とは節度を持って対する」
としか言いようがないのだと思う。
ただ、付け加えるとすれば、それぞれの思惑で始まった付き合いだとしても、
法を守り、しかも過度の接待のない真に人対人の関係を築ければ、
互いにセクションが変わろうとも、あるいは定年などで職を退いた後も、
真の友人として長く付き合い得るということも確かだ。

背比べ

2020年05月25日 05時06分51秒 | エッセイ
            けむる菊池渓谷


      菊池渓谷は阿蘇外輪山の北西部、標高500~800㍍の間に位置し、
      約1193haの広大な〝憩いの森〟。菊池川の源をなし、
      うっそうとした天然広葉樹で覆われている。
      その間を縫って流れる淡水は、大小さまざまな瀬と渕と滝をつくり、
      その変化に富む渓流と美しい森林が織りなす四季折々の姿は絶景。
                               (2018年11月撮影)

    ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  

ああ、ついに、この孫娘にも抜かれてしまったか。
高校3年生の孫娘と背中合わせに立ってみた。
案の定だ。この子の母親、僕の次女だが、彼女が
「どれどれ、ほとんど変わらないね。髪の分だけ、この子が高くなったかな」
背比べをそう判定した。おまけに、お尻の高さが全然違う。
それは足の長さを意味しているわけで、これは完敗である。
これで最下位が確定してしまった。

    「血筋」だとか「血のつながり」だとか、それを実感することもよくある。
    僕の場合だと、下戸であること、それに足指が巻き爪であること、
    これらは間違いなく父親の血を継いだものだと思っている。
    それに加えて背丈もそうだろう。
    若い頃は、生まれ育った家庭ではいちばん背が高かった。
    とは言っても、せいぜい165㌢に過ぎなかったが……
    つまり小柄な体格の血筋だったのだ。

つい先日、病院に行った際測ったところ161.4㌢しかなかった。
あの頃から3㌢以上縮んだわけで、ますます小さくなっている。
一方、妻の家系は比較的背が高い。特に義母がそうで、
4人の娘たちのうち長姉と一番下の妻がその血を受け継いだようだ。
その妻は若い頃より2㌢縮んだというが、すでに70を超える年齢ながら163㌢ある。
同じ年代の人たちと一緒にいるところを見ると、確かに大柄だ。
あくまで背の高さの話だが……僕は妻から少しばかり見下ろされていることになる。
           
    さて、2人の娘を見てみよう。背が高いか低いか、
    これは見栄えに大きく影響する。
    やはり、高ければ格好が良いに違いなく、それに越したことはない。
    その観点に立てば、娘は2人とも幸運だったと言える。
    間違いなく母親の血を引いている。

まず長女だが、ほぼ170㌢あり、すらりとした体型だ。
さらに、その母親の血をそっくり引いたと思えるのが、その娘、
つまり孫娘で、母親よりさらに高いから170㌢を超えていることになる。
加えて、その弟は184㌢の長身だ。母の血を立派すぎるほど受け継いでいる。
この孫息子に対すると、自然と見上げるような格好になってしまう。
婿殿も170㌢の半ばはありそうだから、
4人全員が揃うと、部屋がいかにも狭い。

    最初に紹介した次女。彼女も167㌢だから、
    女性にしてはやはり大きい方だ。
    そして、その一人娘が先の高校3年生の孫娘だ。
    家族が全員集合すると、これまでこの爺さんと高校3年生の孫娘が
    激しい最下位争いをしてきた。
    とは言っても、こちらはこれ以上伸びる可能性ゼロ。
    対する孫娘は、成長可能性たっぷりであり、爺さんを追い上げる一方だ。
    そして背中合わせに立ち、ついにその日がきたと観念した。
    孫娘に抜かれ、僕が家族の中でいちばんのチビとなってしまったのだ。
    「大きくなったな」と喜ぶ一方で、何となく悔しくもある。 

ここで我が家族の背丈ランキングを見てみよう。
1位 孫息子 184㌢   大学3年生。中学入学時は爺さんの顎ほどだった。
2位 孫娘  170㌢超  1位の姉。社交ダンスで長身がひと際光る。
3位 長女  約170㌢  1、2位の母。
4位 次女  167㌢    高校3年生の孫娘の母。
5位 ばぁば 163㌢   3㌢ほど縮んだとか。
6位 孫娘  162㌢?  ついにじぃじを抜き去っていった。
7位 じぃじ 161.4㌢   とほほ、ついに最下位確定だ。

                
    子や孫の成長を見ながら、縮んでいく爺さん、婆さん。
    これも世の習いではある。


たおやかに

2020年05月24日 06時04分52秒 | エッセイ
                      日豊海岸の朝日



        宮崎県延岡市の七ツ島展望所から半島と湾が交互に
        出入りするリアス式海岸の日豊海岸国定公園が一望できる。
        この日豊海岸は宮崎県日向市美々津から
        大分県大分市佐賀関に至る延長約120㌔で、
        大半が国定公園に指定されている。
        展望所には日向市出身の歌人、若山牧水が詠んだ
        「山ねむる 山のふもとに 海ねむる かなしき春の 国を旅ゆく」
        の歌碑が建っている。
                             (2016年11月撮影)

     ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」
誰もが知る夏目漱石の『草枕』の冒頭である。
時が、世がどう移ろうとも、人が人である限り不変の真理であろう。

    身を置く今の世を見れば、政治の世界ではさしもの〝安倍一強政権〟も
    次から次の不祥事続きで、何だかだと野党の追及にあっている。
    どうひいき目に見ても、政権末期の惨状と言えるだろう。
    加えて新型コロナウィルスが追い打ちをかけ、
    その対策を巡っても、あちこちから批判の矢を浴びている。
                             
そんな世相に、いっぱしの評論家めいて一々目くじら立てる、
つまり「智に働けば」やはり肩に力が入り、
肩肘張った生き方を迫られることになる。かといって、
「まあまあ、そんなにいきり立ちなさんな」と情に流れると、
世に対する確固たる見識のなさを問われかねない気がして、うとましい。
漱石ならずとも、「とかくに人の世は住みにくい」のである。

    草枕は「そんな世をつくったのは他ならぬ住んでいる人。
    どこに越しようもない」と続くが、
    ふと、そんな世に暮らす我が家に思いが及ぶ。
    ご多分にもれず、つまらぬ言い合いをする夫婦である。
    だが、共にもう若い頃の勢いはない。
    そのありようが昔とは随分と違ってきた。比較的簡単に収まるのだ。
    相手がこう言うのであれば、こう応えていくと丸く収まるという、
    間合いというか、少し大仰ながら「風にそよぐ葦」みたいな、
    幾分かのたおやかさが身についてきたからであろう。

おそらく僕らは、同じ年代の他人様と比較して、よく会話する夫婦だと思う。
食事の時はもちろん、2人が一緒にいる時は政治や経済といったものから、
スポーツ・芸能といったものまで硬軟取り混ぜてさまざまに話をする。
時に、どちらかがうんざりするほど話しかけていることもある。
また、テレビドラマを見ては2人して涙する。
そこに何がしかのものを共有し、年相応の間合いを計るのだ。

    ついでに言えば、このブログで使用している写真は、
    写真撮影を趣味にする彼女の作品をたびたび借用している。
    要するに夫婦合作なのだ。
       おい、少々ノロけが過ぎないか!──失礼
         
    夫婦2人の凡々たる日々。世の喧騒をたおやかにやり過ごす。

    

しなやかに

2020年05月23日 05時36分45秒 | エッセイ
                 

妻の兄弟姉妹を表すには「義」をつければよい。義兄、義姉……といった具合に。
呼ぶには、義兄、義姉に対しては「にいさん」「ねえさん」、
義弟、義妹の場合は「○○君」「○○ちゃん」と名を言うことが多いと思う。
では、義兄、義姉、義弟、義妹、この人たちの配偶者はどう呼び、書くのか。
呼ぶのは、やはり「にいさん」「ねえさん」みたいなことでよさそうだが、
仮に書類等に記載しなければならない時はどう書けばよいのか。
はたと困った。急いで調べてみたが、確たる答えが見つからない。
ネットをひっぱり回した結果、たとえば「義兄の妻」「義姉の夫」などと
書くしかないようなのだ。何か、しっくりしないが、今日はこれで収めておこう。


   
    1枚の色紙がある。芸能人やスポーツ選手といった有名人のものではない。
    妻の長姉=義姉、その旦那さんをいつも「兄さん」と言っているので、
    ここでは便宜上「兄」と呼ぶことにするが、
    その「兄」が僕の還暦の祝いにと、書いてくれたものだ。
    もちろん、「兄」の直筆である。
    そこには、「20代は美しく」「30代は強く」……「60代は健康に」
    「70代はしなやかに」などと、年代ごとに
    「こう生きなさい」との教示が書かれている。
 
間もなく78歳になるが、まだ「しなやかに」生きる年代だ。
だが、「しなやかに」生きる、とはどうしたらよいのだろう。
何か漠然としていて、よく分からない。
だから「しなやかに」生きているのかどうかも、いま一つ分からない。
              
    70歳代というのは、ごく普通には定年退職するなどして
    社会の第一線を退き、世の中や人との関わりが希薄になる年代だ。
    伴って達成感・安堵感と同時に孤独感が入り混じる、
    そんな複雑な年代だと言えよう。
    そんな中で、「しなやかさ」とは何かを問い、
    試行錯誤しながら生きていく年代なのかもしれない。
    いまだ「しなやかさ」を問う日々である。

その先、「80代はつややかに」「90代は愛らしく」と続く。
この色紙を贈ってくれた「兄」は8歳上。
数年前、少し大きな手術をしたから、さすがに体力的衰えは否めないが、
気力はまだまだ旺盛だ。「つややかに」生き、「愛らしい」90代が待っている。
「そして いぶし銀のように 美しく百才に」
自ら、色紙にそう書いているのである。
血のつながりはない。だが、実の兄3人すべてを
なくしてしまった我が身には、血のつながりはなくとも、
親身な「兄」なのである。心から息災を祈る。


                 千町無田水田公園(大分県九重町)

        水田地帯の休耕地を利用した広さ約1.8haの花公園。
           九重連山と広大な水田地帯を背景に、
        さまざまな種類のスイレン、ハナハス・へソロカリスなど
           色鮮やかな水性植物を楽しむことができる。
                          (2018年6月撮影)