Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

陥落

2021年03月29日 15時00分00秒 | エッセイ

      スマホデビューして1週間経つ。
      ガラケー時代に必須だった電話、メールの仕方、
      写真の撮り方、歩数計の設定など基本的なことは
      デビューしたての人相手の「スマホ教室」に通うなどして、
      何とか出来るようになっている。

            
     
      教えられれば、なるほど小さなパソコンと言われるように
      いろんなことが出来ることを知った。
      アプリをあれこれ触って、新たな発見をすると、
      何だかすーっと引き込まれていくような気がする。
      バスや電車の車中では皆スマホとにらめっこしているし、
      スマホを手にして歩いている人もいる。
      それらを見れば
      「何とまあ」と少々批判的な眼差しを向けたものだが、
      ほんの少しだけ、
      そうする人たちに対する眼差しが和らいできている。
      スマホデビューするのに、うっとうしく、面倒臭いなどと
      ぼやいていたのに現金なものだ。
      我ながらあきれる。

      そんな気持ちの変化に追い打ちをかけたのが
      「友だち」関係となった孫とのLINEだ。
      LINE設定したら、たちまち娘や孫たちが
      「友だち」になってくれた。
      そして早速、一番年長の孫娘からのトークだ。
      彼女は4月1日に正式入社となるのだが、
      すでに社員同然に勤務しており、ちょっとした仕事上の
      アドバイスを求めてきたのだ。
      
           
      
      すぐに解決してやると、
      「素晴らしい。天才」とまで持ち上げてくれた。
      たちまち顔が崩壊状態となってしまった。
      すかさず「えっへん」と返答する。
      すると「じいじへの課題。スタンプを覚えること」ときた。
      何だこれ。分からない。そう聞けば、
      「ヒントなし。自力で考えてください」と突き放された。
      幸い、「スマホ教室」の日だった。
      早速、指導員のお嬢さんに習って、何なく覚えた。
      すぐにパンダ模様のスタンプを添え、
      「スタンプ マスター」と送ると、
      「よく出来ました」だと。

      孫とのこんなやり取りにほっこり。
      スマホも捨てたものではないぞ。
      我ながらの現金さがさらに増してくる。


プライド

2021年03月28日 10時17分25秒 | エッセイ

      ある県の知事をされ、
      後に総理大臣にまでなられた方であるが、
      あまり良い印象が残っていない。
      知事時代にお会いし、お話を伺ったことがあるのだが、
      僕がまだ若輩だったこともあったのだろう、
      終始上から目線で対応され、うんざりし、
      嫌気がさしたものだ。
      そんなことがあり、
      世間の評判ほどに僕自身は、
      その言動をあまり信頼できなかった。


      プライド──誇り、自尊心、自負心。
      人として持つべき大事なものだ。
      だが、何事も「過ぎる」のは禁物。
      高過ぎると、自己中心的で独善的、
      上から目線の傲慢な態度で周囲から煙たがれる。
      件の知事は名門のご出身であり、
      広く名も知られた方だから
      プライドが高いのは当然だろうが、
      それがちょっと「過ぎた」ように、僕には思えた。

          
      このような「過ぎた」人は、世間には結構多い。
      「東大出身だ」などと高学歴をひけらかし、
      あるいは高級官僚経験者、
      さらには一流企業の役員等々……
      社会におけるステータスを「どうだ」とばかり
      周囲に見せつける。
      そんな態度に周囲はうんざりしているのを
      知ってか知らずか……。

           実は、そういう人は結構繊細で、
      傷つきやすい性格なのだそうだ。
      だから、他人から傷つけられることを嫌がり、
      自分を防御しようとして独善的、威丈高になるという。

      つい最近も、東大─高級官僚出身の方と
      お話する機会があった。
      周囲から「プライドが高い」と言われている方だが、
      あの知事さんほどのことはなく、ほどほどであった。

      「低すぎる」と軽蔑されかねないし、
      世における身の処し方はなかなかに難しい。


デビュー

2021年03月24日 17時00分00秒 | エッセイ

     デビューと言っても、
     華やかな世界に踏み出したわけではない。
     むしろ、多少うっとうしく、面倒臭くもある。
     だが、今の世の中、うっとうしくとも、面倒臭くとも、
     そこから逃れるのは難しい。
     そんな仕組みが日一日と強化されている。
     そして、
     「さあさあ、お早く新たな世界へ踏み出してください」
     商魂たくましく、うるさいほどに催促する。
     抵抗むなしく、ついに負けた。
     長年いとしおしく付き合ってくれたガラケーは
     廃棄処分となり、やれやれのスマホデビューである。



     そもそも携帯電話に多くを望んではいない。
     通話、それにちょっとばかりのメール、
     もう少し欲を出せば、
     カメラとウオーキングをする際の歩数計、
     これだけの機能があればよい。
     何だか蔑まれたようにも聞こえるガラケー、
     これで不自由ないのだ。
     そう自分に言い聞かせ、納得させてきた。

     だが、技術の進歩は我々高齢者には思い及びもしない
     新たな、多くの機能を持つスマートフォンを生み出し、
     ガラケーを駆逐していき、なお戦線を拡大し続けている。
     加えて、菅総理が就任早々、
     世界各国に大きく取り残されている
     日本のデジタル化に国挙げて取り組むことを宣言し、
     一方で携帯電話料金の引き下げを大手各社に促した。
     その結果、猛烈とも言える料金引き下げによる
     顧客獲得競争が起きている。
     その最大の標的となっているのが、
     ガラケー族の僕たち高齢者。
     「スマホデビュー」なぞと、小賢しい言い方までして
     スマホへと誘い込む。
     あの手この手の催促メールはひっきりなしだ。

       

     その手に乗るかと意地を張ってみても、
     世の中はそれを許してくれない。
     ガラケーでは無理でもスマホだとすんなり通る
     便利さばかりの世の中になっているとあれば……
     デビューもやむなしか。
     そんな心境で白旗掲げ、現実と向き合った。 

     しかし、契約手続するだけでも面倒臭い。
     2時間半ほどもかかった。問題は操作法だ。
     画面にはたくさんの絵図が並んでいる。
     何が何やら、僕ら高齢者が簡単に覚えられるはずもない。
     デビューしたての人相手の
     「スマホ教室」に通うしかあるまい。

     河島英五が「似合わぬことは無理をせず」と歌っていた。
     「そうだよな」と相槌を打てば、
     「それは『時代遅れ』という歌ですよ」と返された。


バブリーダンス

2021年03月23日 07時38分53秒 | エッセイ

      あの頃、男も女も肩をいからせ粋がっていた。
      大きな肩パッドを入れたジャケットを着て、
      左右に直線となってピンと張った両肩を揺らして闊歩した。
      1980年代中盤から1990年代初頭の、
      あのバブル期、男も女もそんな格好で、
      今風に言えばイきりたがり、
      強がって見せたがった。

          

      何せ、日本は高度経済成長の絶頂期。
      世界からは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と持ち上げられ、
      国民は「一億総中流」の豊かさを享受した。
      バブル景気で消費に浮かれたバブリーな時代。
      また1986年には「男女雇用機会均等法」が施行され、
      女性の社会進出を促し、女性もジャケットを着るようになった。
      そして、バブリーダンスに興じた。
      そんな時代を象徴した肩パッド入りジャケット。
      誰もが肩をいからせ、いかにも強そうに見せたのである。


      だが、それは熟し切った柿がポトリと
      落ちる寸前のありさまみたいなもの。
      実際にバブル経済は弾け、日本経済は
      「失われた20年」の暗黒時代へ。
      浮かれ興じた若者は、「男女雇用機会均等法」とは言っても
      企業の採用控えに直面し、就職氷河期に身を震わせた。
      時代とともに、あの肩パッド入りジャケットも
      次第に姿を消した。

           
      
      日本は、あの「失われた20年」の痛手から
      いまだに立ち直れずにいる。
      加えてコロナウイルス禍である。
      それなのに日経平均株価は3万円の高値を前後し、
      あのバブル期を連想させる。
      一部には肩パッド入りジャケットが再流行の兆しを見せ、
      若い女性が思い出したようにバブリーダンスを踊っている。

      クローゼットの中には、あの頃の夢を忘れきれぬように
      肩をいからせたジャケットが2着下がったままだ。
      未練がましく。
      もう、2度と出番はあるまいに。


亡国論

2021年03月20日 11時12分59秒 | エッセイ

        

      30歳前後だったから50年ほど前の話だ。
      職場でゴルフはご法度だった。
      役員でもあった職場の局長が、
      「狭い国土の日本で、あれほど広い土地を占有し、
      一部の裕福な人間が遊興にふけるなぞ言語道断。
      君たちは決してゴルフはしてはならぬ」
      そうゴルフ亡国論をのたまわった。
      まるで戦時中でもあるかのように……。
      直属の長である人からそう言われると、
      「はい、分かりました」と言うしかない。

        

      もっとも、当時の給料ではゴルフ用具を買うことも、
      プレー代金もそう簡単には手が出なかったのだから、
      従順なふりをしたまでだったのかも知れない。

      後にその局長は営業セクションに転属。
      すると、ゴルフは取引先との欠かせない交際術となり、
      自ずとゴルフは解禁となった。
      「あの方のゴルフ亡国論はその程度だったのか」
      心中秘かに嘲ったりしたものだ。

      一方で職場麻雀はフリーだった。
      もっとも、勤務時間中というわけでなく、
      就業時間が終わると、片隅に置いていた麻雀卓を
      そそくさと引っ張り出し、示し合わせていたメンツで囲む。
      大きな声では言えないが、ごく自然に金銭が行き来した。

             
    
      僕らはそんな世代だ。
      ご法度だったゴルフは、今では当たり前の娯楽。
      僕自身はやらないが、麻雀は相変わらずだ。
      皆、とっくに定年を過ぎており、
      たまに「おい、どうしている」と電話すると、
      ジャラジャラ音を電話に入れながら
      「ちょっと待て。今忙しい」と切る。
      それか電話にはまったく出ない。
      芝生の上でクラブを振っていれば、それは無理だろうな。
 
      そう言えば、同じ職場の若い社員から
      ゴルフの話はよく聞くが、
      麻雀を誘い合う話はあまり聞かない。
      今の若い人は麻雀はしないのだろうか。