小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

STAP細胞問題に考える:

2014年08月11日 | 社会戯評
STAP細胞問題に考える:
理研の笹井副センター長の自殺で、どうやら、STAP細胞の問題は、論文の不正自体が認定されてからは、存在実証試験の推移が注目されていたにも拘わらず、今や、スキャンダル的な側面やら、理研自体の管理能力の問題へと、何か、本質的なものから、全く別の関心事へと既に、移っていってしまったような感が無きにしもあらずのような様相である。本当に物事の本質をマスコミと称する者達は、捉えているのであろうか?又、笹井氏個人のこれまでの再生医療に残した功績をあげつらいながらも、何か、常に、その「負の側面」ばかりを、とりわけ、科学者・研究者としての立場とは別に、戦略的なCB研究所、或いは、先端医療に拘わる成長戦略、或いは、神戸先端医療都市構想、若手研究者の育成問題にまで、言い方を換えれば、政府からのカネの引き出し方も、何か、いけない問題のあるような、更には、関連する団体・医療・製薬会社との関連までも、あたかも、カネを集めてくる事自体が、悪であるかのような、前時代的な如何にも、日本的な商業倫理観を、成長戦略の中にも、従来同様な手法で、論じることは、如何なものであろうか?そんなに、研究者に、研究者自身の科学的な功績とリーダーシップとグランドデザインを描き、プロジェクトとしてカネを集めてくる能力も含めて、一研究者に、そんな完璧さを求めてよいのであろうか?明治の時代から、いつも、野口英世ではないが、国内での研究ではなくて、海外での研究を優先してしまうのは、今日でも、その流れは、一向に、改善されることはない。研究環境と科学者としての葛藤、そんな中で、あらゆる仕事を一種のスター・プレイヤーに、あたかも、責任を押しつけるような、或いは、負の責任を負わせて、自死に貶めることで、果たして、我々は、それで、よいのであろうか?チーム・プレーと言いながらも、所詮は、最先端の技術というものは、医療分野でも、IT・通信の分野でも、どこか、天才的な人間ひとりに負わされるところがあるのかも知れないが、組織として、団体として、或いは、国として、少しでも、そういう苦労を軽減できるような環境・仕組みつくりが、出来ないものであろうか?真剣にそういうことを考えないと、様々な分野で、再び、同じ事例が繰り返され、日本という国は、再び、不作為の何もしないようなことが、やはり、一番自己保身になるという考え方になってしまうのでなかろうかと、危惧するものである。今回の悲劇的な事件とは、理研の組織としての在り方でだけはなくて、日本のそもそもの最先端研究に対する問題提起となっているのではないかと思われるが、、、、、、、、。ご冥福を祈りたいものである。
PS)それにしても、個人宛の遺書の内容というものが、警察から、マスコミを通じて、その要旨が、発表されるとは、そんなことが許されるのであろうか?一体、何処にその趣旨は、どういうことなのであろうか?甚だ、不気味であるし、何の憶測もなく、メディア側が発表されるのも、理解に苦しむが、、、、、、。