小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

広島同時多発土砂災害のその後:

2014年08月26日 | 社会戯評
広島同時多発土砂災害のその後:
友人のメールによれば、今回は、幸いにも、きわどいところで、何を逃れたそうであるが、避難準備をしたり、広島市安佐北区の太田川の西側と東側で、被害が、著しく、異なったそうである。西側は、相当な被害が出たにも拘わらず、東側は、幸いにも日常そのままであったそうである。もっとも、避難準備までしていたそうであるが、、、、、。天気が多少でも回復すれば、捜索や復少しでも進むのかも知れないが、依然として、天候が不安定であるので、二次災害も含めて心配である。ニュースなどを見ていても、どうみても、停電と真夜中の異常な豪雨と地質学上の問題では、警戒区域指定や特別避難勧告が出るのが遅かったという話どころではなさそうである。既に、避難自体が、命がけの段階だったのかも知れない。それにしても、死者と行方不明者を併せても90人にも達しようとは、凄まじい災害である。「まさか、自分のところだけは、危険は来ない」という心理的な錯覚は、地震や津波や洪水の時に、良く指摘される「人間心理固有の特徴」だそうであるが、いつ何時、危険が自分の身に降りかかってくることを、その場で瞬時に、判断することは余程の常日頃からの危機意識を有していないと難しいのかも知れない。家庭や学校教育の中でも、そうした教育とは、どのように「子供だけではなくて、大人も含めて、」再教育されるべきなのであろう。ツィッターや、SNSも含めて、あらゆるリアル・タイムでの情報収集のみならず、自分の動物としての「本能・五感」を研ぎ澄ましておくことが、普段の日常生活の中でも、訓練されていなければならないのであろう。天気予報を聞くだけではなくて、雲の流れや風の強さや風向きなど、それこそ、鼻もきかせて、身体全体で、天気予報を自分自身で、身につけることも、これからの時代は、必要かも知れない。何でも、岩石のこすれる音や、木の根が切れる音とか、「土臭いこすれる臭い」も、前兆現象には、現れるそうである。もっとも、それらも、豪雨などの音にかき消される可能性はあるそうであるが、、、、。雨蛙の鳴き声や鳥の動きも、雨の気配を先取りする兆候かも知れないし、眼・耳・鼻・口・皮膚感覚も総動員して、「身体を自身のセンサー化」させなければならないかもしれない。それにしても、それぞれ、置かれた環境は各人各様である以上、状況に応じて、判断しなければ、一概には、確かに云えないことかもしれないであろうが、、、、、、。今、グェッ、グェッと雨蛙が一斉に鳴き出したところをみると、雨が降り出す兆候かも知れない。友人は、老体に鞭ながら、ボランティアの手伝いにを出しているそうである。未だ暫くは不安定な天気が続きそうなので、心配である。