小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

欧州は、デフレ化するのか?:

2014年08月16日 | 社会戯評
欧州は、デフレ化するのか?:
ギリシャの金融危機が去り、ポルトガルやスペインの危機が過ぎ去ったかと思いきや、一難去っては、一難、クリミヤの危機に端を発したウクライナの混乱に因り、地政学上のリスクが生じて、欧州経済にも、石油・天然ガスのリスクに伴う経済成長の陰りが、公然と目立ち始めてきた。それにしても、欧州もロシアも、互いの経済制裁により、共倒れのリスクがないとも限らない。そんな様相である。そんな中、ドイツがクシャミをすれば、欧州は、風邪を引くと言われている状態の中で、そんなドイツも、いよいよ、長期金利の引き下げを断行し、いよいよもって、世界的な規模での長期金利低下に伴う、デフレの危機が、叫ばれ始めた。如何にも、失われた20年と云われた、日本化の兆候なのであろうか、サムスンの成長にも陰りが見え始めた韓国も、又、セマウル号の事故以来、国家をあげてのヒステリックな自粛ムードの中で、国家的な安全神話の矛盾が表面化しつつあり、限りなく、日本化に類似した状況が垣間見られるようになってきた。デフレ脱却に向けたアベノミックスも、なかなか、思うように、給与水準の引き上げと構造改革が進まず、好調であった株価も、新たな成長戦略政策を含めて、いまや、正念場を迎えつつある。今日では、過去と違って、何事も、一片調子で、右肩上がりに良くなってくる時代ではなさそうである。「不透明な時代」とは、嘗て、云われた時代もあったが、常に、「不確実性と不透明性」の先に、やっと、何か、小さな光明が見え始めてくる時代なのだろうか?それても、光明は見いだせない、見えてこない時代なのだろうか?誠に、デフレという悪魔のマインド・コントロールが、じわじわと影響してくる時代なのであろうか?財政政策・金融政策を総動員しても、何としても、この傾向から、一日も早く、脱却しなければならないであろう事は、言を俟たない。

中国による海外SNS規制の危うさ:

2014年08月15日 | 社会戯評
中国による海外SNS規制の危うさ:
市場主義経済という言葉は、単に、存在しても、実質的意味での実態が、こくに、中国という国には、存在しないことが明らかになりつつある如く、言論の自由などは、全くないこの国では、海外SNSも又、ネット通販同様に、自国企業最優先・保護主義策の推進という範疇でしか、所詮、競争はあり得ない。何故なら、フェースブックも、ツウィッターも、又、然り、今度は、LINEも、カカオ・トークも、結局は、当局の権益の大きな壁に、阻まれて、自国テンセントのウィーチャットの一人勝ちになりそうな雲行きである。つまりは、ウィグル族報道の直接的な情報の発信と拡散とを怖れる余りに、外国系のSNSには、厳しい検閲と制限を課すことでしか、中国のSNSは、鳥篭の中の鳥でしかなく、決して、市場の中を自由気儘に飛び交い、意見をたたき合わせるというプラットフォームは、構築することはあたわないわけである。積極的に、当局による規制をあたかも、自主的に媚び諂うことで、大きく、国内シェアーを圧倒的に伸ばすやり方は、如何にも、拝金主義、なりふり構わぬ膨張主義を連想させて、不愉快である。サービスの提供が、普通になり、何ヶ月にも及ぶようになっては、利用者にすれば、それは、一方的に、離れて行くことになりかねないであろう。この国の住人は、海外に出て初めて、様々な情報に接し、或いは、報道の自由をして初めて、物事の本質を知ることになっている現実の前では、成る程、自国の行く末に、疑心暗鬼になり、「裸官」ではないが、親族や子弟を海外に留学目的で、資産移転することも、国籍を取らせる目的で、米国に出産ツアーを斡旋して、赤ん坊を産み、将来の移住に供えさせる事も、まんざら、理解出来なくもないであろうか?それにしても、テンセントの顧客が6億人程度ということになれば、赤ん坊も含めて半分以上の中国人が、加入しているとせば、情報管理・監視網に携わる人員は、一体全体、何人くらいいるのであろうか?そんなことをしても、技術の進歩は、そんな規制や監視網を乗り越えて、国境を超えて、ドンドン、情報が拡散して行く時代であることは間違いないであろう。それにしても、この国の問題は、WTOや一連のIT・自動車関連の外資叩きなど、いずれも、小さな出来事が後から、時間を逆廻しに見てみると、成る程、そうだったのかと思わせるふしがある以上、この海外SNS規制は、一体、どういうことを意味しているのであろうか?よく、目を懲らしてみていないと、大事なことを見逃すことになるやも知れません。

海野和男、昆虫写真展を覗く:

2014年08月14日 | 社会戯評
海野和男、昆虫写真展を覗く:
小諸高原美術館での写真展であり、ミマキ・エンジニアリングによる業務用プリンター・カラー印刷に基づく大画面印刷のパネルと、ビデオでの昆虫の生態に関する展示である。又、その写真印刷を立体的に製作した展示も併せて展示されている。昆虫の顔つきやら身体の細部の体毛や、羽の紋様やら、体毛の一本一本までもが、はっきり、くっきりと、目で確認出来るのには、改めて驚き入る。何故、こんな恰好になったのか、どうして、進化の果てに、こんな紋様になったのでアロウかと、想像してみるだけでも、実に、面白いものである。それにしても、小諸の地でも、絶滅危惧種の蝶蝶や昆虫が、その自然保護活動にも関わらず、徐々に、危険水準になりつつあることは、大変、残念なことである。タイやマレーシア、ベトナムでの撮影も含めて、蝶やカブト虫・クワガタなどのビデオを眺めていると、こうした環境がいつまで、保たれるのであろうかと、おおいに、心配になってくる。環境破壊と経済活動最優先で、果たして、いつまで、こういうたくさんの蝶蝶や昆虫が、集うことが可能なのであろうか?少なくとも、自然に任せているだけでは、自然消滅に至ることは、近い将来、必至であろう。パネルの中でも、説明があったように、蝶の食草が、雑草と共に、刈り取られることで、その生態系が破壊され、その生存基盤を失われて、存在を脅かされる事実、自然保護活動も、なかなか、難しいものである。栗の木の葉を、まるで、宮大工仕事のように、器用に、小さな虫が、丸めて卵を産み付ける姿には、驚き、感動そのものである。野鳥も昆虫も、植物も含めて、自然と共に、共生できるような環境の中で、共に、暮らして生きてゆきたいものである。それにしても、カブト虫の身体がつややかで、その側面に、カメラマンの姿がうっすらと反射して映っているのには、驚いてしまう。玉虫の飛行姿は、まるで、ヘリコプターが、飛び立つときの姿を彷彿とされるし、器用に脚を拡げてバランスをとる様にも、驚ろかされる。

外人訪日客の対人口比率の低さに驚く:

2014年08月13日 | 社会戯評
外人訪日客の対人口比率の低さに驚く:
観光立国という言葉は、まだまだ、先の話なのであろうか?それにしても、フランスの130%、イタリアの80%、英国49%、韓国ですら、24%、米国でも22%に対して、日本は、外人訪日客の対人口比率で、未だに、8%程度であると、確かに、1000万人に達する勢いであるとか、目標を2倍の2000万人に設定して、人数と比率を倍増させようとしているが、考えてみれば、フランスは、自国の人口よりも、1.3倍の外国人旅行客が、毎年、フランスに押し寄せては、そこで、何らかの形で、お金を落としていっていることになる。確かに、少子化と人口の将来的な減少を考えれば、訪日外国人客11人当たりで、日本に現に住んでいる人の1人分の消費に相当する金額が、何でも、賄われているそうである。これが現実の数字だそうである。いやはや、驚くべき数字である。確かに、身近なところでも、ベトナム人の友人達の滞日中での買い物とお金の使い方には、以前にも、ブログで書いたように、驚くべき購買意欲と購入商品の多様性には、ビックリさせられたものである。博多のフェリー・ターミナルでは、既に、観光客向けに、商品を持ち歩く必要も無いように、離日直前に、購入商品が免税手続きと手許に間違いなく届けられるサービスを開始されたそうである。又、セブン・イレブンも、コンビニのATM をタイ語やベトナム語を含んだ15カ国語対応に、更新して行く計画があるそうである。ビザの条件緩和やら、滞日期間の延長やら、免税商品の食品・化粧品・調理家電などへの拡充や金額の緩和などにより、或いは、言語サービスへの対応、或いは、イスラム圏からのモスリムの人向けのハラル認証の外食や食品の提供などにより、より快適な日本での観光旅行が可能になり、拡がりが出てくれば、ソフト・パワー外交だけではなくて、その消費喚起、何よりも、人口減少の中での消費低迷を少しでも補って貰うことが可能であれば、それに越したことはない。対人口比率8%等という数字を聞くと、これから先の伸びしろは、大変な可能性を秘めていることになる。地方都市などでも、外人観光客の誘致、イン・バウンドの促進には、人数ではなくて、対人口比%で、測定してみるのも、面白いのではないでしょうか?そうすると、やはり、京都などが、一番、その数字が良いことになるのでしょうか?消費振興策の観点だけでなくて、文化交流、歴史・文化認識も含めて、郷土の魅力をどのように、アピールしていったら良いのかを真剣に、考えてみる必要はありそうですね。ここには、何か、無限のビジネス・チャンスが、転がっているような気がしてなりません。

代理出産というパンドラの箱:

2014年08月12日 | 社会戯評
代理出産というパンドラの箱:
オーストラリアの夫婦が、タイでの代理出産に際して、双子の内の男の子がダウン症であったことを理由として、健常者の女の赤ん坊だけを引き取ったと云うことで、倫理的な物議を醸していたところ、今度は、日本人の24才になる男性が、その資産を相続させるために、15人もの代理出産をタイで行い、しかも、カンボジアやタイへ、異常な回数で、出国と入国を繰り返していたと、、、、、、、。それにしても、何とも不思議な事件である。私の知る限りでは、タイという国は、資産相続に対する課税がなくて、金持ちの家に生まれたら、それこそ、一生、馬鹿でも何でも、有難いことに、金持ちであることを辞めさせてくれない。代理出産にしても、この国では、貧困に喘ぐ女性が、多額の報酬の下で、そのリスクを背負うことになる。そして、それを支える非合法すれすれの医療施設と医療関係者やブローカーと称する中間搾取業者が暗躍している。仮に、この男性が、DNA鑑定で、合法的な代理出産でも、仮に資産の合法的な租税回避であったとしたら、ケーマン諸島での租税回避などは、まだ、子供だましみたいなモノではないだろうか?明らかに、国籍を取得させる手法で、容易に、二重パスポートなども取得も可能であるであろうし、実際、タイでは、中国人富裕層をターゲットにした代理出産やら、米国籍での出産などを斡旋するツアーが、実際に行われているというではないか、もはや、こうなると、人権以前の租税回避やら、資産移転などの新手の手法と言うことになるやも知れない。それにしても、IT系資産家の子息と称するこの人物は、云われるところの投資家の範疇に入るのであろうか?少なくとも、300万円相当の銀行預金の証明書があれば、簡単に長期滞在ビザが取得できる以上、様々な手法で、広い意味での反倫理的な人身売買の範疇ということも云えなくはないであろう。経済グローバリズムの高まる中で、世界的なガイド・ラインを代理出産に対しても、何らかのかたちで、創り出さない限り、常に、富める者と貧しい者とが、利用する側と、利用される側という関係は、永遠に、解決されないであろうし、ましてや、それが、他人の資産管理・租税回避や相続税の回避というものと関わってくるならば、多いに、その子供達の人権とも絡んで、問題であろう。今後の捜査次第で、どういうことが背景にあるのか、養子縁組ではないが、自分の子供を、それこそ、養女・養子にすることで、国を跨いで、相続税が回避できるのであれば、もう、それこそ、世も末だろうし、かりに、それをビジネスとして、斡旋していたとなれば、どういう海外諸国間での法的措置が可能になるのであろうか?未だ、この時点では、謎が多すぎることは事実であろう。それにしても、余りに持つ者が多すぎる者は、こんなことも考え出すのであろうか?少子化の年若い日本人が、おこなったことに、多いに驚かざるを得ない。いずれにせよ、今後の捜査の成り行きを見る必要があろう。

STAP細胞問題に考える:

2014年08月11日 | 社会戯評
STAP細胞問題に考える:
理研の笹井副センター長の自殺で、どうやら、STAP細胞の問題は、論文の不正自体が認定されてからは、存在実証試験の推移が注目されていたにも拘わらず、今や、スキャンダル的な側面やら、理研自体の管理能力の問題へと、何か、本質的なものから、全く別の関心事へと既に、移っていってしまったような感が無きにしもあらずのような様相である。本当に物事の本質をマスコミと称する者達は、捉えているのであろうか?又、笹井氏個人のこれまでの再生医療に残した功績をあげつらいながらも、何か、常に、その「負の側面」ばかりを、とりわけ、科学者・研究者としての立場とは別に、戦略的なCB研究所、或いは、先端医療に拘わる成長戦略、或いは、神戸先端医療都市構想、若手研究者の育成問題にまで、言い方を換えれば、政府からのカネの引き出し方も、何か、いけない問題のあるような、更には、関連する団体・医療・製薬会社との関連までも、あたかも、カネを集めてくる事自体が、悪であるかのような、前時代的な如何にも、日本的な商業倫理観を、成長戦略の中にも、従来同様な手法で、論じることは、如何なものであろうか?そんなに、研究者に、研究者自身の科学的な功績とリーダーシップとグランドデザインを描き、プロジェクトとしてカネを集めてくる能力も含めて、一研究者に、そんな完璧さを求めてよいのであろうか?明治の時代から、いつも、野口英世ではないが、国内での研究ではなくて、海外での研究を優先してしまうのは、今日でも、その流れは、一向に、改善されることはない。研究環境と科学者としての葛藤、そんな中で、あらゆる仕事を一種のスター・プレイヤーに、あたかも、責任を押しつけるような、或いは、負の責任を負わせて、自死に貶めることで、果たして、我々は、それで、よいのであろうか?チーム・プレーと言いながらも、所詮は、最先端の技術というものは、医療分野でも、IT・通信の分野でも、どこか、天才的な人間ひとりに負わされるところがあるのかも知れないが、組織として、団体として、或いは、国として、少しでも、そういう苦労を軽減できるような環境・仕組みつくりが、出来ないものであろうか?真剣にそういうことを考えないと、様々な分野で、再び、同じ事例が繰り返され、日本という国は、再び、不作為の何もしないようなことが、やはり、一番自己保身になるという考え方になってしまうのでなかろうかと、危惧するものである。今回の悲劇的な事件とは、理研の組織としての在り方でだけはなくて、日本のそもそもの最先端研究に対する問題提起となっているのではないかと思われるが、、、、、、、、。ご冥福を祈りたいものである。
PS)それにしても、個人宛の遺書の内容というものが、警察から、マスコミを通じて、その要旨が、発表されるとは、そんなことが許されるのであろうか?一体、何処にその趣旨は、どういうことなのであろうか?甚だ、不気味であるし、何の憶測もなく、メディア側が発表されるのも、理解に苦しむが、、、、、、。

エボラ出血熱に考える:

2014年08月10日 | 社会戯評
エボラ出血熱に考える:
西アフリカでのパンデミックスに対して、WHOは、市場事態宣言を発したという。何故か、この事態を見ていると、昔のSARSの猛威がふるって、人の移動、観光客の激減により、海外旅行業界が壊滅的な打撃を受けた事を想い起こす。記憶を辿れば、たしか、あの時は、ハクビシンなどの肉を食することが、原因であると云われているが、喉元過ぎれば、何とかではないが、あの時の騒動も、よく考えてみれば、原因の究明やその後の対策は、どうなったのであろうかと思われる。エボラ出血熱は、映画のアウト・ブレイクを彷彿とされるものがあるが、あの時は、猿という想定であったものの、今回のそれは、どうやら、熱帯雨林に生息するコウモリを宿主とするウィルスによるものらしく、これは、森林開発や、それに伴う家畜や養豚の普及なども密林の生態系バランスを崩してしまったのかも知れない。歴史を振り返れば、コレラもペストも、インフルエンザも、すべて、感染症のパンでミックスの歴史が、人類の歴史と云っても過言ではない。ヒト・モノの移動が世界的な規模で、容易に行われるようになり、衛生教育の普及や防疫体制を怠れば、簡単に、感染症の蔓延も、不思議ではない。人類というものは、どこまで、経済の発展と生態系の破壊というバランスを保とうとしているのであろうか?公害といい、感染症と云い、どこまで、ゆくのであろうか?単に、西アフリカでの風習とか、公衆衛生の教育に対する不足とか、衛生設備の欠如とかということだけでは、済まされないように思われるが、遠いアフリカでの出来事であると考えるのは、一寸、立ち止まるべきであろう。


もう一種類、竹の風鈴をDIYしてみた:

2014年08月09日 | 社会戯評
もう一種類、竹の風鈴をDIYしてみた:
調子に乗って、もう一種類別の竹の風鈴をDIYしてみることにした。何でも、バリ島の竹の風鈴であるそうである.今度は、事前に、ネットで、検索をしてから、写真を見ながら、やはり、適当に、設計図もなく、作ってみた。本当は、竹の筒の長さもバランス良く、定規で測ってはカットし、ドリルでの穴開けも、穴の間隔を鉛筆で、目印をつけてから、きちんと、ドリルで丁寧に開ければ良いのであるが、、、、、そこは、素人のアバウト性であるから、穴の間隔も適当である。そして、たこ糸の紐の長さであるが、本来は、これも、又、きちんと同じ長さにカットして、上の水平線を同じように保ちながら、紐を結んで行くべきであるのに、これも又、アバウトで、適当にやってしまった。何ともだらしないと云ったら、切りが無い。仕事と大違いである。しかも、結んでから、気が付いたが、紐の結び目が、表になるか、裏になるかを考える出来であったが、後の祭りである。なかなか、クラフト作りも難しいものである。風鈴と云うよりは、部屋のインテリアとして、天井から、吊り下げて、モビールのような味わい方も、又、宜しいのではないかと、勝手に想像をしてみる。竹の筒同士がふれ合うような音は、なかなか、趣きのある音である。これは、簡単に出来るので、子供夏休みの工作の宿題にでもなりそうである。材料費も白竹1本、50円とたこ糸100円で充分である。部屋のインテリアとして、飾ってみることにしよう。これは、一寸した贈り物としても、優れものかも知れない。

日系チャネルに期待する:

2014年08月08日 | 社会戯評
日系チャネルに期待する:
別にCSチャネルを見ているわけではないから、日系チャネルを毎日見ているわけではないが、それでも、海外出張などをするときには、NHK海外放送の日本語番組やニュースなどは、結構、観ていたものである。流石に、韓流ドラマなどに較べると、日本の番組コンテンツ産業は、優れていても、価格が高いことも相俟って、なかなか、海外には普及されていなかった。しかしながら、どうやら、ここに来て、海外向けの衛星放送やCSチャネルで、日系チャネルを創出する動きが高まり、海外の日本人や現地の人にも、幅広く、クール・ジャパンの放送を普及できる目途が立ちつつあるそうである。兎に角、日本は、何故、これまで、海外向けの積極的な番組・情報・文化・観光に関する発信をしてこなかったのだろうか?海外で華僑系向けの中国系のチャネルの多さには、これまでにも、ビックリしてきたが、アメリカなどでは、ロシア系やアルメニア系の放送などの移民向けに、小さくても、しっかりと、チャネルを確保されていたことには驚いてしまう。明らかに、今回のそれは、移民向けや海外在住の日本人向けではなくて、現地の人向けの日系チャネルであることが、素晴らしいことである。歴史認識の違いなどと一方的に云われることなく、正々堂々と、日本のこれまでの平和外交やODA経済支援実績なども、娯楽コンテンツに加えて、情報発信していったら良いし、又、観光客誘致策の宣伝も可能になろう。そうした幅広い効果を今から、期待したいものである。そういう外交努力とは別の枠の中で、他国の人の日本への文化的な理解を促進することこそが、重要であろうと思われるが、、、、、、、、。ソフト・パワー育成や外交以外の文化交流も、今や、海外での情報・宣伝戦の一助になることは間違いないであろう。

やはり、外資叩きなのか?:

2014年08月07日 | 社会戯評
やはり、外資叩きなのか?:
小さな記事である。アンチ・ウィルス・ソフトのシマンテック社やマイクロ・ソフト社に対して、その販売を禁止差し止めを命令するとか、何とも、独占禁止法違反とかもっともらしい理由をつけて、一種の嫌がらせともとれない措置を中国当局が執ると報じられている。考えてみれば、米中協議の中でも、サイバー・テロ攻撃の犯人を名指しされたり、人権問題を取り上げたりと、どうみても、それらに対する反撃であるとしか、思われない。更には、今後、続々と、外資叩きのような一種のポピュリズムが台頭する背景には、人民の格差に対する、或いは、不正に対する不満や民族排外主義を、ガス抜きするような措置が、外資系の車や部品メーカー、IT関連企業に対して、公然と自国国内産業保護を謳って、こうした傾向が、一層、高まってくることは、間違いないであろう。そうした観点から見てくれば、先般のマクドナルドの米系企業の詳記期限切れ肉の暴露も容易に、読み解けよう。それにしても、危うい賭である。謂わば、両刃の刃であろうことは想像に難くない。最高指導部の熾烈な権力争いの中で一種のスケープ・ゴート的な恣意的な司法を巻き込んだようなやり方は、いずれ、どこかで、世界的な反感としっぺ返しを招くことになるであろうことは必至であろう。この国に関する小さな記事は、いつも、時間を逆廻しに見てみると、実に面白いけれども、地政学上、このややこしい隣人は、付き合いを止めるわけには行かないところが、厄介なものである。

竹の風鈴をDIYする:

2014年08月06日 | DIY
竹の風鈴をDIYする:
いつも、作ってから、どうもおかしいと思いながら、ネットで、作り方を検索してみるという、謂わば、いい加減な無手勝流のDIYは、相変わらず、直らない。今回も、一応、適当に、作ってみてから、どうも、風に吹かれて、鳴らないのは何故だろうかと、ネットで、キーワード検索してみたら、真ん中に、丸い木の輪のようなものを添えることで、これが、風に、吹かれて竹の棒を揺らして、ぶつかり合って、初めて何とも表現出来ぬ、実にゆったりとした音色が醸し出されることが分かった。従って、この作品も又、後付けの二度手間の作品である。結局、ネットで検索して見ると、竹の風鈴にも色々な種類があって、何とも、ドリルとノコギリで簡単に出来そうなので、新たな種類の竹の風鈴にも挑戦してみたくなった。材料費は、白竹、一本、50円程度である。これなら、訳なく作れそうである。実に、音色は、趣のある音色で、読書や昼寝をしながら、木陰の下で聞くのは、贅沢な感じがする。竹や板で、玄関の打ち木を作っても宜しいかも知れません。いつになることやら、出たとこ勝負の気まぐれDIYである。

ヒヤリングから透けて見える地方都市の現実:

2014年08月05日 | 社会戯評
ヒヤリングから透けて見える地方都市の現実:
子育て・教育、健康・福祉の分科会での審議会ヒヤリングを通して、現状の様々な地方都市の現実が課題として、透けて見えてきた。共通して見えてくるものは、少子高齢化と弱者救済の視点で有り、それは、子育て、教育、生涯学習、人権意識、地域医療体制、健康・保険事業、高齢者福祉・自立支援活動、福祉環境整備の各分野で、それぞれの課題があぶり出せれてきて、浮き彫りになってくる。それにしても、限られた財政予算の中で、如何に知恵を絞り、如何に、ビッグ・データを解析し、これを具体的な政策に落として、行動を起こし、評価し、対応策を探り出すという循環でしかない。それにしても、深刻な学力低下とか、不登校児童数の増加やワーストの原因を究明することは、地方都市自体の将来をも左右しかねない事実である。そこからは、教員の質の問題や待遇改善、低所得層や片親家庭の貧困とも関連して、具体的な底上げをしないと、都市自体が、地盤沈下してゆきかねない。子育ても、少子化も、医師不足も、地域医療体制の構築も、介護支援体制、健康作りも、光栄福祉環境も、どこか、共通する地下水脈のようなものが、あぶり出されてくるし、それは、まさに、日本という国自体が有する問題と重なってくることは間違いないであろう。それにしても、最近、問題になっている各部署を跨がった連携、例えば、乳幼児検診の情報が、自動虐待や、教育委員会や児童相談所とも、密接に連携しなければならないし、ひいては、社会的な弱者への対策として、有機的な多機能な部署の対応が、今日、求められていることは、言を俟たないであろう。アンケートなども、最近では、その結果をHPに公開されていたり、ビッグ・データの情報公開や、更には進んで、付加価値をつけて販売する位があっても良いのかも知れない。それにしても、恐ろしいほど、現実の課題が、浮き彫りにされているのには、驚かざるを得ない。もはや、待ったなしである。

微生物発電の拡がり:

2014年08月04日 | 社会戯評
微生物発電の拡がり:
工場廃水などを微生物の力を借りて、分解することは、自分の経験からも、頭では理解はしていたものの、それと同時に、発電、蓄電までも可能にしてしまうということに、改めて驚いてしまう。エタノールの生産が、トウモロコシの価格を高騰させてしまったことから、藻類の活用により、より効率の良い、コストの安価な発電エネルギーを生み出そうと競争が激化しているが、考えてみれば、牛糞などからも、或いは、間伐材などからも、バイオマス発電などの活用が、小資本であっても、今や、自然再生エネルギーの一員として、既に、認知され始めていることは、知られている。発電と水の浄化という両面を兼ね備えるだけではなくて、有機物という地球上の資源を活用出来、しかも、発電と蓄電も可能になるということになると、これは、又、大きなニュースである。何か、化学の実験で、初めて習う水の電気分解と水素と酸素化合物、H2Oの関係を改めて、想い出すものである。発展途上国での汚水処理とか、環境への配慮や、再生自然エネルギーへの多機能型の蓄電池の開発など、様々な応用が期待されることになるであろう。ODA等による経済援助協力とか、NGOなどの民間による手法も新たに、考えられよう。それにしても、世の中は、知らないうちに、科学技術が日進月歩していて、驚かされる。今に、汚水処理場などは、一大発電・蓄電施設へと変貌を遂げてしまうかも知れない、そういう時代が来るのもそんなに、遠い先ではないのかも知れない。

イスラエルの危うさとしたたかさ:

2014年08月02日 | 社会戯評
イスラエルの危うさとしたたかさ:
双方の誘拐事件を契機としたイスラエルによるガザ地区への進攻が、徐々に拡大されているが、考えてみれば、一昔前であれば、第何次中東戦争などという文字が、踊るのであろう。しかしながら、今日、アラブ諸国には、そんな力も無いし、自国の内乱を治める事の方が先決である程、言い換えれば、決してイスラエルとの戦争を出来る状態ではない。エジプト・シリア・レバノン・イラク・イラン、それぞれが、各々の問題を抱えている。それは、イスラエルにとっても、同様のことが云えよう。考えてみれば、軍事的な対立というものは、東西冷戦ではないが、ある種の力の均衡のようなものであり、それが、昔のアラファトのPLOやPFLPやら、今日のアッバス派、モスリム同胞団、ハマスであっても、徹底的に、相手を殲滅することは、逆説的に云えば、統治機能、バランスが失われてしまうわけで、まるで、それは、強みが、ある時を境にして、弱みに、転化するようなものであろう。言い換えれば、常に、落としどころを模索しながら、パンチを繰り出し、相手の勢いを探りながら、自らは、クリンチに持ち込み、又、好きあらば相手にダメージを与えては、引き分けか、痛み分けにもちこむようなボクシングの闘いぶりではなかろうか?そして、その殴り合いの最中に、常に、犠牲を強いられるのは、弱者で有り、民衆で有り、幼気のない子供である。今や、戦争が出来ない、動乱や戦乱・内乱に明け暮れすることが、唯一、互いの存在理由を確認するかの如き、クリンチと果てしない消耗戦であり、そうすることで、時として間欠泉が吹き上がるように、果てしなく、何十年と続く消耗戦が、お互い、続くのであろうか?まるで、勝ち負けのつかない、敢えて言えば、レフリーすらもいないような、ノック・アウトのない、否、ノック・アウトをしてしまってはならない消耗戦の末に、未来はあるのであろうか?何とも、お互いに、落としどころのない、終末が見えずらい紛争であることは確かであろう。

燃料電池車(FCV)のインフラ:

2014年08月02日 | 社会戯評
燃料電池車(FCV)のインフラ:
まだ、自分の世代までは、プラグ・イン・ハイブリッドが、せいぜいで、インフラ整備が不十分な水素を活用した燃料電池車の時代は、まだまだ、その後であろうかと、タカをくくっていたところ、どうやら、インフラの整備に、とりわけ、運搬コストや液化や気化が圧縮水素の新たな手法の開発で、コスト圧縮でき、しかも、長期的な石油価格の上昇を考えてみると、それ程、コスト・パーフォーマンスでも、決して、劣るモノではないという見通しが出始めてきた。15年には、石油並に、20年には、PHV並にという政府目標もあるということになると、水素の生産、卸売り、運搬・輸送・流通・販売、という観点からも、新たな技術開発により、コストが下げられると言うことになると、一挙に、これが、実現可能になるのも、夢物語だと思っていたらとんでもないことになりそうな雲行きである。既に、世の中は、自分を置いて、ドンドン先に、進んで行っていることが改めて、感じられる。消費者には、多様な選択が、残されることは望ましいが、用途やライフ・スタイルに応じて、どういう車を選んだら良いかという選択は、ますます、難しくなりそうである。これまで、車選びには、いつも、購入してから、新たに技術開発された車が出てきて、満足のゆく結果には、至っていない。近い将来の車選びは、どうやら、燃費や安全性だけではなさそうな雲行きである。自動車業界も、どうなって行くのであろうか?そして、何を選択するのがベストなのであろうか?