【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

災害

2019-10-18 07:19:51 | Weblog

 毎年日本のあちこちで災害が繰り返されます。そのたびにまるで初めてのように人はうろたえることになります。もちろん被災者は大体が「初めて」だから仕方ないのですが、マスコミや行政や学界は初めてじゃないですよね? その「過去の知見と経験」を未来に伝える“お仕事"は、被災者ではなくて「機関」がした方が良いのではないか、と思うのですが。

【ただいま読書中】『危機の都市史 ──災害・人口減少と都市・建築』「都市の危機と再生」研究会 編、吉川弘文館、2019年、11000円(税別)

 明暦の大火(明暦三(1657)年)で江戸の中心部は焼き尽くされ、犠牲者は数万人と推測されています。被災した大名屋敷は157と幕府の公式記録「年録(江戸幕府日記)」に記録されています。この大火後、武家地は「復旧」が基本で、新しい土地への移動は例外的でした(各大名の「既得権」の主張が強かったようです)。ただ、一時郊外に身を寄せていた大名の体験から郊外の重要性が認識され、品川などの郊外に下屋敷がたくさん給賜されました。また、町人地を中心に火除け地が設けられました。
 江戸が東京になったあと、少しずつ耐火建築が増えてはいましたが、大正五年の東京市15区で木造がまだ9割を占めていました。関東大震災のあと、“とりあえず"バラック建築を認可していましたが、同時に耐火建築の建築も進められていました。銀座では震災で煉瓦造りがほとんど焼失した代わりに鉄筋コンクリート造建築が増えましたが、丸の内では重厚な煉瓦造りが多く焼け残っていました。興味深いのは「社寺の不燃化」に反対運動があったことです。「コンクリートの社殿に神が宿れるか!」と言うのですが、どの神様に聞いたのかな?
 細かい水路をまるで血管網のように活用して発展したバンコクは、発展したために水質汚濁と違法建築と水路の埋め立てにより、都市としての活力を一度失い、それから近代都市として再生することになりました。そういえば江戸も東半分は細かい水路ネットワークが機能していたのが、今は見事に失われていますね。
 外敵や産業構造の変化などによっても、都市は危機を迎えます。禁門の変による大火と天皇を東京に取られたことで、京都も危機を迎えました(大名を失った各地の城下町も同様です)。そこで京都がおこなったのが「教育と勧業」による「近代化」です。その表現の一つが「京都博覧会」ですが、京都人のたくましさには頭が下がります。
 大火後のロンドン、水害後のフィレンツェなど、前よりも良い都市/もっと防災もできる都市、を目指した例もあります。「危機」はもちろん嬉しいことではありませんが、せめてそこから学んでその知識をより良い未来に使えたら、犠牲者は無駄死ににはならないことでしょう。




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