衣・食・住と必要な物の筆頭に「衣}が上げられました。
既製品が存在せず、着る物すべて家族が仕立てていました。
仕立てられない人は他人に依頼するよりほかありませんでした。
裁縫箱はいつからあったのでしょうか。
18世紀の浮世絵師鈴木春信の「座敷八景 手拭かけの帰帆」の中の敷居の上に針箱が見えます。
昔の裁縫箱として一般的によく知られている形です。
一部の引き出しに桐材の板で中蓋があり、引き出す時中の小物が引っかからないように保護されます。
ミニチュア針箱のように、針山の付いた絎け台が左側の物もあります。
ミニ針箱の中身です。
火のし(ひしゃく型のアイロン)とコテの実物は実際には針箱には入りませんが、玩具としてこの中に入っていました。
絎け台には物差しを立てるケースが付いています。
物差しは主人、針山は私が作って完成品となりました。
絎け台は無く、右に大きいく深い引き出しがあります。
引き出しではなく開きの場合もあります。
開きの場合、引き手が左寄りについていますので見ただけで引き出しか開きか判別できます。
この品は特許番号が記されていましたので、特許庁のホームページから調べました。
物差しは後ろの穴に。
縫い糸を枷(かせ)単位で買う時代でしたから、枷から糸巻きに巻き取らなければなりません。
片開きの蓋を開けます。針山は私が作りました。
糸を巻き取る時にも使える工夫ですが、出し入れの煩わしさからアイデア倒れの感があります。
どなたかの手作りのようです。
箱型のほうが日常には便利でした。
素材も様々です。
型に和紙を何枚も張り重ねて、乾燥させて漆を塗って蒔絵を描いて完成させる「一貫張り」という技法で作られています。
小物入れも一貫張りです。
木製に和紙を張って彩色してあります。
セルロイドです。同志社のマークがあります。学校からお揃いの物を出されたのでしょうか?
セルロイドが可燃性の問題で姿を消し、樹脂になりました。
木製の物にも変化が生じます。
半分の蓋を開き、中に倒してあった棒を立てると絎け台になります。
和裁より洋裁や手芸が一般的になると、上蓋が全開の形になりました。