人間として大切なものは何か、子どもたちには分かりにくい世の中になっていると思います。
テレビをつけても事務所のサラリーマンと化した芸人たちの悪ふざけ、タカリを推奨・助長するようなゲーム感覚のバラエティ番組などなど、20世紀と比べて明らかに低次元化しています。
NHKの教育チャンネルでなくとも、日曜日の朝、イルカの「雨の物語」がオープニングテーマになっている、古今東西の名著を紹介する番組が、昭和のころ在りました。夜、久米明氏の厳かなナレーションとともに、世界各地の歴史的な不思議を紹介する番組もありました。奇をてらった表現ではなく、極々穏やかで静かに、私たち昭和の子どもは未知なる世界と接する機会を与えられ、向学心のようなものも育まれていたのではないかと、感じます。
岩波子どもの本、というシリーズがあり、私も未就学児童のころから親しんでおりました。
挿絵も素晴らしく、初山滋『瓜子姫とあまのじゃく』、武井武雄&サマセット・モーム『九月姫とウグイス』、翻訳ものでは『ちいさいおうち』『こねこのピッチ』『花の好きな牛』…etc.…何度読み返したか知れません。
今日はそんな中の一冊で、想い出すたびに、いじめ問題解決の糸口はなかったかと胸が苦しくなる、『百まいのきもの』を連想しつつ書き起こします。
1980~90年代、通勤のための着物の着回しを考えたとき、塩瀬の染帯は必須アイテムだった。
四季折々の花の柄は、棒縞(ぼうじま)の御召(おめし)や、堅牢で汚れの目立たない紬の着物によく合った。
平成になって間もないころまで、銀座松屋の呉服売り場は、確か3階(4階かも?)にあった。
百貨店における呉服売り場は、その業態の要となるものだったので、いずこの百貨店でも20世紀中には、地上からそう遠くないメインのフロアに、ドドーンと存在していたのである。
スモーキーな桜色とグレーの棒縞の御召は、親の力を借りず、自前で購入した二枚目ぐらいの着物だった。
松屋の呉服売り場は小物もシャレていて、歌舞伎座の行き帰りに欠かさず寄っていた。もちろん、ほとんどがウインドゥ・ショッピングだったので、この着物を手にしたときは頭がクラクラした。
それから5年ほどのち、新宿伊勢丹での即売会の売出しか何かで、さらに目の前がクラクラする一目惚れの帯が、この塩瀬の薄いグレー地に描かれた枝垂れ桜の染め帯である。ポイントに金糸の縁取りの刺繍がある。
垂れに、三ひらほどの花びらが、そこはかとなく散っているのが、ぐゎしと胸ぐらを掴まれた要因でもあった。
前帯も同じ枝垂桜である。
帯揚げは、昭和のころ、まだ吉祥寺に近鉄百貨店があったとき、同店の呉服売り場で求めた鉄紺(てつこん)の綸子(りんず)。
関東にはないような、上方から下ってきた素晴らしい工芸品が近鉄百貨店には在って、何かというと吉祥寺の近鉄デパートに行っていたのだが、プロ野球球団の近鉄バファローズが優勝する前年に撤退してしまったので、関東の民は優勝セールの恩恵にあずかれなかった。悔しい。野茂投手が大活躍して、日本人選手として初めて(と、私は思っていたのですが)大リーグへ行ったのがこのころである。
帯揚げひとつ取っても、全盛期の日本の染色業界は手が込んでいた。
地紋は網代(あじろ)に梅鉢(うめばち)の散らし、桜の一枝を生き生きと活写した筆致を生かした白上げに、思い思いの色指しが為されている。
これも多分売り出し中だったので、二、三千円で購入できた。昭和のころの相場はそんなものだった。
このいで立ちで、花見時、四谷の紀尾井ホールの下ざらいに出向き、午前中に用事が済んだので、その時、たしか、市川雷蔵の没後30年追悼上映会をやっていた、横浜のシネマジャックまで遠征した。
大岡川の桜並木をそぞろ歩き、さくら尽くしの一日に身も心も蕩けたが、のちに「桜の時季に桜の柄のものを着て、本物の桜の前に出るのは、桜の花に失礼である」と、とある呉服屋さんの女将さんのお話を聞き、ああ、そうか…そういうこともあろうかと、反省した。
縮緬(ちりめん)の染め帯は寒い季節のオシャレにうれしいものである。
東京の呉服屋さんの連合会で、年に何回か展示会をやっていて、銀座のメルサだったろうか、日本橋の丸善の裏のビルだったろうか…で、めぐり逢ったのが、鼓(つづみ)に桜があしらわれた、薄いベージュ(香色)のこの帯だった。
箏絃(こといと)を模したものか、右端六筋、左端六筋の、合わせて12筋は、13本の絃に一筋足りないが、琴柱(ことじ)の意匠があしらわれているのも面白い。
和の楽器に勤(いそ)しむ者にはこれまた、グッと来てしまう柄行き(がらゆき)である。
袋帯の尺があったのを、名古屋帯に仕立てていただいたので、落款が垂れに出ないのを申し訳なく思って、撮影用に。
前帯は源氏香(げんじこう)。
平成の初めごろ、まだ銀座の1丁目辺りにお店があった、とある呉服屋さんの売出しで入手した、琵琶や笛、箏の楽器尽くしの帯揚げを合わせた。
振袖以外で、帯揚げがよく見えるように着付けるのは野暮天なので、常に日陰者…というか帯の蔭にしか存在しえない凝った柄の帯揚げがいとおしい。
鼓の帯に、帯揚げの鼓の染め柄が見えるように着付けるのは難しい。
右利きの私は、いつも同じ側の前帯になってしまうので、誰かに着付けて頂ける折が在ったら、反対側の前柄を出して着たいものである…いつも出ない柄のほうが可愛らしくて色鮮やかである。源氏車と手毬。
しかし名古屋帯は普段着か、せいぜいがところお出掛け着なので、それも叶わぬ夢。
京鹿子娘道成寺の地方(じかた)で、おさらい会の下ざらいに、塩沢紬(しおざわつむぎ)と合わせた。
吉野山の観劇の折に、小紋の着物と合わせて、シャレて出かけたいなぁ…と思っていたが、当代の歌舞伎座のことは、それもまた夢。
テレビをつけても事務所のサラリーマンと化した芸人たちの悪ふざけ、タカリを推奨・助長するようなゲーム感覚のバラエティ番組などなど、20世紀と比べて明らかに低次元化しています。
NHKの教育チャンネルでなくとも、日曜日の朝、イルカの「雨の物語」がオープニングテーマになっている、古今東西の名著を紹介する番組が、昭和のころ在りました。夜、久米明氏の厳かなナレーションとともに、世界各地の歴史的な不思議を紹介する番組もありました。奇をてらった表現ではなく、極々穏やかで静かに、私たち昭和の子どもは未知なる世界と接する機会を与えられ、向学心のようなものも育まれていたのではないかと、感じます。
岩波子どもの本、というシリーズがあり、私も未就学児童のころから親しんでおりました。
挿絵も素晴らしく、初山滋『瓜子姫とあまのじゃく』、武井武雄&サマセット・モーム『九月姫とウグイス』、翻訳ものでは『ちいさいおうち』『こねこのピッチ』『花の好きな牛』…etc.…何度読み返したか知れません。
今日はそんな中の一冊で、想い出すたびに、いじめ問題解決の糸口はなかったかと胸が苦しくなる、『百まいのきもの』を連想しつつ書き起こします。
1980~90年代、通勤のための着物の着回しを考えたとき、塩瀬の染帯は必須アイテムだった。
四季折々の花の柄は、棒縞(ぼうじま)の御召(おめし)や、堅牢で汚れの目立たない紬の着物によく合った。
平成になって間もないころまで、銀座松屋の呉服売り場は、確か3階(4階かも?)にあった。
百貨店における呉服売り場は、その業態の要となるものだったので、いずこの百貨店でも20世紀中には、地上からそう遠くないメインのフロアに、ドドーンと存在していたのである。
スモーキーな桜色とグレーの棒縞の御召は、親の力を借りず、自前で購入した二枚目ぐらいの着物だった。
松屋の呉服売り場は小物もシャレていて、歌舞伎座の行き帰りに欠かさず寄っていた。もちろん、ほとんどがウインドゥ・ショッピングだったので、この着物を手にしたときは頭がクラクラした。
それから5年ほどのち、新宿伊勢丹での即売会の売出しか何かで、さらに目の前がクラクラする一目惚れの帯が、この塩瀬の薄いグレー地に描かれた枝垂れ桜の染め帯である。ポイントに金糸の縁取りの刺繍がある。
垂れに、三ひらほどの花びらが、そこはかとなく散っているのが、ぐゎしと胸ぐらを掴まれた要因でもあった。
前帯も同じ枝垂桜である。
帯揚げは、昭和のころ、まだ吉祥寺に近鉄百貨店があったとき、同店の呉服売り場で求めた鉄紺(てつこん)の綸子(りんず)。
関東にはないような、上方から下ってきた素晴らしい工芸品が近鉄百貨店には在って、何かというと吉祥寺の近鉄デパートに行っていたのだが、プロ野球球団の近鉄バファローズが優勝する前年に撤退してしまったので、関東の民は優勝セールの恩恵にあずかれなかった。悔しい。野茂投手が大活躍して、日本人選手として初めて(と、私は思っていたのですが)大リーグへ行ったのがこのころである。
帯揚げひとつ取っても、全盛期の日本の染色業界は手が込んでいた。
地紋は網代(あじろ)に梅鉢(うめばち)の散らし、桜の一枝を生き生きと活写した筆致を生かした白上げに、思い思いの色指しが為されている。
これも多分売り出し中だったので、二、三千円で購入できた。昭和のころの相場はそんなものだった。
このいで立ちで、花見時、四谷の紀尾井ホールの下ざらいに出向き、午前中に用事が済んだので、その時、たしか、市川雷蔵の没後30年追悼上映会をやっていた、横浜のシネマジャックまで遠征した。
大岡川の桜並木をそぞろ歩き、さくら尽くしの一日に身も心も蕩けたが、のちに「桜の時季に桜の柄のものを着て、本物の桜の前に出るのは、桜の花に失礼である」と、とある呉服屋さんの女将さんのお話を聞き、ああ、そうか…そういうこともあろうかと、反省した。
縮緬(ちりめん)の染め帯は寒い季節のオシャレにうれしいものである。
東京の呉服屋さんの連合会で、年に何回か展示会をやっていて、銀座のメルサだったろうか、日本橋の丸善の裏のビルだったろうか…で、めぐり逢ったのが、鼓(つづみ)に桜があしらわれた、薄いベージュ(香色)のこの帯だった。
箏絃(こといと)を模したものか、右端六筋、左端六筋の、合わせて12筋は、13本の絃に一筋足りないが、琴柱(ことじ)の意匠があしらわれているのも面白い。
和の楽器に勤(いそ)しむ者にはこれまた、グッと来てしまう柄行き(がらゆき)である。
袋帯の尺があったのを、名古屋帯に仕立てていただいたので、落款が垂れに出ないのを申し訳なく思って、撮影用に。
前帯は源氏香(げんじこう)。
平成の初めごろ、まだ銀座の1丁目辺りにお店があった、とある呉服屋さんの売出しで入手した、琵琶や笛、箏の楽器尽くしの帯揚げを合わせた。
振袖以外で、帯揚げがよく見えるように着付けるのは野暮天なので、常に日陰者…というか帯の蔭にしか存在しえない凝った柄の帯揚げがいとおしい。
鼓の帯に、帯揚げの鼓の染め柄が見えるように着付けるのは難しい。
右利きの私は、いつも同じ側の前帯になってしまうので、誰かに着付けて頂ける折が在ったら、反対側の前柄を出して着たいものである…いつも出ない柄のほうが可愛らしくて色鮮やかである。源氏車と手毬。
しかし名古屋帯は普段着か、せいぜいがところお出掛け着なので、それも叶わぬ夢。
京鹿子娘道成寺の地方(じかた)で、おさらい会の下ざらいに、塩沢紬(しおざわつむぎ)と合わせた。
吉野山の観劇の折に、小紋の着物と合わせて、シャレて出かけたいなぁ…と思っていたが、当代の歌舞伎座のことは、それもまた夢。