なかちゃんは武漢でもなんとかやってます!

約5年10か月の上海生活と4年間の日本の生活を終えて、
今度は武漢での赴任生活を始めてます。

嘉瀬誠次さん

2023-12-18 22:16:49 | 日本生活

12月14日、長岡花火の生みの親、育ての親である

花火師・嘉瀬誠次さんが老衰のため101歳で亡くなられました。

すでに報道されていましたがあらためてお悔やみ申し上げます。

 

 

今夜、長岡市内では『白菊』が打ち上がりました。

7時30分過ぎ、ちょうど近所のスーパーへ買い物に立ち寄ったときに

車の外から『ドーン』と大きな音が聞こえてきました。

 

 

少し時間をおきながら『白菊』が3発、ゆっくりと大きく打ち上がりました。

真っ白なだけでなく、花火の「星」ひとつひとつが

本当に綺麗に開いた菊のように

そして次の瞬間には一斉に消えてしまう。

いつみても綺麗な花火だと思います。

長岡花火の最初に打ち上がるあの真っ白な3発の花火です。

 

 

 

長岡市の花火打ち上げ予定にもしっかり掲載されておりました。

 

嘉瀬さんは14歳で花火師の道に入り

戦争中はシベリア抑留も経験されました。

1951年 戦後初めて「三尺玉」の打ち上げ成功
1953年 長生橋を生かした「ナイアガラ」を提案

その後も次々と長岡花火発展に貢献されました。

 

 

嘉瀬さんへのインタビューから

「(戦争で亡くなった)その人たちに
 今 何やっても届かないけれども
 せめて自分が作った花火を
 白菊という花火を上げて
 これを見てくれよと

 同じ火薬でもきれいに人を楽しませるのと
 爆弾とか砲弾とかでもって
 人を殺したりするのとじゃ雲泥の差ですね

 空見てパカーンと口を開けてさ
 あーきれいだなという瞬間
 それが貴重な瞬間だね
 人間その気持ちになっていれば
 争い事も起きない」

 

 

嘉瀬さんが打ち上げる長岡花火を見た山下清さんが残した有名な言葉・・・

「みんなが爆弾なんかつくらないで
 きれいな花火ばかりつくっていたら
 きっと戦争なんて起きなかったんだな」

 

2013年の長岡市政だよりに掲載されてます

長岡の花を創り続けた伝説の花火師 嘉瀬誠次

 

あらためてご冥福をお祈りします。