遠い親戚が亡くなってお葬式に行ってきた。
故人とは面識もなくその方の死が悲しいと言うよりも、残された方たちの悲しみに心が痛んだ。
亡くなられた方は73才の女性で、40代くらいの息子さんと小学校2年生くらいのお孫さんが東京から来られていた。
お父さんは早くに亡くなられているし、一人息子さんのその方は、離婚されているようなので、地球上で二人っきりになられたような気持になってしまった。
実際には、叔父、叔母、従兄弟たちがいて、沢山の友達もいらっしゃるであろうからとは思うものの、気軽に帰ることが出来る場所は失くされてしまった。
最後のあいさつで、「もう母の作った料理を食べることもできない。」とおっしゃったのが本当に悲しかった。
母親の作った料理をもう二度と食べることが出来ない、あー、本当にそうだな、私も母が倒れて普通の生活が出来なくなったときに時たまそのことを強く思った。
信じられなかったし受け入れがたかった。
母を介護しながら、弟と「もう、お母さんのお節食べられへんねんね。Kちゃん、エビの煮たのが好きやったね。サツマイモを裏ごしした栗きんとんも美味しかった。」などと話したりしていた。
弟は、煮魚やお寿司のような和食好き、私はシチューやコロッケのような洋食が好き、母はどちらもまんべんなく作ってくれていた。
母が料理が出来なくなって19年、亡くなって4年、今ではそのことを懐かしく思い出せるようになった。
脱線したけれど、小学2年生くらいのお孫さんは男の子で、初めは元気に動き回っていたけれどそのうちハンカチで顔を抑えたりしていた。
境遇を思うと、いつか幸せになってくれますようにと祈らずにはいられない。
いつか懐かしい思い出になっていますように。
故人とは面識もなくその方の死が悲しいと言うよりも、残された方たちの悲しみに心が痛んだ。
亡くなられた方は73才の女性で、40代くらいの息子さんと小学校2年生くらいのお孫さんが東京から来られていた。
お父さんは早くに亡くなられているし、一人息子さんのその方は、離婚されているようなので、地球上で二人っきりになられたような気持になってしまった。
実際には、叔父、叔母、従兄弟たちがいて、沢山の友達もいらっしゃるであろうからとは思うものの、気軽に帰ることが出来る場所は失くされてしまった。
最後のあいさつで、「もう母の作った料理を食べることもできない。」とおっしゃったのが本当に悲しかった。
母親の作った料理をもう二度と食べることが出来ない、あー、本当にそうだな、私も母が倒れて普通の生活が出来なくなったときに時たまそのことを強く思った。
信じられなかったし受け入れがたかった。
母を介護しながら、弟と「もう、お母さんのお節食べられへんねんね。Kちゃん、エビの煮たのが好きやったね。サツマイモを裏ごしした栗きんとんも美味しかった。」などと話したりしていた。
弟は、煮魚やお寿司のような和食好き、私はシチューやコロッケのような洋食が好き、母はどちらもまんべんなく作ってくれていた。
母が料理が出来なくなって19年、亡くなって4年、今ではそのことを懐かしく思い出せるようになった。
脱線したけれど、小学2年生くらいのお孫さんは男の子で、初めは元気に動き回っていたけれどそのうちハンカチで顔を抑えたりしていた。
境遇を思うと、いつか幸せになってくれますようにと祈らずにはいられない。
いつか懐かしい思い出になっていますように。