だーばぁの流儀

児童文学作家・岡田なおこブログです。
全身マヒ+オストメイト・作家・アラ還ならではの日々を気ままにつづっています。

夢叶屋@敬愛するジュンちゃん 👩‍🦱

2024年10月05日 | 日記
ワタクシメには「敬愛する人」が何人もいます。

その中の一人、養護学校(現・特別支援学校)時代の親友のジュンちゃんから「夢叶屋 作品展示会」の案内が来ました。
夢叶屋(ゆめとや)はジュンちゃん夫妻が運営活動しているサークルで・・・
地域に暮らす障害者が集い、創作活動や啓発活動を通して周囲の人に理解の輪を広げていくことを目的としています。
また害を持った人たちだけではなく、活動に関わった介助者の方や教えてくださった先生方、
みんなで助け合って一人ひとりの夢を叶えようという思いで立ち上げました。
継続していくことは大変ですが、これからも生活を大事にしながら続けています。

ジュンちゃんからのメールには📧
~夢叶屋 作品展示会~
陶芸やカトラリーバック(箸入れ)等の作品を展示しています。是非お越しください。
10月11日(金)~10月13日(日)
10時~16時(13日は15時30分まで)
北野市民センター 7階展示室
東京都八王子市北野町545-3    北野タウンビル7.8階

夢叶屋 連絡先 tutiya.zyunko@ruby.plala.or.jp

だいぶ前から「展覧会をやりたい」と二人で言っていました。
介助者の皆さんにサポートをいただきながら、やっとここまでこれました。
より多くの皆さんに見に来ていただきたいです。

「二人」という言葉がいいですね💞
ニクイな(^_-)
ほんわかしました。

 ↓ 写真は作業風景  (加工が下手で(。-人-。) ゴメンネ)



楽しかった第一次青春時代

ジュンちゃんは子ども時代から何かと苦労が多かったけれど、明るく元気にワタクシメとつるんで過ごしていました🎈🎄🎐
ワタクシメは中学まで養護学校で、高校は普通校。
ジュンちゃんは養護学校の高等部に進み、卒後は地方の施設で「修行w」してきました。

二人とも全身マヒですが、当時ワタクシメは一人で歩けました。
ジュンちゃんは子どもの頃から車いすで、上肢のしょうがいはワタクシメより重かったと思います。

学校は変わってもワタクシメたちは仲良しで、ママ同士も気が合って、
「できないことは手を貸すけれど、あとは二人で勝手に遊びなさい」と、ジュンちゃん宅で夜が更けるまで「女の子っぽい時間」を楽しませてもらっていました。
言語障害もあるのに「ケタケタ・ケタケタ」。他愛もなくおしゃべりしたのが懐かしいです(#^.^#)

しかし、楽しい時間は長く続きませんでした⤵
ジュンちゃんはお父様の仕事の都合で、東京の端に越してしまったのです。
ザックリ解説すると・・・ワタクシメの家は東京でも神奈川寄り、ジュンちゃんは埼玉寄り。遠いんです(笑)
それで疎遠になりました😢

波乱の第二次青春時代

二十代のワタクシメはいろんな「しょうがい者サークル」に首を突っ込んでいました💨💨💨
そこで仲良くなった人が偶然ジュンちゃんと同じ作業所で活動していて、
「遊びにおいでよ」
「じゃー、行くわ」(^○^)
その作業所には「印刷部」があったので、同人誌などの印刷を発注したりして、遠距離ではありますが、だんだん友達も増えていきました。
そうなると、
「なおちゃんが、泊まっちゃえば、ゆっくり楽しめるよ」となりまして、誰かの家でごろ寝させてもらった記憶があります(-_-)zzz
今のようなヘルパー制度もないので付き合ってくれるボランティアさんを募り、みんな不自由ななりに協力し合い「大人の女」の話に花を咲かせていました 🍰🍗🍺

ところが・・・しょうがい者の自立についての講演会で、
「ある事情から、家出して、友だちのアパートに仮住まいしながら不動産めぐりをし、独立できた重度しょうがい者」のエピソードを聞き、
「その人、ジュンちゃんかも!」と、ビビビッときました、ワタクシメ。

友達に詳しい事情を聞いてみると・・・
ジュンちゃんはご両親と暮らしていましたが、「ある事情」から施設入所を強いられます。
しかし彼女は住み慣れた街で慣れ親しんだ仲間たちと暮らすことを選択しました!
ご両親は「施設の方が苦労が少ないだろう」と考えたようですが、
ジュンちゃんは「自由」を求め、いばらの道を進みました。
ご両親に気づかれぬように毎日少しずつ身の回りの物を運び出したそうです👜

仲間たちの応援があったでしょうが、全身マヒで言語障害もある女性が「家出」という手段で自立するとは❗❕❗
ワタクシメは甘えん坊で、そんな勇気はありません。
恥ずかしくなります(/ω\)

ジュンちゃんの🏠お城@アパートにも泊まりに行きましたが、ご近所さんも親切で安心しました。
やはりジュンちゃんの人柄が、周りの心を動かすのだと思います。

結婚したんだよ🥰

10年くらい前に、ン10年ぶりに小学校時代の先生もお誘いして、同窓会をしました。
そしたらジュンちゃんがニタニタと、
「結婚してさー、やっと公営住宅に入れたよ。ラッキー」と、こんな感じで近況報告しました。
ワタクシメはジュンちゃんの「爆弾報告」には免疫がありますが●~*
養護学校時代の「ジュンちゃん」しか知らない先生方はものすごく驚かれていました。

同窓生たちで、
「次に集まる時は旦那も連れて来て!」とリクエストしたら、ほんとーにくっついて来て、おもしろかったです👏 👏 👏
でも旦那様も重度しょうがい者で、ご夫妻にそれぞれヘルパーが付いているので、いろんないろんなご苦労があると察しられました(。-_-。)

「結婚祝い」と銘打って、二人のスウィートホームを荒らしに行きたかったんですが、現在のジュンちゃん宅はマジ遠い💦
それでグズグズしていたら、コロナ禍になり、ワタクシメは病気になり💧💧💧
今回の「作品展示会」は場所的に行きにくく見送ります <(_ _)>

でも案内をもらい本当に嬉しく誇らしいです\(^o^)/

✨✨✨ おめでとう ジュンちゃん ✨✨✨
これからもご夫妻で、たくさんの「夢」を叶えて行って下さい。

  ↓ 写真はお家でのワンショット

  

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オシッコ オシッコ 🚽  鬼リハ番外編 👹

2024年09月26日 | 日記
「ねんざ話」でご心配をお掛けました_(_^_)_

前回チョロッとねんざのことを書いたら、「大丈夫ですか?」とメッセージをたくさんいただきました💦
皆さんに気に掛けていただいていることを再認識し、嬉しいやら、恥ずかしいやら。。。
ありがとうございます💞

夏ごろから、トイレの練習を実践に移行してるんです😣

👹鬼リハで「トイレの練習をしている」と、だいぶ前に書きました。
前回ココに写真を載せましたが、「立位保持」も安定してきて、少しは足を動かせるようになったので、リハビリ中に「トイレの練習」はしなくなりました。
リハビリのお兄さんたちが「トイレ介助」するわけではないので、あとはヘルパーさんたちと「実践」を重ねる段階です。

ワタクシメの理想は「リハビリパンツ@リハパン」にパットを入れて、昼間は過ごすことでした。
でもワタクシメは毎日半日はベッド上でPC操作をしているので、トイレの度にPCを片付け、車いすに移り、トイレでひと踏ん張り・・・これを1日に何度も繰り返すのはキツイので、なかなか「最初の一歩」が踏み出せずにいました⤵

そんな時「一日一回はトイレに行くことから始めれば」と言ってくれる人がいて、
「それもそうだなー」とワタクシメ。

👹鬼リハでは「オムツ卒業!」が目標ですが、ヘルパーさんたちは、
「トイレでは、リハビリじゃなくて、オシッコするのよ」と、違うベクトルでいろいろ考えてくれています!

今のところ、トイレで「テープ式オムツ」を外し、便座に座りオシッコー.。o○
車椅子から便座に移る時、滑らないようにスニーカーを履きます。
一番の難関は「ズボンを下げるタイミング」
3分くらい軽く「立位保持」ができるようになったのに、トイレの中だと不安定になり、なかなかズボンを下げてもらえないのです。
ワタクシメのお腹には「パウチ@排便袋」がついているため、ズボンを下ろす時それにも注意を払います。
誤ってパウチのキャッブを引っ張ったりしたら、💩便まで流れて大惨事です ●~*
それで苦戦している間に尻餅をつき、「ねんざ」しました💧💧💧

ねんざのことは、そっちに置いといて、話を戻しますと・・・

出すモノを出した後は「すっぽんぽん」に近い姿で車椅子でベッドに戻り、「テープ式オムツ」を付けてもらいます。
「立位保持」が完ぺきにならないと、ズボンを上げてもらうのはかなり難しいので、「リハパンへの移行」は気長に取り組むことにしました(*^^)v

トイレの失敗 あれやこれや😂


トイレの便座に座るようになった当初、
「オシッコが出ないよー」と泣きました、ワタクシメ。
ずっと寝ていることが多かったので、身体が「便座でオシッコすること」を忘れてしまった感じです。
便座の上でお茶を飲んだり、お腹をもんで、やっと、たらたら💧
「ぼちゃぼちゃー」っとオシッコが流れ出る音がすると、ヘルパーさんと一緒に、
「やったぁ」「出たー」と一喜一憂しています \(^o^)/

ワタクシメは年齢的なこともあり「腹圧失禁」しちゃうんです。
リハビリ中の写真で察しがつくかも知れませんが、踏ん張って立ち上がるので、尚更漏れます😢
おまるの前でオモラシしちゃう子どもみたい(>_<)
「せっかくトイレまで来たのに、ザンネ~ン」

ワタクシメがいろんな失敗してもヘルパーさんたちは動じません👍
ねんざした時も、
「ここで一旦休むとトラウマになるから、やりましょう」と、創意工夫してくれています。
有難いです。

「ねんざ」の教訓

👹鬼リハのお兄さんが考えてくれた「動き方」にとらわれ過ぎないことです。
ヘルパーさんは毎日変わるし、体調も変わるわけだから、その日その日で臨機応変に対応することが重要!

それから、ワタクシメは「人工股関節」も入っていることを忘れないこと(@_@)
正直なところ、尻餅ついた瞬間、
「あー、脱臼したらアウトじゃん✖」と思い出しました、ワタクシメ。

ねんざよりも「脱臼」を心配し、オヤジ様の力も借り、ベッドに戻ったのです。
床に長座しようとしたらダルマみたいに転がってしまい、「腹筋」も思っていた以上に回復してないことを痛感し・・・
もろもろな面で落ち込みました😥

なんだかんだありますが、すべてが「学び」です💨💨💨

ちなみに「本日のオシッコ」は上手くできました🌸


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👹鬼リハ  立ち上がれるようになりたいよー😫

2024年09月22日 | 日記
久しぶりの「👹鬼リハ」ネタです!

実は春から鬼ヶ島看護ステーションのメンバーに入れ替わりがありました。
入れ替わっても「👹鬼リハ路線」は何も変わらず💦
ブログ用写真に協力してくれるのは例の「ネズミーランド君@プロフェッショナル様」だけなんですが(笑)
他のお兄さんやお姉さんは猛暑にも負けず、台風に立ち向かい、毎日訪問してくれています🚲

自力で立ち上がりたい!

立ち上がりを補助してもらえば、かなりしっかり「立位保持」はできるようになりました、ワタクシメ。
しかし、自力で立ち上がれなきゃ自由に動けません。
現在の最大の課題は「立ち上がり」です。

👹鬼リハの前夜、予習のためにYouTubeで「身体の動かし方」の動画を探していたら、突然、数年前の鬼ヶ島看護ステーションのPRVが出て来ました🎦
登場するスタッフは退職者ばかりです😱
ちょうど「お盆シーズン」だったので、思わず合掌してしまいました🙏
その後YouTubeがつながらなくなったので、「退職者のノロイ」を感じ(笑)、動画を鬼リハの参考にするのはやめました⤵

やっぱりさー、「リハビリ」は理屈じゃなくて、実践だよね👍

ある日ワタクシメが、
「立ち上がりの時、スキーのジャンプをイメージすれはいいかなー?」と言うと、
とっても若いお兄さんが👦、
「その通りです。ぼくはいつも、そのようにアドバイスしいます」ときたもんだ。
「そういう後出しジャンケンしないでよ💢」
そのお兄さんは、ワタクシメが「立ち上がり訓練をする」と言っているのに、
「まずは立位保持から始めましょう」とニコニコ。
「子どもと喧嘩しても仕方ない」、そんな気分で(o|o) ワタクシメが、
「ほんなら軽く3分やるわ」とポジションにつくと、とっても若いお兄さんはタイマーを隠して、
「時間じゃなくて、自分を超えるんだ⚾」
ワタクシメは笑っちゃって・・・崩れました.。o○

ほんとーに「👹鬼リハ」は楽しいなーと自己暗示にかけて、がんばってるワタクシメの写真  ↓

①勢いをつけて、頭から車椅子を飛び出す、イメージ。



②車椅子からお尻を浮かせる、イメージ。



③ここまで来れば、こっちのモンだ(*^^)v



④しかし、問題は足の裏が床についていないこと💧
 手すりに触れる程度で「立位保持」できるまでになりましたが、足首がうまく動かないので「ねんざ」しました。



「ねんざ話」は日を改めて💨💨💨


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ぼうけん・ぼうけん ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ

2024年09月21日 | 日記
先日ここにに書いた通り、数年ぶりに電車に乗り、お出掛け・お出掛け♿

オストメイトになったからも「排便バッグ」をぶら下げて、お出掛けができるようになりましたが、電車に乗るのは初めてで、家を出るまでの支度に手間取ったりしました。
病気をする前は電動車椅子でどこにでも行っちゃいましたが、未だに手元のコントロールが危なっかしくて、「遠出」の際は手動車椅子に乗り、ヘルパーさんに押してもらっています。
が・・・ワタクシメの「手動車椅子」はポンコツなので😅 その時だけ「社協の貸し出し車椅子」を拝借しています。
我が家と隣接する「住区センター」が窓口になっているので、「顔パス」で利用させていただいています。
※「顔パス」でも、ちゃんと手続きはしますよー👌
とにかく・・・手押し車椅子を予約して借りる所から、ワタクシメの「お出掛け」は始まるんです💦
「お腹」の具合を薬や飲食物で調整したり、「大変」といえば、とっても大変ですが・・・
このカラダで生きていくためには、ぼうけんするのみですかねp(^o^)q

古田足日のぼうけん 企画展」に行ってきました!

会場の神奈川近代文学館は思った以上に坂の上にあり、ヘルパーさんは大変でしたが、私はすごく充実した時間が過ごせました。
古田足日先生の代表作「おしいれのぼうけん」を編集されて酒井京子さんの「制作秘話」は勉強になりましたが、
映画のようにドラマチックで迫力があり、感激しました!

本には「文・古田足日 絵・田畑精一」としか書かれていませんが、編集の酒井京子さんを筆頭に、紙問屋さんや印刷屋さんや整本屋さん・・・裏方さん達の労を惜しまない情熱で完成した作品であることを知りました!

「おしいれのぼうけん」は一例ですが、名作を創られた方々と出会い、多少なりともお付き合いさせていただけたことを、改めて感謝したワタクシメであります💓

お声掛け下さった長野ヒデ子さんを始め、懐かしい方々にもお会いでき楽しかったです。
  ↓ 写真は「港の見える丘公園」




おしいれのぼうけん」をご存知ない方のために📖




物語【ネットより抜粋】

「さくら保育園」に通う、あきらとさとし。
お昼寝前に、ミニカーのとりっこでけんかをした二人は、先生に叱られておしいれに入れられてしまいます。
そこで出会ったのは、地下の世界に住む恐ろしいねずみばあさんでした。
ふたりをやっつけようと、追いかけてくるねずみばあさん。
でも、さとしとあきらは決してあきらめず、手をつないで走りつづけます。
80ページものボリュームがありながら、かけぬけるように展開するふたりの大冒険。
1974年の刊行以来多くの子どもたちが夢中になり、版を重ねるロングセラー絵本。

『おしいれのぼうけん』は、古田足日・田畑精一による絵本。
1974年と1980年に童心社より出版され、2012年夏には累計部数が200万部を突破。
出版50年となる2024年時点の発行部数は250万部。



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「没後10年 古田足日のぼうけん」  企画展

2024年09月13日 | 日記
数年ぶりに電車でお出掛けします🚈

お世話になった古田足日先生が亡くなられ、もう10年になるのですね😢
とてもお優しい方でしたが「児童文学」に対する情熱は晩年になっても衰えることはなく、
「平和への思い」を語る姿が懐かしいです!

我が家から電車で一本の所で「企画展」が開催されているので、少し涼しくなったら行くつもりでしたが、
「どうせなら、講演の日にいらっしゃいな」とお誘いがあり📧
残暑に立ち向かい、9/15に行くことにしました♿

体調不良から始まりコロナ禍もあり、長らく「一般交通機関」を利用していませんが・・・何とかなるでしょう💦

もし会場でワタクシメを見掛けたら、お声掛け下さい。
ラブレターを差し上げます💞

解説

絵本や児童文学に興味のない方のために、軽く解説します📖

《ネットより抜粋》
古田足日が画家・田畑精一と共に作った絵本『おしいれのぼうけん』が生まれて、今年で50年です。
同作をはじめ、『宿題ひきうけ株式会社』『ロボット・カミイ』など、子どもの姿をあざやかにとらえた古田の作品は、子どもたちの支持を受けて読み継がれています。
一方で古田は、児童文学の可能性をさぐる評論家としても活躍し、子どもを取りまく社会問題や平和運動にも、その中心となって取り組みました。


「古田足日のぼうけん」記念講演会
「『おしいれのぼうけん』誕生の秘密」  講師・酒井京子
古田足日、田畑精一とともに『おしいれのぼうけん』を生み出した編集者が、作品の制作過程や古田たちとの思い出を語ります。

【講師】酒井京子(童心社会長)
〈プロフィール〉
1969年に童心社に入社。以来、編集者として、多くの紙芝居と絵本の編集に携わる。
古田足日作品では、紙芝居『ロボット・カミイ』『おしいれのぼうけん』『ダンプえんちょうやっつけた』『へび山のあい子』を担当した。
1998年代には童心社表取締役社長に就任。現在は会長。
2001年「紙芝居文化の会」を多くの仲間と共に創立。代表を務め、日本のみならず世界への紙芝居普及にも力を注ぐ。


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