だーばぁの流儀

児童文学作家・岡田なおこブログです。
全身マヒ+オストメイト・作家・アラ還ならではの日々を気ままにつづっています。

ぼうけん・ぼうけん ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ

2024年09月21日 | 日記
先日ここにに書いた通り、数年ぶりに電車に乗り、お出掛け・お出掛け♿

オストメイトになったからも「排便バッグ」をぶら下げて、お出掛けができるようになりましたが、電車に乗るのは初めてで、家を出るまでの支度に手間取ったりしました。
病気をする前は電動車椅子でどこにでも行っちゃいましたが、未だに手元のコントロールが危なっかしくて、「遠出」の際は手動車椅子に乗り、ヘルパーさんに押してもらっています。
が・・・ワタクシメの「手動車椅子」はポンコツなので😅 その時だけ「社協の貸し出し車椅子」を拝借しています。
我が家と隣接する「住区センター」が窓口になっているので、「顔パス」で利用させていただいています。
※「顔パス」でも、ちゃんと手続きはしますよー👌
とにかく・・・手押し車椅子を予約して借りる所から、ワタクシメの「お出掛け」は始まるんです💦
「お腹」の具合を薬や飲食物で調整したり、「大変」といえば、とっても大変ですが・・・
このカラダで生きていくためには、ぼうけんするのみですかねp(^o^)q

古田足日のぼうけん 企画展」に行ってきました!

会場の神奈川近代文学館は思った以上に坂の上にあり、ヘルパーさんは大変でしたが、私はすごく充実した時間が過ごせました。
古田足日先生の代表作「おしいれのぼうけん」を編集されて酒井京子さんの「制作秘話」は勉強になりましたが、
映画のようにドラマチックで迫力があり、感激しました!

本には「文・古田足日 絵・田畑精一」としか書かれていませんが、編集の酒井京子さんを筆頭に、紙問屋さんや印刷屋さんや整本屋さん・・・裏方さん達の労を惜しまない情熱で完成した作品であることを知りました!

「おしいれのぼうけん」は一例ですが、名作を創られた方々と出会い、多少なりともお付き合いさせていただけたことを、改めて感謝したワタクシメであります💓

お声掛け下さった長野ヒデ子さんを始め、懐かしい方々にもお会いでき楽しかったです。
  ↓ 写真は「港の見える丘公園」




おしいれのぼうけん」をご存知ない方のために📖




物語【ネットより抜粋】

「さくら保育園」に通う、あきらとさとし。
お昼寝前に、ミニカーのとりっこでけんかをした二人は、先生に叱られておしいれに入れられてしまいます。
そこで出会ったのは、地下の世界に住む恐ろしいねずみばあさんでした。
ふたりをやっつけようと、追いかけてくるねずみばあさん。
でも、さとしとあきらは決してあきらめず、手をつないで走りつづけます。
80ページものボリュームがありながら、かけぬけるように展開するふたりの大冒険。
1974年の刊行以来多くの子どもたちが夢中になり、版を重ねるロングセラー絵本。

『おしいれのぼうけん』は、古田足日・田畑精一による絵本。
1974年と1980年に童心社より出版され、2012年夏には累計部数が200万部を突破。
出版50年となる2024年時点の発行部数は250万部。



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「没後10年 古田足日のぼうけん」  企画展

2024年09月13日 | 日記
数年ぶりに電車でお出掛けします🚈

お世話になった古田足日先生が亡くなられ、もう10年になるのですね😢
とてもお優しい方でしたが「児童文学」に対する情熱は晩年になっても衰えることはなく、
「平和への思い」を語る姿が懐かしいです!

我が家から電車で一本の所で「企画展」が開催されているので、少し涼しくなったら行くつもりでしたが、
「どうせなら、講演の日にいらっしゃいな」とお誘いがあり📧
残暑に立ち向かい、9/15に行くことにしました♿

体調不良から始まりコロナ禍もあり、長らく「一般交通機関」を利用していませんが・・・何とかなるでしょう💦

もし会場でワタクシメを見掛けたら、お声掛け下さい。
ラブレターを差し上げます💞

解説

絵本や児童文学に興味のない方のために、軽く解説します📖

《ネットより抜粋》
古田足日が画家・田畑精一と共に作った絵本『おしいれのぼうけん』が生まれて、今年で50年です。
同作をはじめ、『宿題ひきうけ株式会社』『ロボット・カミイ』など、子どもの姿をあざやかにとらえた古田の作品は、子どもたちの支持を受けて読み継がれています。
一方で古田は、児童文学の可能性をさぐる評論家としても活躍し、子どもを取りまく社会問題や平和運動にも、その中心となって取り組みました。


「古田足日のぼうけん」記念講演会
「『おしいれのぼうけん』誕生の秘密」  講師・酒井京子
古田足日、田畑精一とともに『おしいれのぼうけん』を生み出した編集者が、作品の制作過程や古田たちとの思い出を語ります。

【講師】酒井京子(童心社会長)
〈プロフィール〉
1969年に童心社に入社。以来、編集者として、多くの紙芝居と絵本の編集に携わる。
古田足日作品では、紙芝居『ロボット・カミイ』『おしいれのぼうけん』『ダンプえんちょうやっつけた』『へび山のあい子』を担当した。
1998年代には童心社表取締役社長に就任。現在は会長。
2001年「紙芝居文化の会」を多くの仲間と共に創立。代表を務め、日本のみならず世界への紙芝居普及にも力を注ぐ。


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読書 あのねのね 📚  はなの街オペラ

2024年09月02日 | 日記
装丁からして魅力的! イラストもおしゃれで可愛いカードのオマケ付 🥰

今回ご紹介する「はなの街オペラ」 森川成美(著), 坂本ヒメミ(絵) くもん出版刊は2021年に発売され、話題になりました。
ワタクシメが今ごろのそのそ感想を書くのは恥ずかしいので、「本の見た目」から書きました (o*。_。)oペコッ




個人的に想い出のある一冊です📖

この本をいただいた時、ワタクシメは股関節の手術の直前で、
「入院中に読んで、森川さんに感想をメールしよう」と思っていました。
殺風景な病室にこの美しい本を飾りました。
股関節の手術は成功し、車いすに座ることからリハビリ開始!
ワタクシメはリハビリの後もベッドに戻らず、真っ先に「はなの街オペラ」のページを開きました。
その様子を見て看護師さんたちは驚き、
「回復が早くてよかった」と喜びを分かち合ってくれたのです。
しかし、その後お腹が苦しくなりました。
ワタクシメは「潰瘍性大腸炎@難病」に掛かっていました。
それはカルテには記載されていたような??? 内科の医師からは聞かされておらず、服薬程度で治療はされていませんでした。
おバカなワタクシメは事態の深刻さに気付かず、
「お腹が治ったら、続きを読もう」と、ずっと枕元にこの本を置き、入退院を繰り返していましたが、
寝たきりが続き手足の筋力が低下して「読書」どころではなくなっていきます。
一昨年、大腸全摘・・・精神的にも落ち着いた昨年から、「デイジー図書@音声図書」を利用するようになりました。
これまでも書きましたが「音訳」には時間がかかります。
図書館に「デイジー図書 作成リクエスト」をしてからも、ワタクシメは本書の美しいな装丁を眺めて、ずいぶん慰められまたした p(^o^)q

やっと「デイジー図書」で中身を味わいましたよ!

出版社からのコメントにある
―人生いろいろなことがあるよね。でも、どんなときだってこういう瞬間があれば、救われるっていうもんだ―
これは森川さんからワタクシメへのエールのようです💓
作者はすべての読者に「エール」を贈るつもりで、書き上げたのだと思います。

この作品は「朝ドラ」になりそうな物語です。
読んでいると「オペラ」が聴こえてきそうです🎵
「挿絵」がハイカラで、大正ロマン満載です。

毎度書いておきますが、「児童文学」は子ども向けのモノではなく、「子どもから楽しめる読み物」です。
ページ組や書体など、読みやすく工夫してありますから、老眼で読書がキツクなったなーという方にオススメします👓
もちろんティーンエイジャーの皆さん、時代は違っても挫けず夢を追い求める主人公・はなの青春ドラマをお楽しみ下さい🌺


内容紹介 出版社から

―人生いろいろなことがあるよね。でも、どんなときだってこういう瞬間があれば、救われるっていうもんだ―

時は、大正時代。
宇都宮で生まれたはなは、東京の井野家に奉公に出ることになる。
井野家の主人、一郎の仕事は、夢の街・浅草でオペラを上演する歌劇団。
なれない都会暮らし、なれない奉公に、はじめのうちはとまどうはなだったが、ひょんなことから、井野家の書生として音楽学校に通いながら、一郎の劇団を手伝う響之介に見いだされ、歌のレッスンをうけることになる。
おさない頃から歌うことが好きだったはなは、響之介の指導や、浅草オペラとの出会いを経て、次第にオペラに関心をもつようになる。
そんなあるとき、響之介が井野を裏切り、自分の劇団を立ち上げたという知らせが届いて……
困難な状況にある人々が、逆境のなかでも、音楽の力を信じ、音楽に励まされながら、明日へ進んでいく物語。

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武井武夫 生誕130年展

2024年08月26日 | 日記
猛暑で引きこもりなんですが、昨年に引き続き、地元の目黒美術館に行ってきました💦

今回は「武井武夫 生誕130年展」
もう終了しましたが・・・ゆっくり鑑賞してきました。

ウィキペディアより抜粋。
武井 武雄(1894年〈明治27年〉~1983年〈昭和58年〉)
童画家、版画家、童話作家、造本作家として活躍。

長野県諏訪郡平野村(現岡谷市)西堀の裕福な地主の家に生まれる。
武井家は諏訪藩で御中小姓を代々務め、藩の御用のかたわら、私塾を開き地域の子ども達の教育に熱心に取り組んだ。
武雄の父慶一郎も平野村長を務めるなど地域に貢献した人物であった。
その一人息子である武雄は、幼い頃は病弱で、多くの時間を家の中で過ごし、友達も少なかった。
そこで空想の中に「妖精ミト」という友達を創り出し、童話の世界で一緒に遊んでいた。
この経験は、生涯武井の中から消えることはなく、童画を描く原点になったのではないかといわれている。

1913年 - 長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)卒業。
1919年 - 東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科卒業。 
1922年 - 東京社が創刊した絵雑誌『コドモノクニ』創刊号のタイトル文字及び表紙絵を担当、
    その後絵画部門の責任者(絵画主任)となる。
1923年 - 処女童話集『お伽の卵』出版。
1925年 - 初の個展を開催。このときに用いられた「童画」という言葉がのちに定着する。
1927年 - 日本童画家協会を結成。 後略。

以上のプロフィールを見ただけでも、武井武夫氏が現代の児童文化の礎を築いたことがわかります。

「裕福な旧家」「病弱な子」「妖精が友達」「地域貢献」・・・
ここまでは、ありがちなエピソードです。
ワタクシメも「旧家に生まれ」「病弱?」「妖精が友達」でした。
ただ一つ違うのは、なおちゃんはおバカさんだったのです🤣

冗談です (o*。_。)oペコッ
 
明治‐対象は、裕福な家に生まれ才能があれば「作品を創り楽しむ」というだけでも良かった時代だと思うんです。
しかし武井武夫氏は、
童話の添え物として軽視されていた子ども向けの絵を「童画」と命名し、芸術性を高めていきます。
そもそも当時は「子ども向けの文化」は軽んじられていましたから、
『コドモノクニ』をはじめとした児童雑誌の挿画、版画、おもちゃの研究・創作などなど多岐多彩な分野に打ち込み道を切り拓いたバイタリティーは猛烈だったことでしょう。

原画や版木、創作過程などが展示されていましたが、大胆な構図や幾何学的な描線は、まったく古びていません。
現代なら「デジタル」で制作するようなモノを手作業で仕上げてありました!
時代の先の先を見越したような作品に、ワタクシメは魅了され、そういった作品を楽しみながら育った世代であることに感謝します。





黒柳徹子さんとのエピソード

1983年の1月、若かりし頃の徹子さんが、売れっ子で多忙の武井武夫氏に、
「先生、私、絵本を書こうと思っているんです。木が木にとまりたかった、というお話に、絵を描いてほしいんですけど」とお願いしたら、思いがけず「うん、いいよ」とご快諾。。

「キツツキとかリスとか、色々出るんですけど」
「ああ、いいよ、いいよ」
「ペンギンも出るんです」
「お安い御用」
そんなわくわくするお話しから2週間ぐらいで、武夫氏はあっという間に亡くなってしまいました。
残念がっている徹子さんが、武夫氏のお嬢さんの武井三春さんに「なんとかして絵本にできないかしら」と相談すると、
三春さんが「木や鳥や海ならたくさんある」と。
その時点では徹子さんは文章は描けていませんでしたが、急いで完成させ三春さんにFAXしました。
そうしたら、お話にあう絵が、大体全部あったそうです。
三春さんは、武井氏の描かれたものを整理して、徹子さんが書いた童話、それぞれのページにぴったりの絵を探し出してくださいました。

それが「木にとまりたかった木のはなし」です。
武夫氏と徹子さん、お二人の奇才が「奇跡」を起こした一冊です📖
とても可愛らしい作品ですよ🌳




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🎬 映画「大河への道」

2024年08月09日 | 日記
伊能忠敬つながりです

前回は真面目な「伊能忠敬の伝記」をご紹介しましたが、今回は立川志の輔の創作落語「大河への道―伊能忠敬物語―」を基に制作された映画を「推し!」ます。
コメディーではありますが、伊能忠敬が故郷の千葉県香取市では「チューケイさん」の愛称で親しまれている郷土の偉人であることがわかり、これを観てワタクシメは「伊能忠敬ファン」になりました。

プライムビデオでたまたま観たのですが、ほんとーにおもしろいし、「チューケイさん愛💓」が満ち溢れています。
伊能忠敬をリスペクトした上での落語であり、映画だと思います。

あらすじ・映画作品紹介より そして感想

『大河への道』は、2022年5月20日に公開された日本映画。
主演は中井貴一で、本作では企画も兼任しています。
立川志の輔の創作落語『伊能忠敬物語 -大河への道-』が原作

千葉県香取市役所で働く総務課の主任、池本保治は、市の観光振興策を検討する会議で大河ドラマの製作を提案。
苦し紛れの策だったものの提案が通ってしまい、池本を中心に、郷土の偉人「伊能忠敬」の大河ドラマの企画が始ますが、企画が進行するにつれ、伊能が日本地図完成の3年前に亡くなっていたことが発覚して、さー大変●~*

この映画は、令和の「日本地図を作ったのは実は伊能忠敬ではない」という噂に右往左往する大河ドラマ制作陣の姿と、
江戸時代の「伊能忠敬による日本地図完成を巡る秘話」を交差させながら描いているところがユニークで痛快です。
そして、地図を完成させるために伊能の弟子たちが命懸けで挑んだ「隠密作戦」にハラハラドキドキ。

キャスト陣が令和と江戸の時代で繰り広げられる物語を一人二役で演じるのも、おもしろいのです。
出演は、中井貴一、松山ケンイチ、北川景子、岸井ゆきの、立川志の輔、草刈正雄ら。

原作となった『伊能忠敬物語 -大河への道-』は、立川志の輔が伊能忠敬記念館を訪れた際に伊能忠敬が製作した日本地図を観た際の感動を落語として創作したものであり、この演目を鑑賞した中井貴一から映画化の直談判を受けたそうです。
企画・主演の中井貴一はインタビューで、
「数少なくなった時代劇を日本の文化や伝統として残すという行為が容易ではないと承知の上で、肩肘を張った時代劇を作っても観てもらえる可能性は低い。
しかし、志の輔のこの創作落語を映像化したならば、様々な垣根を超えて鑑賞しやすい形の映画が作れると思った」と語っています。
その言葉通りの作品になっていると思います、ワタクシメ👩

歴史に残る「伊能忠敬の偉業」を軸にしながらも、本人ではくその弟子や関係する人々に焦点を当てている所もこの映画を魅力的にしています。

「オリンピック観戦」に飽きた方は、ぜひご鑑賞ください🏁


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