奈良のむし探検

奈良に引っ越しました。これまでの「廊下のむし探検」に倣って「奈良のむし探検」としましたが、動物・植物なんでも調べます。

中宮寺跡と藤ノ木古墳

2021-10-26 20:51:45 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第259弾


昨日今日と東京の八王子に行ってきました。久しぶりの関東だったのですが、天気はあまりよくなく、ちょっと寒く感じられました。新幹線で京都から新横浜まで行ったのですが、意外に時間が短く感じられました。一方、大和郡山から京都までの近鉄と新横浜から八王子までの横浜線はずいぶん時間がかかったような印象でした。昼過ぎに家に戻ってきたのですが、しばらく休んでから、今慌てて溜まっている写真の整理をしています。今日は10月14日のお昼に行った中宮寺跡と藤ノ木古墳の見学とその周辺のコスモス見物です。





これは中宮寺跡です。コスモスの時期には臨時駐車場が用意されるので、車で簡単に行けました。現在の中宮寺は法隆寺の東側にくっついているのですが、もともとはそこから500mほど東にある、この場所にあったようです。三重塔と金堂の礎石跡が残っているのですが、両者が意外に近く配置されています。もともと聖徳太子が母・穴穂部間人皇女(間人皇后)の宮殿を寺にしたもので、全体にコンパクトに造られていたようです。戦国時代に炎上したので、法隆寺の子院に避難して、そのままになっているようです。









礎石跡の西側にはコスモス畑が広がっていました。



中宮寺跡の北側にもコスモス畑がありました。



ここから車で法隆寺に行き、法隆寺駐車場に止めて、歩いて藤ノ木古墳に向かいました。



綺麗な円墳で、周りは公園風に整備されていました。



周辺をずっと歩いて行けます。







石室の入り口もありました。入り口に近づくと、人感センサーがあって中を照らしてくれるので、石棺を見ることができます。



古墳から南へ300mほど離れたところに斑鳩文化財センターがありました。藤ノ木古墳のところに文化財センターがあるという看板があったのですが、どうせ小さな建物だろうと思っていたら、意外に立派な建物が建てられていました。



入り口には赤く塗られた、復元された石棺が置いてありました。建物の中は石室入り口の復元と副葬品の復元品が飾られていました。復元だとしてもあまりに見事な細工ばかりで見入ってしまいました。これは一見の価値があります。ただ、石棺の内部は意外に狭く、この中に二人も埋葬されていたと書かれていたので驚きました。入り口にボランティアの人がおられたので、これはみな復元品なのかと尋ねました。みな復元品だが、本物は橿原考古学研究所に保管されていて、年3回ほど里帰りするとのことでした。また、二人が埋葬されていたとのことだが二人が入るには少し狭いのではと尋ねると、これは私の意見なのだがと断った上で、6世紀終わりに用明天皇が崩御された後、跡継ぎを巡って物部氏と蘇我氏との間に争いがあり、物部氏の穴穂部皇子と宅部皇子が続けて誅殺されたので、その二人の皇子のための墓ではないかという話でした。確かに、副葬品も大変立派なものが多いので皇子の墓というのも頷ける話です。



帰りは藤ノ木古墳に戻り、そこから法隆寺まで歩きました。その途中にあったコスモス畑です。この辺り、あちこちにコスモス畑があります。







ついでに撮った植物の写真も載せておきます。これは藤ノ木古墳の周辺にありました。翼のある変わった種をしています。それに、葉の鋸歯が目立ちます。この辺りを手掛かりに探すと、アキニレではないかと思いました。





法隆寺の近くでアシナガバチが2匹取っ組み合いをしていました。胸背と腹の模様からセグロアシナガバチかなと思いました。