奈良のむし探検

奈良に引っ越しました。これまでの「廊下のむし探検」に倣って「奈良のむし探検」としましたが、動物・植物なんでも調べます。

般若寺の水仙と南市恵比須神社

2023-01-16 21:32:58 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第690弾


1月12日に奈良市にある般若寺に行ってみました。ここは関西花の寺として知られているので、スイセンが咲き始めているかもと思って。寺伝によると、般若寺は飛鳥時代に高句麗の慧灌(えかん)法師により開かれ、平城京遷都後は聖武天皇が平城京の鬼門を守るために「大般若経」を塔の基壇に収め、卒塔婆を建てられたのが寺名の起こりとされているそうです。



般若寺は東大寺のちょっと北にあります。入り口の前には駐車場があるので、そこに車を止めました。拝観料は500円、駐車料は500円。入り口を入ると、いきなり右に大きな石塔が目に入ります。



これは十三重石寶塔で、高さが14.2mもあります。1253年ごろに宋の石工が建てたとされていて、重文になっています。



すぐ横には石寶塔の上に置かれていたもともとの石造相輪が置かれていました。



石寶塔の各側面にはこんな仏像の彫り物が彫られています。







こちらが本堂です。戦国時代に旧金堂が焼けた後、1667年に再建されたものです。本堂の中にはご本尊として八字文殊菩薩騎獅像が置かれていました。獅子の上に文殊菩薩が座っている像で、1324年に造られ、重文になっています。





本堂の縁にはこんな獅子のついた椅子が置かれていました。「なりきり文殊パネル」と書かれ、この上に座り、頭に丸い球がいくつかついたカチューシャをつけ、手には蓮の花をもって写真を撮るようになっていました。





さて、肝心の水仙なのですが、広い庭にぽつぽつと咲いている状態でした。もともとここはコスモス寺として有名なので、空き地にはコスモスが植えられるようです。





それでも、水仙の花のこんな装飾が置かれていました。







本堂の周りには石造りの仏像がずらっと並んでいます。これは三十三所観音石像で江戸時代の1703年に病気平癒の御礼に寄進されたものだそうです。



これは笠塔婆で宋人の石工が1261年に父親の一周忌の供養に建てられたものだそうです。やはり重文になっています。



そして、これは一切経を収納する経蔵で重文になっています。



こちらは楼門で鎌倉時代の作ということで国宝になっています。



こんなに重文と国宝の塊のようなお寺なのですが、境内はちょっと荒れ果てた感がありました。これは伊勢、春日、八幡の三社を合祀する鎮守社なのですが、明治時代の神仏分離令で神社が切り離された寺が多い中で、生き残った神社です。でも、崩壊寸前の状態でした。



境内には石像や供養塔などが所狭しと並んでいるのですが、何となく雑然とした感じです。面白いものではこんな「力だめしの石」が置かれていました。南北朝の頃、後醍醐天皇側に加勢し、六波羅勢に大石を投げつけた般若寺の僧のように大石を持ってみようというものです。一番右が20kg、その横が30kg、一番左が50kgのようです。もちろん、私は持ちませんでした。





最後に水仙と石仏を一緒に撮ってみました。

般若寺を見終わった後、県庁の駐車場に車を止め、餅飯殿センター街の東側にある南市恵比須神社に行ってみました。えびす神社というと普通、正月10日が十日戎のお祭りなのですが、ここでは五日戎なので、どんなところか見ておこうと思ったのです。









民家の並ぶ一角にこんな真っ赤に塗られた神社がありました。もともと奈良には南都三市と呼ばれた高天市、北市、南市という三カ所の市場があって、正月五日に初市が行われていたとのことです。そこで、その初市に合わせて祭礼を行うようになったとのことです。