奈良散策 第286弾
11月17日午前中に家族と帯解寺に行きました。今ちょうど、秘宝・秘仏公開をしているので、いい機会だと思って行ってみました。帯解寺は奈良市にあるのですが、大和郡山市のすぐ東にあるので、車だと10分くらいで着きます。それで、いつでも行けると思ってこれまで行きませんでした。途中の道が狭いのと、秘宝・秘仏公開で駐車場がいっぱいならばどうしようかと心配だったのですが、行ってみると、駐車場はガラガラ。車を道路沿いの駐車場に止めてから、お寺に行ってみました。
帯解寺の入り口を撮ったものです。帯解寺のいわれを読むと、今から1000年ほど前に、文徳天皇の御妃が、お子さんが産まれなくて悩んでいたときに、帯解子安地蔵菩薩にお祈りしたら無事にご懐妊され、後の清和天皇が産まれたそうです。それで、文徳天皇が喜び、858年に伽藍を建立し、これまで霊松庵と呼ばれていた寺号を帯解寺にしたとのことです。その後も、皇室を初めとした安産・求子祈願霊場として知られているようで、特に皇室との関係が深いお寺です。
こちらは本堂です。
これは信徒会館の清和閣で、こちらでお手洗いをお借りしたら、実は、ここが秘仏・秘宝の拝観場所でした。初めに曼荼羅図や掛け軸などの秘宝を見ました。女性の方に面白く説明していただいたのでよく分かりました。近松門左衛門や志賀直哉の書などがあり、かなりのお宝ではないかと思いました。でも、ガラス張りではなく、壁に所狭しと置かれていました。虫干しを兼ねて公開しているとのことでした。2階は秘仏の展示場で、ボランティアの人に面白おかしく説明していただきました。ここには愛染明王坐像、不動明王座像、虚空蔵菩薩坐像などたくさん展示されていました。平安時代や鎌倉時代の作のものが多いのですが、あまりに身近に置かれていて、修復されてきたので、国宝や重文の指定にはならないと言われていました。ここから本堂に向かいました。ちょうど御祈祷中だったのですが、その横を通って、本尊の帯解子安地蔵菩薩像を拝観することができました。これは重文指定です。檜の寄せ木造りで、ふくよかな感じのする立派な地蔵菩薩像でした。
これは本堂を出たところの写真です。
清和閣に戻る時に見た石庭です。
清和閣の向こうにある新御堂です。
帯解寺の拝観を終わり、次いでだからと近くにある八坂神社と龍象寺に寄り、さらにちょっと離れたところにある八坂神社に行きました。
入り口にあったイヌマキの実です。
神社の中に圓満寺というお寺があります。
ここにはこんな算額があります。天保15年(1844年)に地元の人が算数の問題を考えて献上したもののようです。最初の問題は一辺6尺の正三角形の中に正六角形を入れると、辺の長さはどうなるかという問題で、答えは2尺です。次は星型の中心の正六角形の一辺を3尺とすると、六角形と周囲の三角形に内接する円の直径はという問題です。答えは5.196尺と1.732尺です。いずれも3の平方根を計算しないといけません。どうやって計算したのだろう。3番目の問題は問題文がよく分かりませんでした。
さらに離れたところにあるベンショ塚古墳にも行ってみました。説明によると、古墳時代中期の5世紀前半のこの地方の豪族の前方後円墳だとのことです。奈良市教育委員会の出している「奈良市埋蔵文化財調査概要報告書平成2年度」には、「ベンショ塚古墳の調査」という記事が載っています。それによると、この古墳の後円部頂上に神社を作るという申し出があり、話し合いがもたれたのですが、折り合いがつかず、神社を作る直前の2日間だけ頂上部分の発掘調査が行われたそうです。そのほかの部分は2か月ちょっと発掘調査が行われ、全部で3基の粘土槨の石室と木棺が見つかったとのことです。盗掘が行われていたのですが、1つの木棺からは甲冑や装身具などが発見されたそうです。
その登り口です。
そして頂上にある神社です。森常稲荷大明神と書かれていました。
最後に。帰りに見たネコです。ずいぶん整った顔をしていました。
雑談)今日は矢田丘陵を松尾寺から子供の森まで往復してきました。片道1時間半くらいの行程なので、合計3時間ほどかかりました。今日は休みなので、歩く人、ジョギングする人がいたのですが、特にマウンテンバイクに乗ったいくつかのグループに会いました。全部で30台くらいの自転車が走っていきました。道もバイク用の平らな道と、歩く人のための山道が入り混じっていて、途中、道がよく分からないところがありました。でも、久しぶりのハイキングで気持ちがよかったです。
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