5月9日から11日まで松阪・伊勢・鳥羽へ旅行に行きました。2日目の10日は伊勢神宮内宮に行った後、倭姫宮(やまとひめのみや)に行きました。

内宮にお参りしてからおかげ横丁で昼食を食べ、バスで五十鈴川駅へ行きました。そこからタクシーに乗って倭姫宮に行きました。倭姫宮は神宮の文化施設である神宮徴古館、神宮美術館、神宮農業館などがある「神宮の博物館」にあります。それで、タクシーの運転手に神宮徴古館までと言ったら、立派な神宮徴古館の前に着きました。


でも、倭姫宮に行くにはちょっと行きすぎていました。それで、「神宮の博物館」の入り口まで戻りました。



小さな神社だろうと思っていたら、ずいぶん立派な神社でした。倭姫命は天照大御神をお祀りする場所を現在の伊勢の地に定めた皇女で、その功績を称えて倭姫宮が造られました。

中は森が深く、まるで伊勢神宮内宮を歩いているような気分になりました。


折角なので、途中の植物を見て歩きました。これはキジノオシダ。


これはハナミョウガ。昨年、外宮でも見ました。

参道はまだまだ続きます。




変わったシダがありました。

それで、一応、ソーラス(胞子嚢)を撮っておきました。帰ってから調べると、チャセンシダ科のクルマシダのようです。

階段が見えてきました。この上に倭姫宮があるようです。


石にはこんな模様がついていました。おそらく、地衣類でしょうね。

階段を上がると倭姫宮が見えてきました。

これは手水舎(てみずしゃ)。

そして、これは祓所(はらえど)です。

これが倭姫宮です。お参りしてる人がおられたので、少し手前で待っていました。


その横には式年遷宮のための場所が用意されていました。

柱に蛾が止まっていました。スジベニコケガですね。





これが倭姫宮です。伊勢神宮内宮の正宮と一緒で大変質素な造りです。まだ、新しい感じがしますが、大正十二年に神宮でもっとも新しい別宮として創建されたそうです。もともと、第十代崇神天皇の御代に天照大御神と倭大国魂神の二神を宮中に祀っていたのですが、神の勢いを恐れて、二神共に宮の外で祀ることにしました。崇神天皇は皇女の豊鋤入姫命(とよすきいりびめのみこと)を御杖代(みつえしろ)として、天照大御神を笠縫邑(かさぬいむら)にお祀りしましたが、その後、神の鎮座される場所を求めて各地を巡ることになります。やがて、第十一代垂仁天皇の御代になり、その皇女の倭姫命が引き継ぎ、大和から伊賀、近江、美濃などを巡った末に、伊勢の地にたどり着いたという話になっています(「図解伊勢神宮」による)。


お参りをした後、別の道を歩いていたら、意外に近くに別の鳥居がありました。こちらから入ればもっと近かったのでしょうね。この後、神宮徴古館に向かったのですが、その話は次回に回します。

内宮にお参りしてからおかげ横丁で昼食を食べ、バスで五十鈴川駅へ行きました。そこからタクシーに乗って倭姫宮に行きました。倭姫宮は神宮の文化施設である神宮徴古館、神宮美術館、神宮農業館などがある「神宮の博物館」にあります。それで、タクシーの運転手に神宮徴古館までと言ったら、立派な神宮徴古館の前に着きました。


でも、倭姫宮に行くにはちょっと行きすぎていました。それで、「神宮の博物館」の入り口まで戻りました。



小さな神社だろうと思っていたら、ずいぶん立派な神社でした。倭姫命は天照大御神をお祀りする場所を現在の伊勢の地に定めた皇女で、その功績を称えて倭姫宮が造られました。

中は森が深く、まるで伊勢神宮内宮を歩いているような気分になりました。


折角なので、途中の植物を見て歩きました。これはキジノオシダ。


これはハナミョウガ。昨年、外宮でも見ました。

参道はまだまだ続きます。




変わったシダがありました。

それで、一応、ソーラス(胞子嚢)を撮っておきました。帰ってから調べると、チャセンシダ科のクルマシダのようです。

階段が見えてきました。この上に倭姫宮があるようです。


石にはこんな模様がついていました。おそらく、地衣類でしょうね。

階段を上がると倭姫宮が見えてきました。

これは手水舎(てみずしゃ)。

そして、これは祓所(はらえど)です。

これが倭姫宮です。お参りしてる人がおられたので、少し手前で待っていました。


その横には式年遷宮のための場所が用意されていました。

柱に蛾が止まっていました。スジベニコケガですね。





これが倭姫宮です。伊勢神宮内宮の正宮と一緒で大変質素な造りです。まだ、新しい感じがしますが、大正十二年に神宮でもっとも新しい別宮として創建されたそうです。もともと、第十代崇神天皇の御代に天照大御神と倭大国魂神の二神を宮中に祀っていたのですが、神の勢いを恐れて、二神共に宮の外で祀ることにしました。崇神天皇は皇女の豊鋤入姫命(とよすきいりびめのみこと)を御杖代(みつえしろ)として、天照大御神を笠縫邑(かさぬいむら)にお祀りしましたが、その後、神の鎮座される場所を求めて各地を巡ることになります。やがて、第十一代垂仁天皇の御代になり、その皇女の倭姫命が引き継ぎ、大和から伊賀、近江、美濃などを巡った末に、伊勢の地にたどり着いたという話になっています(「図解伊勢神宮」による)。


お参りをした後、別の道を歩いていたら、意外に近くに別の鳥居がありました。こちらから入ればもっと近かったのでしょうね。この後、神宮徴古館に向かったのですが、その話は次回に回します。
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