ところで、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』について、ChatGPTに尋ねてみた。その返答を載せておく。
主な内容は以下の通りです:
認知革命 - 約7万年前に始まり、言語や思考の発展によって、複雑な社会構造や文化的なイノベーションが生まれました。
農業革命 - 約1万年前に始まり、定住生活の開始と農耕の導入によって、人口の増加、社会階層の形成、政治体制の発展を促しました。
統一の人間の秩序の出現 - 信仰、帝国の成立、資本主義などの抽象的な概念や大規模な組織の出現に焦点を当て、これらが人間の歴史にどのように影響を与えたかを探ります。
科学革命 - 500年前から始まり、科学的思考と探求が人類の世界観と能力をどのように拡大させたかを説明します。
ハラリは、これらの時代を通じて、人類の行動や思考がどのように進化し、現代社会の基礎を形成したかを探ります。彼はまた、経済、政治、哲学、生物学などの多様な分野を横断して、人類の過去、現在、そして未来についての深い洞察を提供します。この本は、人類の歴史を広い視野で捉えることにより、私たちが直面している現代の問題や将来の挑戦についての理解を深めることを目指しています>
それなりに、分かりやすく、正しい解説をしていると思った。
ちなみに、『サピエンス全史』では、「第1部 認知革命」、「第2部 農業革命」、「第3部 人類の統一」、「第4部 科学と帝国の融合」となっている。ハラリは「定住生活の開始と農耕の導入」という微妙な言い方をしていて、定住することによって農業を発展させることができたと読める内容になっている。そして、農業の発展によって、「人口の増加、社会階層の形成、政治体制の発展」を促したという。どちらかと言うと、農業が主で、定住はその結果のように説明されている。
ところで、日本の教科書の記述では、縄文時代から定住が始まったと書かれていて、定住することによって、牧畜、栽培が始まり、やがて、農業(穀物としての稲の導入)がはじまり、弥生時代になったと説明されている。ある意味では、そうした栽培の土壌があって、稲作も導入できたのだとも考えられる。そのことに、特別不満があるわけではないが、農業の広がりが人びとをとても幸せにしたように読み取れ、そこに不満がある。この点は、ハラリの想像力のほうが優れている。
だが、この物語は夢想にすぎない。人々が時間ととともに知能を高めたという証拠は皆無だ。狩猟採集民は農業革命のはるか以前に、自然の秘密を知っていた。なぜなら、自分たちが狩る動物や採集する植物についての深い知識に生存がかかっていたからだ。農業革命は、安楽に暮らせる新しい時代の到来を告げるにはほど遠く、農耕民は狩猟採集民よりも一般に困難で、満足度の低い生活を余儀なくされた。狩猟採集民は、もっと刺激的で多様な時間を送り、飢えや病気の危険が小さかった。人類は、農業革命によって、手に入る食料の総量をたしかにふやすことはできたが、食料の増加は、より良い食生活や、より良い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発とエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに選られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上代々の詐欺だったのだ。>(『サピエンス全史上巻』より)
ハラリは、小麦を例にとって、ホモ・サピエンスが、小麦を栽培化したのではなく、小麦に家畜化されたとまでいう。稲もそうだが、小麦も育てるのには、手間がかかる植物である。
私たちは、農耕社会の平均的な人間たちは、農業革命によって、劇的に進化した生活ができるようになったかのように思われるかもしれないが、そして、古代の一部の上層階級の人たちは、そうだったかもしれないが、農業は、つい最近機械化されるまでは、実に苦労の多い仕事だったのだ。ハラリは、そこを自分の想像力で実に見事に描いている。久しぶりに、読み返して、あらためて感動した。(この項、次回に続く)