電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

コンピュータは脳をシミュレートできるか?

2004-11-28 09:50:27 | 自然・風物・科学
 茂木健一郎・田谷文彦共著『脳とコンピュータはどう違うか──究極のコンピュータは意識をもつか』(講談社BLUE BACKS)という刺激的なタイトルの本を読み終えた。「コンピュータは、人間が自らの脳に似せて(人間が、脳とはこのような働きをしているのだろうという理解に基づき)作った人工的な計算機械である」という事実から、今後さらなる研究と発展の後に、ひょっとしたら人間の脳の機能を完全にシミュレーションできるかも知れないと私は密かに思っている。茂木さんと田谷さんは、可能性は認めるものの、何時できるかには絶望的なようにも見える。
 二人が絶望的なように思っているのは、「脳の完全なシミュレーション」という事態は、必ずしもコンピュータの中に意識があるという証明にはならないのではないかという疑問があるからだ。「脳を完全にシミュレーション」できたら、コンピュータは意識を持っていると見なされるというのは、「チューリングテスト」に合格すれば、人間のように考えていると見なされるというイギリスの数学者アラン・チューリングの考えを正当だと認めた場合である。

 チューリングテストというのは、壁の向こうにコンピュータと人間がおり、質問者は質問を繰り返すことにより、どちらがコンピュータでどちらが人間かを当てるテストである。壁の向こうの人間は自分は人間でもうひとりはコンピュータだと説明する。コンピュータは、自分が人間であるかのように振る舞うようにプログラムされていて、質問に人間らしく答える。このテストを通して、質問者がどちらが本当の人間か当てることができなかったらテストに合格したと認めるというものである。

 チューリングテストに対してジョン・サールというアメリカの哲学者が「中国語の部屋」という思考実験を紹介し、チューリングテストに合格したコンピュータでも必ずしも、自分のやっていることを分かっているわけではないと主張している。「中国語の部屋」というのは、英語しか話すことも理解することもできない人が、部屋の外の人と中国語のカードで会話するという思考実験である。この場合、部屋の中の人は、中国語で書かれた記号に対して、どういう返事をしたらいいかが英語で書かれたカードを見ながら、中国語の記号列を書くというもので、この場合も限りなく完璧な中国語の返事を書けるようにすることができる。外から見ると、部屋の中の人は、中国語を理解していると思っているが、実際には英語しか理解できない。

 この「チューリングテスト」とサールの「中国語の部屋」が提起した問題は、意識に対する二つの立場を端的に表している。前者は、意識の存在は、機能的な側面を調べることでしか実証することができず、実証できない主観性の問題は論じることができないとする実証主義の立場である。後者は、私たちが普段から経験している主観的な経験の実在を主張する、実在主義の立場である。(『脳とコンピュータはどう違うか』p195)

 脳の中の1000億の神経細胞はそれぞれ数千個のシナプスによって網の目のようなネットーワークを作っている。この脳自体をコンピュータでシミュレートするのは、いつの日にかやってくるのかも知れないが、今はまだ、それぞれの神経細胞の働きとネットワーク全体との関係の研究が始まったばかりのようだ。私たちは、他人の心を直接見ることも感じることもできない。しかし、不思議なことに、私たちは直観的に他人の心が分かるときがある。さらにまた、先ほどまで分かったつもりになっていても、突然分からなくなるときもある。どちらにしても、私たちが物語を読んで、主人公に共感できるということは、人間の脳の働きにとって本質的な関係があるような気がした。
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1 コメント

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マルテンサイト千年ものづくりイノベーション (サムライグローバル鉄の道)
2024-08-20 04:57:29
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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