久しぶりに、かみさんと2人で、ユナイデットシネマ入間で映画を観た。『風立ちぬ』である。何故か知らないが、私は涙を流していたらしい。かみさんが、ちゃんと鼻をかみなさいと言った。かみさんは、どちらかというと、少ししらけていたらしい。彼女には、主人公の二郎の声優の庵野秀明の声が気に入らなかったらしい。だから、きっと、彼女は二郎にうまく感情移入ができなかったのだと思う。まあ、しかし、それ以外は、多分それなりに堪能したのだと思う。音楽や、風景や、話の展開は、繊細で、暗い時代背景にもかかわらず、穏やかで優しい時間が流れているようだった。
私は、映画を観るまでは、ネット上のいろいろな感想や、新聞の批評を見ないことにしていたし、実際、見たかもしれないがあまり記憶に残っていない。ただ、知り合いの編集者が、『風立ちぬ』は、宮崎駿の最高の名作だという感想を述べていたのを聞いただけだ。かみさんの話では、テレビで、いろいろとPRがあったり、製作過程のエピソードの紹介があったりしたそうだ。私は、ほとんど知らなかった。零式戦闘機を造った堀越二郎の人生とと堀辰雄の『風立ちぬ』をモデルに、宮崎駿としては始めて青年を主人公にしたアニメを作ったということだけは知っていた。つまり、この映画は、日本の歴史の影をどこかで引きずった映画なのだということだけは意識していたように思う。
さて、私の第1印象は、なんだか、とても懐かしい気持ちで一杯になったということである。敵を殺戮したり、街を焼き尽くしたりする戦闘機を作らざる得なかった二郎と、結核でやがて死んでいくのを知りながら、けなげに二郎に尽くす妻菜穂子の寂しい生き様にも関わらず、なんだかさわやかな風が吹き抜けて行くような気分にさせられた。それは多分、クラシックな街と山里の絵のせいかもしれない。しかし、そこには、いろいろなものが描かれないままあるような気がした。おそらく、描いてしまったらみんなウソになってしまいそうないろいろなものがあるような気がした。
汽車に乗っているとき風に飛ばされた帽子を拾ってくれた子供とその連れたちを大きな地震の中で助けてあげる。そして、その子供たちにに白馬の騎士と思われ、青年になって、飛行機作りに失敗し、失意の中で、軽井沢のホテルに滞在していたとき、偶然に同宿していて、偶然に出会って、恋に落ちる。あまりにできすぎたストーリーではある。もし、里見菜穂子が病気でなかったら、そして、主人公の堀越二郎が飛行機作りに失敗していなかったら、ふたりの再会はなく、この映画は、多分、作られなかった。2人とも、不幸を背負っていたが故に、愛しあい、支え合おうとした。そして、「青春」とは、死と隣り合わせになった喪失に充ち満ちているものなのだ。ある意味では、いろいろな可能性が消えていくことによって、人は青年から旅立つのだ。そして、人生とは生きるに値するものなのかと青年は考える。その意味では、宮崎駿は「青春」を描き切っていると思う。
ところで、映画を観てから、いろいろな批評を読んだ。「内田樹の研究室」の『風立ちぬ』は、宮崎駿の製作意図を論じて、プルーストの『失われた時を求めて』と同じ主題にたどり着いていた。多分、内田は、「青春」を通り越して、映像に込められた「時間」そのものに向かっている。大正から昭和にかけての東京、軽井沢、富士見のサナトリウム、信州追分などの風景を丁寧に描いている宮崎駿は、そこに、もはやこの日本のどこにも存在しなくなった原風景を描こうとしていることは、確かだ。宮崎駿の最も初期の作品の『風の中のナウシカ』では、岩や砂漠のごつごつした風景が中心だったが、『風立ちぬ』は日本の美しい自然を描いている。内田樹は、その風景の中に、もはや失ってしまった、日本人のもっと穏やかでゆったりと流れる「時間」を見ている。まさしく、宮崎駿の手作りの絵や音響効果は、そうし「時間」を表現するにはぴったりかもしれない。
しかし、もう少し堀辰雄に寄り添って語るとすれば、二郎と美穂子のできすぎた物語が、映像となった風景をまるで歌枕のように加工しているのだという気がする。堀辰雄の美しい村や風立ちぬの舞台となった、軽井沢や八つが岳山麓や信濃追分は、実は、堀辰雄によって作られた歌枕のようなものなのだ。私たちは、多分、もう、堀辰雄の描いた軽井沢を抜きに軽井沢見ることができなくなっている。同じように、宮崎駿が描いた『風立ちぬ』の風景を抜きにしては、軽井沢が見えなくなって行くのかもしれない。今や、それらは、単なる都市の影を引きずった避暑地でしかない。だから、本当は、自分で自分の風景を見つけるしかないのだ。松尾芭蕉が『奥の細道』でしたように。
宮崎駿は、現実的な素材を集めて、最後に、虚構の世界を作って見せた。堀辰雄の『風立ちぬ』は、日本の私小説とはまったく異なって、現実のモデルを使ったフィクションとして描かれている。ある意味では、堀辰雄のフィクションに現実が、重なってしまったのだ。宮崎駿の『風立ちぬ』もまさに、現実を借りたフィクションである。モデルとしての現実は、とても猥雑なものであり、不幸な歴史の呪いのようなものまで身にまとっているかのように見える。宮崎駿は、多分、そうした、猥雑なものを一つ一つそぎ落とし、自分のフィクションに必要な部分だけを選び、この物語を作った筈だ。堀越二郎が作り、そして、残骸となってしまった飛行機ではなく、あの白い紙飛行機が最も本物らしく空を飛んでいた。私には、その飛行機は、『風の谷のナウシカ』のナウシカが乗っていた飛行機と似ていると思った。何の武器も持たず、ただ空を飛ぶだけの機能しかない、白い飛行体。それは、一つの抽象だとおもった。
「紙屋研究所」というブログの管理人・所長の紙屋高雪という人が、「映画『風立ちぬ』を批判する」という記事を書いている。彼も、夫婦で映画を見たらしい。特に主人公に対する反応が、私のかみさんとほとんど同じなのにはびっくりした。声優である庵野秀明の訥訥とした語り口が、彼女には耳障りなのだったそうだ。それは、さておき、彼は、『風立ちぬ』を観て、次のように評価している。
1.恋愛要素は男目線で気持ちがノッた。
2.飛行機にかける夢についてはロジックがまったく詰め切れられておらず、面白くなかった。
3.零戦をつくった責任について無邪気すぎるという点が最大の批判点。
これは、『赤旗』が「風立ちぬを」絶賛しているのが許せないところから、来ているらしい。『赤旗』の8月15日の「主張」では、次のように書かれている。
いま公開中の宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」は、戦争の悲惨さ、無意味さを静かに語りかけてくれます。映画のラストシーン近くでの、破壊され打ち捨てられた大量の軍用機と、それさえ埋め尽くす美しい緑の野原は、戦争の無残さと平和の大切さを伝えているのではないでしょうか。
確かに、『赤旗』の記事を読むと、宮崎駿の『風立ちぬ』は、戦争の悲惨さ、無意味さを静かに語りかけてくれる映画だと書いてある。また、宮崎駿は共産党にシンパシーを持っているのだが、この記事を書いた人は、本当に映画を見たのかと言いたくなる。もし、普通の人がこの映画からそうしたものを読み取ろうとしたら、多分失望するだろうと思う。そして、紙屋高雪も、そのように見たのだと思う。しかも、彼は『赤旗』の記者とはまったく反対の評価を下している。
うちのつれあいは、このような「戦争の道具をつくった人間の描き方」というポイントでの批判をまったくおこなわなかった。彼女はぼくのようにあらかじめ堀越の著作や堀越に関するルポをなにも読まずに、いわば先入観なしに観たからである。
先入観なしに観た人が、その点に疑念を引き起こしていないなら、いいではないか――という主張もできそうだ。
しかし、だからこそこのような手法で歴史上の実在の人物を描いたことの危険を指摘したい。
映画のなかでは、堀越の同僚である本庄が「俺たちは武器商人ではない。いい飛行機を作りたいだけだ」というシーンや、堀越の憧れであるカプローニ伯爵が夢の中で「飛行機は戦争の道具でも商売の手立てでもない。それ自体が美しい夢なのだ」というシーンがある。
技術は社会と切り離されて、「夢」ということで、その追求が無邪気に美化されているのだ。
これは多分、映画を観て感じたと言うより、次のような宮崎駿の発言に対する批判である。
アニメは子供のためのものと思ってやってきた。武器を造った人物の映画を作っていいのかと葛藤があった。でも生きていると、何をしても無害のままでいることはできない。武器を造ったから犯罪者だと烙印(らくいん)を押すのもおかしい。
戦争はだめだなんてことは初めから分かっていた。それでも日本人は戦争の道を選んだのだから、二郎に責任を背負わせても仕方ない。車は人をひくし、人を助けもする。そういうものが技術で、技術者は基本的にニュートラルなものだ。(宮崎駿監督が語る「風立ちぬ」 震災・恐慌・戦争、それでも人は生きてきた──)
紙屋高雪は、宮崎駿の技術に対する楽天性を批判したかったのだ。同じようなことは、東大教授・藤原帰一(毎日新聞「日曜くらぶ」2013年7月21日付)が述べているし、作家・古川薫の「風立ちぬ」評もそうらしい。
「車は人をひくし、人を助けもする。そういうものが技術で、技術者は基本的にニュートラルなものだ」という宮崎の発言は、確かに間違っている。技術は、歴史の中では、ニュートラルなものではない。それは生まれてきたときも、成長していく過程でも、常に歴史に翻弄されるものである。けれども、ニュートラルではないが、しかし、それは、一つの自然である。つまり、科学や技術は、歴史から離れて存在はしないが、歴史を越えて行く何かでもある。原発やインターネットを私たちは、持っている。これらは、全て、そもそも兵器の開発と戦争体制の整備のために発明された技術からうまれたものだ。しかも、科学や技術の産物は、歴史的存在以外の何物でもないが、生み出された産物がとても危険なものだとしても、それらに罪があるわけではない。また、それを作り出した人間に罪があるのかどうかも、又、不明である。もし、それらに罪があるように見えるとしたら、それは全て人間の幻想である。それに罪があるかどうかは、私たちの判断次第である。
私は、戦争に反対だが、兵器の開発に携わったから人間として失格だったと言って断罪する気などない。況んや、「サナトリウムで療養できる結核患者が戦前の日本にどれほどいたのか」(藤原前掲)と言って、二郎や菜穂子のブルジョア的な存在性を批判しても仕方がない。そういう人には、今、映画など見ている時間と金があったら、もっと世界平和に役立つことを考えた方がいいのではないかと言うしかない。宮崎駿が私淑したという堀田善衛が愛した藤原定家の言葉で言えば、「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎我ガ事ニ非ズ」(明月記治承4年記定家19歳)と言えないところにいる宮崎の不幸なのかもしれない。彼は、映画の企画書や、いろいろなところで、戦争反対や原発反対の発言をくり返している。しかし、彼の語った思想は、彼の映画ではない。
要するに、虚構をくぐって現実を描くことにより、現実は現実そのものよりも一層リアルになり、真実に近くなるはずだが、ここでは現実は中途半端にへし折られ、美しい虚構にすり替えられてしまっているのだ。
と紙屋高雪は言うが、宮崎駿は、いつも、『風の谷のナウシカ』時から、現実の断片をつなぎ合わせて、虚構を創り出しているだけに過ぎない。そして、人々は、その虚構としての映画を現実に引き寄せて解釈しているだけだ。『風の谷のナウシカ』を評価した人たちのうち、何人かは、環境破壊を批判した素晴らしい作品と言っていたが、本当にそうだろうか。宮崎駿は一つの神話を描いただけだ。それらは、子どもたちの心の中に夢のような形となって残っていくのだ。あるいは、愛の形の原型だと言うことかもしれない。それが、彼らの生き方にどんな形で働くかなど、だれにも分からない。多分、本人にも分からない。
紫式部が書いた『源氏物語』は、貴族社会の物語であり、当時の日本を支えていた大部分の人たちの生活とは、ほとんどまったく違っていた。しかし、そこでの愛の形や、生活の仕方は、やがて、その後の人々の理想となった。特に、藤原定家の場合はそうだった。定家は、貴族の生活の本質を少しも理解していなかったから、『源氏物語』を理想としたわけではない。定家の『明月記』を読めば、いかに彼が現実の中であがいていたか分かるはずだ。彼ほど、「紅旗征戎」に翻弄されていた貴族は、珍しい。多分、宮崎駿の青春は、二郎の青春ほど美しくはない筈だ。堀辰雄だって『風立ちぬ』のなかで、『風立ちぬ』を書きながら悩んでいる。
私は、これらの『風立ちぬ』のいわば戦争責任を取り上げた批評に、少しうんざりさせられたが、「 押井守が語る『風立ちぬ』感想。宮崎駿の矛盾!?」については、度肝を抜かれた。私もこの映画に感動したが、ひょっとしたら、これは「老人の睦言」かもしれない。私は、宮崎駿ほどの年ではないが、もう老人に近い。
ド近眼で、ヘヴィスモーカーで、仕事から離れられない堀越二郎青年はもちろん、宮崎駿その人です。婚約者の自宅の庭から忍び込んだり、駆け落ち同然で上司の家へ逃げ込んで結婚したりの大活躍です。
斯くありたかったであろう青春の日々を臆面もなく描いていて、見ているこちらが赤面しそうです。だから「青年」はキケンなのです。いつもの「少年」というカムフラージュも「豚の仮面」もないのですから。
もはや開き直ったとしか、考えられません。
誤解のないように言っておきますが、これは大変に結構なことです。
ひょっとしたら、この映画は、少年・少女向けではないかもしれない。二郎のたばこを吸う時の仕草や、風に揺れるたばこの煙、たばこが切れて、灰皿から拾い出したたばこに火を付ける二郎の同僚の本庄の様子など、実に見事に描かれている。『紅の豚』でも主人公の豚にされてしまったマルコは、実に様になったなたばこの吸い方をする。これを素晴らしいアニメの映像とみるか、環境にやさしくない映像とみるか、などと考えるのは、勿論、大人である。
この記事を書いていたら、宮崎駿の引退声明がニュースで流されていた。新聞記事によれば、宮崎駿は、自分の作品づくりについて「メッセージを込めようと思っては作れない。自分の意識ではつかまえられないものを描いている。つかまえられるようなものはろくなものではない」と語っていた。この映画を作るために、彼は7年を費やしてきた。この7年間は、それらの映像を描きながら、自問自答していて7年間でもある。私たちは、宮崎駿が、最後の長編作品の主人公に、堀越二郎のような青年を描いたことをもっと深く考えてみるべきかもしれない。丁度、宮崎駿が尊敬する堀田善衛が、戦時中に『明月記』を読んで愕然とし、戦争が終わって半世紀ほとしてから、『定家明月記私抄』を書いている。疎開の体験もある宮崎駿が、最後の長編に堀越二郎を選んだことには、意味があるのだと思う。