電脳くおりあ

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●大河ドラマで話題になっている『源氏物語』について

2024-06-02 13:38:51 | 文芸・TV・映画
 しばらく前に、平清盛が主人公の大河ドラマがあったが、久しぶりに平安時代の全盛期(貴族社会)が舞台になった、歴史ドラマが大河ドラマに登場した。事前のNHKの宣伝によって、紫式部を中心とした「源氏物語プロジェクト」の物語と告げられていたので、紫式部が1人ですべてをつくりあげたわけではなないのだなと想像しながら、私も楽しみながら見ている。

 事前に、今度の大がドラマに時代考証をしている倉本一宏の『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)を読んでいたので、事実とかなり違っているなと思いながらも、ドラマ性には感動している自分がいて驚いている。清少納言と紫式部がこんな交渉をもっていたとは思われないが、つい引き込まれてしまう。平安時代の歴史や文学についての理解という点から言えば、明らかに逸脱だが、文芸書のジャンルでよくある時代小説(歴史小説とは違う)として鑑賞する分には、自由なのかもしれない。つまり、歴史ドラマではなく、時代ドラマをつくっているのだと思えばいいのかもしれない。(私の古典理解や歴史理解からするとかなり混乱してくる部分はあるのだが)

 そんなことを考えていたら、NHKの日曜カルチャーで毱矢まりえが『「源氏物語」英訳本を再和訳してわかったこと』について4回に分けて話していた。毱矢まりえは、妹の森山恵と一緒にアーサー・ウェイリーが英訳した『源氏物語』を再和訳して、2017年から2019年かけて出版している。私は、残念がら、アーサー・ウェイリーの英訳本も毬矢まりえ・森山恵の再和訳本も読んでいないのだが、毱矢まりえの話が面白く時間ができたら、是非読んで見たいと思った。毱矢まりえによれば、アーサー・ウェイリーは、かなり正確に『源氏物語』を英訳しているが、英語圏の人たちにも分かりやすく、いろいろな工夫がされているという。

 例えば、「横笛」は「flute」と言っているし、「蹴鞠」は「football」と訳しているそうだ。また、ものすごく使われている「あわれ」という言葉も、時には「poor」だとか「sympathy」という言葉を使い、状況に応じて使い分けているそうだ。確かに、そうすることによって、私たちが読む『源氏物語』では、同じ「あわれ」と表現されているものが、多様な感情とし表現されているそうだ。それは、もちろん、日本の読者には、多少違和感のある世界になっていると思われるが、外国語の世界ではより理解しやすくなっているのだ。私たちも、現代語訳本を読むときは、アーサー・ウェイリーの英訳本のようになっていることがあると思われる。つまり、訳者の数だけ多様な『源氏物語』ができているわけだ。

 同じ『源氏物語』にしても、多分、読者に応じて違って顔を見せるし、そのことを通して、私たちは、『源氏物語』の世界の広がり、特に世界文学における『源氏物語』に位置づけのようなものが理解できるかもしれない。現在では、アーサー・ウェイリー訳以外にも、いくつか英訳本がつくられているそうだが、いまから1000年以上前につくられて『源氏物語』が、ある意味で甦っているのかもしれない。私は、古典は、原文で読めればそれに越したことはないが、現代語訳で十分だと思っている。現代語訳でもいいから(場合によっては、コミックでもよいから)、私たちの財産でもある平安時代古典に親しんでほしい。

 ついでに言っておけば、清少納言の『枕草子』も大事な古典であり、紫式部と並んで平安時代(藤原摂関政治)を代表する文学だと思っている。もちろん、『源氏物語』も『枕草子』も平安時代では、人の手によって書き写されて読まれたものであり、現在のベストセラーにように読まれたわけではなく、『更科日記』作者の菅原の孝標の娘がそうだったように、いわばマニア向けに書き写され、場合によっては、嫁入り道具の一種として、貴族の女性の間で読み継がれたこともあったようだ。そうした人々がいなければ、普及しなかったはずである。いわば、作者と読者の共同作業として、残されてきたものだということもできると思った。

 ところで、『光る君へ』では、中宮定子を守ることができず落胆する清少納言(ききょう)を励まして、紫式部(まひろ)が、中宮のために何かを書いてはどうかとアドバイスする場面が出てきて仰天した。あり得ないことではあるが、ドラマでとても様になっていて、「春はあけぼの──」の部分を中宮定子が読む場面では、中宮と清少納言の関係の深さを見事に描いていると感動してしまったのも事実だ。

宮崎駿と『風立ちぬ』

2013-09-07 22:19:30 | 文芸・TV・映画

 久しぶりに、かみさんと2人で、ユナイデットシネマ入間で映画を観た。『風立ちぬ』である。何故か知らないが、私は涙を流していたらしい。かみさんが、ちゃんと鼻をかみなさいと言った。かみさんは、どちらかというと、少ししらけていたらしい。彼女には、主人公の二郎の声優の庵野秀明の声が気に入らなかったらしい。だから、きっと、彼女は二郎にうまく感情移入ができなかったのだと思う。まあ、しかし、それ以外は、多分それなりに堪能したのだと思う。音楽や、風景や、話の展開は、繊細で、暗い時代背景にもかかわらず、穏やかで優しい時間が流れているようだった。

 私は、映画を観るまでは、ネット上のいろいろな感想や、新聞の批評を見ないことにしていたし、実際、見たかもしれないがあまり記憶に残っていない。ただ、知り合いの編集者が、『風立ちぬ』は、宮崎駿の最高の名作だという感想を述べていたのを聞いただけだ。かみさんの話では、テレビで、いろいろとPRがあったり、製作過程のエピソードの紹介があったりしたそうだ。私は、ほとんど知らなかった。零式戦闘機を造った堀越二郎の人生とと堀辰雄の『風立ちぬ』をモデルに、宮崎駿としては始めて青年を主人公にしたアニメを作ったということだけは知っていた。つまり、この映画は、日本の歴史の影をどこかで引きずった映画なのだということだけは意識していたように思う。

 さて、私の第1印象は、なんだか、とても懐かしい気持ちで一杯になったということである。敵を殺戮したり、街を焼き尽くしたりする戦闘機を作らざる得なかった二郎と、結核でやがて死んでいくのを知りながら、けなげに二郎に尽くす妻菜穂子の寂しい生き様にも関わらず、なんだかさわやかな風が吹き抜けて行くような気分にさせられた。それは多分、クラシックな街と山里の絵のせいかもしれない。しかし、そこには、いろいろなものが描かれないままあるような気がした。おそらく、描いてしまったらみんなウソになってしまいそうないろいろなものがあるような気がした。

 汽車に乗っているとき風に飛ばされた帽子を拾ってくれた子供とその連れたちを大きな地震の中で助けてあげる。そして、その子供たちにに白馬の騎士と思われ、青年になって、飛行機作りに失敗し、失意の中で、軽井沢のホテルに滞在していたとき、偶然に同宿していて、偶然に出会って、恋に落ちる。あまりにできすぎたストーリーではある。もし、里見菜穂子が病気でなかったら、そして、主人公の堀越二郎が飛行機作りに失敗していなかったら、ふたりの再会はなく、この映画は、多分、作られなかった。2人とも、不幸を背負っていたが故に、愛しあい、支え合おうとした。そして、「青春」とは、死と隣り合わせになった喪失に充ち満ちているものなのだ。ある意味では、いろいろな可能性が消えていくことによって、人は青年から旅立つのだ。そして、人生とは生きるに値するものなのかと青年は考える。その意味では、宮崎駿は「青春」を描き切っていると思う。

 ところで、映画を観てから、いろいろな批評を読んだ。「内田樹の研究室」の『風立ちぬ』は、宮崎駿の製作意図を論じて、プルーストの『失われた時を求めて』と同じ主題にたどり着いていた。多分、内田は、「青春」を通り越して、映像に込められた「時間」そのものに向かっている。大正から昭和にかけての東京、軽井沢、富士見のサナトリウム、信州追分などの風景を丁寧に描いている宮崎駿は、そこに、もはやこの日本のどこにも存在しなくなった原風景を描こうとしていることは、確かだ。宮崎駿の最も初期の作品の『風の中のナウシカ』では、岩や砂漠のごつごつした風景が中心だったが、『風立ちぬ』は日本の美しい自然を描いている。内田樹は、その風景の中に、もはや失ってしまった、日本人のもっと穏やかでゆったりと流れる「時間」を見ている。まさしく、宮崎駿の手作りの絵や音響効果は、そうし「時間」を表現するにはぴったりかもしれない。

 しかし、もう少し堀辰雄に寄り添って語るとすれば、二郎と美穂子のできすぎた物語が、映像となった風景をまるで歌枕のように加工しているのだという気がする。堀辰雄の美しい村や風立ちぬの舞台となった、軽井沢や八つが岳山麓や信濃追分は、実は、堀辰雄によって作られた歌枕のようなものなのだ。私たちは、多分、もう、堀辰雄の描いた軽井沢を抜きに軽井沢見ることができなくなっている。同じように、宮崎駿が描いた『風立ちぬ』の風景を抜きにしては、軽井沢が見えなくなって行くのかもしれない。今や、それらは、単なる都市の影を引きずった避暑地でしかない。だから、本当は、自分で自分の風景を見つけるしかないのだ。松尾芭蕉が『奥の細道』でしたように。

 宮崎駿は、現実的な素材を集めて、最後に、虚構の世界を作って見せた。堀辰雄の『風立ちぬ』は、日本の私小説とはまったく異なって、現実のモデルを使ったフィクションとして描かれている。ある意味では、堀辰雄のフィクションに現実が、重なってしまったのだ。宮崎駿の『風立ちぬ』もまさに、現実を借りたフィクションである。モデルとしての現実は、とても猥雑なものであり、不幸な歴史の呪いのようなものまで身にまとっているかのように見える。宮崎駿は、多分、そうした、猥雑なものを一つ一つそぎ落とし、自分のフィクションに必要な部分だけを選び、この物語を作った筈だ。堀越二郎が作り、そして、残骸となってしまった飛行機ではなく、あの白い紙飛行機が最も本物らしく空を飛んでいた。私には、その飛行機は、『風の谷のナウシカ』のナウシカが乗っていた飛行機と似ていると思った。何の武器も持たず、ただ空を飛ぶだけの機能しかない、白い飛行体。それは、一つの抽象だとおもった。

 「紙屋研究所」というブログの管理人・所長の紙屋高雪という人が、「映画『風立ちぬ』を批判する」という記事を書いている。彼も、夫婦で映画を見たらしい。特に主人公に対する反応が、私のかみさんとほとんど同じなのにはびっくりした。声優である庵野秀明の訥訥とした語り口が、彼女には耳障りなのだったそうだ。それは、さておき、彼は、『風立ちぬ』を観て、次のように評価している。

1.恋愛要素は男目線で気持ちがノッた。
2.飛行機にかける夢についてはロジックがまったく詰め切れられておらず、面白くなかった。
3.零戦をつくった責任について無邪気すぎるという点が最大の批判点。

 これは、『赤旗』が「風立ちぬを」絶賛しているのが許せないところから、来ているらしい。『赤旗』の8月15日の「主張」では、次のように書かれている。

 いま公開中の宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」は、戦争の悲惨さ、無意味さを静かに語りかけてくれます。映画のラストシーン近くでの、破壊され打ち捨てられた大量の軍用機と、それさえ埋め尽くす美しい緑の野原は、戦争の無残さと平和の大切さを伝えているのではないでしょうか。

 確かに、『赤旗』の記事を読むと、宮崎駿の『風立ちぬ』は、戦争の悲惨さ、無意味さを静かに語りかけてくれる映画だと書いてある。また、宮崎駿は共産党にシンパシーを持っているのだが、この記事を書いた人は、本当に映画を見たのかと言いたくなる。もし、普通の人がこの映画からそうしたものを読み取ろうとしたら、多分失望するだろうと思う。そして、紙屋高雪も、そのように見たのだと思う。しかも、彼は『赤旗』の記者とはまったく反対の評価を下している。

 うちのつれあいは、このような「戦争の道具をつくった人間の描き方」というポイントでの批判をまったくおこなわなかった。彼女はぼくのようにあらかじめ堀越の著作や堀越に関するルポをなにも読まずに、いわば先入観なしに観たからである。
 先入観なしに観た人が、その点に疑念を引き起こしていないなら、いいではないか――という主張もできそうだ。
 しかし、だからこそこのような手法で歴史上の実在の人物を描いたことの危険を指摘したい。
 映画のなかでは、堀越の同僚である本庄が「俺たちは武器商人ではない。いい飛行機を作りたいだけだ」というシーンや、堀越の憧れであるカプローニ伯爵が夢の中で「飛行機は戦争の道具でも商売の手立てでもない。それ自体が美しい夢なのだ」というシーンがある。
 技術は社会と切り離されて、「夢」ということで、その追求が無邪気に美化されているのだ。

 これは多分、映画を観て感じたと言うより、次のような宮崎駿の発言に対する批判である。

 アニメは子供のためのものと思ってやってきた。武器を造った人物の映画を作っていいのかと葛藤があった。でも生きていると、何をしても無害のままでいることはできない。武器を造ったから犯罪者だと烙印(らくいん)を押すのもおかしい。
 戦争はだめだなんてことは初めから分かっていた。それでも日本人は戦争の道を選んだのだから、二郎に責任を背負わせても仕方ない。車は人をひくし、人を助けもする。そういうものが技術で、技術者は基本的にニュートラルなものだ。(宮崎駿監督が語る「風立ちぬ」 震災・恐慌・戦争、それでも人は生きてきた──)

 紙屋高雪は、宮崎駿の技術に対する楽天性を批判したかったのだ。同じようなことは、東大教授・藤原帰一(毎日新聞「日曜くらぶ」2013年7月21日付)が述べているし、作家・古川薫の「風立ちぬ」評もそうらしい。

 「車は人をひくし、人を助けもする。そういうものが技術で、技術者は基本的にニュートラルなものだ」という宮崎の発言は、確かに間違っている。技術は、歴史の中では、ニュートラルなものではない。それは生まれてきたときも、成長していく過程でも、常に歴史に翻弄されるものである。けれども、ニュートラルではないが、しかし、それは、一つの自然である。つまり、科学や技術は、歴史から離れて存在はしないが、歴史を越えて行く何かでもある。原発やインターネットを私たちは、持っている。これらは、全て、そもそも兵器の開発と戦争体制の整備のために発明された技術からうまれたものだ。しかも、科学や技術の産物は、歴史的存在以外の何物でもないが、生み出された産物がとても危険なものだとしても、それらに罪があるわけではない。また、それを作り出した人間に罪があるのかどうかも、又、不明である。もし、それらに罪があるように見えるとしたら、それは全て人間の幻想である。それに罪があるかどうかは、私たちの判断次第である。

 私は、戦争に反対だが、兵器の開発に携わったから人間として失格だったと言って断罪する気などない。況んや、「サナトリウムで療養できる結核患者が戦前の日本にどれほどいたのか」(藤原前掲)と言って、二郎や菜穂子のブルジョア的な存在性を批判しても仕方がない。そういう人には、今、映画など見ている時間と金があったら、もっと世界平和に役立つことを考えた方がいいのではないかと言うしかない。宮崎駿が私淑したという堀田善衛が愛した藤原定家の言葉で言えば、「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎我ガ事ニ非ズ」(明月記治承4年記定家19歳)と言えないところにいる宮崎の不幸なのかもしれない。彼は、映画の企画書や、いろいろなところで、戦争反対や原発反対の発言をくり返している。しかし、彼の語った思想は、彼の映画ではない。

 要するに、虚構をくぐって現実を描くことにより、現実は現実そのものよりも一層リアルになり、真実に近くなるはずだが、ここでは現実は中途半端にへし折られ、美しい虚構にすり替えられてしまっているのだ。

と紙屋高雪は言うが、宮崎駿は、いつも、『風の谷のナウシカ』時から、現実の断片をつなぎ合わせて、虚構を創り出しているだけに過ぎない。そして、人々は、その虚構としての映画を現実に引き寄せて解釈しているだけだ。『風の谷のナウシカ』を評価した人たちのうち、何人かは、環境破壊を批判した素晴らしい作品と言っていたが、本当にそうだろうか。宮崎駿は一つの神話を描いただけだ。それらは、子どもたちの心の中に夢のような形となって残っていくのだ。あるいは、愛の形の原型だと言うことかもしれない。それが、彼らの生き方にどんな形で働くかなど、だれにも分からない。多分、本人にも分からない。

 紫式部が書いた『源氏物語』は、貴族社会の物語であり、当時の日本を支えていた大部分の人たちの生活とは、ほとんどまったく違っていた。しかし、そこでの愛の形や、生活の仕方は、やがて、その後の人々の理想となった。特に、藤原定家の場合はそうだった。定家は、貴族の生活の本質を少しも理解していなかったから、『源氏物語』を理想としたわけではない。定家の『明月記』を読めば、いかに彼が現実の中であがいていたか分かるはずだ。彼ほど、「紅旗征戎」に翻弄されていた貴族は、珍しい。多分、宮崎駿の青春は、二郎の青春ほど美しくはない筈だ。堀辰雄だって『風立ちぬ』のなかで、『風立ちぬ』を書きながら悩んでいる。

 私は、これらの『風立ちぬ』のいわば戦争責任を取り上げた批評に、少しうんざりさせられたが、「 押井守が語る『風立ちぬ』感想。宮崎駿の矛盾!?」については、度肝を抜かれた。私もこの映画に感動したが、ひょっとしたら、これは「老人の睦言」かもしれない。私は、宮崎駿ほどの年ではないが、もう老人に近い。

 ド近眼で、ヘヴィスモーカーで、仕事から離れられない堀越二郎青年はもちろん、宮崎駿その人です。婚約者の自宅の庭から忍び込んだり、駆け落ち同然で上司の家へ逃げ込んで結婚したりの大活躍です。
 斯くありたかったであろう青春の日々を臆面もなく描いていて、見ているこちらが赤面しそうです。だから「青年」はキケンなのです。いつもの「少年」というカムフラージュも「豚の仮面」もないのですから。
もはや開き直ったとしか、考えられません。
誤解のないように言っておきますが、これは大変に結構なことです。

 ひょっとしたら、この映画は、少年・少女向けではないかもしれない。二郎のたばこを吸う時の仕草や、風に揺れるたばこの煙、たばこが切れて、灰皿から拾い出したたばこに火を付ける二郎の同僚の本庄の様子など、実に見事に描かれている。『紅の豚』でも主人公の豚にされてしまったマルコは、実に様になったなたばこの吸い方をする。これを素晴らしいアニメの映像とみるか、環境にやさしくない映像とみるか、などと考えるのは、勿論、大人である。

 この記事を書いていたら、宮崎駿の引退声明がニュースで流されていた。新聞記事によれば、宮崎駿は、自分の作品づくりについて「メッセージを込めようと思っては作れない。自分の意識ではつかまえられないものを描いている。つかまえられるようなものはろくなものではない」と語っていた。この映画を作るために、彼は7年を費やしてきた。この7年間は、それらの映像を描きながら、自問自答していて7年間でもある。私たちは、宮崎駿が、最後の長編作品の主人公に、堀越二郎のような青年を描いたことをもっと深く考えてみるべきかもしれない。丁度、宮崎駿が尊敬する堀田善衛が、戦時中に『明月記』を読んで愕然とし、戦争が終わって半世紀ほとしてから、『定家明月記私抄』を書いている。疎開の体験もある宮崎駿が、最後の長編に堀越二郎を選んだことには、意味があるのだと思う。


『岳』または、小栗旬の島崎三歩

2011-06-19 22:16:21 | 文芸・TV・映画

 昨日、突然のかみさんの要望で、ユナイデット・シネマ入間に行き、『岳』を観た。9時頃、もう終わっているかなと思いながらWebで確認したら、1日1回だけ、10時45分からやっていた。かみさんは、掃除を簡単に片付け、私はメールのチェックやら、書類の整理などをしてから、かみさんの運転で入間市の「まるひろ」百貨店に向かう。そこの駐車場に車を入れ、歩いて劇場に向かう。Webで予約をしてあったので、チケットをプリントアウトし、ポップコーンとアイスティーを買い、中に入る。10時20分くらいにScreen2に入ると、まだお客は私たちだけだった。映画は、北アルプスの山々を背景に、遭難した登山家たちを救助する人たちの戦いをさわやかに描いていて、感動的だった。

 この映画の原作は、ビッグコミックに連載されていた石塚真一の『岳』というコミックだ。私の仕事仲間に山が好きでよく単独で山登りをしている若い女性がいるが、彼女がこのコミックが好きで、しかもこの映画を観て、「小栗旬の三歩は、漫画の三歩は超えられないが、長澤まさみの久美ちゃんは漫画の久美ちゃんは以上だったと思います。」と言っていた。なかなか面白い意見だと思った。私もそう思う。しかし、私は、小栗旬がダメだったと言いたい訳ではない。小栗旬は、大河ドラマの石田三成、獣医ドリトルの鳥取健一、TAJOMARUの畠山直光など、私の好きな役者だ。勿論、かみさんも好きで、山が嫌いなくせに珍しくこの映画を観ていた。

 『岳』の主人公、島崎三歩は、ネパール、北南米、ヨーロッパなどの世界中の山に登り、高度な山岳技術をもっていて、その上山の素晴らしさと、事故の悲劇をよく知っている男であり、本人は、山岳救助のための民間ボランティアだと言っている。一方の椎名久美は、長野県の北部警察署の職員で、山岳救助隊員になったばかりである。2人の役回りは、ある意味では、『Dr.コトー診療所』の医師五島健助と看護師の星野彩佳、あるいは『獣医ドリトル』の鳥取健一と多島あすかの関係に似ている。それらのコミックは、皆映画やテレビドラマになっているが、井上真央の多島あすか、柴咲コウの星野彩佳のほうが、コミックの田島あすか、星野彩佳を超えていると思う。

 小栗旬や吉岡秀隆が、どうしてコミックの主人公を越えられないのか。理由は簡単だと思う。どちらの主人公も、成長していないからだ。長澤まさみの椎名久美も、柴咲コウの星野彩佳も、そして井上真央の田島あすかも、映画やドラマの中で、成長していくのであり、彼女たちは、一つの作品の中で、ある意味で完成されている。映画『岳』のなかの椎名久美は、最後に山岳救助隊のプロフェッショナルと認められる。これに対して、主人公の島崎三歩は、彼の山登りのプロとしての1面を見せてくれるだけであり、彼の全体像はまだ未知のままだ。コミックの読者は、島崎三歩や五島健助がどんな人間かについて、もっとよく知っている。勿論まだまだ、未知の部分も持っているが。

 だから、一つの映画やテレビドラマを見る限り、原作のマンガの主人公のほうが、はるかに魅力的に見えてしまう。これは、成長物語ではないコミックにつきまとう問題だと思う。役者はだから、いつもハンディを負っていると言えるかもしれない。私たちは、コミックの『岳』でも1話1話の積み重ねの中に、主人公の島崎三歩の過去が少しずつ明らかにされ、彼の人間的な魅力が開示され、そして彼の目を通して見られた山の素晴らしさが私たちの前に展開される。それは、素晴らしい物語だ。特に、山岳コミックは、シンプルで下界の人間関係がどんなに複雑でも、ストーリーはシンプルな展開となるので、三歩と久美というキャラの役割は需要だ。その意味では、久美の方が生き生きと描かれることになってしまう。そして、長澤まさみもいい演技をしていてよかった。

 ところで、『岳』は、テレビドラマ化するためには、大変だ。つまり、ほとんど山でのロケになってしまい、おそらく、現在の創造力と資金力の落ちたテレビ局では制作は無理だ。テレビドラマ化されて、もう少し長く展開されると、主人公三歩の魅力が、多分、役者の魅力になってくると思われる。どちらにしても、私は、コブクロの歌う『あの太陽が、この世界を照らし続けるように。』を聴きながら、この映画を楽しんだ。また、どんな人に対しても、「また、山においでよ。」と呼びかける小栗旬の島崎三歩に満足した。小栗旬は、三成でもなく、健一でもなく、直光でもない、三歩という新しいキャラクターを見事に演じていたと思う。下界は今重苦しい状況のままだが、さわやかな気分転換ができたと思う。そして、今年の電力不足を原発を動かさないままで乗り越えたら、日本には、新しい世界が拓けるような気がする。そうすれば、電力会社や経済産業省の思惑を乗り越えた、新しいエネルギーの開発にじっくりと取り組める。


『おくのほそ道』の魅力

2011-01-16 00:16:17 | 文芸・TV・映画

 休みの日に、少しずつ、芭蕉の『おくのほそ道』を読んでいる。テキストは、講談社学術文庫の久富哲雄著『おくのほそ道 全注釈』である。今日は、ちょうど、「立石寺」の所を読んだ。これで『おくのほそ道』を読むのは、多分3度目だと思う。太平洋側を平泉まで北上した芭蕉と弟子河合曽良は、尿前の関を越えて、山形領に入るところである。ここで、芭蕉のもっとも有名な俳句が登場する。『おくのほそ道』には、芭蕉が46歳のとき、弟子の曾良を伴い、元禄2年3月27日(新暦1689年5月16日)に江戸深川を出発し、全行程約600里(2400キロメートル)、日数約150日間かけて東北・北陸を巡って同年8月21日(同年新暦10月4日)頃大垣に到着するまでが書かれている

山形領に立石寺と云ふ山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに依りて、尾花沢よりとつて返し、其の間七里ばかり也。日いまだ暮れず。梺の坊に宿かり置きて、山上の堂にのぼる。岩に巌を重ねて山とし、松栢年旧り土石老いて苔滑に、岩上の院々扉を閉ぢて物の音きこえず。岸をめぐり岩を這ひて仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行くのみおぼゆ。
 閑さや岩にしみ入る蝉の声
(久富哲雄著『おくのほそ道 全注釈』・p197より)

 ところで、長谷川櫂は、ちくま新書『「奥の細道」をよむ』で、この「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という俳句について、つぎのように述べている。

 この句はふつう静けさの中で蝉が岩にしみいるように鳴いていると解釈されるが、これでは?が鳴きしきっているのに、なぜ静かなのかがわからない。「閑さや」も「岩にしみ入?の声」も同じ現実の次元のものととして一緒くたに読むからだろう。
「閑さや」と岩にしみ入?の声」は次元がちがう言葉なのではないか、というところからこの句の解釈ははじまる。この句、古池の句と同じ形をしているからだ。

/古池や/蛙飛こむ水のおと/

 古池の句は、蛙が水に飛びこむ音を聞いて心の中に古池の面影が浮かんだという句だった。「蛙飛こむ水のおと」は現実の音であるのに対して「古池や」は心の世界。「古池や」と「蛙飛こむ水のおと」という互いに次元のちがうものの取り合わせ。大事なのは古池という心の世界を開くきっかけになったのが、蛙が水に飛びこむ音だったということ。
(長谷川櫂著『「奥の細道」をよむ』・p157より)

「古池や蛙飛こむ水の音」の句や「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句の解釈の仕方としては、この長谷川櫂の解釈がいちばん素晴らしいと思う。実際、それは、この句ができていく過程を見てみるとよく理解できる。久富によれば、この句は、次のような過程で、最終的に定まったという。

 山寺や石にしみつく?の声(『曽良旅日記』)
 さびしさや岩にしみ込?の声(『初蝉』)
 閑さや岩にしみ入る蝉の声 (『おくのほそ道』)

 この「山寺や」→「さびしさや」→「閑さや」という変化の中に、芭蕉の心の動きが現れている。たぶん、芭蕉は、そこで「岩にしみいる?の声」を聴いていたのだ。そして、そのときは、「山寺や石にしみつく?の声」とよんだのだ。それは、一つの実景を読んだ句である。芭蕉は、『おくのほそ道』を書き上げる過程で、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という句を作り上げたのだ。だから、本当は、次のように書くのは、間違いだ。

 その日の午後、芭蕉は立石寺の岩山に立つと、眼下に広がる梅雨明け間近な緑の大地を眺めた。頭上には梅雨の名残の雲の浮かぶ空がはるか彼方までつづいている。そのとき、あたりで鳴きしきる?の声を聞いて、芭蕉の心の中にしんとしんと閑かな世界が広がった。
 そこで芭蕉が感じた静けさはもはや現実の静けさではない。?が鳴こうともびくともしない、宇宙全体に水のように満ちている静けさ。立石寺の山上に立った芭蕉は?の声に耳を澄ませているうちに、現実の世界の向こうに広がる宇宙的な静けさを感じとった。
(同上・p158)

 私たちは、芭蕉が『おくのほそ道』を書いているときの芭蕉の心の世界を見ているのであって、立石寺に佇む芭蕉を見ているのではない。おそらく、立石寺で佇む芭蕉は、「山寺や石にしみつく?の声」というふうに感じていたのだ。そして、『おくのほそ道』を書いているときに、芭蕉は「岩にしみ入る蝉の声」を幻聴のように聞いて、「佳景寂寞として心すみ行くのみおぼゆ」と感じているのだ。というより、「佳景寂寞として心すみ行くのみおぼゆ」と書いたが故に、「閑さや」という切れ字になったというべきなのだ。

 長谷川櫂の『「奥の細道」をよむ』という本は、とても刺激的で、俳句の面白さを私たちに教えてくれる。芭蕉の言う「かるみ」というものが何だったのか、私はよく理解できなかったが、長谷川櫂は、とても分かりやすく教えてくれる。しかし、この本に不満があるのは、芭蕉の現実の旅と紀行文との乖離の意味であり、芭蕉にとっての書くことの意味について触れていないことだ。「歌枕」についての指摘は、まさにそのことを本当は意味しているのではないだろうか。『おくのほそ道』は、現実の芭蕉の旅を基に、観念の世界で再構成されたものである。芭蕉の俳句は、芭蕉の現実の旅ではなく、書かれた旅の世界に繋がっているのだ。

 私たちが、芭蕉の『おくのほそ道』を読むことは、芭蕉の実際の旅をなぞっているのではない。芭蕉が、観念の世界で作り上げた、風景の中の旅を旅しているのである。それは、どんな紀行文を読むときだってそうだし、紀行文を読むことと物語を読むこととそんなに変わっているわけではない。早い話、『おくのほそ道』には、私たちが普通、旅で経験することがほとんど書かれていない。朝起きて、顔を洗ったり、食事をしたり、トイレに行ったり、風呂に入ったりということが何も書かれていない。だから、ダメだと言うことが言いたいわけではない。別のそんなことを書かなくてもいいのだ。なぜなら、私たちは、現実の旅の話をしているわけではないからだ。

 芭蕉は、この旅の5年後、51歳のとき、大阪への旅の途中で病を得てなくなる。芭蕉の『おくのほそ道』は、芭蕉によって何度も推敲され、芭蕉の死後、1702年に出版された。私たちは、何度も何度も、旅を再構成している芭蕉と向き合っているのだとも言える。私には、曽良の存在が、とても興味深い。芭蕉は、曽良が旅日記を書いていたことを当然知っていたと思う。私たちは、この曽良が旅日記と対照しながら、芭蕉の『おくのほそ道』を読んでいる。そして、芭蕉が、現実の旅から常に逸脱していくの見る。それが、また、愉しい。


『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』

2010-11-07 22:31:31 | 文芸・TV・映画

 書くという行為は、頭の中に、何かがあって、それを適切な言葉を選びながら叙述するということではない。そういう場合もあるかもしれないが、書くことの醍醐味は多分そうではない。人は、書くことによって、本当は自分が何を考え、何を感じていたかを知るのだ。あるいは、自分の中の無意識の世界で作られている物語を発見すると言うべきかもしれない。それは、多分、書くことによって始めて発見される。誰の脳の中にも、それはあるはずだが、一生知らずに過ごす人の方が多い。一部の作家だけが、それを書くことができる。書くべきことがあって書いたのではなく、書くことによって、何事かがそこに、自分の外部に文章として存在し始めるのだ。

 村上春樹インタビュー集『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』(文藝春秋刊/2010.9.30)で、村上春樹は、書くという行為は、自分の頭の中に作られたシナリオに沿って物語りを作るのとはまったく違った行為をしているということを執拗に述べている。

 フィクションを書くのは、夢を見るのと同じです。夢を見るときに体験することが、そこで同じように行われます。あなたは意図してストーリー・ラインを改変することはできません。ただそこにあるものを、そのまま体験していくしかありません。我々フィクション・ライターはそれを、目覚めているときにやるわけです。夢を見たいと思っても、我々には眠る必要はありません。我々は意図的に、好きなだけ長い夢を見続けることができます。書くことに意識が集中できれぱ、いつまでも夢を見続けることができます。今日の夢の続きを明日、明後日と継続して見ることもできる。これは素晴らしい体験ではあるけれど、そこには危険性もあります。夢を見る時間が長くなれば、そのぶん我々はますます深いところへ、ますます暗いところへと降りていくことになるからです。その危険を回避するには、訓練が必要になってきます。あなたは肉体的にも精神的にも、強靭でなくてはなりません。それが僕のやっている作業です。
 もし悪夢を見れば、あなたは悲鳴を上げて目覚めます。でも書いているときにはそうはいきません。目覚めながら見ている夢の中では、我々はその悪夢を、そのまま耐えなくてはなりません。ストーリー・ラインは自立したものであり、我々には勝手にそれを変更することはできないからです。我々はその夢が進行するままを、眺め続けなくてばなりません。つまりその暗黒の中で自分がどこに向かって導かれていくのか、僕自身にもわからないのです。(p345より)

 ここで、注意すべきことは、書くという行為は、見た夢を見た通りに叙述していくという行為だと言っているわけではないことだ。書くという行為が、夢を見るという行為だと言っている点がとても重要です。つまり、あくまでも、意識的に夢を見続けるのではなく、書き続けることによって、夢は持続していくのだと言っている点である。確かに、私たちは、夢の中でストーリー・ラインを変えることができない。そして、私たちは、夢の中で、夢の中のストーリーに巻き込まれていく。書くという行為もまさしくその通りだと言うのだ。書くことこそが、意識的な夢見の行為なのである。あるいは、書くことによって、夢がそこの存在すると言うべきかもしれない。

 本当にそうなっているのだろうか。書くべき何かがあって、それを私たちは書こうとするのではないだろうか。書くべき何かとは一体何であろうか。確かに、私たちは、予定が決まるとその予定の案内を手紙に託して伝える。5W1Hと言われる内容である。「Who(誰が) What(何を) When(いつ) Where(どこで) Why(どうして)、How(どのように)したのか」という内容が情報伝達の基本とされている。しかし、実のところ、本当は、5W1Hは、書かれたものなのだ。あるいは、表現されたものなのだ。それは、言葉よって分析されたものだと言った方が良いかもしれない。

 私たちに最初にあったのは、書こうとする意志だけだ。そして、書くという行為を通して、私たちの前に、書くべき内容が立ち現れてくるのだ。つまり、私たちは、書くことを子どもたちに指導するとき、本当は書くことを通してしか指導できないのだ。まず書きたいことをメモしますということは、ありえない。なぜなら、「メモする」ことこそまず書くことの一部だからだ。表現というのは、そうしたある意味では循環の中に成立しているように見える。このことは、実は、話すことでも同じである。私たちは話すべきことを思い浮かべてそれから、それを言葉に表しいるわけではない。私たちは話すことを通して、話すべきことを思い浮かべているのだ。この逆ではない。

 「悲しいから泣くのではない。泣くから、悲しくなるのだ」とか、「悲しいから涙が出て来るのではなく、涙が出て来るから悲しくなるのだ」とか、よく言われる。最近の脳科学の研究では、確かに、時間的に行為が先行しているらしい。これは、泣くという行為の方が、悲しいという気持ちに先行していると言うことを意味している。つまり、正確に言えば、私たちは身体が悲しいと感じているから、悲しくなるのだと言うことだ。私たちは、脳の深層で、あるいは身体のどこかで、まず活動しているのだ。そして、それは、必要に応じて意識かされているだけなのだ。この活動は、普通は、無意識の中に眠っている。私たちは、書くことや、話すことを通して、それらを呼び出すしかないのだ。あるいは、身体と意識というように言ったら、意識より身体の方がはるかに大きく広いと言うべきかもしれない。

 村上春樹が、夢を見ると言うのは、そうした私たち1人1人が持っている無意識下の夢を掘り起こすことを指している。

 人間の存在というのは二階建ての家だと僕は思ってるわけです。一階は人がみんなで集まってごはん食べたり、テレビ見たり、話したりするところです。二階は個室や寝室があって、そこに行って一人になって本続んだり、、一人で音楽聴いたりする。そして、地下室というのがあって、ここは特別な場所でいろんなものが置いてある。日常的に使うことはないけれど、ときどき入っていって、なんかぽんやりしたりするんだけど、その地下室の下にはまた別の地下室があるというのが僕の意見なんです。それは非常に特殊な扉があってわかりにくいので普通はなかなか人れないし、人らないでで終わってしまう人もいる。ただ何かの拍子にフッと中に入ってしまうと、そこには暗がりがあるんです。それは前近代の人々がフィジカルに味わっていた暗闇──電気がなかったですからね──というものと呼応する暗闇だと僕は思ってぃます。その中に入っていって、暗闇の中をめぐって、普通の家の中では見られないものを人は体験するんです。それは自分の過去と結びついていたりする、それは自分の魂の中に入っていくことだから。でも、そこからまた帰ってくるわけですね。あっちに行っちゃったままだと現実に復帰できないです。(p98・99より)

 村上春樹の小説を読むというのは、そうした村上春樹の書く行為を追体験することである。その書くという身体的なリズムを味わうと言うことでもある。もし、そこで村上春樹が何かを伝えようとしているのだと考えると、多分読み進めなくなるかもしれない。その物語をあくまでも物語として、まず追体験するしかない。ちょうど村上春樹が、書くことによって自分の無意識の世界で展開されている人類の夢を追っているように、私たちもまた、自分の身体の奥深くで共鳴するものを見るのである。村上春樹の小説の世界が、通俗的な世界を描きながら、まるで神話のような色彩を帯びてくる秘密は、まさしくそこにあると思われる。