この連休を利用して、中津川に帰る。中津川では、いろいろな問題が山積していて、そのために親族で打ち合わせをしたり、土地の測量のやり直しの件もあったりして、とにかくいちばん道路が空いていそうな21日・22日に中津川に行く。かみさんが同行してくれることになり、車で中津川に向かった。21日の朝4時に飯能を出て、圏央道、中央高速を利用して中津川に向かう。途中3カ所で休憩したが、渋滞に巻き込まれることなく、9時10分に中津川の一つ先にある恵那インターに着く。恵那市には、父がケアハウスに入っている。
恵那市にあるそのケアハウスには、父が3ヶ月の予定で入所している。夏に熱中症になり、市民病院に入院していたが、退院後も1人では生活が困難だということで、ヘルパーさんの紹介で、そのケアハウスに入った。まだ新しいところで、私たち夫婦と、弟二人で父親を一泊二日帰宅させることにしていたのだ。認知症の老人もいたりするので、セキュリティーはしっかりしていて、無断では外に出ることができないようになっている。まだ、1ヶ月しか入っていないが、父は、同部屋の人に手を振って出かけるという身振りをしていた。同部屋の人は、横になったまま小さく手を振っていた。
そのケアハウスには、高速道路で購入したお菓子を挨拶代わりに渡し、父にはカステラを部屋の仲間と食べるようにと机の上に置いておいた。父は、その部屋の中でいちばん年上(89歳)だが、いちばん元気そうだった。とにかく、急いで、父を連れて中津川の実家に戻る。そのケアハウスから20分くらいで実家についた。実家では、我が家の土地と境を接する人たちが集まっていた。従兄弟のMさん、裏の大地主のNさん(弟の同級生)、隣に家を建てた、Aさん、Hさん、Sさん、私道を造ってくれたTさん。我が家は、五人兄弟のうち1人欠席したので、4人の兄弟の参加だった。
父の立ち会いのもと、先ほどの隣人たちと境のマーカーになる杭を順番に打った。この杭を基に、10月7日と14日に中津川の市役所より人が来て、測量して新しい土地台帳を作成することになる。現在ある登記簿の地図は、ほとんど現状と形が違っていて、しかも正確ではないのだ。税金のための面積計算も多分かなりいい加減だったと思われる。そのために航空写真を利用しながら、正確な土地台帳を作成することになる。私たち兄弟は、いつも隣人の人たちに大変お世話になっていることもあり、ほぼ彼らの主張通りに杭を打った。11時半ごろに、我が家の土地と彼らの所有の土地との境のくい打ちが終り、解散した。
それから、私たちは昼食を食べ、午後は、我が家の所有する土地の中を、山林、住宅地、畑、田、駐車場、倉庫などに分けて、区画の整理のための杭を打った。こちらは、兄弟だけで、現在の図面を参考にしながら、わかりやすく土地を区切り直した。8月12日に説明会があり、実態に合うように変更するのであれば、どんどん変更して良いとの許可が出ていた。今後売ったり、遺産相続をしするときにうまくいくように分割しておくと、そのための測量をしなくて済むという話だ。この作業にはかなり時間がかかり、終わったのは4時半頃だった。私たちは図面を確認し、夕食兼親族会議をするために、市街地のレストランに父を連れて行った。
親族会議は1人欠席があったので、そこで何かが決定されたわけではないが、いろいろな問題点が浮き彫りになった。大きくは、問題が二つあり、一つは、今後の父の介護等をどうするかということであり、もう一つは父に何かあったらどうするかという問題だ。この二つは、かなり絡み合っていて、ややこしい。というのは、父は、中津川の家を継いでくれるものがいればそれに全てを託すと言っているからだ。ただ、問題は、そういうものがいないということだ。だから、少し話が複雑になる。というのは、中津川の土地にいろいろと執着している兄弟もいるからだ。私とすぐ下の養子に行った弟は、中津川の土地に執着はなかった。
この問題の解決の選択肢は、次の三つしかありえない。①誰かが父と中津川の土地の面倒を見る。この場合は、全てそのものに任せる。遺産は、父の指示従い彼のものになる。②中津川の土地や父の資産を使って、父に老人ホームなり施設に入ってもらう。全ての資産をそれに使い、残ったら均等に分ける。③みんなで共同で父の面倒を見、土地等は皆で均等に分け、それぞれをそれぞれが責任を持って管理する。この三つである。相続のためには、いろいろな問題が発生するが、それらは一応個別に対応するしかない。第一、土地はすぐには売れないという問題があり、資金は、銀行等を通じて借りることになるかもしれない。しかし、一応、可能な選択肢である。
すぐ下の弟は、①の意見を述べ、場合によっては孫でもいいと言う。私は、どちらかと言えば②の意見。あと、二人の弟は、①と③で揺れている。私の理解では、いままで、②の選択肢は検討されてこなかったような気がする。夕食を食べながら、そんな提案をしたが、皆は不審そうに口をつぐんでいただけだった。それは、特養老人ホーム等の探し方が、できるだけやすい所というように考えられていたことからも分かる。しかし、私は、最近自分が年を取ったせいか、親は子どものために資産を残す必要はないと考えるようになっている。もちろん、子どもが確実に自立できるように支援するのは当然だが、それ以上の資産は必要ないと思う。
父は、一人で中津川に住み、自分の年金や資産で誰からの仕送りもなく生活してきた。もちろん、息子たちは、父から沢山の資産をもらったわけではないが、一番下の弟が50過ぎており、だれも父の援助など必要としていない。とするならば、父は、自分の資産をフルに活用して、自分で満足できる生活をしてもらいたい。父親は、年金等も含めて年間約300万円の収入があり、約1町近い土地を所有している。それは、資産としては恵まれていると思う。その資産は、死んだら誰かのものになってしまうだけだ。
この話は、まだ、終わったわけではないので、これから早急に話し合わなければならない。10月の下旬に全員が集まることを確認して、その日は分かれた。私とかみさんは、ホテルに泊まり、次の日父親に会いに実家に寄る。午前中、少し作業をする予定だったが、あいにくの雨で、作業は中止になった。残った作業というのは、測量しやすいように、雑木林の伐採をすることだったが、後で業者に依頼することなった。道路事情が心配だったので、父をケアハウスに送ってもらうのを弟たちに頼み、そのまますぐに、中津川インターに向かった。それは、正解だった。
休日・祝日等の高速道路の料金が安くなり、大型連休の高速道路はものすごい混みようだ。土・日の下りと、火・水の上りの道路の混み具合は半端ではない。丸一日覚悟しないといけないくらいだ。確かに、中津川は我が家から280キロあるが、車をプリウスにしたら、ガソリン代は3000円くらいになり、高速道路の料金も往復で3000で済んでしまった。つまり、6000円あれば中津川に行って帰ってくることができる。普通に、新幹線を使って夫婦二人で中津川まで行くと、交通費だけで5万円近くかかってしまう。優雅な旅行にできるのだ。ただ、混雑しなければだが。
22日の火曜日は、9時に中津川インターから入り、途中3回ほど休憩して、飯能に着いたのは1時半だった。雨のおかげかもしれない。雨が降らなければ、出発が午後になり、大渋滞に巻き込まれるところだった。そのときは、多分、夜中になったと思われる。中津川を出る前に、名物の栗きんとんを買おうと寄ってみたが、あまりの行列に買うのをあきらめた。途中、諏訪湖SAで休憩したとき、かみさんは諏訪大社の方に向かってお辞儀をしていた。多少渋滞しているところはあったが、車は止まることがなく、少しずつ動いていた。だから、休憩も取ることができた。そして、無事、飯能に帰り着いた。沢山の宿題を改めて出されて感じで、気が重いながら、家に帰ってきた。