電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

とうとうハードディスクが壊れた!

2004-12-26 12:29:26 | デジタル・インターネット
 ついに、会社の私専用のPCのHDDが壊れた。「ジージー、ジージー」と音を出しながらHDDにアクセスしているらしいのだが、とうとう起動しなくなった。どうやら、今回は本当に寿命のようだ。前回は、再インストールで応急処置だったが、今回はHDDを換装しなければならない。バックアップ用に自宅から持参したノートパソコンで、やりかけの仕事を片づけ、HDDが今いくらくらいで売っているか確認する。価格.comで調べると40GB位なら5,6千円くらいで買えそうだ。というわけで、その日(22日)の午後に秋葉原へ行った。
 会社から秋葉原まで15分くらい。私の使っていたPCは、GatewayのPERFORMANCEで2000年8月に購入したものだ。その当時はかなりの性能で、HDDも30GBだった。そのHDDを調べてみると、IBM製のDeskstarだった。出たばかりでいろいろトラブルを抱えていたが、それをだましだまし使っていた。HDDについては、IBMと日立が提携し、現在Deskstarは日立が作っている。PCの性能を考え、今回はHDS728040PLAT20 (40G U100 7200)を買うことにした。しかし、一応私の独断で私のPCに合うと考えたわけだが、店をいくつか回って聞いてみたが、店員は使えるかどうか保証できませんという。もう製作されていないPCであり、自己責任で買った。

 会社に戻り、早速HDDを取り付けることにした。マニュアルを見て、HDDを取り外そうとしたが、しっかり固定されていて、横のカバーを外すだけでは、取り外せない。前面のカバーを外さなければいけないのだが、これがどうしても取り外せない。ねじ類はすべて外したのにどうしても外せないのだ。30分くらい格闘していたがどうしてもダメだった。ほとんど諦めかけたとき、ふと近くにいたアルバイトの女性に、「これどうしても外せないのだけど、ちょっと見てみて、何か気づかないかな」と聞いてみた。すると、「ここにフックのようなものついているけど、これを押すと外れるんじゃないですか」といわれた。それが正解だった。ちなみに、彼女はPCのことはほとんど知らない。

 デスクトップのHDDは、ノートパソコンのHDDと比べて換装が簡単で、PCの付属のマニュアルに取り外し方が書いてある。しかし、それ以上のことは書いてない。物理的な入れ替え作業は簡単だが、その後の設定とOSのインストールが面倒である。特に、Windows98時代のPCでそのあとWindows2000にアップグレードして使っている場合は、さらに面倒である。そのあとの手順を簡単に書く。

・換装するときには、ジャンパーピンの設定に注意。入れ替える前のものと同じにする。
・Win98のシステムディスクを入れて、起動しfdiskを立ち上げる。
(ここまで来れば、ほぼ物理的な換装はうまくいっている)
・fdiskでHDDを初期化し、そのあとでパーティーションを切る。
(40MGなら50%ずつに切り、Cをアクティブにしておく)
・両方とも基本領域でもよい。
・それぞれの領域をフォーマットする。
・その後、Win98のインストール。
(ここでは何も設定しない)
・何も設定せず、すぐにWindows2000ProのCDを入れアップグレードする。
・社内LAN経由でインターネットに接続するように設定する。
(ここで、接続できればほぼ大丈夫)
・その後、Windowsのアップデートをして必要なドライバー類も入手する。


 会社のPCでは、音は出ないようになっているので、ビデオ関係のドライバーに注意すれば、あとはほとんど問題はない。HDDは、昔のものより、音も静かで、何だがアクセスも早いような気がする。そう、さくさくとソフトが動くような気がする。その日は、そこまでやって終わりにする。あとは、少しずつ、アプリケーションのインストールをしていくことになる。実際、普段使っているすべてのアプリケーションをインストールし終わったのは、25日の土曜日だった。(私は、出勤していた)

デジタルカメラ「Lumix」

2004-12-19 22:39:58 | デジタル・インターネット
 やっと新しいデジタルカメラを買った。今まで使っていたのは、ソニー製の「Cuber-shot」だった。130万画素で、パソコン上で画像を扱う分には、丁度手頃だった。でも、仕事で印刷物に使用するには全く使い物にならない。印刷物で使用するなら、最低でも300万画素、できたら500万画素くらいは欲しい。それでしばらく新しいデジカメを買うのを躊躇していた。しかし、最近子どもの写真を撮ってもPC上にしかおいておけないので、妻にちゃんとプリントアウトできるようにしてくれと要望されて、それができるデジカメを探していた。
 行きつけの池袋のBICパソコン館でデジタルカメラのコーナーを回り、いくつかのデジカメを見、カタログをもらってきて検討した。その結果、購入したのはPanasonicのLumix(DMC-FX7-S)だ。友人から、「Linux」に似ていたから買ったのかと揶揄された。それでも、浜崎あゆみのスリムボディーと「ぶれたら負け!」というハスキーな台詞に負けて買ったのではないかと言われるよりはいいが。とても使いやすい機種だ。500万画素で4万円前後、小さくて液晶が2インチか2.5インチというデジカメが幾種類も並んでいたが、手ブレ補正付というのと液晶が2.5インチと大きく、デザインと使い勝っての良さでLumixを選んだ。

 今のところ、バッテリーが長く持たないというのを除けば、ほぼ満足している。500万画素あれば、特殊な用途に使わなければ、印刷用の解像度としても十分使える。露出補正ができたり、感度(ISO)の選択ができたりできるので、かなりシビアな撮影もできる。交換用のバッテリーを一つ買い、メモリーも128MBのSDカードを買った。付属でついているのが16MBのSDカードだが、これはさすがに使い物にならない。Web用に撮影するときに予備として使えるが程度だ。500万画素の撮影をすると、せいぜい6枚程度しか保存できない。使い慣れて必要になったら、256MBくらいのSDカードを追加してもいいと思った。それだけでも1万円近くの追加になる。三脚やアクセリーを入れて、締めて5万円というところだ。

 通勤時も鞄に入れて持ち運び、昼休みなどに会社の周りを散歩したり、外出の折などはデジカメを持参し、公園などで彫刻を見つけると撮影したりして試している。カメラ自体がかなり小型なので、しっかり構えないて手ぶれを起こす。「ぶれたら負け!」という台詞は伊達ではないと思った。ライカのレンズを使ったところと、手ブレ補正と大型液晶画面が売れるポイントのようだ。私が同じようなデジカメの中で、この機種を選んだのはそのためだ。もちろん、浜崎あゆみのCMも効いている。

 CanonのPIXUS MP770というプリンタを持っているが、これを使うとほぼ市販の現像と同じくらいの写真のプリントができる。昔の銀塩カメラでやったときのような暗室などいらない。デジカメのデータをパソコンに入れ、Photoshopなどのソフトで加工すれば、かなりの写真ができる。街の写真屋さんが廃業し、DTP屋さんが廃業していく理由がよく分かる。フィルムの時より、少ないコストで何度でも取り直しができるので、いろいろな実験できていいと思うが、あまりにも気軽に取れてしまうので、写真に対する態度が安易になってしまうところがあるのが心配だ。これから、利用の仕方をいろいろ考えてみたいと思った。携帯電話ぐらいの大きさと重さで、とてもコンパクトになったので、いろいろな利用の仕方がありそうだと思う。

国際的な学力競争

2004-12-17 22:39:01 | 子ども・教育
 OECD国際学習到達度調査国際数学・理科教育動向調査の結果が発表になった。日本はトップグループにいるものの低下傾向を示している。国際的な相対評価でも低下しているし、前回と同じ問題での正答率でも低下している。中山文部科学大臣は、「ゆとり教育」を反省し、過去の文科省の指導を反省しているという。それにしても、これからは「競争」を教育の中にも取り入れた方がいいという発言が何の抵抗もなく通っていってしまうのが多少恐ろしい気がしないでもない。学力が低下していることが実証されたとしても、それは「競争」が無かったからではないことだけは確かだと思われる、
 「OECD国際学習到達度調査」とは経済開発協力開発機構(OECD)に参加している国が共同して国際的に開発した15歳児を対象とする学習到達度調査で、通称「PISA」という。「読解力」「数学的リテラシー」「科学的リテラシー」を主要3分野として調査ししている。2000年に最初の本調査を行い、その後3年ごとのサイクルで実施されることになっている。2003年はその2回目で、41カ国・地域(OECD加盟30カ国、非加盟11カ国・地域)から27万6000人の15歳児が参加した。日本からは、約4,700人が参加している。

 「国際数学・理科教育動向調査」とは、1960年創設の「国際教育到達度評価学会」(IEA)によって1964年から継続的に実施されている。今回の国際調査は、1995年、1999年に行われた2段階調査に続くもので、第4学年(小学校4年生)と第8学年(中学校2年生)を対象にして行われたものである。今回の参加は全てで46か国/地域である。日本からは、小学校150校4,535人、中学校146校4,856人が参加して、2003年2月に行われた。

 この結果、いくつかのことが指摘されている。一つは、国別の平均点で日本は、前回より落ちていること、二つ目には、同じ問題でも前回より正答率が下がっていること、三つ目には、算数や理科に対する興味関心が参加国中最低に近いこと、四つ目には勉強する時間も少なくなっていること、などである。特に、学校外での過ごし方で、宿題をする時間は、参加国中一番低く、また家の仕事(手伝い)をする時間も平均よりも少ない。それに比べてテレビやビデオを見る時間が平均より多いという結果は、異様でもある。一言で言えば、勉強しなくなっているということだ。

 これらの調査は、理科や数学だったが、それでは国語や社会はいいのかといえば、おそらく同じような結果になっているに違いない。文科省のやっている学力テストでも同じような結果が出ている。私には、「ゆとり教育」が間違っていたかどうかはよく分からないが、「知」に対する軽視があったことだけは確かなような気がする。子どもだけではなく、大人の世界でも「知」に対する軽視があるような気がするのだ。勉強することや学ぶことが、「個性」と言うことを強調するあまり、軽視されていたのだ。「総合的学習」も根本的に反省した方がいいと思う。国語や算数、理科、社会などの教科から外れた分、教科を軽視することになってしまっているような気もする。確かなことは、子どもの学力が落ちたのは、子どもだけのせいではないということだ。それは、私たち大人の責任のほうが大きいと思う。

 私は自分の子どもに、全ての教科を好きになる必要はないが、少なくとも一つくらいは好きな教科を作って欲しいと思っている。一つの教科を好きになることを通して、他の教科でも応用できる学力が身に付くと思う。それは、「総合的な学習」なんかでは身に付かないと思う。それ以前の問題のような気がする。いずれにしても、これからは、学力でも国際比較が問題にされる時代だ。日本の中だけでの格差だけでなく、世界の中で学力競争が行われる時代になると思われる。競争を生き抜くためには、自分の強みと弱みを理解し、強みを伸ばすことで弱みをカバーするというが、社会での生き方の基本である。勉強も多分同じことだと思う。何かに自信を持って、それを伸ばしていくことが大事だと思う。


いよいよ増税時代が始まる!

2004-12-16 17:07:49 | 政治・経済・社会
 自民党と公明党は2005年度の税制改正大綱を決めたようだ。私たちサラリーマンに直接関係してくるものとしては、1999年に景気対策として導入した個人所得課税の定率減税をいよいよ2006年1月から半減させるということが大きい。そして、2007年度をめどに「消費税を含む税体系の抜本的改革を実現する」と明記しているという。ある意味では、抜本的改革は小泉総理の次の総理に丸投げした感じでもある。また、定率減税縮減は、消費税増税への地ならしの意図もあるようだが、今後景気が悪化すれば、2006年度改正で「機動的・弾力的に対応する」というように腰砕けの表現にもなっている。
 私は、増税が望ましいとは思わないが、今の国家財政の状態では、増税しか方法が見つからないとは思う。しかし、財政政策の在り方なども含めて、税金の在り方ももう一度考えてみる必要があるように思う。所得税は低率減税の廃止をし、消費税を今後値上げするということが、財政改革関係の審議会ですでにささやかれている。かつて消費税が導入されたときに、直接税と間接税の見直しなど、いろいろな論議がなされた。これからもまた、増税に伴って、いろいろな論議が起こると思われれる。いや、起こすべきだと思う。

 税金というのは、国や政府からの我々が受け取る行政サービスの対価ではなく、国の主権者たる我々国民が国や政府に信託する財産の一種である。私たちは、お客ではなく、主権者である。従って、行政サービスそのものの在り方も私たちの意志を反映されたものにする必要があるし、税金の使われ方もしっかりと説明されなければならない。これは、今はやりの言葉で言えば、「アカウンタビリティー」ということだ。

 こうしたことが問題となるのは、国の財政そのものがある意味で破綻しているからだ。予算の収入として税金だけがあり、その税金に見合う支出がなされているという状態ならいいが、税収だけでは足りず、国債を発行しなければならないし、支出も国債の償還や金利支払いがかなりあって、結局は借金が増加しつつあるという状態では、何故そうなったのかという説明だけでなく、本当に健全財政になっていくことが可能なのかという説明が必要だと思う。増税は、何のためになされるのかということが明確になされなければならない。

 「国ナビ」などというものもできたことだし、国の仕組みはもう少しわかりやすく国民に説明できるようにして欲しいものだ。もちろん、これは国だけでなく、地方についてもいえる。「マニフェスト」とか「公約」とかいうものが流行らしいが、何ができて何ができなかったかをしっかりと反省し、公表してもらいたい。これから、必ず増税になる。そして、おそらく政治的な混乱が生じるに違いない。そのためにも、何のために「税制改正」をやるのか、明確にしてもらいたい。

 私の個人的な考えでは、基本的には増税は「消費税」で行うべきだと思う。そして、所得税の減税は続けるべきだと思う。それは、働くことへの意欲を高めることになるし、「消費税」が主たる税金になることにより、私たちの税金に対する態度が明確になる。私たちは、国の財政に批判をするために、節約することも可能になる。いわば、「税金」を少なくすることによる批判ができるようになる。もちろん、生産に対する圧力にもなり、景気が低迷するかもしれないが、単なる欲望だけを拡大するようなものは売れなくなってもいいと思う。必要なものは買われるし、いいものは選ばれるのだ。

 サラリーマンは、脱税をすることができない。もちろん節税もできない。だから、所得税はできるだけ少なくして欲しいと思う。その分消費税を多くすればよい。そうすれば、私たちにも払うか払わないかという選択が可能になる。それは、一つの力になりうる。私たちは賢い消費者となることによって税金をコントロールすることができるし、国や政府に対して圧力をかけられるようになる。また、利益だけを追い求める大企業に対しても批判勢力となりうるはずだ。

『新撰組』が終わった!

2004-12-12 22:44:15 | 文芸・TV・映画
 時々見ないときもあったが、久しぶりにNHKの大河ドラマをじっくり通して見たように思う。なかなか面白かった。今日は、その最終回だった。私の新撰組に対する知識とはかなり違った展開だった。いままで私は、どちらかというと明治維新については、薩摩・長州寄りに理解していたように思う。どちらが歴史の真実に近いのかというのは、よく分からない。今回のNHK大河ドラマの『新撰組』は、三谷幸喜さんが脚本を書いたのだが、三谷さんの思い入れが沢山あるような気がした。

 三谷さんの描く新撰組はまるで全共闘世代の青春ドラマに見えてくる。彼らが何のために戦うのかというと、「時代の流れ」に対する焦燥感のようなものだといえる。つまり、近藤勇たちは、なぜ戦うのかははっきりしないのだが、とにかく時代の最先端のところにいたことだけは確かなのだ。そして、時代の最先端のところにいたからこそ、近藤のような立場からも、時代の問題が見えたのだと思う。

 薩摩の西郷や長州の桂たちと近藤勇たち新撰組の人たちの根本的な違いは、武士なんて言う身分はどうでもいいと思っているかどうかという問題だ。たとえ徳川幕府に対する、薩摩や長州の恨みがあるとしても、時代認識として世の中の担い手に対する認識は西郷や桂のほうがより正当なものだとと思う。もちろん、近藤こそ多摩の百姓の生まれなのだから、それは知っていたはずだ。新撰組にも、武士でない人たちが参加している。しかし、彼らは、全共闘世代のような甘い認識があったし、苦労していない分、西郷や桂のようなしぶとさを持っていない。

 近藤も土方もわずか32歳で死んでいった。明治維新に行き着くまでに、何人ものの人たちが犠牲になっていった。むしろ、有能な人間が先に死んでいったと言うべきかも知れない。ドラマの最後の場面で、桂は、近藤たちのような忠節の士が新政府にどれだけいるかと思うと思いやられるというような台詞を喋る。それは、史実とは違うかも知れないが、新しい時代をになう優秀な人材が何人もこれまでに犠牲になったことに対する認識はあったように思う。

 それにしても、歴史上の人物というものは、描き方によってこんなに変わるものかということをこの『新撰組』は見せてくれた。若者の間に土方や沖田に対する人気があるのも理由がないわけではないのだ。時代の中でそこに生きる人物を見定めるということは、本当に難しいことなのだと思う。振り返って、今、時代の最先端にいると思われる人たち、政治や経済の最先端で活躍していると思われている人たちについても、もう少し相対化して眺める必要がありそうだ。私たちには、時代の方向さえよく見えていないような気がして仕方がない。