電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

3.11から5ヶ月

2011-08-11 21:28:31 | 政治・経済・社会

 8月5日にUSTREAMで配信されていた「孫正義×堀義人 トコトン議論 ~日本のエネルギー政策を考える~」を昨日と今日で見る。約3時間30分、とても興味深く2人の意見を聞いた。ソフトバンク社長の孫さんは自分を「原発ミニマム論者」と言い、グロービス社長の堀さんは自分を「電力安定供給論者」だと言っている。孫さんの考え方に私は全面的に賛成する。そして、こういう議論ができるようになったということが素晴らしいと思う。原子力発電を推進していくためには、本当に安全な原子力発電所を造らなければならない。どうすれば、安全になるのか、再度根本的な点検が必要だと思う。それが不可能なら、できるだけ原発に頼らないようにしていくしか方法はない。

 堀さんは、まず、東日本大震災での被災者に、哀悼の意を表し、原子力発電を推進することに力を入れていたものとして、福島第1原発に被害者に向かって、安全を確保できなかったことに対して反省した上で、原子力発電の重要性を4つの観点から主張した。①電気エネルギーを安全保障することができること、②環境にやさしいクリーンなエネルギーであること、③事故さえ起きなければ、電気を安定して供給できること、④化石燃料などの資源の枯渇ということを考えると未来があるエネルギーであり、現段階では他の自然エネルギーでは代替不可能であること、など。これは、今まで、私たちが原子力を推進してきた根拠そのものであり、改めてその原則を確認しているように見える。そして、脱原発ということになると、すぐに電力不足になり、日本経済は活力が低下するという。

 これに対して、孫さんは、次の点を問題だと言う。①福島第一原発の事故によって、「安定」「安い」「安全」という3つの神話が崩壊したこと。「安定」というけれど、沢山の事故を隠していたことが発覚したし、1基2500億円もの交付金(全国54基で13兆円)や事故での賠償金などで、最も高いコストの電力になってしまっている。そして、勿論、もはや「安全」など保証されていないと言う。さらに、②核燃料廃棄物の処理の仕方自体が未解決であること。その上、福島の瓦礫の処理さえままならない。そして、③ストレステストということを言っているが、誰も現在の基準のままで、事故が起きないと保証できないこと。保険会社でさえ保証しないものを誰が保証するのかと言う。

 孫さんは、その上で、みんなの努力で、できるだけ電気を節電して、それでも足りないのであれば、最も安全だと思われる原発を稼働すればよいという。ただ、今のところは、何とか電力の供給は大丈夫そうに見える。正確なデータがないので何とも言えないが、ピーク時の電力をできるだけ少なくすれば、何とか乗り切れそうだ。また、例えば、すべての電球をLEDにかえれば、原発14基分くらいの電気の節電になる。そのための補助をした方がよい。さらに、将来を考えて再生エネルギーによる電力の供給ができるように努力すべきである。そのために、「自然エネルギー財団」を作ったが、孫さんは、ほかの参加者にはそれなりの利益を保証したい(そうでないと、誰も参加しない)が、ソフトバンクとしては自分が生きている限り、一切利益は受け取らないつもりだと言う。

 元々、この対談は、堀さんが孫さんのことを「政商」と呼んだことにたいして孫さんからとことん話し合いたいと申し入れがあり、それに対して堀さんが「ネットによる公開討論で、モデレーター入れずに、時間をフェアに配分する方式」という提案でそれに応じたものである。お互いに相手の主張を尊重しながら、討論は進められたが、全体としては、孫さんの主張のほうに分があり、堀さんが守勢だった。それは、お互いに、もう一度原発の事故が起きたら、もうすべてがアウトになるという共通認識がある以上、福島第一原発で事故が起きてしまったということが堀さんの負い目になっているからだ。今のところ、事故処理のめどが立たない限り、つまり、これからどれだけ被害が増えるか分からない状況では、孫さんの主張が最も妥当な現段階での解だと思われる。(堀さんは、「政商」発言を撤回していた)

 これから、私たちが、確認しなければならないことは、次の諸点である。①福島第一原発の事故は、どういう事故だったのかという正確な事実のデータの入手、②原発の事故処理の確実の実行、③原発の安全性をどうやって担保するのかということ、④地域独占になっている電力会社の在り方の検討、⑤原発以外の自然エネルギーの開発、などである。確かなことは、無能な政府であるにも関わらず、私たちは、困難な状況の中で、何とか正常な経済活動をやり始めていると言うことだ。どんなに時間がかかろうとも、私たちは、安全を最優先にして、安易な解決を選択しないようにしたい。それが、被害で苦しんでいる人たちに対する私たちの立場でありたい。ここで間違うわけにはいかないと思う。


日本の円高の意味

2011-08-09 22:15:25 | 政治・経済・社会

 またもや、世界経済は、ドル安の中、失速しつつある。今日は、日銀の介入にも関わらず、ついに円は76円台になってしまった。アメリカの国債の格付けは、アメリカの経済の状況を反映したものだ。そして、このアメリカの国債のいちばんの保有国が中国であり、二番目が日本である。そして、二つの国だけでアメリカ国債の全体の半分近くになる。その上、日本国家は、アメリカに匹敵するくらいの借金を抱えている。そして、この日本の国債は、90%以上は、日本の金融機関が持っている。要するに、日本の金融機関は、自分たちの資産運用は、ほとんど日本とアメリカの国債に依存していると言うことでもある。アメリカか日本かどちらかの国債がデフォルトにならなくても、暴落するだけで、おそらく、すぐに日本のすべての金融機関は破綻するに違いない。

 ところが、不思議なことに、今は、円高で、円が買われ続けている。先週、日銀が介入して、一時1ドルが80円近くになったが、現在はまた、1ドルが76円代まで上がっている。日銀の介入がほとんど働いていない。同志社大学の浜矩子教授が、日本円は将来50円位になる可能性があると言っていたが、ひょっとしたら、現実になるかもしれない。私たちは、むしろ、そうなることを想定して、対策を講ずべきかもしれない。その昔、円は1ドル=360円だった。それが、今では、1ドル=76円の時代になっている。1ドルが本当はいくらであるべきかという基準などない。アメリカの経済と日本の経済の相対的な動きがその価格を決めているだけに過ぎない。

 さて、野田佳彦財務相は9日午前の参院財政金融委員会で、民主党の中谷智司氏に対する答弁として、円高の影響について「輸入価格の低下による企業収益の増加要因、購買力増加につながるメリットがある一方で、外需の減少や設備投資、雇用の停滞、企業の海外移転などを通じ経済成長の下押し要因になる」と指摘したそうだ。そして、「昨今のマーケット動向は明らかに一方的な円高の動きに偏っている。日本経済や金融の安定に悪影響を及ぼすという観点から、介入を実施した」と説明した。ここを見る限り、野田さんは、円高のメリットとデメリットを勘案しても、結局は、円高は経済成長を押し下げるものであり、今は、一方的な円高の動きになっていると言っているように思われる。

 特に、現在、東北大震災の影響による電気エネルギー不足の問題もあり、円高が進むことによって、より生産拠点の海外移転が進むものと見られている。ところで、その生産を海外に移転することは、国内産業の空洞化をもたらす原因となり、日本経済にマイナスになると言われている。しかし、日本の農業人口の減少と同じで、工業生産そのものも、どんどん海外に移転していて、日本の工業生産に従事する人数もどんどん減少している。そして、日本の主な産業は、第3次産業に移りつつある。そのことは、本当は、よいとか悪いとか言う問題ではなく、先進国の必然であるように思われる。そして、多分、円は、1ドル=50円、1ユーロ=100円という時代がきっと来ると覚悟した方がよい。

 つまり、これからは、本当はデフレで、円高で、コストで勝負している製造業はほとんど海外に移転しているという日本の経済の状況を前提として、物事を考えた方がいい。それは困ると考えてみても仕方がない。デルやアップルは、ハードメーカーでもあるが、今のところは、アメリカ国内では、何も製造していない。彼らは、多分、アメリカでの雇用の創造には寄与していないが、税収には寄与しているはずである。むしろ、デフレで、円高で、高齢者社会で、しかも輸出産業は海外に移転したほうがよいという状況の中で、どんな雇用が可能で、どんな経済が可能かを考えるべきだと思う。

 これからの経済は、量的な経済発展ではなく、経済の質的な転換が必要だと思う。例えば、GDPについて、日本は既に中国に抜かれて3位になった。遠からずインドやブラジルに抜かれる日が来るに違いない。それは、人口が多い国だから当たり前だ。問題は、1人当たりGDPでも、日本は過去の栄光はないと言うことだ。私たちは、高度経済成長の時代、輸出立国を合い言葉に、安くて質のよいものを作って、アメリカで売るというのが、一つの理想であった。そして、ある時期まで、その理想は日本の経済を引っ張ってくれた。今では、それは、韓国や中国やインドに取って代わられている。

 もしそうなら、今の日本は、安くて質のよいものなどもう作れなくなっていると考えた方がよい。むしろ、高いけれど質がよいものを作って売ると考えるべきだと思う。日本の農業問題は、むしろその典型だと思う。日本の不幸は、海外と言ったときにそれは、日本の外だということになってしまうことだ。華僑やユダヤ人ではないが、世界中に日本があると思うしかない。そういう時代なのだ。極端なことを言えば、日本の大学生は、日本の中で就職しなければならないと思っているところに既に問題があるのだ。食料生産だって同じである。日本は海外でも日本の農業をすると考えるべきだ。そう考えたとき、円高は、本当は、日本に有利ではないだろうか。

 日本は、3.11以降、もう過去には戻れない。東日本大震災の結果、日本のこれまでの政治・経済の在り方根本的に問われているが、日本の政治は、民主党と自民党と公明党の妥協の産物として管内閣の退陣と引き替えに、たった3つの法案を通すことしかできないでいる。エネルギーの問題、経済の問題、TPPと食料生産の問題、少子高齢化問題など、私たちは、今、大きな岐路に立っているように見える。しかし、本当は、岐路なんかではない。地球を外から眺めて見れば、国境など存在していない。国境とは、人々の幻想のなかにある何かである。私たちは、いま、現実の地形から溶け出して、不可思議に変形している国境の枠の中にとらわれているが、それがいま崩れつつある。日本の不幸は、多分、他の国から海で隔てられていて、あたかも、地形と国家が同じように見えることかもしれない。しかし、私たちの抱えている問題は、国境の枠内で考えていたら、永遠に解決できない問題だと思う。それが、3.11に世界中の人たちが注目したということの本当の意味だと思う。