21日の「クローズアップ現代」は、「佐藤優が語る 2024年の世界と日本」だった。どうやら、佐藤優を選んだのは、桑子真帆MCのようだ。小学校時代、『クローズアップ現代』に出演している国谷裕子に憧れていたというから、その頃からの夢を実現していることになる。池上彰は佐藤優とは友人で、その立場で、今回の佐藤優のテレビ出演に驚いていた。二人は考え方も近い所があるが、一方はテレビ人間であり、佐藤のほうは地上波に初めて出演したらしい。
私は、池上彰や佐藤優がマスコミの中でそれなりに活躍しているということは、日本も見すてたものではないと思っている。今回は、「ウクライナは正義の国であり、ロシアは悪魔の国である」(ちょっと言いすぎか?)というような論調だったNHKテレビの世界に、初めてウクライナやロシアをすこし客観的に眺めてみようという視点が加わってきたような気がした。私たちは、どちらかと言うとウクライナがロシアなどに勝てるわけはないから、可哀想ということで募金などにも応じたのだと思う。日本にも避難してきた人たちがいて、多くの人たちが、支援活動をしている。
しかし、ウクライナとロシアの戦いについてのイギリスの報道は、特にひどかった気がする。ひょっとしたら、日本の太平洋戦争のときの報道もこうだったのではないか思った。経済封鎖が始まり、軍事支援の結果すぐに、ロシアは、戦いに負け、経済的にも大打撃を受け、すぐに崩壊しそうな報道だった。ロシアのウクライナ侵攻から2年が過ぎようとしている現在、パレスチナとイスラエルの紛争の影に隠れて、ウクライナは軍事的にも、経済的にも危機的な状況に陥っている。本来なら停戦の道を探るべきであるが、引くに引けなくなって、「勝利するまで戦う」というゼレンスキー大統領の訴えは、何となくむなしく響いている。それは、欧州の支援疲れだけでなく、グローバルサウスと言われている国々に対応や、アメリカの世論の動き、特に大統領選挙でのトランプの動向によってどうなるか分からない状況にも左右されている。
佐藤優は、初めから、ロシアとウクライナの内在的な紛争に至る論理を細かく分析し、民主主義対専制主義という価値観の戦いという視点を批判してきた。アメリカは、ベトナム、イラク、アフガニスタン、そして、今回のウクライナ支援と、常に民主主義の戦いという立場を取ってきたが、ウクライナはまだ結果が出ていないが、みなひどいものだったと思う。そして、ウクライナも、それと同じ道を歩んでいるような気がする。悲惨なのは、ウクライナである。彼らは、アメリカやイギリスの代わりに、武器をもらってロシアと戦っているが、とても明るい展望は開けていない。むしろ、経済的にも社会的にも疲弊してきている。
もともと、ウクライナは、ロシアとEUのどちらを選ぶか迷っていた。ロシアよりの大統領もいたし、EUよりの大統領もいた。そして、ゼレンスキーが役者時代に演じた大統領が直面していたのは、腐敗しきったウクライナ内政の世界だったはずだ。ゼレンスキーが大統領になって、その体質が変わったわけではなく、変革されずに残っていたはずだ。戦争が始まると、挙国一致で一種の独裁国家になる。それは、コロナ禍の中で、私たちが経験してきたことだ。戦争は、民主主義的な行動ではない。それは、勝つか負けるかである。戦争の論理とは、敵は滅ぼせということになってしまう。
佐藤優は、現在私たちの選択肢は、即時停戦であり、その上で、話合いで問題解決に臨むべきだと言っていた。そして、そのことを積極的に進めることができるのは、多少不安があるとはいえ日本であるという。日本は、ウクライナ支援をしているが、戦争でロシア人を殺傷するような武器を提供しない国であり、G7の中でも、微妙な立ち位置を取っているという。
確かに、岸田首相は、国連総会で次のように述べている。
ここで岸田首相は「国際社会が体制や価値観の違いを乗り越えて、人間中心の国際協力を着実に進めていける」と述べている。民主主義国とか権威主義国とかいうような言葉は使わなくなった。勿論、岸田首相がどこまで自覚的かは不明だが、日本国憲法を踏まえて、広島・長崎の原爆体験に触れながら、ロシアとウクライナの対立のなかで、停戦を訴えていると捉えてよいと思われる。注目すべき言動だ。自民党の派閥の金の問題で大揺れに揺れている国会の状況のなかで、どこまで岸田首相がイニシアティヴを取って、この問題を牽引していけるかは不明だが。
私は、池上彰や佐藤優がマスコミの中でそれなりに活躍しているということは、日本も見すてたものではないと思っている。今回は、「ウクライナは正義の国であり、ロシアは悪魔の国である」(ちょっと言いすぎか?)というような論調だったNHKテレビの世界に、初めてウクライナやロシアをすこし客観的に眺めてみようという視点が加わってきたような気がした。私たちは、どちらかと言うとウクライナがロシアなどに勝てるわけはないから、可哀想ということで募金などにも応じたのだと思う。日本にも避難してきた人たちがいて、多くの人たちが、支援活動をしている。
しかし、ウクライナとロシアの戦いについてのイギリスの報道は、特にひどかった気がする。ひょっとしたら、日本の太平洋戦争のときの報道もこうだったのではないか思った。経済封鎖が始まり、軍事支援の結果すぐに、ロシアは、戦いに負け、経済的にも大打撃を受け、すぐに崩壊しそうな報道だった。ロシアのウクライナ侵攻から2年が過ぎようとしている現在、パレスチナとイスラエルの紛争の影に隠れて、ウクライナは軍事的にも、経済的にも危機的な状況に陥っている。本来なら停戦の道を探るべきであるが、引くに引けなくなって、「勝利するまで戦う」というゼレンスキー大統領の訴えは、何となくむなしく響いている。それは、欧州の支援疲れだけでなく、グローバルサウスと言われている国々に対応や、アメリカの世論の動き、特に大統領選挙でのトランプの動向によってどうなるか分からない状況にも左右されている。
佐藤優は、初めから、ロシアとウクライナの内在的な紛争に至る論理を細かく分析し、民主主義対専制主義という価値観の戦いという視点を批判してきた。アメリカは、ベトナム、イラク、アフガニスタン、そして、今回のウクライナ支援と、常に民主主義の戦いという立場を取ってきたが、ウクライナはまだ結果が出ていないが、みなひどいものだったと思う。そして、ウクライナも、それと同じ道を歩んでいるような気がする。悲惨なのは、ウクライナである。彼らは、アメリカやイギリスの代わりに、武器をもらってロシアと戦っているが、とても明るい展望は開けていない。むしろ、経済的にも社会的にも疲弊してきている。
もともと、ウクライナは、ロシアとEUのどちらを選ぶか迷っていた。ロシアよりの大統領もいたし、EUよりの大統領もいた。そして、ゼレンスキーが役者時代に演じた大統領が直面していたのは、腐敗しきったウクライナ内政の世界だったはずだ。ゼレンスキーが大統領になって、その体質が変わったわけではなく、変革されずに残っていたはずだ。戦争が始まると、挙国一致で一種の独裁国家になる。それは、コロナ禍の中で、私たちが経験してきたことだ。戦争は、民主主義的な行動ではない。それは、勝つか負けるかである。戦争の論理とは、敵は滅ぼせということになってしまう。
佐藤優は、現在私たちの選択肢は、即時停戦であり、その上で、話合いで問題解決に臨むべきだと言っていた。そして、そのことを積極的に進めることができるのは、多少不安があるとはいえ日本であるという。日本は、ウクライナ支援をしているが、戦争でロシア人を殺傷するような武器を提供しない国であり、G7の中でも、微妙な立ち位置を取っているという。
確かに、岸田首相は、国連総会で次のように述べている。
<議長、世界は、気候変動、感染症、法の支配への挑戦など、複雑で複合的な課題に直面しています。各国の協力が、かつてなく重要となっている今、イデオロギーや価値観で国際社会が分断されていては、これらの課題に対応できません。
我々は、人間の命、尊厳が最も重要であるとの原点に立ち返るべきです。我々が目指すべきは、脆弱な人々も安全・安心に住める世界、すなわち、人間の尊厳が守られる世界なのです。
国際社会が複合的危機に直面し、その中で分断を深める今、人類全体で語れる共通の言葉が必要です。人間の尊厳に改めて光を当てることによって、国際社会が体制や価値観の違いを乗り越えて、人間中心の国際協力を着実に進めていけるのではないでしょうか。>(第78回国連総会における岸田内閣総理大臣一般討論演説より)
我々は、人間の命、尊厳が最も重要であるとの原点に立ち返るべきです。我々が目指すべきは、脆弱な人々も安全・安心に住める世界、すなわち、人間の尊厳が守られる世界なのです。
国際社会が複合的危機に直面し、その中で分断を深める今、人類全体で語れる共通の言葉が必要です。人間の尊厳に改めて光を当てることによって、国際社会が体制や価値観の違いを乗り越えて、人間中心の国際協力を着実に進めていけるのではないでしょうか。>(第78回国連総会における岸田内閣総理大臣一般討論演説より)
ここで岸田首相は「国際社会が体制や価値観の違いを乗り越えて、人間中心の国際協力を着実に進めていける」と述べている。民主主義国とか権威主義国とかいうような言葉は使わなくなった。勿論、岸田首相がどこまで自覚的かは不明だが、日本国憲法を踏まえて、広島・長崎の原爆体験に触れながら、ロシアとウクライナの対立のなかで、停戦を訴えていると捉えてよいと思われる。注目すべき言動だ。自民党の派閥の金の問題で大揺れに揺れている国会の状況のなかで、どこまで岸田首相がイニシアティヴを取って、この問題を牽引していけるかは不明だが。