財団法人総合初等教育研究所の教育漢字の読み書き調査について朝日新聞の記事「『楽書き』『電園地帯』……子どもの苦手な漢字くっきり 」によれば、1980年に行われた調査と比べて漢字の力は、落ちていないと言う。ただ、低学年ではかなりの子どもたちが習った漢字を読み書きできているが、学年が上がるに従って、読んだり書いたりできない漢字が増えていくと言う。当然、習う漢字が増加していくわけだから、高学年に行くほどしっかり漢字の勉強をしておかないと、読み書きできない漢字は増えるのは当たり前だと思われる。しかし、低下の仕方が極端ではないかという感じがする。
総合初等研究所は、「学校は、児童一人ひとりの漢字学習の状況を次の学年にきちんと引き継ぐなどの工夫が必要だ」と提言しているそうだが、私は読みの低下と書きの低下の仕方がかなり違うことが気になる。つまり、読みについては77%なのでかなり読めるが、書きとなると16%になると言うことだ。正答率が80%の漢字という言い方をしているが、これはかつて文科省が指導要領で漢字が大体読めたり書いたりできるというのはどのくらいかと言われて、80%という基準を出していたことによると思う。そうすると、読みは大体読めるが、書きはほとんどできないということになる。
この問題は、算数で分数ができなくなる問題とよく似ているかもしれない。今回の学力低下問題の発端は、分数の計算ができない大学生がいるということだった。しかし、読み書き計算の基礎学力が高学年になるとしっかりやられていないのではないかということも原因の一つかもしれないが、漢字については違った問題があるような気がする。この点に関しては、同じ調査の取り上げ方でも、読売新聞の記事「小中学生の読み書き能力、なじみ薄い漢字に弱点」の方が、着目点がいいと思った。
また、ちょっとした誤答が多いことにふれて、調査責任者の小森茂・青山学院大教授の「パソコンの普及で字を書く機会が減っていることが影響していると思われ、正確な手書きを指導する必要がある」と言う言葉を紹介している。読売新聞は、この調査については1月29日の社説でもふれていて、文化として漢字の手書きの大切さを強調している。
ただ、この引用部のすぐ後で、「手で書くことは日本の文化として絶対に捨ててはいけない」と言っているが、それには少し違和感を覚える。もし、「日本の文化」だけの問題なら、場合によっては捨てることがあってもいい。ある意味では、「なじみ薄い漢字」については、書けなくてもいいくらい考えてもいい。なぜなら、その漢字はこれからあまり使われなくなると思われているからだ。これは、手で書くこととは直接関係ないが、「なじみが薄い」ととらえたのなら、それをもう少し掘り下げて欲しかった。
また、「手で書くことは日本の文化」というのはおそらく書道を想定しているものと思われるが、私は文字というものは基本的には手で書くことを通じて最も合理的に習得できるのではないかと思う。聞く話す、読み書くということは、言語活動の基本だ。それは、まず、身体を使ってやってみることが大事だと思う。そのとき、ワープロなどで書くのではなく、手を使って書くことが大事だと思う。もちろん、日本の文化である書道を利用してもよい。手を使って書き、声を出して読むということは脳の活性化にもいいと言われていて、そのために「大人のドリル」までできているが、それよりも脳が形成される12才ごろまでに手で書くという作業を通して、文字言語に対するしっかりとした言語脳をつくることのほうが大事だと思われる。
小学校の1、2年生は素直に紙に書いている。やがて、高学年になると、手書きからPCや携帯電話に移る。 これでは早すぎるのではないか。少なくとも小学生の間は、書くことは、清書用かプレゼンテーション用に使う場合を除いて、パソコンを使わない方がいいと思う。徹底的に紙の上に手で書くことが大事だと思う。私は、ゲームやビデオが悪いとは思わないが、ゲームやビデオが中心になると、ほかの発達すべき脳への刺激がなくなることが心配だ。それが、読み書きであり、聞く話すという言語活動である。
毎日新聞の「苦手な読み書き、時代を反映」も読売新聞と同じような視点からこの調査を取り上げて、小森茂教授の「漢字の力は落ちていないが、環境の変化を反映して書き言葉と話し言葉がかい離している。家庭で言葉を使うようにしてほしい」という言葉を引用していたが、そこは簡単にはいかなそうだ。まずは、家庭で子どもと積極的な会話ができるような状況を作らなければならない。家庭だけでなく、学校でも。学校があまり期待できないので、まず家庭からというのでは困るが、子どもと日常的に会話をすることはとても大切なことだと思う。
しかし、全体としてみれば、漢字に対しては、みんなかなり興味関心もあり、今後ともそれなりに学習していくのではないかという印象を受けた。特に、最近は、読み書き計算に関しては、すべての学校で指導を強化しているし、いろいろな工夫がされているように思う。私は、この調査とその結果、およびその反応を見て、何となく安心した。もちろん、こうした調査を受け入れた学校は学級崩壊など起こしていないだろうし、そういう意味では少なくともある程度漢字指導が徹底できた学校だとお思われるので、前回よりよかったということをそのまま素直に信じることはできないかも知れない。また、漢字力が落ちていないからといって、これでいいと言いたいわけではない。今後、デジタル化が進むにつれて、いま少し気になるという問題がやがて大きな問題になりそうだと思う。
正答率が80%に達した字が全体のどれだけあったかを調べると、読みでは、小2を調査対象とする1年で学んだ漢字(1年字)は89%で、中1を調査対象とした6年字は77%。書きでは1年字が92%で、6年字になると16%までダウン。読み・書きとも学習する字の数が増える2年字(160字)から3年字(200字)の間で大きく低下した。
総合初等研究所は、「学校は、児童一人ひとりの漢字学習の状況を次の学年にきちんと引き継ぐなどの工夫が必要だ」と提言しているそうだが、私は読みの低下と書きの低下の仕方がかなり違うことが気になる。つまり、読みについては77%なのでかなり読めるが、書きとなると16%になると言うことだ。正答率が80%の漢字という言い方をしているが、これはかつて文科省が指導要領で漢字が大体読めたり書いたりできるというのはどのくらいかと言われて、80%という基準を出していたことによると思う。そうすると、読みは大体読めるが、書きはほとんどできないということになる。
この問題は、算数で分数ができなくなる問題とよく似ているかもしれない。今回の学力低下問題の発端は、分数の計算ができない大学生がいるということだった。しかし、読み書き計算の基礎学力が高学年になるとしっかりやられていないのではないかということも原因の一つかもしれないが、漢字については違った問題があるような気がする。この点に関しては、同じ調査の取り上げ方でも、読売新聞の記事「小中学生の読み書き能力、なじみ薄い漢字に弱点」の方が、着目点がいいと思った。
80年の調査と比べて、正答率が大きく低下したのは、6年生で学ぶ「戸外(こがい)」の「戸」の字。80年には、5年修了時で17・3%が正しく書けたのに対し、今回は6年修了時で、6・2%の正答率だった。
逆に、「地層」の「層」の字の書きは、80年の19・7%から、67・9%に上昇。同研究所では「一戸建ての減少で『戸』の使用が減ったのに対し、『層』の字は、『高層マンション』などの使用例で目にする機会が増えたためではないか」と分析している。
また、ちょっとした誤答が多いことにふれて、調査責任者の小森茂・青山学院大教授の「パソコンの普及で字を書く機会が減っていることが影響していると思われ、正確な手書きを指導する必要がある」と言う言葉を紹介している。読売新聞は、この調査については1月29日の社説でもふれていて、文化として漢字の手書きの大切さを強調している。
漢字入門期の子供には、学校と家庭が連携し、漢数字を含んだ言葉を繰り返し耳や目に触れさせるようにしたい。国語辞典や漢字辞典も利用しよう。調査を担当した研究者は、そう言っている。
古典などの読書指導を一層充実させよという指摘も、もっともだ。
さて、大人はどうだろうか。
パソコンや携帯電話の普及で、最近は筆記具を使い、紙に字を書く機会が減ったと感じている人は少なくないだろう。読書量も減り、漢字や文章を書く力が低下している、と言われている。
ただ、この引用部のすぐ後で、「手で書くことは日本の文化として絶対に捨ててはいけない」と言っているが、それには少し違和感を覚える。もし、「日本の文化」だけの問題なら、場合によっては捨てることがあってもいい。ある意味では、「なじみ薄い漢字」については、書けなくてもいいくらい考えてもいい。なぜなら、その漢字はこれからあまり使われなくなると思われているからだ。これは、手で書くこととは直接関係ないが、「なじみが薄い」ととらえたのなら、それをもう少し掘り下げて欲しかった。
また、「手で書くことは日本の文化」というのはおそらく書道を想定しているものと思われるが、私は文字というものは基本的には手で書くことを通じて最も合理的に習得できるのではないかと思う。聞く話す、読み書くということは、言語活動の基本だ。それは、まず、身体を使ってやってみることが大事だと思う。そのとき、ワープロなどで書くのではなく、手を使って書くことが大事だと思う。もちろん、日本の文化である書道を利用してもよい。手を使って書き、声を出して読むということは脳の活性化にもいいと言われていて、そのために「大人のドリル」までできているが、それよりも脳が形成される12才ごろまでに手で書くという作業を通して、文字言語に対するしっかりとした言語脳をつくることのほうが大事だと思われる。
小学校の1、2年生は素直に紙に書いている。やがて、高学年になると、手書きからPCや携帯電話に移る。 これでは早すぎるのではないか。少なくとも小学生の間は、書くことは、清書用かプレゼンテーション用に使う場合を除いて、パソコンを使わない方がいいと思う。徹底的に紙の上に手で書くことが大事だと思う。私は、ゲームやビデオが悪いとは思わないが、ゲームやビデオが中心になると、ほかの発達すべき脳への刺激がなくなることが心配だ。それが、読み書きであり、聞く話すという言語活動である。
毎日新聞の「苦手な読み書き、時代を反映」も読売新聞と同じような視点からこの調査を取り上げて、小森茂教授の「漢字の力は落ちていないが、環境の変化を反映して書き言葉と話し言葉がかい離している。家庭で言葉を使うようにしてほしい」という言葉を引用していたが、そこは簡単にはいかなそうだ。まずは、家庭で子どもと積極的な会話ができるような状況を作らなければならない。家庭だけでなく、学校でも。学校があまり期待できないので、まず家庭からというのでは困るが、子どもと日常的に会話をすることはとても大切なことだと思う。
しかし、全体としてみれば、漢字に対しては、みんなかなり興味関心もあり、今後ともそれなりに学習していくのではないかという印象を受けた。特に、最近は、読み書き計算に関しては、すべての学校で指導を強化しているし、いろいろな工夫がされているように思う。私は、この調査とその結果、およびその反応を見て、何となく安心した。もちろん、こうした調査を受け入れた学校は学級崩壊など起こしていないだろうし、そういう意味では少なくともある程度漢字指導が徹底できた学校だとお思われるので、前回よりよかったということをそのまま素直に信じることはできないかも知れない。また、漢字力が落ちていないからといって、これでいいと言いたいわけではない。今後、デジタル化が進むにつれて、いま少し気になるという問題がやがて大きな問題になりそうだと思う。