会社で「石切り工の話」が出て、これどこかで聞いたことがあると思うが、知っているかと言う問い合わせがあった。私の記憶では20年くらい前に読んだP.F.ドラッカーの『マネジメント』と言う書物の中にあったような気がしたので、そう答えた。すると、「じゃ、丁度良かった。その本の詳しい情報と該当箇所のコピーが欲しい」と言う。家に帰ってきて、先ほどまでその部分を探していた。やっと、見つかった。
本は、正確には、P.F.ドラッカー著『マネジメント 下』(ダイヤモンド社/初版昭和45年5月30日)であった。私の記憶では、注意書きのようなところに書いてあったような記憶があったので、そうした部分を探してみたが、見つからなかった。初めから順にページをめくりながら、ざーっと眺めたが、よくわからない。それで、googleの検索欄に「ドラッカー マネジメント 石切り工」と入れてクリックしてみた。何も引っかかって来ない。
おそらく「石切り工」というのがまずいのだろうと考えて、「石切り工」を「石切工」に変えてみる。かかった。「ビジネス知識源2003年5月05日号:Vol148」と「2004年度社団法人日本青年会議所東北地区宮城ブロック協議会会長所信」が引っかかり、中を読んでみると、確かにドラッカーが言ったということで話の紹介がある。しかし、出典は明示されていない。特に後者は、ここまで書くのなら、出典を明示すべきだと思った。
仕方がないので、さらに「石切工」を「石工」に変えてみる。今度は沢山ある。いくつか見てみると、唯一、「ドラッカーの「マネジメント」を一緒に読む」が出典を明示して、「24.目標管理と自己管理(P224~P230)」の中の 「有名な3人の石工の例」として紹介してあった。しかし、これは、『マネジメント - 基本と原則 [エッセンシャル版]』の方であった。この本は、私の持っている『マネジメント 上・下』を一冊にまとめたものだ。と言うわけで、大体の該当箇所がわかったので、「目標管理と自己管理」に近い「目標と自己規制による管理」のところを読み返してみた。「熟練技能は必要だが危険」という項目の中にあった。
ここでドラッカーは、何が言いたかったのだろう。「企業の成員は、それぞれ違ったものを貢献するとはいえ、その貢献は、共通の目標に向かっていなければならない」という観点から、誰が「経営管理者」に相応しいかと問いかけているのだ。そして、「熟練技能は必要だが」そうした共通の目標をどこかにやってしまい、「熟練技能」それ自体が目的化されてしまう危険性があると言いたいのだ。つまり仕事が専門分化してくると、「目標による管理」を意識的に組織化しないと目標がどこかに行ってしまう可能性があるというのだ。ドラッカーの「マネジメント」の基本である。
ところで、私は、何故他のことは忘れてもこの場面のことをよく憶えていたのだろうか。多分、自分の意に沿わない人事異動があり、それに不満を持っていたときにこの本を読んだらしい。そして、自分の仕事の意味づけをしたのだ。初めは、会社への批判としてこの本を読んでいたのだが、やがて自分の仕事そのものについて、なぜ不満を持つのか考えたのだと思う。そのとき、「三人の石切り工」の話を読んで、自分の熟練技能へののめり込みを自覚し、自分にとっては面白くない仕事だが、会社の大きな目標の中ではどうしても必要な仕事と考え直していたのだと思う。
出版社はかつては、製造業に分類されていたが今では情報通信業になった。その出版という事業は、編集だけで成り立っているのではない。また1冊本を造れば終わりということでもない。本を造って販売し送り届けるという作業を繰り返すことによって事業となる。営業がおり、流通担当者がいる。さらには、当然のことながら総務や経理があり、システム関係の担当もいる。それら全てが出版という事業を支えているのであり、事業の目的は読者のニーズに合わせて的確な情報や知識を正確に、安く、速く送り届けることにある。そのように考えれば、編集以外の仕事もやりがいのある仕事であり、今後の技術の発展によっては出版の中心になることだってないとはいえない。実際に情報のデジタル化によって、本の造り方も販売の仕方も変わってきている。
私は、第二の男だった。それが人事異動で外されたので怒っていたわけだ。自分の熟練技能が侮辱されたような気がして悔しかったのだと思う。それをこの本で反省させられた。最近また、「マネジメント」の重要さがあちこちで叫ばれているが、30年以上も昔に書かれたこのドラッガーの『マネジメント』は今でも十分に面白い。あちこちに「石切り工」の話のようなエピソードがちりばめられており、私はこの分厚い上下巻の本をまるで文芸書かドキュメンタリーを読むかのように読んだ記憶が蘇ってきた。
本は、正確には、P.F.ドラッカー著『マネジメント 下』(ダイヤモンド社/初版昭和45年5月30日)であった。私の記憶では、注意書きのようなところに書いてあったような記憶があったので、そうした部分を探してみたが、見つからなかった。初めから順にページをめくりながら、ざーっと眺めたが、よくわからない。それで、googleの検索欄に「ドラッカー マネジメント 石切り工」と入れてクリックしてみた。何も引っかかって来ない。
おそらく「石切り工」というのがまずいのだろうと考えて、「石切り工」を「石切工」に変えてみる。かかった。「ビジネス知識源2003年5月05日号:Vol148」と「2004年度社団法人日本青年会議所東北地区宮城ブロック協議会会長所信」が引っかかり、中を読んでみると、確かにドラッカーが言ったということで話の紹介がある。しかし、出典は明示されていない。特に後者は、ここまで書くのなら、出典を明示すべきだと思った。
仕方がないので、さらに「石切工」を「石工」に変えてみる。今度は沢山ある。いくつか見てみると、唯一、「ドラッカーの「マネジメント」を一緒に読む」が出典を明示して、「24.目標管理と自己管理(P224~P230)」の中の 「有名な3人の石工の例」として紹介してあった。しかし、これは、『マネジメント - 基本と原則 [エッセンシャル版]』の方であった。この本は、私の持っている『マネジメント 上・下』を一冊にまとめたものだ。と言うわけで、大体の該当箇所がわかったので、「目標管理と自己管理」に近い「目標と自己規制による管理」のところを読み返してみた。「熟練技能は必要だが危険」という項目の中にあった。
三人の石切り工の昔話がある。彼らは何をしているのかと聞かれたとき、第一の男は、「これで暮らしを立てているのさ」と答えた。第二の男は、つちで打つ手を休めず、「国中でいちばん上手な石切りの仕事をしているのさ」と答えた。第三の男は、その目を輝かせ夢見心地で空を見あげながら「大寺院をつくっているのさ」と答えた。(『マネジメント 下』p87)
ここでドラッカーは、何が言いたかったのだろう。「企業の成員は、それぞれ違ったものを貢献するとはいえ、その貢献は、共通の目標に向かっていなければならない」という観点から、誰が「経営管理者」に相応しいかと問いかけているのだ。そして、「熟練技能は必要だが」そうした共通の目標をどこかにやってしまい、「熟練技能」それ自体が目的化されてしまう危険性があると言いたいのだ。つまり仕事が専門分化してくると、「目標による管理」を意識的に組織化しないと目標がどこかに行ってしまう可能性があるというのだ。ドラッカーの「マネジメント」の基本である。
第三の男こそ、本当に「経営管理者」といえるのはいうまでもない。第一の男は、仕事から何を得たいか知っており、とにかくそれを首尾よくえようとしている。彼は、一日分の公正な支払いに対し、一日分の公正な仕事をすることであろう。だが経営管理者とはいえない。また将来も経営管理者にはなれないであろう。
問題は第二の男である。なるほど熟練技能は必要なものである。事実、いかなる組織も、その成員に対し、それぞれがもっている技能を最大限に発揮するよう要求しなければ、その組織は退廃してしまう。しかし、本当の意味での職人とか専門家といった人は、実際には、石を磨いたり、脚注を集めたりしているにすぎない場合でも、何か大きなことをやっているのだと気負い込んでしまう危険があるものである。熟練技能は、企業でも奨励しなければならない。しかしそれは、つねに[企業]全体のニューズとの関連の下においてでなければならない。(同上p87・88)
ところで、私は、何故他のことは忘れてもこの場面のことをよく憶えていたのだろうか。多分、自分の意に沿わない人事異動があり、それに不満を持っていたときにこの本を読んだらしい。そして、自分の仕事の意味づけをしたのだ。初めは、会社への批判としてこの本を読んでいたのだが、やがて自分の仕事そのものについて、なぜ不満を持つのか考えたのだと思う。そのとき、「三人の石切り工」の話を読んで、自分の熟練技能へののめり込みを自覚し、自分にとっては面白くない仕事だが、会社の大きな目標の中ではどうしても必要な仕事と考え直していたのだと思う。
出版社はかつては、製造業に分類されていたが今では情報通信業になった。その出版という事業は、編集だけで成り立っているのではない。また1冊本を造れば終わりということでもない。本を造って販売し送り届けるという作業を繰り返すことによって事業となる。営業がおり、流通担当者がいる。さらには、当然のことながら総務や経理があり、システム関係の担当もいる。それら全てが出版という事業を支えているのであり、事業の目的は読者のニーズに合わせて的確な情報や知識を正確に、安く、速く送り届けることにある。そのように考えれば、編集以外の仕事もやりがいのある仕事であり、今後の技術の発展によっては出版の中心になることだってないとはいえない。実際に情報のデジタル化によって、本の造り方も販売の仕方も変わってきている。
私は、第二の男だった。それが人事異動で外されたので怒っていたわけだ。自分の熟練技能が侮辱されたような気がして悔しかったのだと思う。それをこの本で反省させられた。最近また、「マネジメント」の重要さがあちこちで叫ばれているが、30年以上も昔に書かれたこのドラッガーの『マネジメント』は今でも十分に面白い。あちこちに「石切り工」の話のようなエピソードがちりばめられており、私はこの分厚い上下巻の本をまるで文芸書かドキュメンタリーを読むかのように読んだ記憶が蘇ってきた。