電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

夏の暑い日に『冬のソナタ』を観る

2004-08-31 12:10:20 | 文芸・TV・映画
 BIGLOBEストリームで、『冬のソナタ』の第1話と『秋の童話』第1話が配信された。『冬のソナタ』は、2話以降は、5話パック1500円で有料になるとのことだが、『秋の童話』は、無料配信されるようだ。私は、一応、2作とも観てしまった。気がついたら、2時間過ぎていた。

 『冬のソナタ』については、講談社が「冬ソナ通り」というサイトを立ち上げ、徹底研究をしている。「どこよりも詳しいあらすじ」と「冬ソナリンク」は参考になる。というわけで、『冬のソナタ』のあらすじの紹介とか、ヨン様に対するツッコミとかは、「冬ソナ通り」に任せて、私の感想を言えば、正直言って、面白かった。第1話については、<青木さやかの「拝啓、ヨン様」>の次のような感想は、私にも半分程分かる。

……なつかしい匂いがしました。
昭和の日本のドラマ、中学時代読みふけった少女マンガと表現したほうがいいかしら。
物欲とひきかえになくしてしまった幼い日のドキドキ恋心が、よみがえってきた。
転校生のヨン様と、たまたまバスに乗り合わせたヒロイン・ユジン(想像の中では私)が恋に落ちるという典型的なパターン。
いやまたそこがいいじゃない!
ユジンに想いをよせるは幼なじみサンヒョク。
ねぇ、サンヒョクってさ、数学教授の息子のわりに特に数学もできず。いい奴のわりにモテず。
インパクトないよね?
特にブレイクもせずダラダラTVに出続ける若手芸人みたいなモンでしょ?
そのうち消えるわ。
わかりやすく嫌な女友達・チェリンからも目がはなせない。
さとう珠緒どころの騒ぎじゃない!
あと、チンスクとヨングク。
グループ内のザ・ザコキャラ。
シャ乱Qでいうと、「はたけ」ね。


 ただ、私は、「冬のソナタ」は第1話と第12話と最終回の3回を観ただけだ。そして、観た順番も、第12話と最終回はNHKの総合テレビで観、第1話はBIGLOBEストリームで、ノーカット版で日本語字幕版をPCで観た。また、その第1話を観る前に、『秋の童話』なんていうのを観たために、変則的な見方になってしまった。『秋の童話』は1998年、『冬のソナタ』は2002年に韓国KBSで放送されたもの。どちらも同じユン・ソクホ監督の作品である。

 『秋の童話』は、主人公が小さな頃、自分のいたずらのために、生まれたばかりで保育室に入っていた妹のネームプレートが隣の女の子のネームプレートと交換されてしまうという仕掛けがしてある。主人公はもてる男の子だが、妹が大好きだった。その主人公に妹の同級生から愛の告白をされてしまう。その時は、お付き合いを断るのだが、実はその女の子こそ自分の本当の妹だった。そのことを主人公とその両親、相手の母親が知ってしまうというところが第1話のあらすじだ。私には、何となく、2年後、『冬のソナタ』ができあがる下地がそこにあるように思う。

 「冬のソナタ」は2002年1月~3月に韓国KBSで放送されたとき、平均視聴率23.1%という韓国ドラマ界異例の高視聴率だったそうだ。出演者のファッションが流行し、撮影(ロケ)場所が人気のデートスポットになったりしたそうだ。2004年の現在は、日本で「韓流」(中国語で韓国ブームという意味)が起こり、日本からの観光客も訪れているという。日本でも2003年4月からBS2にて放送、好評のため同年12月にも再放送し、今年の初めにNHK総合テレビで放映されたばかりだ。そして、秋から、またBSでノーカットの韓国版が放映される予定だ。私も、その時を楽しみにしている。


NHK大河ドラマ『新撰組』

2004-08-30 09:22:47 | 文芸・TV・映画
 NHKの大河ドラマの『新撰組』は欠かさず観ている。これがどのくらいの視聴率で、どういった層に人気があるのかよくわからない。しかし、久々に、面白い展開だと思って観ている。もちろん、自分なりの新撰組像があり、それと微妙にずれたところで、ドラマは進行していく。だから、そのずれ具合を確かめ、自分の新撰組像をほんの微調整したりもする。

 昨夜の内容は、第34回「寺田屋大騒動」で、近藤勇が深雪太夫を身請けするころだ。こういうところは、とても安心して観ていられる。前回の第33回「友の死」で山南敬助が切腹をするところなどは、とても観ていられないような気持ちだった。どうも、私は、この新撰組が歴史の歯車の中でやろうとしていることが、とてもあぶなかしっくってあまり観ていられないようなのだ。

 私たちは、明治維新の担い手である、若い勤王の獅子たちのうち、多くの人たちが、特に坂本龍馬を初めとして、暗殺されたり、戦いの中で死んでいったことを知っており、その人たちを無惨だったと思っているからだ。新しい日本のために努力したのに、新しい日本を見ずに死んでいった人たち。そうしたことに荷担していた新撰組。そして、残って明治維新を実現したのは、何となくダメな人間ばかりだったような気がしたりもする。そういう意味では、彼らは明治の世界を見なくて死んだ方が良かったのかもしれない。

 高田祟史著『QED 龍馬暗殺』(講談社NOVELS)は、龍馬暗殺の面白い仮説を提起している。実際に手を下したのは、今井信郎たち見回組だが、裏で手引きしたのは西郷隆盛であること。龍馬が簡単にやられてしまったのは、寺田屋での襲撃で手を切られていて、ピストルを使えなかったからだし、そのために刀も十分に使えなかったからだということ。そのことは、西郷は十分に知っていたらしい、という仮説だ。それが本当かどうかよくわからない。しかし、十分あり得る仮説ではある。

……いや。確かに彼らはみんな純粋であったと思うよ。それは否定しない。しかし、純粋でありさえすればそれでいいのか、というとまた話が違ってくる。純粋無垢な思想が、美や正義と結びつくことは、歴史上を見渡しても意外なほどに少ないんじゃないかね。だからあの維新戦争も、果たして官軍側全員に、本当に国に殉ずるような大義や主張、そして高邁な思想があったのか、と問えば──どうだったんだろうか?としか答えようがないだろう(P325)

 そういう目で見ていけば、新撰組も違って見えてくる。彼らもまた、高杉晋作の騎兵隊ではないが、近藤勇にしても、土方歳三にしても多摩の百姓出身であり、「士道」を大事にしているが、志さえ同じくすればみんな「武士」になれるということであり、時代の動きに参加できると言うことを主張していたのではないだろうか。高田祟史さんの言葉を借りれば、「明治維新というのは、関ヶ原負け組の、徳川幕府に対する復讐戦だったんだ」ということもいえる。「士農工商」という身分制度が崩壊していく大きなうねりの中で、「薩摩藩」と「長州藩」は、徳川幕府をあくまでも武力で崩壊させたかったのかもしれない。そのためには、徳川慶喜をかっていた坂本龍馬を必要としなくなったのかもしれない。

 私は、新撰組の展開がちょっとつらくなってくると、『新撰組!』with ほぼ日テレビガイドを見て、息抜きをしたりする。これは、どう考えても『新撰組』の応援団なのだが、こういうのを読んでいると、何となくほっとするのはなぜなのだろうか。前回の第33回「友の死」について、糸井重里さんは次ようなことを言っていた。

……ようするに、ほんとうに連合赤軍だし、ドストエフスキーの『悪霊』の世界ですよね。平和のためにだの、革命のためにだので、武器を振り回したり、建物を破壊したときに、爆破したビルの中に勤めているふつうの人がいるわけでさぁ。その人たちが死んじゃうのはしょうがない、というくらいの大事なことをやってるつもりなんですよね。それで、あとで泣くようなことじゃ申しわけがたたないですよね、ほんとうは。ぼくは今回はそのまわりにある柔らかいものに対して泣けましたけど。最後のぐずぐずの場面はね、あれ、もう、甲子園の高校生みたいですよね。だからよく演じてるよね。とくに山本くんはねえ。実は、つられて泣いちゃったりはしてるんだオレも。



『エイジ』

2004-08-29 15:49:11 | 文芸・TV・映画
 昨日は、土曜日、久しぶりに子どもを連れて市ヶ谷の日本棋院まで行った。JR市ヶ谷駅前の「宮脇書店」で、本を何冊か買った。その中の一冊に重松清著『エイジ』(新潮文庫)がある。「エイジ」というのは、ageのことだとばかり思っていた。読んでみて、14歳の少年の名前で、「高橋栄司」のことだと初めて知った。

 「エイジ」は、東京郊外の進学中学校の2年生。成長期の子どもがかかる「オスグット・シュラッター病」(膝小僧のすぐ下にある、骨がぷくんと盛り上がった箇所──脛骨結節というところが痛む)で大好きなバスケット部を休部し、「帰宅部」に属している彼は、暇をもてあましながら、何となくテレビのホームドラマのような日常生活に違和感をおぼえていた。そんなとき、町に連続通り魔事件が発生し、逮捕された犯人は、同級生の石川貴史だった。

 この作品は、「朝日新聞」で1998年に連載を開始し、朝日文庫になっており、第12回山本周五郎賞を受賞している。私は、重松清編著の『教育とはなんだ』(筑摩書房)を読んでいたので、この作品の名前だけは、知っていた。今年の夏、新潮文庫になったので、初めて読んだ。

 『エイジ』は、今日の午前中に一気に読み終えた。静かに感動した。しかし、私は、自分の中学生の時代が今すぐ思い出せない。エイジの時代と場所もかなり違うのだが、それでも同じようなことがあったような気もするし、そうでもないような気もする。小学校時代、高校時代、大学時代というのは、いろいろと事件があり、それなりにエピソードが記憶の彼方から蘇ってくる。しかし、中学時代は、ほとんど思い出せない。かろうじて、よく勉強したような気もするし、好きな女のことを考えていたような気もする。

……今年の秋は雨が多かった。急に暑くなったり寒くなったりした。エルニーニョがどうしたとか、地球温暖化がどうしたとか、オゾンホールがどうしたとか、難しいことはよくわからないけど、地球は大変なことになっているらしい。それに比べれば、日本の、桜ヶ丘ニュータウンの、ガシチュウの、2年C組の、ぼくなんて、死ぬほどちっぽけで、だけど、ちっぽけはちっぽけなりに、いろいろ大変なんだ。
 でも、相沢志穂みたいに言おう、何度でも言ってやろう。
 負けてらんねーよ。

 相沢志穂というは、エイジの好きな女の子だ。エイジの相沢志穂への思いは、私にもとても懐かしいような気がした。そんなようなことが、私にもあったような気がするのだ。この小説には、エイジや相沢志穂の外に、「岡野」や「ツカちゃん」、「タモツ」、「タカちゃん」というような個性的な中学生が登場するが、彼らにもどこかであったような、さもなければ自分の中のどこかでであったような気がする。

 ところで、この小説のすばらしいところは、事件を起こした同級生の「タカちゃん」が戻って来たとき、みんなが彼を受け入れるところを描ききったこと。タカちゃんは、おそらく保護観察処分となり戻ってきたのだろう。それを、同級生たちは、しっかりと受け入れた。つい最近も、中学生や小学生の殺人事件が起きている。私たちは、事件の性格ばかりを分析する。しかし、当事者だけでなく、その当事者と関係していた周りの人たちは、きっと複雑で苦しい、言葉では分析できない気持ちがあるに違いない。彼らへの、重松清からのエールのような気がした。


社員の本の宣伝

2004-08-28 14:37:53 | プログラミング
 株式会社ツインスパークという会社は、1997年1月に有限会社設立で、WEB制作事業を開始し、1998年8月株式会社へ組織変更という会社なので、創業10年に満たない新しい会社だ。その会社のHPの右下に「社員が著者の本のご紹介」というコーナーがあり、高橋征義著『Rubyレシピブック 268の技』と高橋征義著『たのしいRuby』が紹介されていた。

 私は、ツインスパークという会社とつきあいはないし、高橋征義さんとも面識がない。しかし、この2冊の本は持っている。2冊とも私のRubyの勉強のための基本図書だ。まつもとゆきひろさんの『オブジェクト指向スクリプト言語Ruby』という本とHal Fulton著の『the Ruby Way』が少し敷居が高いという人は、まずこの本から読むことになる。その前に、入門書として私が最初にお世話になったのは原信一郎さんの『Rubyプログラミング入門』だったが、いまなら、この2冊がまずおすすめだ。

 ところで、こう書いたのは、別にRubyの入門書の紹介をしたかったわけではないが、だんだんそうなっていきそうな気もしてきた。livedoorの堀江貴文社長のブログ(社長日記)に行けば、社長自らの本や、社員の本が、堂々と紹介されている。会社がこういう風に企業の中の個人の仕事を取り上げ、自社のPRの中に利用しているところが面白いなと思ったのだ。野口みずきが金メダルを取ったために、名古屋のグローバリーは、一躍有名になり、株価も跳ね上がった。高橋征義さんが業界でどれだけ有名人なのかは、私はよく分からない。しかし、高橋征義さんの読者なら、かなり安心して仕事を発注しそうな気がする。それは、高橋さんの本がそういう力を持っているようなのだ。私が今までに読んだ、プログラミング言語の入門書の中で、いちばんよく分かる本だったから。

 柔道の谷亮子の場合は、バックはトヨタだ。トヨタが谷亮子の柔道に対する支援はかなりのものだが、トヨタくらいになると谷亮子の存在というより、日本のスポーツのパトロンであり、谷亮子を助けてあげるのは当然ではないのかという感じになる。野口みずきの場合は、半々くらいか。そうすると、青木征義さんの場合は、どのくらいになるのか。まあ、島津製作所でノーベル賞をとった田中耕一さんではないが、企業の中からじんわりと貢献しているのだろうと思う。

 これから企業は、企業の中の個人の個性に頼ることになるだろうし、そういう時代になってくる可能性がある。普通の仕事は、人によって、能力の差が2倍とか3倍になるということはあり得ない。しかし、プログラムやエンジニアリングなどの場合、個人の能力の差は2倍・3倍どころかもっと開く可能性がある。つまり、それだけ知的付加価値の創造の世界は個人の能力を大事にする必要があるのだ。私は、個性ある社員をPRに使うことは、悪いことではないと思うし、積極的に活用した方がいいかも知れないと思っている。要は、個性あふれる社員がどのくらいいるかがその会社の大きさでもあるのではないだろうか。そして、できたら、そうした個性あふれる社員が生き生きと働ける職場であるといいと思う。



電車内での携帯マナー

2004-08-27 09:12:39 | 生活・文化
 私は、通勤中、携帯電話はたいてい鞄の中に入れて、持ち歩いている。一応、標準マナー(というのは、すべてこれではないからだが)である、「優先席付近では電源を切り、その他の場所ではマナーモードに設定し、通話はしない」を守っているつもりだが、ときには忘れてしまう。そして、突然になるベルの音(設定がそうなっている)に自分でびっくりすることがある。そんなときは、たいてい妻からの電話だ。

 妻は、こういう機械に詳しくないので、私のメールに返信するとき以外は、メールを書かない。で、何かあると電話をする。仕方がないので、簡単に用件を聞き、「今、電車内だからすぐ切るよ!」と応える。この間、5秒くらい。それでも、何となく落ち着かない。本当は、出なければいいのだが、もし緊急用(実家に父親が1人で住んでいる)だったらと考え、発信者が誰だか分かるのでつい出てしまう。

 電車内でのマナーは、標準マナーで良いと思うのだが、通勤中のマナー違反は、たいてい私のような中年が多い。若い人は、常に携帯とにらめっこしているが、メールを書いたり、読んだりしているだけだ。駅と駅の間にメールを読み書きし、駅に着いたときに送受信をするためだ。高校生は、携帯電話より、同乗した友達と話をする声の方が大きい。よくもあれだけ、開けっぴろげに話ができるものだと感心する。そういえば、電車内で平気で化粧している若いOLを見たりする。30分くらいかけてフルコースで化粧する強者もいる。

 ところで、日経コミュニケーションの8月24日の記事によれば、名古屋の地下鉄では、地下鉄ホームをわざと“圏外”にしたようだ。

……名古屋市営地下鉄は今年9月までに,ホームでPDCやcdma2000方式の携帯電話が利用できないようにする。もともとホームは携帯電話の通信エリアから外していたが,「改札階から電波が届いていた」(名古屋市交通局資産活用課)。そこで,アンテナの位置や向きを変えるなどで調整。ホームや車内を“圏外”にした。「問題が起こってからでは遅い」との判断だ。

 「優先席付近では携帯電話の電源をお切りいただき,その他の場所ではマナーモードに設定のうえ通話はご遠慮ください」――。関東圏では2003年9月,関西圏では2004年2月に,鉄道事業者が携帯電話の利用マナーを統一した。

 目的は大きく二つ。一つは通話の声が周囲の乗客に与える不快感を取り除くこと。そしてもう一つが,心臓ペース・メーカーなど医療機器の誤作動への配慮である。総務省と厚生労働省などが共同で行った実験では,ごく一部のペース・メーカーと携帯電話の方式の組み合わせで,影響があるという結果が出ている。

 ただ、FOMAなどW-CDMA方式に限っては,逆にこの3月からホームをエリアにするようアンテナを設置しているそうだ。総務省などの実験で端末とペース・メーカーを約1.4cm離せば安全という結果が出たからだそうだ。私は、この辺の事情がよく分からなかったが、
ITPro記者の目の市嶋洋平さんの「『ペース・メーカーへの電磁波影響』にいただいたコメントに答える」という記事の中の「そもそもペース・メーカーはなぜ電波で誤動作するのか」を読んで、やっと分かった。

……そもそも筆者はペース・メーカーというものをきちんと理解していなかった。ペース・メーカー本体は大人であれば肩の辺り,子供であればおなかの辺りに埋め込むのだという。そして,リード線で心臓と接続する。ペース・メーカーは心臓に埋め込むものだと思っていたが,間違いだった。

 ペース・メーカーは心臓が脈を打っているかどうかを監視し,脈を打っていないと判断するとリードを使って心臓を電気信号で刺激する。脈を打っている場合は電気信号を出さない。患者の方の症状によって異なるが,脈を打たないというケースがたまに起こり,その状況に備えるためペース・メーカーを装着するのだという。携帯電話の電波がリード線にあたるとノイズが発生する。これが誤動作の原因となる。ノイズが大きいと,ペース・メーカーは心臓が脈を打ったという信号だと認識してしまうのである。

 このようなケースが生じているときに,心臓が脈を打っていないと問題となる。ペース・メーカーは脈を打っていると誤判断し,本来出すべき心臓を刺激する電気信号を出さない。

 つまり,(1)ペース・メーカーがノイズを脈動と誤認識する,(2)脈を打っていない,という二つの状況が重なったときに,患者の身に危険が及ぶのである。脈を打たない状態が3秒以上続くと,失神してしまう可能性があるという。


 私と同じような誤解をしていたようだ。「携帯マナー向上に“見切り”をつけた名古屋の試みで考える」という記事とそれと関連づけられた一連の解説は大変参考になった。そして、私も、「喫煙車」や「女性専用車」があるように、「携帯専用車」というのがあって、その中では、自由に携帯電話が使えるというようにしてもよいと思う。いまや、携帯電話利用者は、「喫煙者」や「女性」より、数が多いに違いないから。特に空いている電車では、ついマナー違反をしてしまう人が多いようだから。