新聞によれば、東京では18日に梅が咲いたそうだ。平年より11日早いという。こんなに早く咲いて、受粉の仲立ちをしてくれる昆虫は来るのだろうかというが当然の疑問ではあるが、そういうことを調べた人がいるそうだ。農業・食品産業技術総合研究機構果樹研究所の研修生の久保田博文さんは、華の前にビデオカメラを設置して、集まる虫の種類を調べたそうだ。そうしたら、色々な虫が集まるのだが、虫の数が少ないらしい。「早咲き不作」というのは、梅栽培のイロハだそうだが、教育再生会議の提言を読んで、この梅の花のような印象を受けた。
「社会総がかりで教育再生を」という第1次報告を巡っては、色々な人たちがそれぞれの立場から意見を述べている。一番大きな声は、現場の実情をよく知らない人たちが作った作文だというものだ。確かに、現場の教師がほとんどいない。いわゆる、教育問題の専門家や評論家や大企業の経営者たちがそこにはいる。勿論、再生会議の裏方には、文部科学省の役人もいるわけで、全く的はずれというわけではないが、現場をよく分かっていないということはあり得る。しかし、現場を知らないからこそ何かを言えることもあり得るのであって、現場の困難な状況に直面して、にっちもさっちもいかない教師たちの何かの約立つことはあるかも知れない。
しかし、書かれていることは、いずれも総花的で、今回の教育改革でそんなにたくさんのことができるのだろうかということは確かだ。いじめ問題や格差問題が強調されているので、見逃されがちだが、教育再生会議の提案の基本には、イギリス流の新自由主義的な教育改革の流れが透けて見える。グローバル社会の中で、世界的な「知」の世界の競争に勝ち抜くために、高度な専門的な人材や国際的に活躍できるリーダーを養成する必要があるという認識のもとに、競争原理を導入した学力向上への方向がしっかりと提案されている。
「社会総がかりで教育再生を」という発想は、そもそも間違っている。現在の教育問題を現在の教育制度の問題としてとらえ、その教育制度をどのように変えていくのかが問題であり、今一度制度の問題を徹底的に検討すべきだ。制度の問題を論じるときに、制度を担う人間の能力の善し悪しを問題にしても仕方がない。そうした問題も含めて制度は作られているべきだからだ。また、制度のほころびを、「社会総がかりで」といってみても始まらない。なぜなら、教育制度は、「社会総がかり」でできないからこそ存在する制度なのだ。
ところで、現在の教育問題の中心は、現在の教育制度が、現実の社会の動きに十分うまく機能できていないところにある。現在の社会の動きは、「競争」と「自己責任」ということであり、教育再生会議の言葉で言えば、「教育は保護者の経済力にかかわらず、機会の平等が保障されるべきであり、絶対に教育格差を生み出してはいけません。」という言葉に象徴されていると思われる。一応、頑張れば報われるということを言っているように見える。しかし、現在の教育理念と制度の徹底的な検討が加えられることなく、思いつき的に制度をいろいろいじってみたところで、現状が大きく変わるとは思えない。「競争と自己責任」は、理念ではなく現実の論理なのだ。
私には、教育再生会議の提言通りに教育改革が行われたら、今より効率的で機械的な学校ができあがるだけで、楽しい学校などできるとは思えない。勿論、子どもたちは、学校で学ぶだけでなく、あらゆるところで学ぶのであって、学校が少々おかしくなったとしても、たくましく生きる可能性はある。なぜなら、常に子どもたちは、社会を鏡として生きてきたからだ。私たちの経験から考えても、学校の授業で学んだことは、現在の私たちの学力のほんの一部でしかないと思う。教科書を厚くして沢山教材を載せれば、学力が保障できるわけではない。私たちは、教科書以外から、たくさんのものを読んだり、学んだりしてきた。むしろ、こっそり隠れて読んだ本の中に私たちの心の中に響くものが沢山あったように思う。
学校というのは、子どもたちにとって単に通過するところである。それ以上でも以下でもない。何かそれが深遠なことであるわけではない。深遠に見えるのは、そこによい教師や素晴らしい子どもたちが存在するからだ。通過する道は、厳しいこともあれば、優しいこともある。おそらく、学校というところは、通過するところに意義があるように思う。それは、同じ年齢の仲間と一緒に行動しながら学ぶという経験を通じて、競争や争いや、あるいはいじめなど、今後出会うであろう社会での問題の縮図を体験することができる。それが通過するということに意味である。
いずれにしても、教育再生会議の提案は、現在のところ考えつくすべての教育改革の提案が盛り込まれているように見える。しかし、それがどうしたら実現するのか、あるいは、実現したら何が起こるのかという見通しは、定かではない。後は、安倍総理がどうこれを推し進めるかにまかされていると言っても良い。私は、論議をどんどんやって欲しいと思う。しかし、現在必要ななことは、思いつき的な提案ではなく、現状のしっかりした分析であるように思われて仕方がない。まずは、今年の4月に行われる「全国学力調査」によって何が起こるかが、今のところ、学校現場としては最大の問題であると思う。「塾に頼らなくても学力がつく」というのは、本当はどういうことなのかが問題だと思う。