電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

『世にも美しい数学入門』

2005-04-19 23:53:37 | 子ども・教育
 お茶の水女子大学の藤原正彦教授と作家の小川洋子さんの対談が本になった。二人の話と言うことになれば、これはもう、「数学は美しい」という結論になるに決まっているようなものだと思ったが、やはりその通りだった。小川洋子さんが『博士の愛した数式』でモデルにしたというか、参考にした数学者が藤原正彦教授だ。藤原教授は、この対談の中で、数学は役に立つということより、美しいということを盛んに強調されている。もちろんそれだけでなく、この広い宇宙の中で異星人と会って、話をするとすれば、数学だけが唯一の共通の記号になりうると言うことも主張され、その論理の普遍性を強調している。
 現在学校教育では、数学や理科の大切さが強調され、生活に役立つとか、必要であるということが言われている。本当は、数学や理科が強調されるのは、もっと先端的な分野での話であって、数学や理科の裾野が狭くては、トップの数学的な力、科学的な力も伸びないということで、日本の先端技術の世界の危機が叫ばれているのだ。だから、この場合も、数学や科学は目の前の生活にすぐに役立つようなものではないに決まっている。二人の話では、数学の発展する原動力は、美に対する感覚であり、美しい解法に対する感覚が大事であり、そうした美しい数学が理解できれば、自然と数学が好きになると言う。

藤原 数学とは当面何の役にも立たないが、後生になって非常に役立つこともある、という奥床しい学問なんです。ただ価値は高い。人間には感激したいという深い欲求があり、それを満たしてくれるのは、美しい自然は別格として、数学や文学をはじめとする文化や芸術以外にあまりないですからね。(『世にも美しい数学入門』ちくまプリマー新書p23・24)

 藤原教授は、新潮選書から『天才の栄光と挫折』というとてもおもしろい本を出しているが、お父さんが新田次郎で、お母さんが藤原ていであることを初めて知った。美しいものに対する愛は、多分二人から教わったに違いない。小川さんは、NHK教育テレビの人間講座で「天才の栄光と挫折」というテーマで話された内容に惹かれたのが、『博士の愛した数式』を書くきっかけだと言う。

小川 藤原先生は、どういうことがきっかけになって、数学に魅力を感じられたんですか。
藤原 やっぱり、解けたときの喜び、そして、解いたらほめられる喜びですね。小学校三年生のとき、父が「1から10まで足すと幾つか」って問題を出してくれたんです。順番に足して55って言っても、絶対にほめられないのはわかっている。僕はほめられることが何より好きな人間なので、一時間考えて、「1から9まで並べると真ん中に5がくるから、5×9=45となる。それに残しておいた10を足して55だ」と答えたら、父が驚いて「すごい!」ってほめてくれた。その後しばらくして、私は数学者になろうと思ったんです。
(同上・p90)

 ガウスは『博士の愛した数式』で登場する三角数を使った方法で、「1から100までの自然数の和」の計算をしたけれども、藤原教授はそれとは違った独特な方法でやられたので、父親からほめられたようだ。私には、1から10までを紙に書いて、並べて考えていた藤原少年の姿が目に見えるようだ。藤原教授は、天才というのは計算を面倒だと思わないといっているが、そうした、計算したり、その結果をじっと眺めてみたりという実験・観察が美しい解法を見つけさせてくれるらしい。どうやら、私たちは、そうした数字をもう少しじっと眺めて見たり、いろいろな数字で計算してみたりして、その数字と遊んでみる必要がありそうだ。

 小川さんも多分、そうして数字と遊んだ結果、江夏の背番号28が完全数であることを発見したのだと思う。完全数というのは、「約数を全部足すと自分自身になる」という数字のことだ。いちばん小さいのが6で、これは、約数は1、2,3で、1+2+3=6となる。その次が、28で、約数は、1、2、4、7、14で、1+2+4+7+14=28であり、これはまた、1+2+3+4+5+6+7=28というようにも書ける。そして、小川さんは、この江夏の背番号が28でそれが完全数であることを発見したことが、この小説をかく山だったといっているが、それはとてもよくわかる気がした。

 それにしても、この二人の対談を読んで、数学というものの面白さと、その面白さを知るために数字と遊ぶことの重要さを知らされた。数字というものをいろいろ並べてみて、計算したり、数えてみたり、つまり、実験と観察をしてみるというのは、とてもおもしろそうだ。毎日の繰り返しのドリル学習もいいけれど、たまにはこうして、数字を書き並べて遊んでみることも必要だと思う。それは、きっと、子どもも大人も楽しくなるに違いない。新しい美の発見にもなるはずだ。

横峯さくらがツアー初優勝!

2005-04-17 21:17:42 | スポーツ・ゲーム
 宮里藍のライバルと言われ、昨年8月のプロテストで合格し、すぐさまシード権を取ってしまった横峯さくらが、ライフカードレディースで優勝した。昨年はこの大会は再春館レディースと呼ばれ、アマチアで出場した横峯さくらは、不動裕理とのブレーオフで破れ号泣していた。今年は、優勝した瞬間にうれし涙を見せていた。彼女は、とても成長したと思う。今年の女子プロゴルフは、また楽しくなりそうだ。さくらファンとしては、期待できそうだ。
 今年の大会は、韓国や台湾の選手との争いになり、最後までもつれた。先週は、最終日に最終組でスタートしたが、最後はいいところなくずるずると後退してしまった。今回は違った。16番までは、3人が並んでいた。横峯は、16番ホールのショートフォールでグリーンの外からのアプローチがトップ気味に入り、ボールがかなりオーバーしてしまった。しかし、その返しは、絶妙で、パーにはならなかったもののしっかりと打てていた。苦笑いをしていたが、かなりゆとりがあるように見えた。2位タイになったにもかかわらず、見ていて、ひょっとしたらこれは、行けるかも知れないという予感がした。

 17番、18番はまさにその通りになった。ドラバーもしっかり打てていたし、第二打もしっかり打てていた。どこにも緊張から来る不要な力が入っていないように見えた。特に、17番のバーディーパットは素晴らしいと思った。17番がバーディーになったとたんに、横峯が優勝すると思った。そして、最終18番は、ライバルの宮里藍が見守る中、堂々とバーディーで締めくくった。見事だと思った。今回は、父親の良郎さんがキャディーをしていた。なんだかんだといいながらも、横峯は父親を信じているのがよく分かる。優勝インタービューの時、横に母親が出ていたが、まだ19歳の横峯だからということと、この家族のゴルフ人生のことを考えると、母親にもおめでとうと言いたくなるから不思議だ。

 横峯さくらや宮里藍がすごいなと思うのは、才能があるだけでなく、プレッシャーをはねのけて優勝してしまうと言うことである。二人は、これからも出場すれは優勝するかも知れないと思われながらゴルフをすることになる。それは、かなりのプレッシャーになる筈だ。しかし、彼女たちはそれをプレッシャーだと思っていない節がある。そうしたプレッシャーも一つのエネルギーに変えてしまっているような気がする。

 優勝インタビューで横峯は、優勝できたことが信じられないといっていたが、16番以降の彼女のゴルフを見ていると優勝するように攻めていたと思う。横峯さくらや宮里藍は、一種の勝負感のようなものを持っていて、勝ちに行くときの潮時のようなものが分かるような気がする。それは、動物的な感なのかも知れないし、スポーツ選手として延びていくための大切な能力なのかも知れない。

 宮里藍の場合は、上二人が男で男子プロとしてかなり活躍している。これに対して、横峯さくらは、上二人が女で一人は女子プロになっているが、活躍しているとは言えない。そのせいか、これまでの横峯さくらのゴルフには多少悲壮感のようなものがあったが、今日のゴルフにはそれがなかったような気がした。何だがのびのびと戦っていたような気がした。だから、優勝が当然のような気がしてくるから不思議だ。先週は、まずインターネットで成績を知ってしまい、テレビのビデオのゴルフ番組を見る気がしなかった。今日は、予備知識無しで、久しぶりにテレビでゴルフを見たが、とても楽しく、安心して見ていられた。

いつの間にか葉桜の季節

2005-04-12 22:14:58 | 政治・経済・社会
 会社に行く途中の公園にはサクラが植わっていて、つい先日まで満開だった。昨日、今日の雨で、サクラもかなり散った。そして、そのあとから、若葉が萌えている。もう数日もすれば、サクラの花の痕跡などどこにも残さず、他の木と同じように、緑色に染まるに違いない。3月の終わりから昨日まで、忙しい日々だった。ブログを書く気力が起きなかった。その間、新聞やニュース、インターネットでいろいろな記事を読んだ。世界は、確実に変わりつつあるような気がする。
 ライブドアのニッポン放送買収の反響、島根県による「竹島の日」制定による韓国の反発、国連安保理を巡る日本と諸外国との関係や中国の反発、郵政民営化の進展などなど、私は詳しくは追跡できていない。しかし、いろいろな意味で重要な問題を含んでいるように思う。ライブドアの堀江さんについては、マスコミも大きく取り上げ話題にしているが、その他の問題については、何となく腰砕けの感じがする。それぞれが、みんな政治的な問題のように見えて、本当はこれからの日本の経済に大きく関係してくる経済問題でもあるという感じがする。

 上手く言えないけれども、これらの問題はとても重要な問題で、対応次第では今後に禍根を残しそうな問題だ。世界と日本との関係が問われているのだと思う。その中で、日本の国益だけを考えていいかという問題だと思う。ライブドアのニッポン放送の買収問題から、外国投資家が放送会社の株を取得するときの制限にまで発展したのには本当に驚いた。韓国や中国の大衆の反日運動を見て、私たちは彼らが日本を誤解していたり、謝った認識を持っているのではないかと疑ったりするが、同じことを私たちは自分自身に問いかける必要がある。外国人が上場している日本の放送会社の大株主になぜなってはいけないか、私には分からない。

 これからの時代は、世界とどう調和して生きていくかの時代だ。トヨタ自動車の世界戦略を見ていると、そのことがよく分かる。日産、ソニーを見ても分かる。もう既に、日本の中心的な企業は、日本国内だけで、日本人だけによって、運営されているわけではないし、その利益も日本国内だけに還元されるわけではない。況や、韓国や中国はもう切っても切れない経済的な関係を持っている。今起きている諸外国の日本への反発は、いわば、今まで、外国に進出していった企業が現地で受けていた反発が、国家的な規模となって起きているような感じだ。日本企業がそうした苦しい状況を乗り越えてきたように、私たちは今回の状況も乗り越えていかなければならないと思う。そのためには、絶えざる話し合いと、お互いの立場の尊重が大事だと思う。

 そのためには、一度、自分たちを相対化して見ることも必要だと思う。そうでないと、私たちも単なる反発に陥ることになる。竹島は日本にとって何なのか、また国連の安保理事国とは日本にとってなんなのか、ということをじっくり考えてみるときだと思う。日本と韓国や中国という国と国の関係ではなく、日本人や韓国人や中国人がこれからどのような関係を作っていけばいいのかということの中で、それらを捉え返してみる必要があると思う。地球の写真を見ればすぐ分かるように、そこには国境線など引かれていないのだ。国境線とは、人間の観念の中で作られた架空の線に過ぎない。昔、韓国や中国と日本は地続きであった時代もあった筈だ。

 もちろん、こんな夢のような考えがすぐに現実的な解決をもたらすとは思えないが、しかし、いつかは、日本人も韓国人も中国人も国家という枠を越えて付き合う時代がきっと来ると思う。そうした、流れにさおさすような動きが時々見られる。それでも、やはり、私たちは、同じ地球に住む仲間として生きていかなければならないと思う。少なくとも私は、日本がかつて韓国や中国でしてきたことについては素直に反省し、できるだけの賠償はする必要があると思うし、今後とも友として付き合っていく努力をすべきだと思った。