電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

『グローバル恐慌』

2009-01-25 21:32:33 | 政治・経済・社会

 現在起きている世界的な不況を、浜矩子教授は『グローバル恐慌──金融暴走時代の果てに』(岩波新書/2009.1.20)の中で、「恐慌」としてとらえている。サブタイトルに「金融暴走時代の果てに」とあるように、世界金融危機を踏まえながらも、既に事態は、「金融が暴走した結果、恐慌に至った」というわけである。ところで、金融が暴走するのは、何故なのか。おそらく、現在の危機的な事態は、そこに大きな要因を持っているので、そこのところがしっかり認識されていないと、事態の真相は見えてこないに違いない。

 浜矩子教授は、この金融の暴走の出発点を、1971年8月15日のニクソン・ショックに求めている。その日は、アメリカがドルの金交換を停止した日である。この日までは、ドルは一定の交換比率で金と交換可能な唯一の通貨だった。いわゆる、ドルの金本位制ということだ。しかし、ニクソン・ショックから、ドルは金というモノの世界から解き放たれて、ある意味では自由になった。金本位制から管理通貨体制に変わったわけであるが、このときから金融は全く新しい道を踏み出そうとしていたといえるかもしれない。それは、未知な領域である。

 金融はなぜ暴走したのか。答えは簡単だ。金融が一人歩きし始めたからである。かつて、金融には二人三脚のパートナーがいた。その名は実体経済、すなわちモノの世界だ。カネがモノとたもとをわかって別行動するようになってしまったところから、状況がおかしくなった。(浜矩子著『グローバル恐慌』まえがきpⅶより)

 ところで、たくさんお金を持っている人がより豊かになるのは、持っているお金を投資して、利益を得るからである。現在、日本だけでなく政界中で、お金は貯蓄してもほとんど利益を生むことがない。限りなく預金金利はゼロに近くなっている。お金は、投資しなければ利益を生まないのである。投資とは、ハイリスク・ハイリターンということである。この投資の世界をさらに複雑にしたのが、様々な金融商品の開発である。サブプライム問題も、この新しい金融商品により、世界中に広がった。現在の金融商品の典型は、サブプライム問題に見られてように、いわゆる債権を証券化した金融商品にある。浜教授は、この「債権の証券化」をいわば「債権の福袋化」と呼ぶ。

 証券化を活用する金融機関は、ツケで飲む客が多い飲み屋のようなものである。なじみ客が増えるのは結構だ。だが、ツケはあくまでもツケである。請求書を現金代わりにして仕入れの代金を払うわけにはいかない。店を拡張するための設備投資にも使えない。しかも、請求書の山には必ず貸し倒れの危険がつきまとう。
 そこで、飲み屋は一計を案ずる。たまった請求書を切り分けたり束ねたりして、たくさんの福袋をつくるのである。その福袋を町中の人々を相手に売りまくれば、飲み屋の手元には福袋代という形の現金収入が入ってくる。同時に貸し倒れリスクも福袋の買い手に転化することが出来る。請求書の山が突如として現金に化けるは、リスクは人に押しつけられるは。これぞまさしく、金融錬金術だ。(同上・p23より)

 この福袋が、債権の証券化商品ということになる。とてもうまいネーミングだと思う。いま、私たちは、たくさんの債権を作っている。たとえば、カードでモノを買えば、そこに債権が生まれる。ローンで家を買えば、そこにも債権が生まれる。いわゆる、サブプライムローンもそうした債権である。債権である限りは、根本的に一般多数に転売することはできない。しかし、証券になってしまえばそれが可能になる。債権の証券化は、アメリカでは金融商品の開発の中でも積極的に行われた。そうすることによって、カネを貸した上に、債権の商品化によって、カネを得て、再度投資に使えるということにになる。経済が常に成長している場合は、これがうまく回っていく。つまり、福袋は福袋なのだ。

 はたして、1986年にはクレジット・カード債権の証券化が始まった。その後、商業用不動産に関する債権担保証券も登場することになる。住宅ローンの比べれば、何かと透明性が低くなりがちな分野だた、そんなことで二の足を踏む感覚は、1980年代のアメリカ金融市場には無縁のものだった。そして、1987年、ついには銀行の一般債権に関する証券化が始まった。いわゆる債権担保証券(CLO)である。第1章でみたCDOと基本的には同じ仕組みだ。銀行融資の全てが証券化の対象となったのである。(同上・p67より)

 さて、この福袋の魔術の2段構えの大きな落とし穴を、浜教授は次の二つの問題として指摘している。一つは、福袋の禍福袋化してしまったらどうなるかという問題であり、もう一つは、福袋がたくさん出回ってしまったら何がおこるかという問題である。もちろん福袋が禍福袋になれば、価値がなくなるわけだが、それだけでなく、あまりに多種多様な福袋があって、どれが禍福袋かわからなくなってしまって、疑心暗鬼になってくるという問題である。こうなってくると、場合によっては、優良債権も不良債権化することにもなる。これが、サブプライム問題が、世界に波及した実態であるという。サブプライム・ローン証券化商品こそ、禍福袋の一つなのである。さらにこの禍福袋は、アメリカの住宅バブルの影響で巨大化していたわけだ。

 ところで、こうした金融危機は、管理通貨制度の下では、通貨の供給量を増やすことによって、回避されてきた。アメリカは、今度も同じように対処しようとしたのであるが、そして実際、多額の支援策を打ち出したのであるが、これがうまくいくのかどうかは全く未知数である。むしろ、金融危機による消費の縮小は、実体経済を大きく後退させている。そして、グローバルな恐慌となった故に、この解消は各国がばらばらではほとんど解決不可能だということも意味している。しかし、現在つい先ほど行われたG20金融サミットで保護主義封じ込め宣言をしたけれども、自国経済をどうするかについては何も切められなかったことからわかるように、「保護主義に靴音」が聞こえてくる。浜教授によれば、保護主義には、「自国産業に対する保護合戦」という形の「通商戦争」と、「為替切り下げ競争」による「通貨戦争」ということになる。アメリカのオバマ新大統領がいかなる道を進むのか、とても気になるところでもある。

 消費も投資も生産も、全てが金融化の波に乗せられて膨張して来た。信用の巨大なネットワークの存在を前提にしてこそ、人間の営みとしての経済活動はここまで地球的な広がりを持つようになってきたといっても過言ではない。
 そのような実態があるにも関わらず、金融が人間とそのモノづくりという営みを置き去りにして一人歩きを始めてしまった。これでは、問題が起きない方がおかしい。ヒトとモノはカネによって作られた梯子のおかげで、想像を絶する高みに登った。そして、その頂点で梯子をはずされて、ヒトとモノが大不況の奈落の底に急落下していこうとしている。それが現状だ。このままではいけない。金融もまた人間による人間のための営みであることを、地球経済が思い出すときが来ている。(同上・p197・198より)

 浜教授の『グローバル恐慌』は、21世紀型の資本主義の恐慌の本当に意味がこれから明らかになってくるということを教えてくれる。金融危機は何度もくり返されてきた。そして、その都度、管理通貨制度によって何とか危機を乗り切ってきた。しかし、現在の金融危機は、管理通貨制度によってだけでは、おそらく乗り切ることが出来ない。むしろ、管理通貨制度であるからこそ、根底的な恐慌になりつつあるようにさえ思えてくる。これから、私たちは、資本主義がどう変貌していこうとしているか、しっかり見極めなければならない。それは、おそらく、とてもつらい事態になるかもしれないことを覚悟しながら。


定額給付金

2009-01-12 09:50:06 | 政治・経済・社会

 朝日新聞のニュースによれば、政府が補正予算案に盛り込んだ総額2兆円の定額給付金について、「やめた方がよい」が63%に達し、「政府の方針どおり配った方がよい」の28%を大きく上回ったという。その上、麻生内閣の支持率も19%ととなり、福田内閣で最低だった昨年5月調査の19%と同水準まで落ち込んだという。なんだか、麻生内閣と自民党は、末期的な症状を呈しているようで、やることなすことがちぐはぐで、先行きが見えていないようだ。財政再建路線から景気対策優先に方針転換したといわれているが、景気対策の有効性が見えてこないのだ。

 そもそも、現在新聞で盛んに取り上げられている、非正規雇用者の首切り問題は、日本の格差社会の典型的な問題だと思われるのに、そうした社会の中で、国民すべてに定額給付金を支給して何が起こるのだろうか。おそらく、誰もが、その2兆円のもっといい使い方を考えたほうがいいと思うに違いない。確かに、現在景気は後退している。そして、先行きはとても不透明に見える。トヨタ自動車などの今年度の赤字が、愛知県などの地域社会に与える影響は、来年度になって初めて実感できるに違いない。今までの超優良企業の赤字転落の影響は、国や地方自治体にかなり大きな負担を強いるに違いない。

 しかし、私には、トヨタ自動車など日本の輸出産業を支えてきた超優良企業は、こうした赤字では決して倒産などしないと思われる。派遣を斬ったり、下請けを斬ったりしながら、彼らはさらに強固な企業に変身していくのではないかと思われる。アメリカと違って日本の場合、ある意味では、国際社会の中での強固な競争力を利用して、拡大路線を続けてきた企業が今、引き締めをしているのだと思ったほうがよい。何となく世界的な金融危機の中で、誰でもが大変になったように見えるが、経済的には、この中で損をしているもの得をしているものが必ず存在しているのだ。それが、資本主義社会の景気の本質だとおもわれる。

 正月のNHKの討論会で、「市場原理主義」という言葉を盛んに使っていた人がいたが、これからは、市場に任せるということの代わりに、市場のコントロールということが強調されるようになるかもしれない。特に、アメリカなどでは、市場のゆがみが今回の危機を招いたといわれていて、特に金融市場は変革を迫られるに違いない。それにしても、日本のバブルの崩壊のときと同じように、アメリカがゼロ金利になるとは驚きである。しかし、各国の市場は相対的なものであって、いまや世界市場がどうなっていくかが問題だと思われる。今回の金融危機こそ、市場がまずアメリカのバブル経済に警鐘を与えたのだと考えたほうがいいので、その意味では、常に市場はゆがみを正してくれているのかもしれない。
 
 私の個人的な見解では、定額給付金はやめにして、政府としてのしっかりとした景気対策をすべきだと思う。特に、格差社会の中での、問題をしっかり認識し、いったん弱者になるや止めどもなく転落して行かざるを得ない人たちに役立つような施策を作っていく必要があると思われる。おそらく、それは、究極的には、教育投資ということになるのかもしれないが、雇用促進に役立つ施策が今喫緊の課題となっていることだけは確かな気がする。それ以外の企業の問題には、政治はタッチすべき問題ではないし、考えても仕方がない。アメリカでは、ビッグスリーを救うことが課題になったが、日本の場合は、すでにバブルの崩壊時にやったことだ。

 今大切なことは、日本の状況をしっかりと見つめることだ。そのためには、本当は、早めに総選挙をした方がいいような気がする。私は、民主党に賛成して言っているわけではないが、一度、選挙をしてみる必要があるような気がする。選挙をすると言うことは、ある意味では、政治家たちの棚卸しをすることでもある。棚卸しをして、それぞれ持っている資産をしっかり見極め、次の政策に取り組んでいけばいいわけだ。現在のところ、自民党も民主党も勝手なことを言っていて、地に足がついた政策が出されていないような気がする。いずれ実施される選挙を見据えながら、得点稼ぎをやっているだけのような印象がぬぐえない。


世界が沈む

2009-01-01 00:16:51 | 政治・経済・社会

 2008年の10大ニュースは、いろいろな方面でいろいろ取り上げられているが、私の印象でいえば、「毎日jp 2008年重大ニュース」がいちばん納得させられる内容だと思った。それによれば、1位が「米リーマン経営破綻 金融危機」で、2位が「次期米大統領にオバマ氏」、3位が「小室哲哉容疑者を逮捕」となっている。これは、日本だけでなく世界も含んでいるが、私たちはもう世界も日本も区別のない時代に入っていると言える。もちろん、4位「麻生内閣誕生 福田首相から交代」とか5位「東京・秋葉原で通り魔 7人死亡」というのも大きな事件であり、以下6位「厚生年金、供与記録改ざん相次ぐ」、7位「北京五輪閉幕 日本は金9個」、8位「ノーベル賞に日本人計4氏」、9位「ゴルフ17歳石川、賞金1億円」、10位「中国製ギョウザに殺虫剤混入」と続いている。

 ところで、「米リーマン経営破綻 金融危機」は、9月16日夕刊の記事で、米メディアによると、負債総額は6,130億ドル(約64兆3600億円)で米史上最大だという。もちろん、米国市場最大だということは、おそらく世界最大だと思われる。ほとんど日本の国家予算と同じ規模の負債がどんなに大きいのか、私には実感がわかない。ただ、こうしてアメリカから起こった金融危機は、その後世界を席巻し、ついには、トヨタの赤字までに発展した。これまで、世界的に超優良企業といわれていたところが、軒並みダメージを受けているのが、危機の深刻さを示しているとも言える。

 日本は、すでにバブルの崩壊の経験をしていて、バブル崩壊後のデフレの時代を入っている。今、世界がこれから、かつて日本がたどったデフレの時代に突入していくものと思われる。そして、かつては日本だけが低金利になっていたが、これからは、世界中が低金利時代になる。それが、どんなことを意味するのか、本当のところはよく分からない。アメリカも欧州も韓国や中国も日本の円に対して急激に安くなっている。トヨタをはじめとする、これまでの日本の優良企業が赤字になっていくのは、アメリカ、欧州、中国やアジア市場の冷え込みと同時に、円高のせいでもある。もちろん、輸入産業は、おそらく利益を上げていくに違いない。

 2009年がどんな年になるかは、本当に難しい。この世界の不況は、日本のチャンスかもしれないが、世界不況の大きさゆえに、日本も巻き込まれていってしまうのかもしれない。そんな中で、私たちは、どんな立場をとればいいのだろうか。かなりの優良企業に内定していた学生が内定を取り消されたり、トヨタをはじめとした大企業が非正規雇用者を解雇し始めたりしている。現在、内定の取り消しや、非正規雇用者の解雇が問題になったのは、今のところ企業の危機というより、さしあたりの赤字への対処としての処置である故に、問題になっているとも言える。なぜなら、倒産ということになればそうした問題など吹っ飛んでしまうからだ。

 そのためか、一部の知識人たちは、内定の取り消しや非正規雇用の解雇は、やむを得ない必要悪として考えているだけではなく、マスコミで大きく騒がれること自体を問題にし始めている。しかし、必要悪と思うのは、私たち一般大衆ではない。それは、そうした決断をした企業がそう思っているだけだ。正規雇用者でなければ、解雇してもいいということはあり得ない。おそらく、企業から見れば、正規雇用者を解雇するときより、コストが少なくて済むからである。場合によれば、次は正規雇用者になって行くに違いない。私たちは、今や、日本国内に、海外に行かなくても安い労働力がどんどん増加していることを知るべきだと思う。

 おそらく、世界の不況は、日本の中では、これまでに少しずつ拡大してきた格差をさらに大きくさせるのではないかと思われる。勝間和代さんの新しい本の題は、『起きていることはすべて正しい』(ダイヤモンド社/2008.11.28)であり、これもベストセラーになるに違いない。勝間さんの考え方によれば、おそらく多分、非正規雇用者になって、今年の決算までは飛ぶ鳥を落とす勢いのトヨタに行き、1年ごとの契約で雇われていたのに、今回予想に反して解雇されて行き場を失ってしまった人は、そうなる必然があったということになるのだと思われる。それは、必然であって、正しいということではない。正しいというのは、勝間さんの価値判断に過ぎない。

 だから、「起きていることはすべて正しい」というのは、自分のやった結果がどうなったかということについて語るときは、そのように考えるべきだとしても、誰か別の人の人生については、必ずしもそうではないと考えるべきだと思う。なぜなら、そうでないとCHABOのような活動をしなければならない必然性はないことになる。私は、勝間さんもそうだが、大前研一さんの場合も、これからどうなるかということの分析は実に的確なのだが、そこに巻き込まれている人たちのとらえ方にいつも不満がある。なぜなら、資本主義社会の中で、成功するかしないかは、どうしても偶然の要素がかなりあるからだ。ある意味では、その人が持って生まれた宿命みたいなものがあり得るのだ。

 2009年は、日本経済がどうなっていくかということと同時に、世界経済の動きを押さえながら、私たちの生活がどうなっていくかということをもう少しじっくりと考えてみたい。安倍内閣から福田内閣になり、そして現在の麻生内閣になった自民党の政治が、なんだがとてもばからしくなって、何か言ってみようという気持ちまで萎えさせられてきて、ここしばらく経済や政治のことはあまり考えてこなかった。アメリカのオバマ新大統領を中心としたアメリカ経済も含めて、じっくり考えて見たい。2008年の重大ニュースを振り返りながら、そんなことを思った。