パリ・オペラ座バレエ団の日本公演が3年ぶりに東京文化会館で行われた。今回の日本公演は、4月21日から24日までが「白鳥の湖」で、4月27日から30日までが「パキータ」である。私は、知り合いが譲ってくれたチケットで、29日に見に行った。バレエを見るなんて何年ぶりだろう。テレビやDVDで時々見たりしているが、実際の公演を見に行ったのは10年以上も前の話だ。しかも、今回は、パリ・オペラ座バレエ団の公演で、今度はいつ見られるかわからない。そういう意味では、幸せであった。
こうしたバレエとか、オペラとかは、たいてい妻と一緒に行くのが多いのだが、今回は突然の話で、チケットは1枚しかなかった。一人で、バレエを見に行くというのは、妻と二人で行くのと違って、何となく華やかな気持ちにさせる。6時半開演だが、6時に東京文化会館についたら、もう多くの人びとでごった返していた。私は中に入り、会場の前のホールで赤ワインを注いで貰い、一人でホールの中二階の二人がけのテーブルに座って、会場に向かう人の流れを眺めながら、グラスを傾けた。ワインは、600円ほどだが、ここで座ってワインを飲むのが私はとても好きだ。
ワインを飲みながら、前日、友人3人と酒を飲んで語り合ったことを思い出していた。友人の二人は、早くから結婚し、もう子どもたちも大きくなっていて、ほとんど家で会うことはないのだが、その代わり、休みの日などに、女房と二人で食事をすることになるのだが、そんな時最近時々とても気まずい場合があるというのだ。彼らは、そこでふと会話が途切れてしまって、困ってしまうということらしい。私は、結婚が遅く、子供が産まれたのも遅くまだ小さいので、今のところ妻と二人で気まずい雰囲気を味わっているような暇はない。しかし、私の場合も、時々、子どもが塾や習い事に行っていて、妻と二人になるときがある。その場合は、まだ子どもの話などが中心だが、ふとお互いに孤独を味わっているような時間が流れることがある。それは、気まずいと言うより、そこに一人の人間がいるのだなという感じでもある。
子どもは自分の遺伝子を一部持っているが、妻は全くの他人である。おそらく、未だに、妻は私の知らない人生を生きてきた過去を持っているし、それはそれで、私の場合も同じだと思う。この劇場の中を行き交う多くの人たちを私は全く知らない。もちろん知っている人も居るのかも知れないが。彼らは、いろいろな目的でバレエを見に来たはずだ。それは人数分の理由や目的がある。しかし、見終わった後、バレエについて何かを感ずるはずだ。かれらは何を味わって帰るのだろうか。妻は、「美」をとても大事にする。私が、そこに「意味」や「知」を求めているとき、たいてい妻は、「とても綺麗だったね」という感想を述べる。彼女の中で、「美」は完結しているらしい。確かに、彼女が感じている美しさは、永遠に私にはわからないのかも知れない。
6時20分ごろになったので、私は、会場に入り、1階2列34番の席に座った。東京文化会館に行った人ならわかるが、そこはオーケストラボックスのすぐ前で、ほとんど右端に近く、下から舞台を見あげるような位置になる。音楽もそして踊りも、すぐ近くで、とても迫力がある。ただ、前の座席に座っている人が邪魔で、舞台の全体が見えないのが残念だった。しかし、私の周りに座っている人たちは(女性のほうが圧倒的に多いのだが)、そんなことはなれているようで、ブラボーと叫んだり、熱烈な拍手を送ったりしていた。私は、美しい踊りだと思ったが、あまりに近くで見たせいか、つま先立ちするバレエの踊りに痛々しさを感じてしまった。
「パキータ」というのは、19世紀のナポレオン占領下のスペインにいた美しいジプシーの娘の名前である。彼女は、スペインにやってきたフランス人貴族のリュシアンと恋に落ちるが、自分がジプシーであり、不釣り合いの身分であることに悩み、身を引こうとする(第1幕1場)。しかし、スペイン人やジプシーたちがリュシアンを殺そうと計画していることを知り、機転を利かして、彼を助ける(第1幕2場)。そして、その陰謀が暴かれた舞踏会で、実は自分がフランスのある貴族の娘であることがわかり、めでたくパキータとリュシアンは結ばれる(第2幕)という話だ。大体のあらすじを知ってから、私はこのバレエを見たので、登場人物たちの踊りの意味がとてもよく分かった。音楽と踊りが見事に調和していた。
バレエは、途中20分の休憩を挟んで、8時50分頃終了した。私は、真っ直ぐに池袋に向かい、9時半の特急に乗り、家に帰った。電車の中で、久坂部羊さんの『無痛』(幻冬舎/2006.4.25)を読みながら、ふと、今日のバレエのことを思い出していた。彼らは、足が痛くなったときどうしているのだろうか。ツメが割れて血が滲んだときどんな思いをしながら踊っているのだろうか。そういえば、バレエは、ルネッサンスの頃にもうイタリアで始まった踊りであるが、ある程度完成したのは、フランスのルイ14世の頃だ。このパリ・オペラ座バレエ団もそのルイ14世が始めたものだ。そう、バレエというの、貴族たちが見るためのものだ。そして、貴族たちというのは、とても残酷なものだ。イタリアから、フランスへ、フランスからロシアへ、そしてまたフランスに戻り、現代のモダンバレーへと続くバレエの歴史は、また、それで興味深そうで、機会があったら勉強してみたいと思った。