AlphaGoに敗れたとき、李世乭は、自分の人生観が覆されたという趣旨の発言をしました。彼は一生をかけて修行が必要な芸術だと信じていた囲碁が、AlphaGoが数時間のトレーニングでその生涯の芸術を消し去ってしまったと感じたのです。
さらに悲惨なことに、李世乭は最終的に1局勝利しましたが、韓国棋院はしばらくの間、李がAIアルゴリズムを欺いた奇手を打ったとして祝っていました。しかし、そんなことは無駄で、AIにトリックは通用しません。AlphaGoは李世乭の棋譜を使ってさらに強化され、一年後にはまるでアルファ・ティラノサウルスのように強力になって再登場し、柯潔は全局敗れてしまい、1局で泣き出すほどでした。私も泣きそうでした。その後、韓国棋院はAlphaGoとのトレーニングのおかげで成績は良かったと言われていますが、棋士たちは次第に興味を失っていきました。ため息が出ます。>
李世乭が、この後、確かに囲碁の世界から引退してしまった。彼は、どう頑張っても、自分が世界一になれない世界があると言っている。彼は、囲碁は一種の芸術と考えていたようだが、AlphaGoの登場によってそうでないことがわかってしまったのだ。私は、例えば、陸上競技のように、人間は自動車より、早くは走れないが、機械と競争などしなくでも、人間同士の競技はなりたつのだから、問題はないのではないかと思っていた。要するに、囲碁AIと人間は、共存できるのであり、問題は付き合って行くのかだと考えたわけだ。
しかし、Wenzhe Songは、もっと本質的な問題があると言っているようだ。
Wenzhe Songの言っていることはよく分かる。しかし、それでも私は、囲碁や将棋は人間と人間のゲームとしては成り立つのではないかと思っている。だが、彼は、それは幻想かもしれないという。確かに、昔は、誰々は、限りなく神に近い手を打つというようなことを言っていたことがあるが、現実には、人間よりはるかに、神に近いのはAIのほうだったからだ。
実際、『碁ワールド』では、2024年の新年号から、中根囲碁道場コラボ企画として、「打ち込み十二番碁 中根九段vs.AI」という連載が始まり、9月号現在、6子局までに打ち込まれてしまっている。これは、KataGoというAIとの対局だが、AIに完全に圧倒されている。もちろん、私も趣味として囲碁をやっていて、Webでは四段くらいだが、囲碁AIとプロの最高棋士との力の差は、私とプロの囲碁棋士との力の差くらい違っているとも言えそうだ。
そして、現在、プロ棋士は、AIと対局したり、AIによってようy打碁の分析をしたりしている。もはや、誰も人間の師匠の教えてもらって強くなるというより、AIが師匠になってしまっている。だから、囲碁は、AI的になっていることになる。つまり、勝つためにはAIのように打たなければならなくなっているのだ。そして、AIと仲良くなっている棋士こそが、棋戦で勝ち上がることができるのだ。これは、自動車と陸上選手が競争などしないということとは、本質的に違った事態だと思われる。そのことは、もう少し、深く考えて見たいと思っている。
現在NHK杯の中継の時に使われている囲碁AIは、KataGoのようだ。プロ棋士の解説のときに、AIの手の意味の説明をする人は少ないようだが、少なくとも現在のプロ棋士より、3子以上強いAIなのだから、単なる参考ではなく、なぜ、そこに打つとよいのかという解説が欲しい。AIは理由はいわない。ABCの三手を教えてくれるのだから、なぜそこがAなのか知りたいと思う。もう少し、折角、形勢判断と推奨する手を示しているのだから、これを利用しないのはもったいない。もっとも、プロ棋士のメンツがあるのかもしれないが。