毎年、ゴールデンウィークになると、私は、まるで罪滅ぼしのように、実家に預けてあるハナという名前の雌犬を日高市にある「こみね動物病院」に連れて行き、狂犬病の予防接種を受けることになっている。今年もその時期が来たので、29日の日曜日に息子と二人で普通に歩いて20分くらいのところにあるその動物病院まで、ハナを連れて行った。ハナの速度に合わせて歩いたので、40分くらいかかった。途中で、ハナはうんちをした。毎年同じで、ほぼ同じ場所だ。私をうんちを持参した新聞紙で包み、ビニル袋に入れて病院まで持って行った。病院に行くと、検便があるはずだ。
病院には、連休の真ん中というのに、たくさんの人たちが犬や猫を連れてきていた。ほとんど犬だった。病院に着いて、受付を終えるとすぐに、便の検査をしてくれた。病院の中の待合所は一杯だったので、外に出て、ベンチに腰掛けながら待つ。向かい側のベンチに座っていた人は、黒いゴールデンレッドリバーを連れていたが、とても人なつこく、我が家のハナにもなれなれしかった。と、彼女が「ハナ」と呼んだ。どうやら、その犬もハナというらしい。「そうなの、この子もハナというのよ」と彼女は、笑って答えた。私は、「この子」という言い方に、妙に感心した。そういえば、こみね動物病院の人たちも、「この犬」という言い方ではなく「この子」と呼んでいた。
ハナという犬は、今は、実家に預けてあるのだが、我が家が東京の江古田から、飯能市に来た最初のクリスマスイブに知り合いから貰った雑種の犬である。私たちは、飯能に来て、7年目になったわけだから、ハナも7歳であり、人間で言えば、50歳くらいになったところだと思われる。ということは、私とそんなに変わらないことになる。3年程前に新しい家を建て、とても犬を置いておけないということで、車で15分程に妻の実家に預けるようになった。実家には、妻がほとんど毎日のように行っており、私も、日曜日にはたいていお邪魔している。だから、たいていは、私が来ていることを知ったハナは、少し興奮気味になる。
ところで、私はといえば、自分の家で飼っていたハナに対して、「この子」というように語ったことはなかった。こちらが何かをしてあげないと何もできなかった子犬のころを除いて、私はハナに対して、優しくはなかったと思う。ハナは、私が一家の主人だと言うことを知っているらしく、妻や息子にはじゃれついても、私の前ではおとなしかった。自宅で飼っていた頃は、休みの日には、朝一番に散歩に連れて行くことが私の役割だった。散歩の時には、よく私と同じように犬を連れて散歩している人によく出会ったものだ。そんな時、おとなしい犬ですねというよく言われた。だが、私は、一度も「この子」というように言ったことはなかったように思う。
待つこと1時間ほどしてから、血液検査。この検査では、特に異常はなかった。ついでに、フィラリアの検査をして貰う。検査の結果、陽性。つまり、フィラリアに犯されている可能性があると言うことで、もう一度本格的な血液検査をして、レントゲンまで撮った。どうやら、ハナは、フィラリアに冒されているらしいことが判明した。レントゲンの結果では、心臓そのものには、まだ異常はないようで、狂犬病の注射は、大丈夫だということだった。フィラリアというのは、蚊によって感染する犬の心臓にとりつく寄生虫のことである。人間にも感染する可能性はあるが、人間の場合は、白血球によってすぐに退治されてしまうが、犬の場合だけ、フィラリアは犬の白血球と相性がよいらしく犬の心臓にしっかりと寄生し、やがて犬をしに至らしめるという。
治療のこともあるので、実家にいた妻を電話で呼び出した。狂犬病の予防注射が終わってから、獣医さんにハナの今後の治療の方法について教えて貰った。まだ、身体にそんなにダメージを与えているわけではないので、薬を飲んで様子を見ましょうという。薬は、最初が少し難しいのだが、月1回の投与で、1年半くらいかかりそうだとのことだ。最初の薬の時場合によっては、具合が悪くなる可能性があるので、動物病院が開いているときにやった方がいいということになった。そんなことを言われると、こちらが心配になる。ハナは、そんな人間たちの会話などどこ吹く風で、早く家に帰りたがっていた。
狂犬病の予防接種と、フィラリアの検査、レントゲン撮影、薬代で、1万5千円ほどかかった。犬には、保険がきかないところから考えれば、普通の料金なのかも知れない。しかし、これから、また、検査や薬が必要になるに違いない。犬の病気も人間並みに費用のかかることだと知った。昨年、狂犬病の予防接種の時、フィラリアの検査をしなかった。そして、途中まで前に貰った薬を飲ませていたが、夏の後半は薬がなくなっていた。その間にかかったに違いない。獣医さんから、最近この地域でよくフィラリアにかかったいる犬が多いといわれた。私が責められているような気がして、とても辛い気がした。
ハナは、車に酔うので、歩いて連れて帰らなければならない。息子は、妻と車で帰った。私は、ハナと一緒に病院から歩いて帰った。いつもなら、ぐいぐい私を引っ張って、ハアハア言いながら歩くハナは、今日は、ゆっくりと歩いている。時々、臭いをかぎ、おしっこをして、とことこと歩いていく。ハナと呼ぶと、一瞬立ち止まりこちらを向くが、また、前を向いて歩いていく。その時、不意と心の中で、「この子は、病気になったなんていうことは、きっと何も知らないで生きていくのだろうな」と呟いたような気がした。私も、今日病院で出会った人たちが、自分の飼っている動物たちを「この子」と呼んでいる気持ちが、少しだけ分かったような気がした。