ATとはアチーブメント・テスト(Achievement Test)のことであり、PAとはパフォーマンス・アセスメント(Performance Assessment)のことである。一応、前者は「目に見える学力」、後者は「目に見えない学力」を対象にしているということができる。「内外教育」9月21日号によれば、日本教育社会学会第56回大会で、お茶の水女子大学の耳塚寛明教授と諸田裕子プログラム研究員による「学力・学歴・進路」という発表があり、そこでATとPAの実施による分析が報告されたという。
ここでの発表は算数の結果が中心だが、PAのポイントとしては、算数の問題に対して式や答えだけでなく理由や考えたことなどを含め、図や絵なども使いながら、十分な時間をかけて解答させるところにある。そして、解答の評価を、「概念的知識」「手続き的知識」「推論とストラテジー(方策)」「コミュニケーション」という観点からそれぞれ「示されていない=0」「低=1」「中=2」「高=3」の4段階で行ったという。ある意味では、算数の本当の学力はどのくらいかを調べたということだ。この評価方法については、諸田研究員は次のように述べている。
児童のアンケート調査を参考にATとPTの結果を分析すると、「従来型のATの結果は、勉強時間や通塾の有無、父親の学歴などの要因によってかなりの程度左右される」という。これと反対にPAでは、ATほど明瞭な関係は見られないという。むしろ、ATが低い児童の中に、PAの高い児童がいる場合があるという。その逆のPAが低いのにATが高いという児童は見あたらないという。ここから、耳塚教授はPAの利点を次のように言う。
また、こういうことが言えるのは、「『学力』全体が、『PAによって測定される学力』を下部構造とし、この上に『ATによって測定される学力』が丈夫構造として乗っている」からだという。そう考えると、「PAが低ければATは高くなり得ず、PAが高い場合にのみATが高くなり得る現象が理解できる」と言う。
ここから何を導き出せるだろうか。一つは、経済的・文化的条件に恵まれない家庭の児童の中にも本当の学力を持っている児童がいるということ、二つ目は、学校の役目として、PAが高くてATが低い児童を救ってあげる必要があるということ、最後にPAのようなテスト(評価方法)をもっと開発して、本当の学力を的確に評価できるようにすることが大切だと言うことになる。おそらく、お茶の水女子大学の付属の学校では、そうした工夫をして、PAの高い児童を入学させているのではないか。有名私立小・中学校は、PAのような選抜テストを工夫していると思うし、優秀な児童生徒を集めるためには、単なるATだけではだめだというのは常識でもある。私の予想では、そのうちに学校の内申書より、塾の内申書のほうが重視されるのではないかと思うくらいだ。
ところで、PAが低い児童は、どういう児童なのだろうか。それは、救いがないのだろうか。PAを高くするにはどうしたらいいのだろうか。PAとは、知能指数のようなものだろうか。学力は向上させることができるはずだと思う。例えば、蔭山英男校長のような実践は、ATを高くすると言うより、PAを高くすることによってATを高くしようと言う実践のような気がする。ここのところが、はっきりさせられないと、単なる選抜のためのテストという側面だけが強調されてしまうことになってしまうような気がする。
従来型テストでは見えてこない児童の思考プロセスを多面的に評価できるテストを実施したところ、従来型のテストで好成績を出せない児童の中にも、思考プロセスでは優れた結果を出す児童がいることが明らかになった。また、多面的なテストで早くされる学力が、学力全体の基盤になっている可能性があることが分かった。(「内外教育」9月21日号)
ここでの発表は算数の結果が中心だが、PAのポイントとしては、算数の問題に対して式や答えだけでなく理由や考えたことなどを含め、図や絵なども使いながら、十分な時間をかけて解答させるところにある。そして、解答の評価を、「概念的知識」「手続き的知識」「推論とストラテジー(方策)」「コミュニケーション」という観点からそれぞれ「示されていない=0」「低=1」「中=2」「高=3」の4段階で行ったという。ある意味では、算数の本当の学力はどのくらいかを調べたということだ。この評価方法については、諸田研究員は次のように述べている。
「関心・意欲・態度」を測定するものではない。解法に無意味な絵や図は評価の対象とならない。PAは、従来型のATとも「新学力観」による評価とも違う。重要な点は、いくつもの方法を同時に採用して、「学力」を多次元で把握していくことだ。(同上)
児童のアンケート調査を参考にATとPTの結果を分析すると、「従来型のATの結果は、勉強時間や通塾の有無、父親の学歴などの要因によってかなりの程度左右される」という。これと反対にPAでは、ATほど明瞭な関係は見られないという。むしろ、ATが低い児童の中に、PAの高い児童がいる場合があるという。その逆のPAが低いのにATが高いという児童は見あたらないという。ここから、耳塚教授はPAの利点を次のように言う。
AT的テストによる選抜は、家庭の経済的・文化的条件による選抜だと言ってよい。これに対してPA的テストによる選抜は、家庭的背景の上で相対的に恵まれない子供にも福音をもたらす可能性がある。(同上)
また、こういうことが言えるのは、「『学力』全体が、『PAによって測定される学力』を下部構造とし、この上に『ATによって測定される学力』が丈夫構造として乗っている」からだという。そう考えると、「PAが低ければATは高くなり得ず、PAが高い場合にのみATが高くなり得る現象が理解できる」と言う。
ここから何を導き出せるだろうか。一つは、経済的・文化的条件に恵まれない家庭の児童の中にも本当の学力を持っている児童がいるということ、二つ目は、学校の役目として、PAが高くてATが低い児童を救ってあげる必要があるということ、最後にPAのようなテスト(評価方法)をもっと開発して、本当の学力を的確に評価できるようにすることが大切だと言うことになる。おそらく、お茶の水女子大学の付属の学校では、そうした工夫をして、PAの高い児童を入学させているのではないか。有名私立小・中学校は、PAのような選抜テストを工夫していると思うし、優秀な児童生徒を集めるためには、単なるATだけではだめだというのは常識でもある。私の予想では、そのうちに学校の内申書より、塾の内申書のほうが重視されるのではないかと思うくらいだ。
ところで、PAが低い児童は、どういう児童なのだろうか。それは、救いがないのだろうか。PAを高くするにはどうしたらいいのだろうか。PAとは、知能指数のようなものだろうか。学力は向上させることができるはずだと思う。例えば、蔭山英男校長のような実践は、ATを高くすると言うより、PAを高くすることによってATを高くしようと言う実践のような気がする。ここのところが、はっきりさせられないと、単なる選抜のためのテストという側面だけが強調されてしまうことになってしまうような気がする。