吉本隆明が87才で亡くなった。勝手な思い込みかもしれないが、私たちの世代にとっては、彼は「師」だった。何か、思想的ななやみがあるときは、彼の著作に尋ねた。また、彼が書いた物が出版されるとすぐに購入して、読んだ。どんな組織にも属せず、一人で生きていこうと決心した者にとって、その「自立」の思想は、強い支えだった。私たちは、一人でも、思想的に生きていけるのだということを吉本隆明に学んだような気がする。高橋源一郎は、私より3つほど年下だが、そんな吉本隆明について、「思想の『後ろ姿』を見せることのできる人だった」と言っている。
吉本さんは、「正面」だけではなく、その思想の「後ろ姿」も見せることができた。彼の思想やことぱや行動が、彼の、どんな暮らし、どんな生き方、どんな性格、どんな個人的な来歴や規律からやって来るのか、想像できるような気がした。どんな思想家も、結局は、ぼくたちの背後からけしかけるだけなのに、吉本さんだけは、ぼくたちの前で、ぼくたちに背中を見せ、ぼくたちの楯になろうとしているかのようだった。
(朝日新聞2012/3/19朝刊高橋源一郎「吉本隆明さんを悼む」より)
私も、学生の頃から、ずっと、吉本隆明と一緒に生きてきたように思う。彼のたくさんの著作や講演を読んだり、聞いたりしてきた。彼が新しい著作を出すとすぐに買い、むさぼるように読み、何となく、自分の生き方を見直し、どちらかというと不如意な生き様を耐えるための糧にしてきたように思う。多分、私たち団塊の世代の中で吉本�・明に魅了されていたものは、すべてそうしていたに違いない。それは、私たちの世代の深部に、大きな影響を与えていたと思われる。私と同年の橋爪大三郎が、『永遠の吉本隆明』(洋泉社新書/2003.11.21)の中で、吉本隆明は団塊世代へどんな影響を与えたのかについて、次のように戯画的に描いている。
その効果には、二つの側面があります。
一つは、万能の批判意識が手に入ることです。
現実に妥協して党派をつくったりする共産党や新左翼のセクトは、権力をその手に握ろうとしていて、純粋ではなく、失敗を約束されている。ですから、個々人はそれに加わらないことで、共産党や新左翼に対する優位を保つことができる。しかも自分は、テキストと祈りの生活を送るわけですから、自分の知的活動自身を肯定できる。そして、吉本さんの本を通じてさまざまな書物を読み、これが唯一正しい生き方であると考えることになる。倫理的にも道徳的にも、政治的にも。つまり、非政治的なことが、政治的に正しいことになるわけです。もちろん、自民党的リアリストよりも、優位に立つことにもなる。それは、彼らが現実の利害に妥協し、権力を手にしているからです。
もう一つ、同時に、この全能感の裏返しとして、まったくの無能力の状態に陥ります。現実と接点をもてなくなるわけです。文学を続けていくか、あるいは、一杯軟み屋で吉本思想をもとにクダを巻くことはできるけれども。では、現実にどうやって生きていくか、となると、生活者として生きていくということになる。吉本さんのように文筆で食ぺている生活者は、これは立派なことなのだけれども、吉本さん以外の何人に、それが可能だろうか。ふつうの人は、ふつうの世俗の職業につくしかない。それがサラリーマンであり、役人であり、塾の先生であり、その他さまざまなふつうの職業です。
そうすると、信仰と祈りの生活ではなく、世俗の生活が待っているわけです。はじめは世俗の生活を週六日やって、残りの一日を信仰と祈りの生活にあてているのだけれども、そのうち信仰と祈りがだんだん遠のいて、完全な世俗の生活と区別がつかなくなってしまう。
(ここまで、書いてきて、いい加減止めようかなとも思った。団塊の世代の私としては、なんだか、切なくなって来る。しかし、もう少し続けよう)
しかしそこには、でもそれでいいんだ、という、最初の自己肯定があるわけです。これが団塊の世代の「ずうずうしい転向」というヤツですね。全共闘でさんざん勝手なことをやっておきながら、のうのうとサラリーマンになり、年功序列で上のほうにあがっていったり、郊外に一戸建ての家を買つたり、たまには海外旅行に行ったりする。なんだあいつら、ちゃっかりいい目を見ながら、酒場でクダ巻いてとか、そんなことを言われているのに気がつかない。そういう鈍感さに結びつくのですね。この世代の人びとは、内面に忠実に、同時代と距離をとり、端的に生きてきたつもりなのですが、その結東、いちじるしい鈍感さを生むわけです。後ろの世代に言わせると、とても目障りだ、もうどうしようもない、口もききたくない、早くあいつら消えて無くなれ、というような感じですね(笑)。企業のなかでの年齢構成の問題や、その他いろいろな要因がからんでいるのでしょうが、給料は高いのに戦力にならず、ブーブー文句を言うばかりで、邪魔にされている。吉本さんの影響力は、こうした事態にも、帰結している。
(もちろん、これは、言われてみれば、そうだなあと思える。大体において、団塊の世代というのは、数が多すぎるのだから、ダメなやつも目立つのだ)
ですから、こういう社会現象を生み出すに至る大きなきっかけとなったのが、吉本さんだとも言える。社会主義・共産主義思想を、個人の資格から考えて個人化し、権力という概念を問題化し、それを否定的に位置づけ、そして破壊してしまった。革命を現実の課題としなくなった。そういう点が、たいへん面期的なのですね。
これは仏教のなかで、親鸞にあたるような役割です。吉本さんは親鸞に惹かれ、文学者の中では、宮沢賢治にとくに惹かれています。親鸞は、仏教者であるのに、出家など意味がないと言い、仏教の組織原則を破壊してしまった。宮沢賢治もいっぽうで科学性、合理性と、もういっぼうで個入的願望の世界、つまり日連宗による祈りの世界、自己献身による倫理性のようなものとを、結晶化した人格ですね。そういう意味での共鳴の感覚は、たいへん強いものがあるのではないでしょうか。
(橋爪大三郎著『永遠の吉本隆明』 p50~52)
私は、これを読んだ時、感嘆したことを覚えている。ある意味で、まさにその通りだったからだ。(橋爪の本の引用が、ここだけだと、なんだか、彼は与太話ばかりしているようだと思われるといけないので、補足する。彼は、まじめに、吉本の政治・経済論だけでなく、言語論や共同幻想論、心的現象論、ハイ・イメージ論など丁寧に読み解き、彼の立場から、そのすぐれた側面を指摘している。そちらの方に興味ある場合は、原著にあたって欲しい)
ところで、吉本隆明は、どこかで、25時間目という話をしていた。思想としては、24時間普通の生活をしている人が一番えらいと考えるべきだ。しかし、それでは、思想は創れない。だから、思想は、25時間目に創るしかないというような意味だったと思う。そして、そういう思想でないと本当の思想とは言えないというような意味だったと思う。少なくとも、吉本隆明の言う「大衆の原像」ということの意味を私はそう理解していた。橋爪はそのことを、「世俗の生活」と「信仰と祈り」というように言っている。吉本隆明の意図とは、多少違っているが、現実は、おそらくその通りになってしまっている。
私たちは、間違った地平に来ていると言うべきだろうか。多分、それはそれでいいのだと思う。橋爪大三郎は、おそらく、吉本隆明によって、哲学者としての生き方を見付けたのだし、高橋源一郎もまた、吉本隆明によって作り出された作家でもある。実際、高橋は、小説を書き始めたとき、吉本隆明をたった1人の読者とて想定して書いていたと言う。同じ、団塊の世代の糸井重里も「ずうっと、大多数の『うまいこと言えない』人々を、応援し手伝おうとしてきた」(ほぼ日刊イトイ新聞)のが吉本隆明だったと言う。まるで親鸞に対する唯円の役割ような本、『悪人正機──Only is not Lonely』(朝日出版社/2001.6.5)を彼は吉本と書いている。世俗の生活と信仰と祈りの生活との間で折り合いを付けて来た人が、少なくとも3人はいるわけだ。
目が見えなくなるっていうのは相当にキツイことでね。あの、梅倬忠夫さんなんかでも自殺しようかなんて思ったっていうんですね。僕もそれに近いところまではいったかな。こうなってなお、この世は生きるに値するかみたいなことを考えてね、それまでの自分の考えを修正したわけですよ。
いちぱんの修正結果は「死は自分に属さない」っていうことでしたね。
たとえぱ臓器提供における本人の意思が云々の話にしても、いくら自分のハンコ押したって、てめえが死ぬのなんかわかんねえんだから、結局は近親の人が判断するしかないんですよ。死を決定できるのは自分でも医者でもない。要するに看護してた家族、奥さんとかですよね。その人が、「もう十分……」と判断した時、もう結構ですからと言われた医者が延命装置を外して、死はやってくるんです。
つまり、老いたり身体が不自由になったりした次に死が訪れるんだという考え方は、本当は間違いじゃないかって思ったんですよ。
(吉本隆明聞き手糸井重里『悪人正機』p18より)
この話を読んだときも、私は衝撃を受けた記憶がある。そして、吉本隆明は、逝った。
吉本さんの、生涯のメッセージは「きみならひとりでもやれる」であり、「おれが前にいる」だったと思う。吉本さんが亡くなり、ぼくたちは、ほんとうにひとりになったのだ。
(高橋源一郎「吉本隆明さんを悼む」同上より)
「国民は国家のために死ねない」VS「国民は国民のために死ねない」、さて、どちらが真実なのか?
一体、日本の知はどうなっているのでしょうか?