私たちは、小学校の理科の時間に、アブラムシとテントウムシの関係を習ったことを覚えている。植物に寄生して時には、植物を枯らしてしまうこともあるアブラムシを害虫だとすれば、そのアブラムシの天敵であるテントウムシは益虫ということになる。というわけで、あの植物に緑色の固まりのようになって、多くの集団でたかっているアブラムシを私たちは、あまりいい気持ちで見ていない。ここでも、「益虫」と「害虫」という言葉は、大きな意味を持って私たちのものの見方を作っている。
ところで、アブラムシは、別名「アリマキ」ともいい、基本的には単為生殖の昆虫だ。もともと昆虫が大好きだった生物学者の福井伸一青山学院大学教授は、最新著『できそこないの男たち』(光文社新書/2008.10.20)の中で、わざわざ1章をもうけて「アリマキ的人生」について書いている。この第7章は、アリマキの生態を通して、生物学的な意味でのオスとは何かを定義している章だということができる。
メスのアリマキは誰の助けも借りずに子どもを産む。子どもはすべてメスであり、やがて成長し、また誰の助けも借りずに娘を産む。こうしてアリマキはメスだけで世代を紡ぐ。しかも彼女たちは卵でではなく、子どもを子どもとして産む。ほ乳類と同じように子どもは母の体内で大きくなる。ただしほ乳類と違って交尾と受精を必要としない。母が持つ卵母細胞から子どもは自発的・自動的に作られる。母の体内から出た娘は、その時点でもうすでにティアドロップ形の身体に細い手脚をもつ、小さいながら立派なアリマキである。しかも彼女たちの体内にはすでに子どもがいる。アリマキたちは、ロシアのマトリョーシカのような「入れ子」になっているのだ。(『できそこないの男たち』・p173・174)
生命が誕生してからおよそ10億年の間は、こうしたアリマキたちと同じような単為生殖の生活を生命は続けていた。それは、気の遠くなるような話ではある。しかし、アリマキは、そんな昔に生きていたわけではない。アリマキもまた進化してきた生き物だ。アリマキは、メスだけで生きていく限りは、あくまでも自分のコピーを作ることしかできない。つまりどの子も自分と同じタイプの子どもしか作れないのだ。それが遺伝子の役割なのだ。
生命が出現してから10億年、大気に酸素が徐々に増え、反応性の富む酸素は様々な元素を酸化するようになり、地球環境に大きな転機がおとずれた。気候と気温の変化もよりダイナミックなものとなる。多様性と変化が求められた。
メスたちはこのとき初めてオスを必要とすることになったのだ。(同上・p184)
アリマキは、年に一度だけオスを産む。アリマキは、身体の細胞の中に、気温の変化や夜の時間の長さをはかっている体内時計を持っているのだ。そして、秋が来ると身体にスイッチが入り、メスのアリマキの身体のホルモンのバランスが変化し、染色体の構成を変える。人間のようにY染色体があるわけではなく、メスの染色体を少し変え、オスになるような仕組みをもつ遺伝子に変化させるのだそうだ。アリマキの場合は、その遺伝子は、メスの染色体の一部を欠損させたものだそうだ。そして、その遺伝子を持った、アリマキの子どもは、人間と同じようにはじめはメスとして生まれるが、その遺伝子のせいで、「できそこないのメス」としてのオスになるのだという。
ところで、この「できそないのメス」としてのアリマキのオスの役割は、秋が終わるまでにできるだけ多くのメスと交尾することなのだ。アリマキのオスは、痩せた身体をしていて、手脚も小さいのだが、彼は命が尽きるまでこのつとめを果たすことになる。こうして、アリマキは、年に一度の交配によって、単なる自分のコピーでない別のメスの遺伝子と交換されることになるのだ。そして、アリマキは多様性を手に入れ、現在まで生き延びてきたのだ。
一冬の間に起こる大規模な気候変動の結果、大半の受精卵が死滅してしまうようなこともあるだろう。あるいは季節のよいときであっても、ローカルな環境変化が急激に襲ってくることもあるだろう。その際、前の年にシャッフルを受けた遺伝情報の組み合わせからほんのわずかながら、その試練をかいくぐって生き延びる者があればよい。生命は常にその危ういチャンスに賭け、そして流れを止めることなく繋げてきたのである。(同上・p182)
『できそこないの男たち』のテーマは、このアリマキのオスの存在にある。福岡伸一教授はオスというのは、生物的には常に、このアリマキのオスと同じ役割を背負わされているのだと言う。生物の基本仕様はメスであり、生物の雄というのは、成長の過程でメスからオスに変形させされる存在なのだ。これは人間の場合でも同じで、人間のオスもまた、母親の胎内ではじめはメスとして生まれるが、Y染色体の中のある遺伝子の指示により男性ホルモンが分泌されるようになり、そのホルモンを浴びることによりオスの身体になっていくのだ。だから、私たちは、女性の身体の中に男性の痕跡を探すのは間違いで、本当は男性の身体の中に女性であった痕跡を探すべきなのだ。
さて、この「アリマキ的人生」は、『できそこないの男たち』のたった1章にすぎない。残りの10章には、Y染色体の秘密に挑戦し、やがてそれを発見し、ノーベル賞の獲得に至る過程で登場する人間の男と女の生き様も描かれている。福岡教授の科学ノンフィクションはとてもエキサイティングであると同時に、そこに登場する研究者たちの悲哀を見事に描いていて感動させられる。私は、もっと若い頃にこんな風に科学に出会うことができたらといつも思う。