電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

オスの定義──『できそこないの男たち』

2008-10-27 20:50:32 | 自然・風物・科学

 私たちは、小学校の理科の時間に、アブラムシとテントウムシの関係を習ったことを覚えている。植物に寄生して時には、植物を枯らしてしまうこともあるアブラムシを害虫だとすれば、そのアブラムシの天敵であるテントウムシは益虫ということになる。というわけで、あの植物に緑色の固まりのようになって、多くの集団でたかっているアブラムシを私たちは、あまりいい気持ちで見ていない。ここでも、「益虫」と「害虫」という言葉は、大きな意味を持って私たちのものの見方を作っている。

 ところで、アブラムシは、別名「アリマキ」ともいい、基本的には単為生殖の昆虫だ。もともと昆虫が大好きだった生物学者の福井伸一青山学院大学教授は、最新著『できそこないの男たち』(光文社新書/2008.10.20)の中で、わざわざ1章をもうけて「アリマキ的人生」について書いている。この第7章は、アリマキの生態を通して、生物学的な意味でのオスとは何かを定義している章だということができる。

 メスのアリマキは誰の助けも借りずに子どもを産む。子どもはすべてメスであり、やがて成長し、また誰の助けも借りずに娘を産む。こうしてアリマキはメスだけで世代を紡ぐ。しかも彼女たちは卵でではなく、子どもを子どもとして産む。ほ乳類と同じように子どもは母の体内で大きくなる。ただしほ乳類と違って交尾と受精を必要としない。母が持つ卵母細胞から子どもは自発的・自動的に作られる。母の体内から出た娘は、その時点でもうすでにティアドロップ形の身体に細い手脚をもつ、小さいながら立派なアリマキである。しかも彼女たちの体内にはすでに子どもがいる。アリマキたちは、ロシアのマトリョーシカのような「入れ子」になっているのだ。(『できそこないの男たち』・p173・174)

 生命が誕生してからおよそ10億年の間は、こうしたアリマキたちと同じような単為生殖の生活を生命は続けていた。それは、気の遠くなるような話ではある。しかし、アリマキは、そんな昔に生きていたわけではない。アリマキもまた進化してきた生き物だ。アリマキは、メスだけで生きていく限りは、あくまでも自分のコピーを作ることしかできない。つまりどの子も自分と同じタイプの子どもしか作れないのだ。それが遺伝子の役割なのだ。

 生命が出現してから10億年、大気に酸素が徐々に増え、反応性の富む酸素は様々な元素を酸化するようになり、地球環境に大きな転機がおとずれた。気候と気温の変化もよりダイナミックなものとなる。多様性と変化が求められた。
 メスたちはこのとき初めてオスを必要とすることになったのだ。(同上・p184)

 アリマキは、年に一度だけオスを産む。アリマキは、身体の細胞の中に、気温の変化や夜の時間の長さをはかっている体内時計を持っているのだ。そして、秋が来ると身体にスイッチが入り、メスのアリマキの身体のホルモンのバランスが変化し、染色体の構成を変える。人間のようにY染色体があるわけではなく、メスの染色体を少し変え、オスになるような仕組みをもつ遺伝子に変化させるのだそうだ。アリマキの場合は、その遺伝子は、メスの染色体の一部を欠損させたものだそうだ。そして、その遺伝子を持った、アリマキの子どもは、人間と同じようにはじめはメスとして生まれるが、その遺伝子のせいで、「できそこないのメス」としてのオスになるのだという。

 ところで、この「できそないのメス」としてのアリマキのオスの役割は、秋が終わるまでにできるだけ多くのメスと交尾することなのだ。アリマキのオスは、痩せた身体をしていて、手脚も小さいのだが、彼は命が尽きるまでこのつとめを果たすことになる。こうして、アリマキは、年に一度の交配によって、単なる自分のコピーでない別のメスの遺伝子と交換されることになるのだ。そして、アリマキは多様性を手に入れ、現在まで生き延びてきたのだ。

 一冬の間に起こる大規模な気候変動の結果、大半の受精卵が死滅してしまうようなこともあるだろう。あるいは季節のよいときであっても、ローカルな環境変化が急激に襲ってくることもあるだろう。その際、前の年にシャッフルを受けた遺伝情報の組み合わせからほんのわずかながら、その試練をかいくぐって生き延びる者があればよい。生命は常にその危ういチャンスに賭け、そして流れを止めることなく繋げてきたのである。(同上・p182)

 『できそこないの男たち』のテーマは、このアリマキのオスの存在にある。福岡伸一教授はオスというのは、生物的には常に、このアリマキのオスと同じ役割を背負わされているのだと言う。生物の基本仕様はメスであり、生物の雄というのは、成長の過程でメスからオスに変形させされる存在なのだ。これは人間の場合でも同じで、人間のオスもまた、母親の胎内ではじめはメスとして生まれるが、Y染色体の中のある遺伝子の指示により男性ホルモンが分泌されるようになり、そのホルモンを浴びることによりオスの身体になっていくのだ。だから、私たちは、女性の身体の中に男性の痕跡を探すのは間違いで、本当は男性の身体の中に女性であった痕跡を探すべきなのだ。

さて、この「アリマキ的人生」は、『できそこないの男たち』のたった1章にすぎない。残りの10章には、Y染色体の秘密に挑戦し、やがてそれを発見し、ノーベル賞の獲得に至る過程で登場する人間の男と女の生き様も描かれている。福岡教授の科学ノンフィクションはとてもエキサイティングであると同時に、そこに登場する研究者たちの悲哀を見事に描いていて感動させられる。私は、もっと若い頃にこんな風に科学に出会うことができたらといつも思う。


勝間和代と『読書進化論』

2008-10-24 23:13:34 | 政治・経済・社会

 最近急にその存在感を増してきた人に、勝間和代さんがいる。勝間さんには、かなり前にお会いしたことがあるが、その頃から賢い人だなという印象があった。『読書進化論』(小学館101新書/2008.10)を読んでみると、勝間さんは、経済評論家・公認会計士という肩書きで、短期間にいろいろな本を出版してきたが、その出版活動を通して、出版界のフィールドワークをしっかりとしてきたことがよく分かる。この点では、自分の本の販売促進と研究と見事に両立させていて、まさしく時代の最先端を走っている女性なのだと納得した。おそらく、忙しさという点では、脳科学者の茂木健一郎さんと双璧をなすのではないかと思われる。

 勝間さんは「ムギ畑」というWebサイトを作り、ワーキング・マザーとその予備軍の支援をしていた。私は、当然そこからマスコミに登場するのかと思っていたが、予想とは全く違って、「ムギ畑」とはあまり関係のない、経済評論家という立場から書いた本を通して、大きくブレイクした人である。そのブレイクのきっかけになった『お金は銀行に預けるな』(光文社新書/2007.11)は、もし私が若い頃これ読んでいたらもっと変わった人生を歩んでいたかもしれないと思った本だ。

 私たちの世代は、日本の高度成長のただ中で育ってきた世代だが、「お金のことは苦手」という意識を持っている。他の人はよく知らないが、少なくとも私は、お金にたいしていつも後ろめたいような気持ちを持っていた気がする。だから、株を買ったり、先物取引をしたりして儲けるより、すぐに銀行に預けてしまったりしていた。そして、そこそこ稼いで、普通の生活ができればそれでいいと思っていた。そして、高度成長時代は、それでもそこそこ生活が豊かになっていく時代だった。しかし、今は、変わっている。だからこそ、勝間さんは、こういう本を書いたわけだ。

 『読書進化論』の中では、勝間さんは、Web時代の中で、本の読み方、書き方、売り方がどう変わったかを分析している。勿論、基本は読者のための「読書論」であるわけだが、Web時代の特徴は、だれでも本の書き手になれるということでもある。しかし、基本はしっかりとした読み方をすべきことは言うまでもない。自分の情報収集の仕方や読書の仕方をさらけ出すということは、わたしの場合は恥ずかしくてとてもできないが、勝間さんは自分の仕事と見事に密着させて紹介している。そして、それ自身が自分の本のプロモーションになっているというところが面白い。

 勝間さんは、出版不況といわれている中で、出版業界はまだまだ「本を売る」という点ではマーケティング不足のところがあり、本を徹底的に「一つのプロダクト」として考え、「売るためのプロダクト開発、価格設定、流通チャネル設定、宣伝を一つのストーリーのもとに、戦略を作り、マーケティングして、売ってみたかった」(p162)と言っている。書き手や読み手ばかりではなく、売り方にかかわっている人たちも登場させたこの『読書進化論』は、いわばその壮大な実験でもあり、これまでの本の読み方、書き方、売り方のまとめたものである。ここから、勝間さんはどこへ行こうとしているのか、興味がそそられるところでもある。

 マッキンゼー時代の友人であり、いまはヘッドハンターでプロノバという会社を経営している岡島悦子さんが、以前、私の仕事ぶりを称して、「実は壮大な社会実験をしているだけなのでは」と見抜いたことがあります。たぶん、そうなのでしょう。私は、新しいことを仮説として考えて、実際にそのアイデアを実現してみて、それで何が起こるのか、そのプロセスを見ることが生きがいなのです。(『読書進化論』p187・188より)

 私は、小林秀雄や江藤淳、そして吉本隆明などの評論家の本を読みながら育った世代だ。現在のオピニオンリーダーとなっている、大前研一さん、茂木健一郎さん、そして勝間和代さんたちはほんとに新しいタレント性をもっていて、そうした役割をも見事にこなしながら、自分の持っている課題に向けて着実に前進している人たちだと思う。彼らに共通していることは、フィールドワーク力がすばらしいという一言に尽きる。だからこそ、彼らは常に最先端の現場にいたいと思っているのだ。そこで、時代の提起する課題に常に向き合っていたいと思っているのだと思われる。

 この点では、かつて、茂木健一郎さんが、梅田望夫さんとの対談の中で、脳の研究の分野でダーウィンのような役割を果たしたいという意味のことを話していたが、確かに彼らは普通の人たちができないような壮大なフィールドワークを行い、経済学、経営学、脳科学の分野で新しい知的な探究をしているところかも知れない。研究室の象牙の塔の中にこもっている人たちから見れば、うさんくさそうに見えるのかも知れないが、現代のような混沌とした時代の中では、ダーウィンがそうだったように、新しい理論はそうしたフィールドワークの中から生まれる可能性のほうが高いと思われる。


ダイエットという知的ゲーム

2008-10-19 18:44:27 | 生活・文化

 ダイエット本としていちばん納得した本は、岡田斗司夫さんの『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書/2007.8.20)だった。彼は、自分のダイエット法を、「レコーディング・ダイエット」と呼んでいるが、ポイントは、自分の食べたものをことごとく記録することにある。つまり、自分がどんな食生活を送っているか徹底的に分析してみるということに尽きる。何のためにそんなことをするかと言えば、自分の脳に指示される「欲望」としての食事か、身体が指示する「欲求」に従う食事かを徹底的に検証し、自覚するためだ。

 私たちは、自分の身体の「欲求」に応じて、必要な食事をしていれば多分あまり太らないといえるかどうかはよく分からない。なぜなら、まず、身体の「欲求」が案外と分からないからだ。私たちは、そんな食事などしたことがないからだ。私たちの身の回りにある食物は、資本主義社会の産物であって、人々の「欲望」をそそるものばかりだ。それは、そもそも、他人に食べてもらうための食物であって、自分が食べるために作られたものではない。つまり、「商品としての食物」は、人間の自然な身体の「欲求」によって食べられるのではない。常に、人間の脳を刺激し、そこで生まれる「欲望」によって食べているのだ。

 岡田さんの「レコーディング・ダイエット」における、最初のステップの、食べたものを記録する活動や、食べたもののカロリー計算をし、それも記録するという活動は、「欲望」の対象を徹底的に分析し、脳の中にしみこませることに意味があるのだ。自分の食事を徹底的に分析し、自分の身体が「欲求」する食物は何なのかを知ることが大切なのだ。本当にそんなことが可能なのかどうか、それは分からない。しかし、その結果として、できるだけカロリーの少ない食事になり、腹八分目になり、おいしいものを少し食べれば満足できるようになればそれでよいのだ。

 岡田さんは、『いつまでもデブと思うなよ』の中で、「なぜやせなくちゃいけないのか」「あなたが太っているのには理由がある」「レコーディング・ダイエットとは」という順に論を展開しているが、最初の「なぜやせなくちゃいけないのか」という問いに対して、岡田さんは、現在は「見た目主義社会」だからだと主張する。ここは、とても面白いところだ。それは、人間としてどうなのかなどと問うてはいけない。なぜなら、そんなことを問うたら、せいぜい生活習慣の改善のためのダイエットということにしかならないからだ。

 「痩せたい」というのは、身体の「欲求」ではなく、脳の持っている「欲望」なのであり、私たちは「欲求」の声を直接聞くことができない以上、「欲望」には「欲望」で対抗していくしかない訳だ。いわゆるダイエットの難しさとは、そこにありそうだ。自分の「欲望」に従った食事をしていては、ぶくぶく太るしかないとしたら、その「欲望」自体を変えることでしか、本当のダイエットはできないと思われる。

 そんなことを考えながら、岡田さんの本を読んだが、1年間に50Kgの減量に成功したことはすごいことだが、一時は体重が117Kgもあったこともすごい体験だと思う。そして、今のところ「ダイエットという知的ゲーム」で勝利を納めている岡田さんに拍手!


コンピュータ教育と脳

2008-10-18 22:09:08 | 子ども・教育

 戸塚滝登著『子どもの脳と仮想世界──教室から見えるデジタルっ子の今』(岩波書店刊/2008.2.27)は、脳とデジタル化された教育との関係を鋭くえぐっていて、久々に私の脳を刺激した。この本は、偶然名古屋の駅ビルにある三省堂書店で買ったのだが、こんなに素早く読んだ本は、久しぶりだ。戸塚滝登は、1952年生まれだから、私より4才下の、丁度団塊の世代の終わりころに生まれたことになる。そして、1978年から2003年まで、富山県の公立小学校で教諭をしていた。日本のコンピュータ教育のパイオニアの一人と言われている。

 富山県というのは、コンピュータ教育が盛んだったところのような気がする。ソフトウエアの開発ということでは、かなり先端的だった戸塚は、やがて、仮想空間だけに囚われている子どもたちの脳に何が起こっているのか気になってくる。私の体験も、どちらかといえば戸塚によく似ていると思う。私も会社の中でPCを仕事に使うことではかなり速いほうだった。それが、今の自分を作っていると思う。しかも、自分の脳の中にも、このデジタル機器の影響はありそうだ。

 コンピュータやケータイは、決して子どもだけの問題ではない。それは、子どもの脳とともに大人の脳にも影響を与えている。ただ、子どもの脳の場合は、決定的な影響を与えてしまうことになる。戸塚の言っていることはそんなに難しいことではない。一つは、脳は身体と共に育つのだということと、二つには脳が正常に育つためにはそれらの持っている臨界期を守らなければならないということ。そして、三つ目としては、仮想世界にのめり込んでいった脳は全く新しい人間を作り出してしまうこともあり得るということだ。

(1)子どもにバーチャルを一つ与えれば、それと引き替えにリアルな能力が一つ奪い去られる。……『トレードオフの法則』
(2)6歳の子どもの一日は、五十歳の大人の千パーセント分の価値があると考えよ。……『千パーセントの法則』
(3)幼い時代は直接体験と本物体験を最優先した子育てを。できるだけ本物を見せ、できるだけ現場へと連れて行き、五感と身体感覚を使わせて。……『桶の中の脳っ子の法則』
(4)仮想世界では何でも起こりうる。そしてそれはやがて現実世界にもしみ出てくる。仮想世界ではモラルは居場所を持ちません。仮想世界には門番などいないことを忘れずに。……『仮想世界の影の法則』
                 (同上・p258・259より)

 戸塚は、以上のような法則が成り立つと言っているが、20数年小学校でコンピュータ教育をしてきた身としては、つらい法則であるに違いない。こうした法則は、戸塚らがやってきたコンピュータ教育の大きな問題点であり、これらをしっかり踏まえなくて安易にコンピュータ教育をすることができないの恐ろしさでもある。戸塚は今、そのための反省を強いられている。それがこの本だと言うことになる。コンピュータ教育に携わるものはこうした問題を一度はじっくり考えて見る必要がありそうだ。

 ところで、この本を読んでいて、「算数能力と言語能力は分離している」という指摘は興味深かった。現在、小学校教育の中で「言語力の育成」ということが、強調されているが、この点は注意しておく必要がある。戸塚によれば、言語能力の発達ということは、必ずしも数学的能力の発達とイコールにはならないという。あえていえば、まったく別のことだという。思春期を過ぎたときに数学ができる子どもとそうでない子どもの差が出てくるのは、そのためだ。そして、掛け算の九九は、算数能力の問題ではなく、言語能力の問題だという。つまり、かけ算の九九が得意の子どもが必ずしも数学的能力の秀でているとはいえないということだ。

 また、数学と脳ということでは、次のウォレン・マカロックの言葉を引用していたが、これも含蓄のある言葉だと思った。

人はなぜ数が理解できるのだろう。そして人が理解できるこの数とは何なのだろう?(What is a man so made that he can understand number and what is number so made that a man can understand it?)

 これと同じ問いを、養老孟司も確かどこかでしていたように思う。養老孟司は、確か、数とは自然が持つ性質であり、人間の脳は当然自然であり、その自然がその自分の性質を理解するために作り出したモノであるからこそ、数を理解できるのだし、脳は数が理解できるような仕組みになっているはずであるというようなことを言っていた。

 いずれにしても、子ども時代とは、私たちが通過しなければならない「脳の経験」の世界であり、そして、そのいろいろな「脳の経験」こそが、いい意味でも悪い意味でも私たちの脳を育てて来たことだけは確かだ。


心臓カテーテル手術

2008-10-13 20:45:53 | 生活・文化

 およそ1年と3ヶ月振りのブログ更新である。まず、病気の報告から。先日、狭心症の治療をして貰った。方法は、心臓カテーテル検査を施行し、冠動脈病変の有無を検索し、狭窄や閉塞が見つかったら、適応を評価して、「経皮的冠動脈形成術」を施行するというものだった。「経皮的冠動脈形成術」というのは、カテーテルを通して風船で狭窄部分を拡張したり、ステントと呼ばれる金属製の筒で補強したりする手術である。

 当日は、5時半に起きる。いつものように、ストレッチ体操をし、朝食を食べ、7時15分ころ家を出る。この日は、妻が車を運転して病院に付き添ってくれた。入院のための書類等は、事前に全て用意した。ポイントは、出版健保組合から「健康保険限度額適用認定証」を貰った置くことだ。これを貰っておけば、かなり高額な手術でも、10万円以下の支払いで済むらしい。

 入院先の所沢ハートクリニックは、小手指にある。飯能から小手指までは、普通に走れば30分以内で行けると思われるが、平日だし、通勤ラッシュに重なる可能性があると言うことで、1時間以上の時間的余裕を見たが、8時15分くらい前に着いてしまった。8時にならないと玄関が開かない。妻は、たばこを吸い、私は、病院の周りを散歩した。

 8時丁度に玄関が開き、中に入る。しばらくすると、8時半の受付前に、入院のものだけの受付をやってくれた。事前に、個室の希望を申請してあったが、そのまま、2階の213号室に案内された。築四年病棟らしく、綺麗な部屋だった。3千円の部屋で、シャワー等は着いていなかったが、洗面所、冷蔵庫、クーラー、テレビなどがあり、静かだった。妻は、すぐにトイレを見に行ったが、綺麗だと褒めていた。

 部屋の中では、妻が必要なモノを整理し、並べてくれた。最初に、女性の担当看護士が来て、説明やら、誓約書など、必要な手続きなどを教えてくれた。どちらにしても、午後の検査であり、私の主治医のM先生の二人目の患者になるので、多分、2時から2時半くらいになると告げられた。

 この間、妻は、買い物に行ったり、近場で食事に行ったりしていた。私は、すぐに点滴が始まったので、昼食はない。ところで、点滴は、大変だった。担当看護士は、うまく針を刺すことができず、代わりの看護士が来てやっと点滴の針を刺した。私の血管がよく見えなかったらしい。折角、彼女は、とても恐縮して、何度も私にわびた。

 12時少し過ぎにM先生が来て、主として妻に向かって、病状・治療の説明をした。診断としては、狭心症であること、冠動脈造影を行い、検査をし、もし狭いところがあれば、「経皮的冠動脈形成術」(PTCA)を行う。処置としては、「バルーン血管形成術」と「冠動脈ステント留置術」を行うと言う。成功率は、97~98%。そして、再狭窄も2~3割はあるという。更に、この手術の場合は、合併症として、死亡(0.1%)、脳梗塞(0.1%)があるという。先生の経験では、手首からカテーテルを通したとき、血管があまりに曲がりくねっていて、そこを通すうちに脳梗塞を起こした患者がいたとのこと。私と妻は、先生の腕を信頼して、サインをした。

 それから、手術の時まで、私の頭を支配したのは、腕からではダメでももの付け根からになったらどうしようかと言うことだった。手術前には、そうした不安な気持ちを抑える薬を貰うのだが、そうした不安は、実際に、カテーテルが心臓に到着するまで抱いていた。

 2時15分くらいに、手術の準備をしてくださいというアナウンスが、部屋のスピーカーから流れてきた。私は、おもむろにトイレに行った。そして、看護士さんに車いすに乗せられて、1階の手術室に連れて行かれた。

 手術室は、かなり広く、入り口から向かって右側に大きな、カメラが備え付けられており、カメラの下側に、大きなデジタルのモニターがあった。私は、ベッドに横になると、右手以外のところにおおいをかけられた。そして、私の体のすぐ上まで、カメラが近づいてくる。

 右手は、手首のところが消毒され、麻酔注射が打たれた。その後で、右手首から、カテーテルが通された。ほんの数秒で、カテーテルは心臓に達したらしい。私は、事前に聞かされていた話が、頭をよぎり、とても心配していた。血管は真っ直ぐでなく,場合によっては、変な具合に曲がりくねっていて、通らない場合があるとのことだ。先生の失敗した事例では、そこを通そうと苦労しているうちに脳梗塞になってしまった患者がいたとのこと。だから、どうやら心臓まで届いたと言われたときは、心からほっとした。

 造影剤を注入するときには、喉の奥に何かが詰まったような感じがした。また、身体が熱くなったこともあった。そして、風船を膨らませるときは、一瞬、苦しくなる。先生の話では、金具を入れたり、風船を膨らませたりするときは、少しの間、血管が詰まることになるので、苦しくなるのだそうだ。一種の心筋梗塞が起きているらしい。

 今回は、右の心臓の大きな冠動脈と左の少し細くなった冠動脈を手術し、大きい方は、3mmくらいのステントを入れ、細いほうは風船を膨らませたという。手術中は、意識は明晰であり、薬は飲んでいたものの、かなり緊張していたと思う。素早く、カテーテルが取り払われ、右手首が固定されて、切り口が蓋をされ、空気の管で血液が逆流して来ないようにされた。血液をさらさらにする薬をかなり大量に投与されているので、一度出血をするとなかなか止まらなくなるからだ。

 股の付け根から、カテーテルを通す場合は、かなり大変らしい。二泊三日くらいでは済まないらしい。私の場合は、右手首だったので、わりと早く退院できることになった。手術が終わって部屋に戻ると、看護士さんがいろいろと注意をする。特に手首をしっかり固定しているようにと言う注意にはまいった。何となく眠れないなるのではないかと思ったからだ。どうやら次の日には退院できるらしいということになり、妻は、4時過ぎに帰って行った。6時ごろ夕食。おにぎりと味噌汁とわずかなお総菜。

 右手首は、2時間ずつに空気を抜いていき、4回目で全部管を外すことになる。従って、3時半頃に手術が終わったので、夜中の11時半頃に外すことになる。点滴も、4回終わると終了になる。10時頃に、妻に電話をするために少し歩いて、出血した。とても不安になる。しかし、その後は何もなく、無事11時少し過ぎに外して貰う。

 それから、うつらうつらしながら朝を迎える。次の日の朝食は、やはりパン中心。歩ける方は取りに来てくださいというアナウンスがある。私は、歩いていった。朝食後、妻にに電話し、昼頃退院できるとのことだったので、昼食は断ったのでできるだけ早く迎えに来るように頼んだ。

 10時半頃、妻が来る。その間に、着替えをし、薬を貰い、次回の診察日を確認する。次は、一月後の検査ということになる。妻が会計をする。「限度額適用認定証」があり、一般扱いで、10万円未満になった。おそらく、保険が適用されないと、80万円くらいの費用がかかったものと思われる。妻が、保険のポイントを見ていて、そう言っていた。

 その後、主治医のM先生から、手術の様子や、結果をモニターを見ながら説明される。一応、翌日から、普通の生活をしていいらしい。激しい運動をしないことと、水分をしっかり取ること、また、生活習慣病にならない食事や運動を心がけるように注意される。歩くのが一番いいらしい。というわけで、現在ダイエット中でもある。