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電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

これは幸運なのか?

2009-04-12 23:09:54 | 生活・文化

 ソニーのWALKMANを買ったのは、昨年の9月頃だった。使い始めてから、かれこれ9ヶ月以上がすぎようとしている。私には、いろいろな意味で役に立っている。ところが、ここ1ヶ月くらいの間に、ヘッドホンのコードが切れかかってきた。といっても、コードの被覆の部分が破けて金属のコード自体が露出し、しかも折れて今にもちぎれてしまいそうになっているということだが。いつちぎれてしまうのかと心配になってきたので、先週の月曜日に池袋のビックカメラに行った。ところが、残念なことに、ビックカメラのカードを忘れてしまったので、店まで行って買おうとしてやめた。店に人は、在庫が1つしかないので、とっておきましょうかといったが、私はいつ来られるかわからないので断った。

 二日後の水曜日に、池袋のジュンク堂に行く機会があったので、またビックカメラによった。案の定、店の人は、現在メーカー在庫欠品で20日過ぎでないと入ってきませんと言った。ヘッドホンはいくつかの種類があり、私のWALKMANのヘッドホーンは、ノイズキャンセリングの機能があり、その場合は、ソニー純正の物しかだめだそうだ。というわけで、その場はあきらめた。しかし、私のヘッドホンのコードは、ますます、切れそうになり仕方がないので、次の日の会社の帰りにまたビックカメラに行った。

 ビックカメラには、ソニー製だけでなく、いろいろなヘッドホンがある。私がほしいソニーのそれは、確か5000円近くの物だったが、ノイズキャンセリングの機能のない普通のヘッドホンは、1500円くらいからいろいろある。そこで、店の人に、確かめたところ、もちろんこうしたヘッドホンでも、WALKMANは聴くことができるそうだ。そこで初めて、ノイズキャンセリングの機能とは何か、教えてもらった。そして、耳につけるスピーカの部分にマイクを内蔵しているということを知ってびっくりした。

 ノイズキャンセリングの機能とは、要するにマイクを内蔵したヘッドホンで、騒音を拾い、騒音の波と逆位相の波を発生させ、二つの波を合成させて騒音を四分の一くらいにしてしまう機能だそうだ。店員の説明によれば、こうしたイヤホンは耳につけただけで、周りの音が一瞬のうちに静かに感じられるそうだ。私は、実はほとんど他のヘッドホンを使ったことがなかったので、その違いを知らなかったようだ。そして、騒音をカットして聞けるために、そんなに音を大きくしなくても音楽を快適に楽しめることになり、周りへの音漏れの心配をしなくても良くなるわけだ。

 取り敢えず、私は、その場で、ノイズキャンセリングの機能の機能のない安いヘッドホーンを買った。そして、それをつけて聴いてみたが、音の質があまりに違っていたのでびっくりした。このヘッドホンは、PC用にして、純正のヘッドホンが出荷されたら買おうと思った。ところが、その日夕方、私宛に次のようなメールが来ていたのだ。

 このたび、「NW-S736F/S738F/S739F」の付属ヘッドホンにおきまして、ご使用状況により、まれにヘッドホンコードが硬くなる・被覆(ひふく)部分が破れてしまう場合があることが判明いたしました。

 つきましては、対象製品をお持ちのお客様で、付属のヘッドホンに該当の症状が発生した場合には、無償にて付属のヘッドホンを交換させていただきますので、下記のソニー「ウォークマン専用コールセンター」までご連絡くださいますようお願い申し上げます。

 私は、すぐに電話した。ソニーのウォークマン専用コールセンターの女性の方は、とても丁寧に応対してくれた。ただ、交換のヘッドホンを送るの10日ぐらいかかるかもしれませんとのことだった。私は、高いヘッドホンを買わなくて良かったと思った。おそらく、品切れになったのは、私と同じようにコードが切れそうになり、慌てて買ってしまった人がいたからに違いない。私と同じように使い方が悪くてこうなったと思う人と、いやこれは商品の欠陥だと思った人がいたことになる。前者の人たちは、多分買ってしまったに違いない。私は、折角買ったWALKMANだから有効活用しようと、商品の登録もした。これがよかったことになる。そうでなかったらメールもこない。そして、こうしたことに気づかなかったに違いない。

 新しいヘッドホンは、本日届いた。メールは4月9日だから、素早い対応だと思う。ただ、私には、二つだけ疑問が残った。一つは、買ってしまった人にはどうするのだろうかということだ。多分、これは、お金を返すことになるのだと思う。もう一つは、「ご使用状況により、まれにヘッドホンコードが硬くなる・被覆(ひふく)部分が破れてしまう場合がある」ということの意味である。「使用状況」とはどういう状況なのだろうか。しかし、どんな状況であれ、その状況でも「NW-S736F/S738F/S739F」以外の付属のヘッドホンは大丈夫なのだから、該当のコードに何らかの問題があるものと思われるが、その理由が書かれていない。これも、いずれ明らかになるに違いない。

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バナナダイエットその後

2009-03-22 20:07:06 | 生活・文化

 昨年の9月頃、ダイエットをしているということを書いた。今日は、3月の終わり。企業の決算報告ではないが、6ヶ月が過ぎた。結果をまず書いておこう。2008年9月10日から記録がとってある。そのときの体重は、71kgである。そして、本日の体重は、64kg。7kg減少したことになる。この間、歩数計の記録もあり、毎日平均8000歩から9000歩である。半年で、7kgの減量。私の印象としては、順調だと思う。3月の初めごろ、夕食前に計ると62kgくらいのときがあり、それ以来、昼と夜は、遠慮しないで食べている。

 私のダイエットは、「バナナダイエット」と「歩数計ダイエット」、それに「レコーディングダイエット」の組み合わせたものだ。もちろん、なんと言っても、基本は、朝のコップ一杯の常温の水(一応、水道からコップに注いで飲んでいる)とバナナ3本だ。私の朝食は6時半頃なので、3本くらい食べても昼頃はかなりお腹が空いている。もちろん、間食はなし。12時になって、大体600kcalぐらいの昼食を食べていた。バナナ1本で120kcalなので、朝と昼で、1000kcalになる。後、夕食は、1000kcal以内に納めることにしている。しかも、9時以前に食事は済ませるようにしてきた。

 1日平均9000歩くらいの歩くというのは、なかなか大変だ。いつもは、かみさんに通勤の送り迎えをしてもらっているが、全部歩くようにすると、大体6000歩から7000歩になる。だから、朝だけは車で送ってもらい、後はできるだけ意識的に歩くようにしている。会社から池袋まで歩くと約4000歩になる。天気がよく、早く帰ることができるときは、時々挑戦している。池袋のサンシャイン周辺はおかげでかなり詳しくなった。

 ところで、このバナナダイエットの効用というのは、ただ痩せたということだけではなかった。かみさんは、元々朝食を食べないので、子どもが家にいなくなってから、朝食は私一人のために作っていたのだが、バナナダイエットにしてから、とても機嫌がいい。つまり、彼女は積極的に、バナナを買ってきて、私のフォローをしてくれるようになった。何せ、経済的で、楽なのだそうだ。おかげで、私は、もうおそらく、子どもが帰省しているとき以外は、朝はバナナだけなりそうだ。

 現在いろいろなダイエットの方法が提案されているが、大切なことは、栄養をバランスよくとることと、苦しくないこと、それと経済的で家族が協力できることだと思われる。この3つが持続性を支えるてくれる。おそらく、この持続性こそが、ダイエットの基本だと思う。多少の効果は、すぐに元に戻ってしまう。本当は、ダイエットなど意識しないでも健康な身体でいられることがいちばんいいのだが、私たちは、「欲望」と「欲求」がうまく区別できないような身体になってしまっている以上、意識的に食事をコントロールしないと生きていけなくなってしまったことだけは慥かである。

 性犯罪が現在とても多くなっているが、このことは太ると言うことと同じだ。つまり、私たちは、性に対する「欲望」と「欲求」をうまく区別できないだけでなく、コントロールできなくなってしまうことがある。食べ過ぎても、犯罪にはならないが、性に対する「欲望」の追求は、しばしば、犯罪に向かっていく。性というのは、一人だけで処理できる問題ではないからだ。こちらは、だから、理性がそれなりのブレーキをかけてくれる。ところが、これほどダイエットがはやるのは、食欲をコントロールすることが、理性にとっても大変だからだと思われる。

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日本語と英語について

2008-12-21 21:43:51 | 生活・文化

 「新潮」1月号で、水村美苗さんと梅田望夫さんが「日本語の危機とウェブ進化」という特別対談をしている。これは、もちろん、水村さんの『日本語が亡びるとき』という本を巡る最近の動向を踏まえて、新潮社が企画したものだと思われる。そしてそれはよく分かる企画であり、私は私なりに二人の言説に納得した。納得はしたが、「日本語とは何か」ということについては、欲求不満になったことも確かだ。二人とも日本語については、かなり高く買っているらしい。二人とも、英語圏に行きながら、現時点では自分の表現の場を日本語圏にしている。それが、おそらく彼らの日本語への評価ということだ。

梅田 先ほど水村さんは人類的ミッションとおっしゃいましたが、たしかに日本語ほどすごい言葉というのは、なかなか見つけづらいなと……。
水村 おもに書き言葉ですけどね。
梅田 日本語の書き言葉というものが、歴史の中で培われてきた、その貴重さに目をむけないといけませんね。だから、日本語を守らなければならないというお話に、とても共感しました。なぜ日本語で書くのかを考えたとき、論理だけならば英語でもいいかなと思うのですが、日本語は工夫すればいろいろなことが表現でき、伝えられる。(「新潮」1月号p352より)

 どんな言語も、おそらく母語を使うものから見れば、いちばん自分の気持ちを表現できる言葉であることは確かだと思われる。しかし、それはそれ以上の意味はない。本当に、いろいろな言語を比較した上で、日本語が優れた言語であることが証明できるかどうかは、今のところ不明である。とするならば、水村さんや梅田さんが日本語で書こうとしたというのは、おそらくは、日本の読者に向けて表現しようと思ったからである。彼らははっきりとか、暗黙のうちにかは分からないが、日本人に向けて、あるいは日本人とともに考えてみようと思ったのであり、日本語で表現するということは、それ以外の意味はない。つまり、水村さんが日本語の小説を書き、梅田さんが日本語の評論を書いたのは、日本人に向けて何かを伝えようと思ったからに違いない。

 ところで、ここでの二人の対談で初めて言及された次の二つのことにとても興味を持った。その一つは、パブリックということであり、もう一つは、良くも悪くも、日本語圏の大きさということである。前者についていえば、たとえばインターネットの世界とは、あくまでもパブリックな世界として出発したということが大事なことであるように思われる。インターネットの世界とは、いわば公道なのだ。だから、その道路上では、私たちは、パブリックな世界での振る舞いをすべきである。そして、パブリックな世界であるからこそ、普遍語=世界語という概念が生まれてきたのだと思われる。というのは、その公道には、国境がないからである。

 しかし、商業資本がインターネットに関わりだしたときから、インターネットにプライベイトな世界が持ち込まれたといっても良い。インターネットの世界でビジネスが始まったときに、個人的な消費が問題になったのだ。そして、それは、プライベイトな世界の出現でもある。本来、商品というものは不特定多数のものであり、誰でもが消費できるものである。それこそ、普遍的な使用価値を持っているのだ。そうした、プライベイトな世界が、インターネットの公道上に店を出していると考えるとわかりやすいかもしれない。そして、インターネットの世界がいわば公道上であるからこそ、そこでビジネスが可能になるということは、あまり気がついていないように思われる。

 インターネットの世界は、パブリックな世界であるということは、どれだけ強調しても強調しすぎることはない。それは、現実世界についても同じことだ。私たちは、パブリックな世界の中に、プライベイトな世界を作っているのに過ぎないのだ。地上がそうであるように、部分的に眺めてみれば、どこも私的な世界のように見えるけれども、あるいは、私企業がそのネットワークの大部分を担っているように見えるけれども、トータルとしてみた場合は、インターネットの世界も地球上の現実世界も、パブリックな世界として私たちに現れているのだ。

 ところで、公道には国境がないにもかかわらず、言語的な集落はあるのである。それが、日本語的な集落である。そして、この日本語の集落は、ほぼ日本という国に重なっているのだ。そればかりではなく、この日本語の集落は、いろいろな意味で、便利な大きさなのだ。たとえば、日本語の小説を書いたとして、ある程度売れれば作家は十分食っていける市場でもあるのだ。あるいは、日々の生活をしていく上では、日本語だけでも十分やっていける広さでもある。

梅田 日本語について専門的亜に物申すほどの知見も教養もないのですが、僕が思うのは、日本語・日本人・日本という国土、その三つが完璧に三位一体になってしまって、人口でも経済規模でもかなりのサイズだというのは、おそらく日本しかない、ということです。まあ、小さな国にはそういうところもあるでしょうが、日本ほどの規模を持った国では、他にない。それでサイズが大きいだけに、逆にグローバリズム性が完全に失われている。このことへの危機感を、ビジネスで仕事をしているなかで抱くことがとても多いんです。(「新潮」1月号p350より)

 これは、おそらく、普通の人たちが、日本語の危機など少しも感じない理由のいちばん大きな理由である。しかし、日本が、今までのようなに比較的相対的に自立して生きていけた場合はそれでも良かったけれども、これからのグローバル化した時代では、おそらく否応なく世界の混乱に巻き込まれていくことになるに違いない。現に、アメリカの金融危機に端を発した世界的な金融危機は、私たちの身の回りの生活にも影響を与え始めている。目に見えない知の世界では、グローバリゼーションの影響は計り知れないと考えてほうがいいと思われる。私たちは、そういう時代に生きているのだ。その意味では、これからも、日本語と英語の確執は続くに違いないと思われる。

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「Chabo!第1回ファンの集い」

2008-12-07 21:16:48 | 生活・文化

 12月4日の夜7時から、「Chabo!第1回ファンの集い」が、かつしかシンフォニーヒルズ(モーツァルトホール)で開催された。当日は、約1000人ぐらいの人が参加したのではないかと思われる。「Chabo!」の発起人の勝間和代さんとJENの事務局長の木山啓子さんの二人の、「Chabo!」の活動紹介とJENの活動紹介から始まり、二つのパネルディスカッションが行われた。テーマは「Chabo! 著者が教える 夢を叶える私の方法 」で、第1部のパネリストは、久恒啓一さん、山田昌弘さん、竹川美奈子さん。そして、第2部のパネリストは、和田裕美さん、勝間和代さん、神田昌典さんだった。皆さん、若い人たちに人気の人たちばかりだ。

 このパネリストたちは、私より10歳から20歳以上若い人たちであり、彼らの多少恥ずかしそうに語る成功物語に私は多少戸惑いを感じながらも、時代の流れを思った。私たちが学生の頃にやっていたことは、学生運動などを通して、社会をどう変えていくかということだった。そして、当然のことながら、私たちは挫折した。もともと、組合運動や学生運動には限界があり、そこでどれだけ突っ張っていても、社会の多くの人たちは誰もついてきてくれない。しかし、今の若い人たちは少し違ってはいるが、社会を変えていこうという動きを始めているらしい。

 パネリストたちの成功物語は、それなりに面白い。彼らは、みな、自分たちが夢を持ち、そしてその夢を自分に言い聞かせることをしている中に、なぜかそれが実現できてしまったと語っていた。社会の中で成功するということは、おそらく偶然の要素が強いが、夢を実現をするということは夢を持つことからしか始まらない。そして、彼らは、それを実現してきたのである。その点だけは、確かである。ただ、夢の実現のためには、多分、方法や近道があるわけではなく、あるのはただ夢を持つということだけが正しいことなのだと思う。

 私は、パネリストたちの話を聞きながら、彼らが一様に、自分のためだけでなく人のためということを強調していたことを考えていた。彼らは、自分で、自分の夢を実現してきた。そして、その夢というのは、たとえば、勝間さんの夢が象徴しているように、20代で1000万円の収入を得ることというように、お金を稼ぐことである。彼らは、そういうことをさらりと言ってのける。問題は、そこからだ。お金を稼ぐためには、ただ自分のためだけのことを考えていてはだめだと主張していた。ある意味では、その主張がこのChaboのような活動に結びついたいるとも言える。

 今回のパネリストたちの仕事の共通性として、日常的な生活の仕方から、大企業の中での成功の仕方まで幅広いが、いずれも、現代をどう生きていったらよいかについて何らかのコミットメントをしているということだ。彼らがそこで成功できたのは、多分、コンサルタントの本質を把握していたからだと思われる。それは、自分のためではなく、「彼らのために考える」ということだ。つまり、人の役に立たない限り、コンサルタントの存在理由はないからだ。そして、彼らは、成功すればするほど、仕事が増えることはまた確かなことだ。

 彼らがやっていることは、とてもいいことではある。しかし、私が、危うさを感じるとしたら、Chaboの会員になって特定の本の印税の20%を寄付するというプログラムにある。それは、本は売れるものだという前提に立っている。確かに、彼らは、すでに2000万円ほど寄付したというのだから、本の売り上げ印税が1億ほどあったということである。彼らの今の勢いからいえば、ここ当分はまだ増え続けるだろうと思われる。しかし、いつかそれは頭打ちになるのではないだろうか。それとも、たくさんの人が会員になるから大丈夫なのだろうか。そんなことは、考えても仕方がないかもしれないが。もちろん、本の印税というシステムはいずれ変えれば済むことかもしれない。

 いずれにしても、私が勝間さんに感心するのは、まず、売れている人が協力すべきだという発想をしていることだ。要するに、もうけたら還元すべきだと彼女は言っている。そして、この発送は、サラリーマンの発想でないことだけは確かだ。これは、起業家の発想である。この発想は、勝間さんだけでなく、特に新しい事業をおこしている人たちの発想だ。起業家というのは、自分のためであると同時に、人のためになるということをやることが大切なのだ。ある意味では、とことん、人のためになるとはどういうことかを考えることが、起業家の資格であると勝間さんは言っているのだ。大前研一さんを目標に生きてきたという勝間さんの面目躍如たる姿が、私にはまぶしかった。

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WALKMAN

2008-11-08 23:59:27 | 生活・文化

 「メモリープレイヤーのおすすめは何か」と姪に聴いたら、すぐに「ソニーのWALKMAN」という言葉が返ってきた。iPodも考えたが、今回は、素直に姪の助言に従い、池袋のBICカメラでソニーのWALKMAN(NW-S738F・ブラック)を買った。メモリーは8GB。動画はほとんど見ないので、これくらいあれば、私の場合は大丈夫だと思った。現在は、通勤途中に、音楽と英語の勉強、そして小林秀雄、吉本隆明、茂木健一郎の講演を聴いている。電車の中で、本を読むのとは違った楽しみができた。

 前に書いたことがあるが、電車の中で本を読むのはとても疲れる。東京から埼玉に引っ越しをしてから、しばらくは通勤電車の中ではほとんど本を読んでいた。しかし、会社の中で、PCを使い、インターネットに常時接続をしているようになると、会社にいるだけでかなり目を酷使することになる。その上、振動の激しい通勤電車に乗っての読書は、目に悪いことこの上ないと思われる。実際、私の目はそのためにいろいろ故障している。というわけで、WALKMANを買うまでは、どちらかというとうつらうつらして半分眠っていたわけだ。

 ところで、音楽を聴いたり、語学の勉強したりというのは、よくある話であり、それはそれで面白いこともあるのだが、私には、講演の楽しさを知ったことが、とても大きな事件だった。本の朗読を聴くということも面白そうだが、講演は面白い。「新潮」12月号で、小林秀雄について、茂木健一郎と白州信哉の対談が載っているが、この中で、小林秀雄の講演がかなり準備されていたものらしいことを知った。私は、少しの資料だけからその場の即興で話しているのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。白州信哉さんは小林秀雄のお孫さんであり、彼の話なので本当なのだろう。

白州  練り上げたどころじゃなく、原稿も時間をかけて作り上げて、練習も相当くり返したみたいです。口調が志ん生に似ているというのは、本当に志ん生の落語のテープを聴いていたらしいですから。そもそも講演はほとんど引き受けなかったんですよ。でも、たとえば義理があるから仕方なくといった場合は、覚悟のようなものを決めて、プロフェッショナルとして努力を積んだのでしょうね。頼まれたからにはきちんと務めようというような、几帳面なところもあったし。その成果がいまCDに収められているわけです。(「新潮」2008年12月号p192より)

 頭のちょうど真ん中あたりで、小林秀雄と吉本隆明と茂木健一郎が話をしている。彼らに、共通しているのは、一つのことを、いろいろの方向から語っていることだ。彼らは、対象としている概念を明確にするために、とても多様な言葉を使う。彼らの著作の中では、彼らはおそらく一言で言い表して終わりにしていることに対して、いろいろな言い方をしてみせる。彼らは、そこで、本を書くのとはかなり違う方法で、彼らの思想を語っているのだ。本で言っていることとは全く別なことを言っているわけではないが、茂木健一郎の言葉で言えば、彼らは語ることによって何かをそこに創造しているようなのだ。本では絶対に読み取ることができない何かをそこで私たちは聴くことができる。

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