個人的な話をしよう。
中学生の頃、僕が住んでいた家は所謂“いわく付き”の物件だった。持ち主が(全く別の場所ではあったものの)自殺しており以後、空き家になっていたのを買い取ったのだ。一戸建ての真新しい物件で、大きな庭まで付いて子供心に破格の値段だった事を覚えている。
僕の祖父は僧侶だったが、霊感のなさがネタになるほど徳のない人だった。修行で各地を行脚していた頃、地元の人から「絶対にやめておきなさい」と言われた空き寺で一泊したが、何も起こらなかったという笑い話を聞いた事がある。そのせいか、僕も霊的なものは一切信じていなかった。
だが、説明のつかない不思議な事は起きた。家族が寝静まった夜中、二階から足音が聞こえてきた。飼い猫がいつまでも室内の虚空を見つめていた。そして深夜、ふと目覚めた僕は金縛りに遭い、何かの気配を感じた。
でもそれはいずれも科学的な反証が可能である。足音に聞こえたそれは家の軋みかも知れないし、猫が虚空を見つめる事はよくある。深夜の金縛りは向かいの土建屋さんが早朝に出かける車の音で脳が目覚めたせいだ。そう、理由はつく。
だが、この頃から家族の仲は悪かった。特に病気を抱えていた父親と年頃だった僕達の折り合いは悪く、その家庭不和は今も続いている。
『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』を見て、他人事と思えなかった。ある程度の家庭不和を経験したことがある人なら正視できないかもしれない。だが監督、脚本のマイク・フラナガンはTVドラマならではの全10話という時間をかけてこの家族の負った傷と再生をじっくりと描き、僕はその語り口に引き込まれてしまったのである。
【悲劇に根差した“怪談”】
主人公スティーブンも幼少期に遭遇した超常現象を化学的に反証し、自分を納得させてきた人だ。彼は20数年前、ヒルハウスで家族に起きた事件を小説化し、怪奇小説作家として名を成している。悪霊に怯え自殺した母を精神疾患と断じ、その血を怖れて子供を作ろうとせず、妻に対して心を閉ざしている。
ある晩、家に帰ると末妹ネルが来ていた。心を病み、入院していたハズなのにどうしたのだろう。そこへ妹シャーリーから電話がかかってくる。「ネルが死んだの」
振り返るとネルの顔が死人のようにくすみ、泣き叫び、大きく歪んでいく。そして次の瞬間、消えていた。
ドラマの前半5話は家族1人1人の過去と現在を丹念に解き明かしていく。中でもネルが痛ましい。幼少期に遭遇した幽霊“首折れ女”の影に怯え続け精神を病み、やがて家族から孤立していく。彼女がその恐怖の根源に気付く第5話クライマックスの“落下”には言葉を失ってしまった。
そのまま第6話をビンジしてほしい。落下のテンションは1シーン1ショットで3場面を構成する悪夢的ロングショットにつながっていく。通夜の席に集った家族の出口のない苦しみを身の毛もよだつ恐怖描写と、俳優達の真摯な演技で描き出していくこのエピソードはシーズン屈指の傑作回となった。
【ホラー映画界の超新星、マイク・フラナガン】
監督、脚本を務めたマイク・フラナガンは78年生まれの41歳。2016年の『ウィジャ ビギニング』で頭角を現し、2017年にはスティーブン・キング原作『ジェラルドのゲーム』で巨匠と邂逅。2019年に『シャイニング』続編『ドクター・スリープ』を手掛ける事となる。
Jホラーの影響も色濃い湿度の高さを持ったホラー演出、登場人物の心情を丁寧に紡いでいく怪奇作家としての描写力、そしてまるで酸化銅のようにくすんだアシッドグリーンの映像美がトレードマークだ。また本作の真の主役とも言える邸宅ヒルハウスのプロダクションデザインが素晴らしく、昼間は瀟洒な豪邸が一度、夜の闇に包まれると邪悪な気配を帯び始める。特に物語のクライマックスとなる“開かずの間”は全く何も置いていない部屋ながら、壁一面の黒カビの生え方で恐怖を呼び起こす戦慄のデザインであった。
彼の作品には必ず恐怖の元凶となった悲劇が存在しており、どちらかというと日本の怪談のような作風だ(幼少期のトラウマの象徴である“家”への帰還というモチーフは『ドクター・スリープ』とも一致する)。当然、その高い演出力は俳優陣からも素晴らしい演技を引き出しており、『ゲーム・オブ・スローンズ』のミヒル・ハウスマン、『YOU』のヴィクトリア・ペドレッティ、ケイト・シーゲル、マッケンナ・グレイス、ティモシー・ハットン、カーラ・グギノら皆、名演である。
『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』18・米
監督 マイク・フラナガン
出演 ミヒル・ハウスマン、エリザベス・リーサー、ケイト・シーゲル、ヴィクトリア・ペドレッティ、オリヴァー・ジャクソン・コーエン、ヘンリー・トーマス、カーラ・グギノ、ティモシー・ハットン、マッケンナ・グレイス
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