これも異常な実話だ。1973年、ローマで大富豪ゲティの孫ポールが誘拐された。犯人側の要求は身代金1700万ドル。ところがこれをゲティは拒否する。彼は常軌を逸した守銭奴だったのだ。ポールの母ゲイルは既に一族から離れており、金銭的な余裕はない。ゲイルは誘拐犯と世界一の大富豪の間で板挟みとなる。
リドリー・スコット監督は余裕の手並みでこの事件を映画化した。事件発生から犯人側との交渉、誘拐されたポールの苦難、そして身代金受け渡し、既に結末が明らかな話だがサスペンスたっぷりだ。ゲイル役ミシェル・ウィリアムズの素晴らしい“受け身”の芝居は演技の本質がリアクションである事を改めて思い出させてくれる。
なぜ御年80歳の巨匠はこの題材を選んだのだろうか。ゲティは守銭奴である一方、美術品の収集には目がなく、どんな高額品にも金の糸目はつけなかった。あくまで金は水物であると信用せず、人も物も所有する事で征服心と虚栄心を満たしたのだろう。天井まで連なる美術品に囲まれた姿はフィレンツェ潜伏中のレクター博士(『ハンニバル』)や、エイリアンの標本に囲まれたデヴィッド(『エイリアン:コヴェナント』)の冷酷さを彷彿とさせる。当初、ゲティ役はケビン・スペイシーが演じていたが、セクハラ問題によりスコットは再撮影を決断、クリストファー・プラマーを起用する事となった。58歳のスペイシーが特殊メイクで演じた80代のゲティはおそらく『ハウス・オブ・カード』のフランク・アンダーウッド役で見せたシェイクスピア的冷酷漢だったのではないだろうか。
プラマー演じるゲティは冷酷さの中にまるで『クリスマス・キャロル』のような憐れさが同居している。冷酷とは決して超然とした存在ではなく、人の中から生まれるものなのだ。88歳の老優だからこそ体現できた年輪。プラマーの演技を得て、近年のリドリー映画にあった欝々とした諦観は薄らぎ、本作は人間ドラマとしてのルックを得るに至ったのである。近作の“歪さ”が好きだった僕としてはいささか物足りないが、巨匠の手練れた一本だ。
『ゲティ家の身代金』17・米
監督 リドリー・スコット
出演 ミシェル・ウィリアムズ、クリストファー・プラマー、マーク・ウォルバーグ、ロマン・デュリス
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