長内那由多のMovie Note

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『真夜中のミサ』

2021-10-17 | 海外ドラマ(ま)
※このレビューは物語の結末に触れています※

 TVシリーズ見ずして俳優や監督のキャリアを語れなくなって久しいが、映画館のスクリーンにかかることなくその作家性を進化させ続けているのがマイク・フラナガンだ。2019年に『シャイニング』の続編『ドクター・スリープ』を監督するも興行、批評共に期待された成果を上げられず不発。しかし2018年にNetflixでTVシリーズ『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』という傑作をモノにしており、そして再びNetflixからリリースされた本作『真夜中のミサ』である。信仰と赦しを描く全7話の怪奇譚からは監督、脚本を手掛けたフラナガンが語るべき物語を持ち、そして物語る力を持った稀有な才能の作家であることがわかる。

 主人公ライリーが飲酒運転で人を殺してしまった場面から物語は始まる。ライリーの目線の先には半身にガラスの突き刺さった女性がこちらを見据えている。彼女は既に人ならざる者であり、ライリーはこの後も彼女を何度も幻視する。『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』でも用いられた酸化銅のようにくすんだグリーンの映像はフラナガン作品のトレードマークだ。しかし『真夜中のミサ』で生者と死者を繋ぐこの色は一箇所でしか使われない。デヴィッド・フィンチャー監督『セブン』のポスターが貼られた実家の部屋だけだ


 『真夜中のミサ』はこれまでのフラナガン作品とまったく様子が異なる。恐怖描写は控え目で、近年ストリーミングTVドラマが放映時間という枠組みから解放され、ナラティヴに合わせてランニングタイムを自在に変えてきたのに対し、全てのエピソードが1時間を超えている。その歩みは遅く、しかし着実に僕たちを未だ見ぬ境地へと導き、ツイストは衝撃的でありながら演出は洗練の極みだ。

 ライリーの故郷は本土から50km離れた離島の小さな集落で、プルーイット神父の司る教会が村民たちの拠り所だった。高齢の神父は人生の終幕にイスラエルを目指した巡礼に出ており、代わりにポールという神父がやってくる。熱心なポール神父はライリーのために断酒ミーティングを催すが、自身の罪を許すことのできないライリーは詰め寄る「人が無情な傍観者に成り下がり、他人の苦悩に無関心な唯一の原因は、不幸は神の贈り物という考え方のせいだ」。

 『真夜中のミサ』では信仰に対する疑念とも言うべき問いかけが何度も繰り返される。これまでのフラナガン作品にはない語りの迫力と、実感のこもった限界集落の光景にこれが彼にとってパーソナルな物語である事が伺い知れるが、公開されたプロダクションノートには想像以上に自伝的内容であることが述懐されており、驚かされた。


 フラナガンは幼少期、沿岸警備隊の家族が暮らす離島で育ち、そこで神父の侍者として大学進学までの時期を過ごしたのだという。島を離れた後は宗教について勉学を深め、そこで彼は多くの宗教の違いと多くの類似性に気付き、そして原理主義の狂信に対して怒りと恐れを抱いていった。2001年の同時多発テロ、その後のイスラム教に対する排斥が彼の宗教に対する不信をより強めたことは想像に難くない。第6話で離島ただ一人の敬虔なイスラム教徒である保安官に託されたモノローグにはフラナガンの信仰に対する不信が色濃く出ている。そんな宗教的バックボーンが『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』はじめとする独自の死生観を形成していったのだろう。

 そしてフラナガン自身もアルコール中毒に苦しんでいた。彼はいつか他者を傷つけてしまうのではと恐れ、それがライリーという分身を生み出す事となる。しかし「彼が主人公でないことに気づくまで時間がかかってしまった」とフラナガンは述懐している。ライリーと結ばれるエリンを演じたケイト・シーゲルがフラナガンの実生活のパートナーであることがわかれば、第5話の主人公交代劇が必然であることがわかるだろう。長らく企画されてきた『真夜中のミサ』がようやく完成したのはフラナガンがアルコール中毒というエゴを超え、ケイト・シーゲルという他者の介在を得たからに他ならない。


 神父は信仰と引き換えに愛する人との人生を捨てたことを悔やみ、狂信に身を委ねてしまう。社会から隔絶され、忘れ去られる運命にあるクロケット島の信者達もまたそんな神父に付き従い、やがて狂信は第6話で地獄絵図と化す。近年相次ぐ“ポスト福音主義”作品に共通するのが他者の不在と信仰の独善だ。『セイント・モード』では少女が世界を呪いながら神の愛を渇望し、『ゼム』では敬虔な神父が荒野で神の使いと思しき少年に出会い、内なる白人至上主義を発露させていく。『真夜中のミサ』でもやはり神父は荒野で出会った“それ”を天使と思い込むが、人の生き血を吸い、陽の光を避けるその姿は悪魔と言う他ない。神に語りかけたつもりが悪魔と対話していたのだ。


 フラナガンはケイト・シーゲルに美しいダイアログを託す。人は死んだら、どうなるのか。それは先のプロダクションノートの結びとも重なる。“宗教とは、私たちの心の中にある2つの大きな疑問、「どうやって生きたらいいのか」「死んだらどうなるのか」に答えようとする手段だと思う。2つ目の疑問の答えはわからないが(中略)私の知る限り2つ目の疑問は、1つ目の疑問にどのように影響するかという点でのみ重要だ”。そうしてクロケット島の人々は朝陽と共に隣人の存在を思い出し、賛美歌を唄うのである。

 『真夜中のミサ』は今年最高レベルの傑作だ。物語と作家に尽くした“フラナガン組”キャスト陣の誠実な演技アンサンブル、そして最終回で信じ難いピークに到達するマイケル・フィモナリのカメラは2021年最高峰の1つである。マイク・フラナガンという偉大な才能の開花をNetflixの膨大なライブラリーに埋めてはならない。


『真夜中のミサ』21・米
監督 マイク・フラナガン
出演 ケイト・シーゲル、ザック・ギルフォード、ハミッシュ・リンクレイター、ラフル・コーリ、サマンサ・スローヤン、アレックス・エッソー、アナベス・ギッシュ、ヘンリー・トーマス、ロバート・ロングストリート

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