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1月12日に息子の厄除け祈願に行って神主不在で諦めたので、本日仕切り直しで10時半に予約して行ってきた。
御祈祷が終わって、神主さんと少し話す時間があって、ねこ吉が「尼崎で育ち、七五三は、ゑびす神社に来た。」と話し、尼崎の思い出を色々話した。
「渡辺写真館で写真を撮ったようです。」と言ったら神主さんが、「渡辺写真館さんなら、今もやっていますよ。」と場所を教えてくれた。
早速、探して行ってみたら生家のすぐ近くだった。
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途中、木市呉服店跡にもプレートが貼られていた。
白髪一雄の生家です。
ねこ吉は、全然知らなかったけど有名な抽象画家です。
→「白髪一雄について白髪一雄記念室」
それから、家族亭で天ぷらそばを簡単に食べて、尼崎歴史博物館に行った。
歴史博物館がリニューアルされてから、コロナ騒ぎでなかなか来ることが出来なかった。
現在、「ダンスホールのまち尼崎」が開催されていた。
「尼崎は、阪神国道(現・国道2号)沿線にダンスホールが4か所も所在した、関西を代表するダンスホールのまちでした。」とある。
「昭和2年(1927)以降、華やかなダンスホールが尼崎のまちに次々と誕生しました。
常連客として谷崎潤一郎、藤田嗣治などが名を連ね、のちに「Jポップの父」と呼ばれる服部良一らがホールに出演していたといいます。服部は、この時期東京行きを先送りにして関西にとどまり、ウクライナ出身の指揮者エマヌエル・メッテルの音楽指導を仰いでいました。メッテルは、当時の日本のクラッシック界に大きな影響を与えた人物です。
こうして尼崎で花開いた文化は、太平洋戦争へと日本が突き進むなか、わずか10年ほどで幕を閉じます。」ホームページより抜粋
ねこ吉は驚いた。
多くの著名人が尼崎のダンスホールに来ていたんだね。
歴史博物館の3階をゆっくり見て回った。ねこ吉ひとり・・・。
その後、阪神尼崎駅に向かう途中、尼崎城で、「はしもとみお絵本原画展」をやっているというので立ち寄った。
続きは、また今度。
追記
家に帰って、古い、古いアルバムを出して・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/fb/0a0fbc557242a7624039e67adc6036aa.jpg)
ねこ吉、多分幼稚園の頃の写真です。「32.1.3 於渡辺写眞館」と父の字で書かれている。
着物は「木市呉服店」で買ってもらったものです。
ハンドバッグは赤のビニール製だった。
ねこ吉がデザインを気に入りどうしても欲しいとねだったバッグです。
ねこ吉にも、こんな時があったんですねぇ・・・。