ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

外反母趾の手術から2年。

2024-08-30 19:04:19 | 日記

外反母趾の手術のために下北沢病院に入院してから早2年が経ちました。

毎日リハビリ室の窓から、向かいの坂道を眺めては、あの坂道の上には何があるんだろうと想像したことを思い出します。

入院中、窓の外の世界は病室から隔てられた全くの外界で、いつになったら出られるんだろうかと囚人になった気分でいたのですが、退院してみると、けっこう入院生活って懐かしい。

今日、手術後2年目の検診とインソールのチェックがあって、久しぶりに担当の先生とお会いしたのですが、相変わらず優しい先生で、この先生に会えるなら、もう一回くらい入院してもいいかも、とまたしても思ってしまいました。

当時は一刻も早く退院したいと思っていたのにね。退院してみると、また入院してもいいかも、なんて実に不思議。

でも、私だけじゃありません。同室になった他の人たちも異口同音に言ってました。

家に帰りたくない、ここにいたら上げ膳据え膳で天国だもの・・。

主婦にとって入院生活というのは、一種の避難所のようなところなのかもしれない。

だから、時々病気になって、避難生活をするのかもしれない。

もちろん、実際に避暑地に行ったり旅行に出たりできればそれが一番なのですが、それがままならないと、病気を発症して厳しい現実から避難するのかもしれない。

そんなことを考えました。

もちろん、病気にならない方がいいに決まってますが。

(それに外科病棟は必ず治って退院するので、他の病気とは少し違うかもしれません)

でも、病気になったらなったで楽しみ方もあるし、日本の医療は優れているので、一流ホテルとまでは言わないけど、けっこういい待遇を受けられるようです(病院によるし、病気の種類にもよりますが)。

なので、現実に行き詰まったら、病気になるのも手かもしれませんよ。

退院後、あの坂道を登ってみました。

そしたら、坂道の途中に素敵なカトリック教会があって、誰もいない素敵な庭を発見したのでした。

やっぱりね、あの向こうには何かあると思ってたんだ、と私は一人納得したものです。

あれから2年も経つのかあ・・

とちょっと感慨深い下北沢でした。

(入院生活の必需品等については2022年10月5日の記事を見てみてくださいね)

 

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池のカイツブリと夏休み

2024-08-22 10:54:55 | 散歩

今年の夏は異例の酷暑の夏です。

去年も異例の酷暑の夏だったし、来年もまた異例の酷暑の夏になるのでしょう。

来年くらいになると、異例とは言わず恒例になるのかもしれないけど。

とにかく、8月も終盤に差し掛かりましたが、私は風邪をひいて寝込んでしまい、なかなか完治せず長引いています。

おとなしく家にいて栄養のあるものを食べて、しっかり睡眠取っているのに治らないのはやはり歳のせいか。

酷暑はボディブローのように身体の深部に効いてきている気がします。

さて、昨日は久しぶりに近所の公園に行き、カイツブリの様子を眺めました。

雛は2羽残っています。一羽はまだ親鳥にくっついていますが、もう一羽は離れたところで自力で餌を取っていました。

突然、親鳥が水面を滑空し、飛び立つようなしぐさをしました。それを真似て、雛もまた水面を滑空して飛び立つしぐさをしたのです。

おお、やっぱり空を飛ぶんだ。

雛たちもそろそろ独り立ちの時期。やがて水面を滑空してどこかに飛び去っていくのでしょう。

小さな池が世界の全部であった雛にとって、空から見る世界は一体どのように映るんだろうか。

二次元から三次元への飛翔。

我々人間にはかなわない神業です。翼を持つものの特権といってもいいかもしれない。

だからこそ、人間たちは様々な努力を重ね、多くの犠牲者を出して、空を駆けること、そして宇宙に飛び出すことを夢見たのでしょう。

カイツブリの夢は宇宙ではないと思うけど、いずれこの池ではないどこかに旅立っていきます。

酷暑の夏を生き延びた彼らに幸あれと願わずにいられません。

来年また戻ってきてくれると嬉しい。

夏はまだしばらく続くようです。

 

 

 

 

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「日本のいちばん長い日」(1967年)

2024-08-17 12:45:41 | 映画

8月15日は終戦記念日ということもあって、

「日本のいちばん長い日」(岡本喜八監督 1967年 東宝)

を観ました。半藤一利のノンフィクションを基に映画化されたものです。

(原作本には大家壮一著とありますが、実際は半藤一利の作品だそうです)

2時間半という長尺の映画ですが、展開が早く、全く飽きることなく一気に見てしまいました。

制作に田中友幸が入っており、初代「ゴジラ」を彷彿とさせます。これを見ると「ゴジラ」はそもそも戦争映画だったのだ、ということが改めてよくわかります。

すごい映画です。

なんで今まで観なかったんだろう。タイトルは知っていたし有名な映画だということもわかっていたのですが、観てなかった。こういう映画まだたくさんあるんだろうな。

これは、昭和20年(1945年)8月の終戦前夜の話です。

正確に言うと8月14日の正午から15日の正午にかけての24時間の物語。

この24時間に起きたことが、日本の運命を決めたわけですから、実際「日本のいちばん長い日」だったことは確かです。

ポツダム宣言受諾については、7月28日に鈴木貫太郎首相が「黙殺」と決めたものの誤訳され連合各国からは「拒否」と受け取られ、この間に8月6日広島、8月9日長崎と二度も原爆を落とされます。

長い議論の末、8月10日天皇の判断により、受諾が決まりますが、正式に決まったのは14日のこと。

受諾に真っ向から反対した陸軍大臣阿南惟幾(あなみこれちか)は本土決戦と徹底的な水際撃滅論を展開し、ポツダム宣言受諾を主張した東郷茂徳外相と対立します。

しかし天皇の英断により、受諾が決定。

「これ以上戦争を継続することは、我が民族を滅亡させることになる。すみやかに終結せしめたい」

「私自身はいかようになろうとも、国民にこれ以上苦痛をなめさせることは私には忍び難い。できることは何でもする・・マイクの前にも立つ・・陸海軍に説得もする・・」

この時の天皇の決断は生半可なものではなかったことがわかります。だからこそ阿南陸軍大臣も納得したのでしょう。

その裏で、秘かに陸軍の若手将校たちがクーデターを企てていたのです。

天皇による終戦の英断、そして玉音放送の準備と着々と終戦準備が進む中、一方では、クーデター計画も進んでいた。

近衛兵(天皇を守る兵隊)である若い将校たちが天皇の英断に逆らって本土決戦に持ち込もうとするのですから、狂気の沙汰としか思えません。

最後まで突っ走った畑中少佐(黒沢年男)の血走った眼は、カルトに洗脳された若者の狂気を彷彿とさせます。

この戦争に負けるわけにはいかない、本土決戦に持ち込んで玉砕するのだ!と叫ぶ畑中少佐のエネルギーのすさまじさ。

彼はクーデターに反対する近衛師団長森中将を殺害し、宮城に向かいます。

2,26 事件の再来が起きようとしていた。

この後半の展開がすさまじく、日本で実際にこんなことがあったのか、と驚くばかりの展開です。

考えてみれば、戦争そのものが狂気の沙汰なので、どんなことだって起こりえるのでしょう。

まして、若い兵士ならなおのこと。子どもの頃から軍国教育を受けて育ち、天皇は神だの国体が大事だのと洗脳され続けてきたのですから、それをいきなり放棄するのは無理難題というもの。

体を張ってでも阻止したいと願うのは当然のこと。それを思いとどまらせることは、陸相の阿南惟幾にもできなかった。阿南は天皇の英断を聞くと、静かに去っていきます。

阿南はクーデターに反対し、不服な者はこの阿南を切れ、と兵士たちをなだめるのですが、兵士たちは聞かず。

心理戦も凄い。阿南陸相はなかなかの人物だったと思われます。玉音放送が決まった後に、彼は切腹します。

まさに武士の生きざま、といったところでしょうか。「切腹」がまだ残っていた、というあたりに非常に前近代的なものを感じます。

良いか悪いかは別として、そうして生きざるを得なかった当時の人達のすさまじさを思います。人ひとりの人生の重みのなんて違うことだろうか。

政府や軍の中枢部にいる人たちは、その配下にいる多くの国民や兵士の命をも代表している・・その自覚の在り様が今とはえらく違うなあとも思います。

畑中少佐は近衛師団長森中将を殺害した後、宮城になだれ込み、玉音放送を録音したレコードを探しますがみつからない。この時レコードが見つかっていたら、今の日本はなかったかもしれない・・

歴史って紙一重のところがあるのだなあ。

あるいは、ひょっとすると、この時クーデターが成功し違う世界線に移行した世界もあったりして・・

それはともかく、15日未明の若手将校によるクーデターは失敗し、15日正午、天皇の玉音放送が全国に流され、日本国民は戦争に負けたことを知らされたのでした。

歴史って、当時の人々には自分事なので切実ですが、こうして時間がたってみると非常に興味深い。

私は父のことをほとんど知らずに大人になり、すぐに実家を出たので、父がどういう人生を歩み、どういう思想を持っていたのかよくわからないところがありました。

父も戦争に行ったので、もしかすると畑中少尉のように過激な思想に染まっていたのかもしれず、あるいはもっと平凡な兵士だったのかもしれません。

私が「ゴジラ」が大好きなのも(おそらく日本人の多くが大好きだと思いますが)、やはり戦争の影響が大きいだろうと思います。

次回は2015年版の「日本のいちばん長い日」を見てみたいと思っています。

《追記》NHKスペシャルで「一億特攻への道」を観ました。その中で特攻について天皇が言われた言葉がこれです。「そのようにまでせねばならなかったか・・。しかし、よくやった」NHKスペシャル、時々いいのやるよね》

 

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「ダーク DARK」は暗くて長い。

2024-08-08 11:38:54 | 映画

Netflixのドラマランキングで断トツの1位を獲得したドラマ

「ダーク DARK」

を二日連続で観ました。

これ、一度見始めると止められなくなる中毒性のあるドラマです。

何より、私の大好きなタイムトラベルもの。

始まりは2019年11月のドイツの小さな村。原発のある村です。

原発の巨大な煙突がもくもくと白い煙を上げている姿が、村の背景として頻繁に登場します。

この村で11歳の少年が行方不明になる事件が発生します。
33年前にも同じように少年が失踪する事件が起きていました。

両親は血眼になって息子を探しますが、少年は見つからない・・

ここから3つの時代にまたがる壮大なストーリーが始まります。

冒頭の2019年、33年前の1986年、更にその33年前1953年と三つの時代を、人々が行き来するのです。

シーズン1(全10話)の終わりの方では、

ええええー!

という驚愕の展開もあり、

今、ちょうどシーズン2に入ったところ。

このドラマ全26話もあって、長い長い。

しかも雰囲気がめちゃくちゃ暗い。

雨ばかりで晴天の日がなく、登場人物たちも皆一癖ある人たちで、

嘘や秘密がいたるところに存在し、小さな村の閉塞した世界が描かれます。

誰が誰の夫であり妻であり、娘であり息子であり、祖父母であり孫であるのか・・

人物相関図とにらめっこしながら見ないとわけがわからなくなります。

しかも、エピソードを追うごとに物語は錯綜していき、シーズン1の終わりにはカオスの様相を呈してきます。

ネットの評判では、シーズン3で完結し、すべての謎が解き明かされ伏線が回収されるのだとか。

登場人物たちは閉ざされた小さな世界の中で時代を行き来し、互いの関係性をも行き来します。

網目のように張り巡らされた人々の交錯する様子を見ると、

どんだけ緻密な脚本が作られたんだろうかと、気が遠くなるほどです。巨大なジグソーパズルを作りあげる感じかな。

でもね、シーズン2にさしかかり、2052年と1920年と年代が二つ増え、

これまでの3つの年代が5つの年代へと更に複雑になっていったあたりまで来て、

私は、もういいか、と見るのを中断しました。

最後の完結編まで見るには、一気見したとしても最低3日はかかるだろうし、その3日間をこのドラマに費やすのはもったいないなあ、と思ったからです。

何より、感情移入できる人物がいない、というのが大きな欠点かな。

主人公のヨナスはまともなんだけど、イマイチ感情移入できるタイプではないし、

唯一いいなと思えるのは、ヨナスの祖母イネスくらいかな。

やはり、感情移入できる登場人物は必須ですね。

タイムトラベルものの映画やドラマは大好きでいろいろ観てます。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「時をかける少女」「プリデスティネーション」「バタフライ・エフェクト」「アバウトタイム」・・

「BODIES/ ボディーズ」も4つの時代を行き来する話でしたね(2023年10月21 日の記事参照)。

これも長いけど最後まで観ました。

他にも「テセウスの船」「僕だけがいない街」「JIN-仁 -」なんかもある。

タイムループものとしては、

「恋はデジャブ」「LOOP ループ 時に囚われた男」「オール・ユー・ニード・イズ・キル」「トライアングル」「MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない」

なんかが面白かったんですが、どれもそんなに長くはない。

「MONDAYS・・」は日本の映画。これめっちゃ面白い。「トライアングル」は地味な映画だけど最後にグッとくるものがあってよかったです。

「ダーク DARK」は一種のパズル。ゲームといってもいいかもしれない。

世界観はけっこう古い。今はやりのパラレルワールドなんかは出てこない・・

と思ったら、シーズン3ではパラレルワールドも登場するみたいです。

小さな村の小さな世界、血縁や親戚、互いの関係性など様々なものが凝縮され煮詰まった世界のなかで、更に時間さえ凝縮され、ループし、その中を人物たちは行き来する。

人々の閉塞感をこそ表現したかったのかもしれません。あるいは、これ書いた人たちは世界の創造主になりたかったのかも・・

同じように時間を行き来する話でも、

「BODIES/ ボディーズ」の方がもう少しわかりやすかった。刑事メープルウッドが素敵だったし。

というわけで、夏休みの暇な時間をもてあましている人は観てもいいかも・・

伏線が回収される際のスッと腹落ちする快感は、何ものにも換えがたいですから。

なので、時間を置いてまた観てみるかもしれませんが、人物相関図が複雑すぎるので、時間を置くとわけわかんなくなるかも。

映画やドラマを観る楽しみって、結局のところ、

驚愕する、感動する、恐ろしさに震える、気持ちをゆさぶられる・・

こうした日常ではなかなか味わえない感覚を手軽に味わえるっていうのが一番の醍醐味だと思います。

皆さんも楽しい夏をお過ごしくださいませ。

 

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「異人たちとの夏」

2024-08-05 09:58:51 | 映画

Huluで「異人たちとの夏」が配信されていたので観ました。

「異人たちとの夏」(1988年 大林宣彦監督)

1988年と古い映画で、以前も観たのですがなつかしくなって見てみました。

山田太一の小説を映画化したものです。

夏といえば幽霊譚。

でも、この幽霊譚は実にさわやかな後味の幽霊譚です。

最後にはちょっと怖い本物の幽霊も出てくるのですが、印象に残るのはあくまでも主人公の亡くなった両親。

(以下ネタバレ)

シナリオライターの原田は12歳の時に両親をなくし、最近妻とも離婚し一人暮らしを始めたところ。

彼の住むマンションはほとんど空室で、彼の居室と3Fに一つだけ明かりの灯る窓があり、他の住民たちはいないらしい。そもそも都会にそんなマンションがあるのか、と当時も思いましたが、とにかくそういう設定。

で、ある日、彼は浅草の演芸館で死んだ父とそっくりの男を見かけます。男の後を追っていくと、男は気づいて彼を自宅に招くのですが、それは原田が子どもの頃暮らしていた家でした。

そして、男は原田の実の父親でした。

死んだ両親は、死んだときの若い姿のままで、浅草の家で暮らしていたのです。

都会的でクールなシナリオライターの原田とは全く違って、両親は庶民的で暖かく彼を迎えてくれます。その両親に接し、原田は心から癒されていき、何度も両親宅を訪ねるようになります。

でも、彼らは幽霊。こんなことが長続きするはずはありません。

そして、別れの時がやってくるのです・・

もう一人、幽霊が登場します。あの3Fの明かりの部屋に住んでいた女性と原田は肉体関係になるのですが、実はこの彼女は既に死んでいた・・

彼の両親のように、彼を暖かく迎え、温かく見守ってくれている幽霊もいれば、3Fの女性のように彼に憑りついて向こうの世界に連れていこうとする幽霊もいる・・

最後の方は背筋が凍るような幽霊譚になるのですが、

それでも、見終えた後に残るのは、浅草の古い家であり、気さくでやさしい両親の姿なのでした。

こんな幽霊なら出会ってみたい、と本当に思わせてくれる映画です。

大林宣彦監督といえば「時をかける少女」が有名ですが、この映画に登場するのも未来から来た少年でした。

「大林は(中略)「幼少期に感じた死者の気配が映画づくりの原点。私が描くのは虚実のはざま。生きているのか死んでいるのか分からない人が登場する」と語る(wikipedeiaより)

ところで、この映画をリメイクしたイギリスの映画「異人たち」も観てみましたが、

こちらはイマイチ。あの素敵な幽霊譚をゲイの世界の話にすり替えてしまうあたり、どうも納得がいきません。全体のトーンも全く違うし。

幽霊譚を見るなら「異人たちとの夏」は欠かせません。

あと、

「父と暮らせば」もよかったので、また書きたいと思います。

夏はやっぱりこの世とあの世がまざりあう季節なのですね。

酷暑の陽炎の向こうに見えているのは、この世のものではない者たちだったりして・・

 

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