お片付けは続くよどこまでも。
しばらく中断していましたが再開。
我家には夥しい数の紙類がありまして、本もその一つなのですが、最近は、日本語レッスン用の資料やコピーが山のようにあって、
でも、これは捨てられないよなあ、でも、取っておくのも大変だしなあ、と思いあぐねています。
N5からN1までのテキストだけでも机をすっかり占領しています。これをすっきり収めるにはもう一つ本棚が必要だけど、新しい家具は買いたくない。今あるものを利用しようとしたら、やはり不要な本や紙類を捨てるしかない。
ミニマリストたちの動画を見ていると家の中に何もない。あれは本当だろうかと常々疑問に思っています。
テキスト類はもちろんのこと、他にも書類はたくさんある。
確定申告に必要な書類(過去の確定申告書類も要保存)、市や団地自治会からのお知らせ(健康診断や医療費関係、自治会のお知らせ、ゴミ収集日の変更等)、クリーニング屋やドラッグストアのディスカウント情報、廃品回収のお知らせ・・捨てると困る紙類はけっこうあります。
後回しにしている書類も多い。払い込むべき請求書、同窓会のお知らせ(参加すべきか欠席すべきか考慮中)、まだ返事を出していない友人の手紙、開封していないDM類、保険会社や携帯電話会社からのお知らせ・・
これらの書類を彼らは一体どこに隠しているんだろうか。
もちろん彼らはこう言います。先延ばしにせずその場で開封処理。でもねえ、これをきっちりやろうとすると、脳みその別の部分(未知の部分?)を働かせないといけないのですよ。
結局、お片付けというのは、脳みその使い方を変更せよ、ということなのかしら。
物理的なモノの話ではなく、身体的な改変(あるいは新たな身体能力を身につけよ!)ということなのかしら。
映画「ゲットアウト」みたいに脳みそを全とっかえできればいいのだけど。
こんまりさんは、途中で挫折しかける人もいるけど、大丈夫よ、と言ってますが、
ホントに大丈夫なのか?
だって紙類は日々増加していく。
梅雨時のキノコみたいに、あっという間ににょきにょき生えてくる。
毎日何かしらポストに入ってる。チラシ類は即捨てるけど、中には重要なお知らせもあり、もしかして後で必要になるかもしれない情報もあるかも・・
モノは捨てられても、情報は捨てられない。
ミニマリストたちと捨てられない人たちの脳みその違いって、もしかするとここ?
彼らは言います。もしかして(将来)必要になるかもしれない、と取っておくのではなく、今ここに生きる、それを大事にする。
でも、それを判断するのはやっぱり脳みそで、結局は脳みその新たな使い方を開拓せよ、身体能力を改変せよ、ということなのでは?
と堂々巡りしています。
あと、捨てるモノは出したけど、どうやって捨てる?
というのが最大の難関です。
押し入れに残っている缶詰類を捨てるには、中身を出さないといけないわけで、この作業がこれから必要になります。
一つひとつ缶を開けて中身を捨てていくうちに、
ああ、もったいないことをした、と後悔の念にかられることでしょう。
下駄箱を占領している古い靴や傘、重くて使い勝手の悪い昔の携帯傘、カビの生えた革靴・・
何年も使ってない食器類。いまだに放置している縁の欠けた皿や茶わん類。
何より最大の難関は古い家具。どうやって捨てるんじゃい?
あんなに大事だった本を大量に売ってしまったのに、なぜにこんなモノたちがまだ残ってる?
もちろん、彼らにも大事な役割があったわけなので、感謝して丁重に退去をお願いしようと思ってはいますが。
ああ、先はまだまだ遠い。
続くかしら・・
と少し弱気になっている私ですねん。
でも、やるしかない。頑張らねば。
また報告しますね。