久しぶりに劇場で映画「八犬伝」を観てきました。
「八犬伝」(山田風太郎原作 曽利文彦監督 キノフィルムズ 2024年)
面白かった!
事前の情報なしで観たので「南総里見八犬伝」を映画化したものとばかり思っていたのですが、実はかなり違って、あれを書いた滝沢馬琴と彼の友人である葛飾北斎の話が「八犬伝」の物語と交互に語られるストーリーでした。
帰りに本屋さんで、山田風太郎の「八犬伝」を購入し、さっそく読み始めたところです。
昔NHKで人形劇の「新八犬伝」やってましたよね。辻村ジュサブローの人形がすごくよかった。
「たまずさがおんりょー!」とか「天網恢恢疎にして漏らさず」とかね。あれは面白かった。
でも、今回の映画はどちらかというと滝沢馬琴と彼の家族の話、そして葛飾北斎との交流がメインです。
鶴屋南北も登場して、江戸時代というのは豊かな文芸作品が量産された時代なのだなあと思いました。
庶民がただ楽しみのために読む「戯作」だからと馬琴は自分を卑下しますが、いやいや彼の「八犬伝」は今も語り継がれているし、現代のファンタジーやライトノベルの源流ともなった作品なのですよと言いたい。
これから観る人のためにはネタバレしない方がいいのですが、最小限の情報として、以下のようなことが語られます。
「八犬伝」の物語世界は「虚」、馬琴と北斎の世界は「実」。
この虚と実の二つの世界を行きつ戻りつしながら話は進みます。
「八犬伝」がどんなお話なのかは大体わかります。かなりあらすじっぽく描かれていますが(「八犬伝」は超長編なので2時間の映画では語りきれない)
一方「実」の世界では、馬琴の周辺、家族や北斎、当時流行した鶴屋南北の怪談なども登場し、
馬琴は勧善懲悪の世界を語ることにより、現実世界は厳しいけれど、必ずや悪は滅びる、という希望を庶民に与えることが大事だと言います。
一方で鶴屋南北は馬琴に、そんな絵空事はいらない、庶民が求めているのは現実だ、と突きつけます。
この辺り、面白かった。
そして、家族内の揉め事も数々ある中で、馬琴はただ一筋に「八犬伝」の執筆をつづけ、
何と28年という歳月をかけて完成させるのです。
ここは感動的でした。
北斎が幼少時から絵を描くことが大好きで止められなかったと話すように、馬琴も決して執筆をあきらめなかった。
この二人の生きざまは、現代人にも強く訴えるものがあります。
人生って、様々なもの事に翻弄されながらも、結局のところ目の前の道をたどっていくしかなく、その先に光明があるかないかは、その人次第ということなのでしょう。
馬琴役を役所広司、北斎役を内野聖陽が演じています。内野聖陽の北斎がすごくよかった。
内野聖陽は「きのう何食べた?」のケンジ役でゲイの美容師を演じていますが、今回は全く違うキャラで、彼はすごい役者なのだと改めて思いました。
もう一回観に行ってもいいかなと思うほど面白かった。
超お勧めです。