ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

ヘレディタリー/継承

2019-08-30 17:11:27 | 映画

 

 

 最近見たホラー映画

「ヘレディタリー/継承」(アリ・アスター監督作品 2018年)

 を紹介します。
 怖いと評判だったので、怖いモノ見たさに、アマプラで500円払って見たのですが、

 あんまり怖くなかった、というか全然怖くなかった。

 アリ・アスター監督の初長編作品だそうで、なるほどあちこち粗が目立ちます。
「批評家から絶賛」「2018年で最も怖い映画」と評されてはいますが、どうかしら・・

 主人公のアニーを演じたのは、トニ・コレット(「シックス・センス」のお母さん役)。彼女がとてもよかった。そして、アニーの夫役が、以前ここでも紹介した「イン・トリートメント」のセラピストを演じたガブリエル・バーン。この人がなかなか渋くていい。

 ホラーなのでストーリーはあるようでない。荒唐無稽な話です。

(以下、ネタばれ)

 アニーはドールハウスの制作者。最近高齢の母を亡くしたばかり。

 このドールハウスは「シャープ・オブジェクツ/KIZU傷」にも出てきますが、「シャープ・オブジェクツ/KIZU傷」のほうがはるかに使い方が上手い。(5月9日の記事参照)
 ここでは単に、アニーの生業がドールハウス制作というだけで、広くて陰気くさい家の、いたるところに彼女が制作したドールハウスがあるのがなかなか不気味です。

 アニーには高校生の息子ピーターと中学生の娘チャーリーがいます。

 ある日、ピーターは友達のパーティに行くのにチャーリーを連れていってほしいと母に頼まれます。
 ピーターは嫌だといいますが(パーティに妹連れで行くなんてティーンエイジャーにとっては最悪)母のたっての頼みを断わりきれず、チャーリーを連れて車で出かけます。
 帰り道でチャーリーが喘息の発作に襲われ、気をとられた隙に車は電柱に激突。あろうことか、チャーリーの首は(垂れ下がった電線か何かで)ちょん切られて死んでしまうのです。

 ここがねえ、よくわからないのですよ。
 事故の衝撃が描かれ、ピーターが呆然としている顔が映しだされ、次にピーターが家に戻ったシーンが映されるので、なんだ大丈夫だったのね、と思ったのですが、
 翌朝、道路上に血まみれのチャーリーの首が転がっていた・・ってどういうシチュエーションなん?

 いたるところに首をちょん切るシーンが出てきます。 
 たとえば、チャーリーは学校で窓ガラスに激突して死んだ鳥の頭部をハサミでちょん切って持ち帰り、スケッチしたりするのですね。

 気味の悪い家族です。

 チャーリーの死に、母はすっかり狂乱状態になります。

 後半は、狂った母の妄想が生みだした非現実的な世界で、ひょっとすると最後まであれは母の妄想であり、その妄想を引き継いだ(遺伝的に)ピーターの妄想かもしれないと思えてきます。

 悪魔教のカルトなんかも絡んできて、もう何がなんだか、の世界です。

 なので、全然怖くない。

 映画解説によると、アスター監督はロバート・レッドフォードの「普通の人々」を参考にしたとあり、一人の死によって家族がバラバラになっていく話を作りたかった、というのだけど、それにしてはあまりに荒唐無稽で説得力がないよね、と思いました。

 「シャープ・オブジェクツ/KIZU傷」のような歪んだ人間の心理のほうがはるかに怖いです。

 ホラー映画が好きな人は見てみてもいいかも。

 

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ザ・ウォーク

2019-08-24 20:28:11 | 映画

少し涼しくなったと思ったら、また残暑がぶりかえしてきましたね。
さて、今日も古い記事で申し訳ありませんが、去年の暮れの寒い時期に書いたものを掲載します。
あと少しでこの(「ないない島通信」)シリーズも終わりますので、もうしばらくのご辛抱を。


(2018年12月の記事です)

今年もついに残すところ一週間を切りました。
速いもんだねえ。
なぜこうも時間のたつのが速くなったのか?
こちらがのろくなってきたせい?
だから、相対的に
周囲の時間が早送りされているように見える?

この現象はますます加速度を増すだろうから、今から十年後というのは(来年以降の私の感覚でいうと)2年後くらい??
Oh my God!!

さて、今年のクリスマスに私が見た映画は、

「ザ・ウォーク」(ロバート・ゼメキス監督、2015年)

1974年、NYのワールドトレードセンター(WTC)の二つのビルの屋上にワイヤーを張って、命綱なしでビルの間を綱渡りした、フィリップ・プティという人の実話です。地上411mの綱渡り。

これ、実話というところがすごい。
しかも、あのWTCよ、今はもうない。

そのWTCを取り上げ、しかも9.11には全く触れない。触れないからこそ、失ったものの大きさがよくわかるというわけ。さすが、ロバート・ゼメキス監督。(「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の監督です)

それにしても、
世の中にはとんでもないことを考える人がいるもんだと思った。
ただでさえ、高所恐怖症の私。
映画を見終えるまでに、何度中断したことか。
映画だとわかっていても、足がゾクゾクして見てらんない。
クレイジーにもほどがある。

でも、最後まで見て、なんかよかったなあと思った。
理由の一つは、ジョセフ・ゴードン=レヴィットかな。
彼が出る映画には何かしら余韻があります。
「インセプション」や「500日のサマー」で有名ですが、今回の彼はちょっと毛色が違って、破天荒なチャレンジャーといった役柄。

映画は彼自身のナレーションで始まりますが、
なんと、NYの自由の女神のテッペンに立って自身の物語を語り始めます。

おいおい、そんなところに立って怖くないんかい?

最後にWTCを綱渡りするのだから、自由の女神ごときでは怖いわけがない。

高所恐怖症とは無縁なのでしょう。羨ましいような全然そうでもないような。

物語はとてもシンプルで、
彼がなぜWTCビルの綱渡りに挑戦し、どのように成功したか、というストーリー。

答えは「山がそこにあるから」と言ったジョージ・マロリーと同じ。これはチャレンジャーに共通する心理なのでしょう。

挑戦すべきものが目の前にあるなら、挑戦せずにはいられない。

私にはよくわからないけど、そういうものらしい。
特に男は。
もちろん成功する確率は高くない。落ちたら必ず死ぬわけですが、だからこそ挑戦しがいもあるのでしょう。

でも、見ているとわかるのですが、このために彼がした準備は万端怠りなく、しかも、彼のスキルそのものがもう無敵なわけです。これだけの自信があったからこその成功というわけ。

そして、
命の使い方って、人によってえらく違うもんだなあ、と思った。

考えてみれば、私たちも日々何かに挑戦してはいるのです。
いつもと違う道を歩いてみるとか、知らないお店に入ってみるとか、食べたことのないモノを食べてみるとか、知らない国に旅行に行くとか、初めての人に会うとか・・

でも、WTCを綱渡りしようとは思わない。

「これはクーデターなのだ」と彼は言います。
誰も挑戦しない、かつ違法でもある事に挑戦するクーデターなのだと。

最後に彼は屋上で待ち構えていた警察に捕まりますが、下に降りると、万来の拍手に迎えられます。
NYの人たちが一斉に上を見上げて、彼の成功を息を詰めて見守っていたわけですから、彼は偉大なヒーローです。

でも、ヒーローになったから素晴らしいのではない。
彼が成功しようが失敗しようが、破天荒なことに挑戦した、その事に意味がある、と誰もが思います。

命の使い方は人それぞれ。
せっかく生まれてきた命、持ち合わせた才能、それを開花せずに終わるほうがもったいない。

そうしたことを、この映画は教えてくれました。

私は、WTCはおろか我家の屋上でさえ無理だけど、
今年から来年に渡るのも、ある意味、綱渡りかしれない。

大きなジャンプをして来年を迎えたいと思います。

皆さんはどんな綱渡りをしたいですか、来年?

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HACHI 約束の犬

2019-08-21 11:28:33 | 映画

 

(これは2018年2月22日の記事です)

今日はにゃんにゃんにゃんで猫の日だそうですが、ちょっとあまのじゃくして、犬の映画を紹介します。

「HACHI 約束の犬」(ラッセ・ハルストレム監督作品 2009年公開)

私はこの映画が大好きでもう20回くらいは見ています。
4年前にセブの英語学校で先生がくれた映画の中の一本で、ドミトリーで毎晩のように見ていました。

当時は(日本語字幕なしだったので)意味不明のところもあり、帰国後DVDなどで確かめてそういう台詞だったのね、と納得したのですが、何よりこの映画がいいのは、主人公のハチという犬の視点で描かれた愛情物語である、という一点に尽きます。

ラッセ・ハルストレム監督はこの他に「ギルバート・グレイプ」「サイダーハウス・ルール」「ショコラ」「親愛なる君へ」「セイフ・ヘイブン」「砂漠でサーモンフィッシング」など多くの作品がありますが、私の好きな監督の一人です。

「HACHI/約束の犬」は日本の忠犬ハチ公をモデルにしたフィクションで、アメリカのベッドリッジという架空の田舎町が舞台です。
音楽大(orアートスクール)の先生をしているパーカーがある日、駅で迷子の子犬を拾うところから物語は始まります。

パーカーは大の犬好きで、最近、飼っていた犬が死んだばかり。奥さんは彼がまた犬を飼う気でいるのでは、と心配しますが、彼はその子犬にすっかり夢中になります。どうやら日本から来た秋田犬らしいと同僚(日本人)が教えてくれます。

――君が彼を見つけたんじゃなくて、彼が君を見つけたのかもしれないよ。

と同僚がいいます。

音大の教授をしているパーカー、建築デザイナーの妻、美人の一人娘・・
いわばセレブの家族の話ですが、彼らの関係は至極良好で家族間の葛藤もなく、シンプルで余計なものが一切ない物語です。
つまり、人間特有の葛藤や桎梏を取り入れない、どこまでも犬目線のストーリーなのです。

それが何よりいい。
人間は余計なものを持ちすぎているから。

前半はパーカーとハチの愛情あふれた関係が描かれますが、それが突然絶たれます。

パーカーは大学の講義中に心筋梗塞を起こして亡くなってしまうのです。でも、ハチにはそれがわからず、駅前でパーカーの帰りを待ち続けます。

そして、10年という年月が過ぎていきます。
元気だったハチはやがて年老いてやつれていきます。この辺り、犬の演技も見事なもので、一体どうやって犬にしつけたのかと思うほどです。

そうやって長の年月が過ぎ、ハチはパーカーの帰りを待ちわびたまま駅前で死んでいく、というのがこのストーリーのすべてで、最後は号泣ものです。

犬を飼ったことがある人なら誰しも心当たりがあるはずですが、犬のこの忠実さ、どこまでもまっすぐな愛情は、見ていていたたまれなくなるほどです。動物にはあるこうしたシンプルな愛情表現がなぜ人間にはできないのか。どこまでもまっすぐに人を信じるということがなぜこうも難しいのか。見るたびに考えさせられますが、

それは、犬だけではなく、飼い主であるパーカーの愛情そのものにも理由があったのではないか、犬は飼い主の愛情を敏感に感じ取る生き物でそれに応えようとしただけなのではないか。これだけ愛されれば10年だって待てるかもしれない、というのが今回思ったことです。

もちろん、犬に限らず猫だってハムスターだってオウムだって金魚だって、ペットとして飼うからには、愛情をいっぱい注いで最後まで世話をするのは当たり前のことですが、それさえなかなかかなわない人間の側の事情もあります。そんな中で、それでもやっぱり生き物同士、愛しあわないといけないよね、というメッセージがダイレクトに心に伝わります。

だからこそ、繰り返し何度も見たくなる映画になっているのですね。
まだ見てない方、犬好きな方はぜひ、ハンカチをご用意の上鑑賞してください。

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キューティ・ブロンド

2019-08-19 09:10:57 | 映画

 

(これは2018年4月17日の記事です)

落ち込んだ時、悲しい時、気分がすぐれない時、これを見れば元気になれる、という映画が私には何本かありますが、今回新たに、

「キューティ・ブロンド」が加わることになりました!

これ、かなり前の作品なんだけど(2001年)、
amazonプライムでタダで見れたので暇つぶしに見てみたところ、
意外にいい!

よくあるラブコメの類でしょと思っていたら、これがまあ面白くて、まさに掘り出し物。
ゴールデン・グローブ賞のコメディ/ミュージカル部門で作品賞と女優賞にノミネートされた作品というから、知ってる人は知ってるんだろうけどね。

ストーリーはシンプル。
CULA(ロサンゼルス市立大学)のファッション・マーチャンダイジング科の学生エル(リース・ウィザースプーン)は恋人に振られ、一念発起してハーバード大学の法科に入学し、元彼を追い越して敏腕弁護士になる、というサクセスストーリーです。

ハーバード大学よ!
ビル・ゲイツやオバマ大統領、マーク・ザッカーバーグ等超有名人を輩出したあのハーバード大学!

ファッション科の学生だったエルはファッションセンス抜群。
男臭いハーバード大学では、女子学生も地味でイカしてない。
エルのようにピンクのワンピースを身にまとい、小型犬をアクセサリーのように連れ歩く姿は、ハーバードでは全く場違いで、みんなから奇異の目で見られますが、エルはどんな差別的な眼差しにも物怖じせず、笑顔で立ち向かう天性の無邪気さがあります。

こういうところ、ブリジット・ジョーンズにも近い。
エルは非常に賢く、いざ勉強を始めたら、誰にも引けを取らない素晴らしい能力を発揮するのですが、彼女の恋人は、エルのことを、セックスアピールしか取り柄のないバカ女だと勘違いしています。

(アメリカでは、ブロンド女性はセクシーだけど頭はからっぽ、というイメージがあり「ブロンド・ジョーク」というのもあるくらい。オリジナルタイトルの"LEAGALLY BLONDE"は合法的な金髪、といった感じかな。法科だからね)

このハーバードの男社会に痛烈なパンチを浴びせかけるのがエルで、しかも終始にこやかにさわやかに泣き言を言わず、切り抜けるそのスマートさには、女性ならきっと喝采したくなるはず。

私自身は、若い頃から化粧もせず(ハーバードの地味な女子学生みたいに)過ごしてきたので、女性があんなふうに一分の隙もなくファッションで身を固めるって好きじゃなかった。男へのセックスアピール以外の何ものでもないと思っていたから。

でも、この映画を見て、エルたち女の子は男を惹き付けるためにファッションに身を包んでいるわけではなく、彼女自身のために、ファッションが楽しいから、女性でいることが楽しいから、そうしているのだ、と気づいたのです。

生まれて初めて、ピンクという色の持つ意味を知った気がしました。

ピンクというのは、女性にとっての戦闘服でもあったのです!

男を惹き付けるためではなく、男に対抗するために。
そのためには、男と同じものを身に着けるのではなく、差別化を図ることが必要。
ピンクに身を包むことにより、初めて本当の意味で、彼らと対等な立ち位置に着ける・・
そんな感じかな。

そして、エルは見事に成功します。
この成功も、ストーリー的には少々出来過ぎ感もあるけど、コメディならではで許せちゃいます。

なんたって、痛快なストーリーだから!

「キューティ・ブロンド」の続編もあるようなので、ぜひ見てみたいと思っています。

エルを応援することは、全女性を応援することにつながります。

すごい、よくやった、エル!

と大喝采を送り、

私たちも後に続くからねっ! 

と若い女の子たちに言わせたい。
そういう映画です。
もちろん熟年だって元気をもらえます!

リース・ウィザースプーンっていい女優だなあ~
改めてそう思いました。
そういえば「ビッグ・リトル・ライズ」にも出演してたなあ。

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スリー・ビルボード

2019-08-17 18:25:25 | 映画

(これは2018年7月2日の記事です)

いやあ、毎日暑いですねえ。
こう暑いと映画でも見て過ごすしかない、というわけで、今日は映画
「スリー・ビルボード」を紹介します。

スリー・ビルボード
マーティン・マクドナー監督作品。2017年公開。

これ、すんごく面白くて、見始めたらもうトイレも我慢で最後まで一気見でした。
何しろストーリーが二転三転して、先が全く読めない。

この人はいい人だよね、この人は悪い人ね、という予想が悉く覆されます。非常によく出来たサスペンス映画で、しかも、アメリカという国がよくわかる映画でもあります。
そして、
つくづくカルチャーの違いを思い知らされます。

しかもこの映画、舞台は現代でありながら、さながら西部劇のような様相を呈しています。
クリント・イーストウッドの代わりに、主人公ミルドレッドを演じるのは、フランシス・マクドーマンド。この人、映画「ファーゴ」で女性警察署長を演じた人ですね。すごくカッコいい。

ストーリーはこう。
ミズーリ州のとある田舎町の話。
ミルドレッドが女手一つで育てた娘のアンジェラがレイプされ焼死体で見つかります。
地元警察はろくに捜査もせず、半年以上が経過しても犯人は野放しのまま。
業を煮やしたミルドレッドは、娘の遺体が発見された道端に立つ三枚のビルボード(広告看板)に広告を出します。

「娘はレイプされて焼き殺された(RAPED WHILE DYING)」
「未だに犯人が捕まらない (AND STILL NO ARRESTS)」
「どうして、ウィロビー署長? (HOW COME CHIEF, WILLOUHBY?)」

ウィロビー署長というのは地元の警察署長で、仕事熱心で人々の信頼も熱いと評判です。しかも、彼は末期ガンにかかっていて余命いくばくもない。

自分はできる限りの捜査をしている、しかし、ガンで余命いくばくもないので勘弁してほしい、というウィロビーに対してミルドレッドは、死んだら捜査できないじゃない、と言い放ちます。

このミルドレッドがハンパない。
他人が何といおうと一度決めたことを最後までやり通す強い意思があります。

ミルドレッドはどこまでも強い。
先日紹介した「女神の見えざる手」もそうでしたが、アメリカの女性たちのハンパない強さ、それを今回も感じました。

このハンパない強さの裏には、暴力亭主による酷い仕打ちや酷い家庭環境等が隠されています。女は強くならざるをえない。

彼女を目の仇にする地元警官たちは、非常に差別的で、アメリカ南部には今も色濃くこうした差別がはびこっているのだとわかります。

ウィロビー署長は言います。
「レイシストの警官をクビにしたら、この警察には3人しか残らない、その全員がホモフォビア(ゲイ差別者)だ」

しかし、ミルドレッドにも弱点があり、彼女が正義であるとは断言し難く、登場人物たち全員が一筋縄ではいかない人たちです。

こうだろう、と思うと必ずひっくり返される。いやいや、次はこうでしょ、と思うと、はあ、そうきたか、と思わせられる。その連続ですっかり惹き込まれしまいます。

最後に、差別的な言動で警察をクビになるディクソンが、意外なことにミルドレッドの側につくというオチもあり、人間というのはちょっとしたきっかけで変われるのだという希望も抱かせてくれます。

この辺りは映画「チョコレート」に登場するハンクとも共通しています。非常に差別的で暴力的な人たちが、あることをきっかけに改心し変わっていく、というストーリーで、それが現実的かどうかは別として、大いに考えさせられ、また希望を与えてくれます。

最後のシーンもとてもいい。
一体どういう結末になるのか、ハラハラドキドキして見ていたのですが、なるほど、そうきたか、とここでもうならされました。

一見の価値ありです。
ぜひ、見てみてね。

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